★命の限界点(リミット)
実験室に充満する水蒸気と熱気で、メガネがすぐに曇った。
「くそ……」
眼鏡を外すと、今度は空中に浮かべた戦術情報表示がぼやけて見えない。
仕方なく空中に浮かんだ四角い「仮想の窓」そのものを、目の前に近づけて表示してみると……見える!
「おぉ、これはすごいぞ!」
これぞ逆転の発想、大画面プロジェクターのように目の前いっぱいに戦術情報表示が広がって見える。とりあえずこれで作業が進められそうだ。
傍目から見れば、目の部分にモザイク編集処理が施された怪しい男のようだが、今はなりふりなんて構っていられない。
俺は今プラムの延命に欠かせない薬の合成作業中で、全三百ほどある工程のおよそ半分ほどまでを終えたところだ。
終了した工程は戦術情報表示に表示した樹系図が赤く塗りつぶされてゆく仕組みで、『生命の樹』を思わせる複雑な樹形図はその半分ほどが赤く色塗りされている状態だ。
今は深夜の二時ぐらいだろうか。眠気もピークだ。とはいえプラムの命を救えるのは俺だけしかいないのだ。
歯を食いしばり、べしんと自分の頬を叩いて気合いを入れる。
だが順調とは言い難かった。薬の合成工程は事前にある程度組み上げてはいたが、実のところ完璧ではない。
そもそも検索魔法が万能なものではないからだ。
検索魔法は、千年図書館に蓄積された膨大な量の書籍から必要な情報を検索妖精が抜き取ってくる事は出来る。
世界のどんな情報も知識も手に入るとはいえ、その元になっているのはあくまでも『書籍』なのだ。
つまり『誰かが何処かで本や石板に記録した情報』が対象なのだ。
『僧侶マニュフェルノが今居る場所』や、誰も造った事がない『人造生命体の薬の事』なんて、調べても答えは見つかるわけではない。
これは俺が元いた世界のインターネット検索エンジンと同じだろう。
だから俺は太古の魔法文明の書籍情報から、人造生命体の錬成方法の項目、それも生命の核部分のみの錬成法を抜き出して、工程を再構築しているのだ。
つまり半分は手探り状態と言っていい。
難しい作業だが、やり遂げるしか道は無いのだ。
「よし……次」
一つ工程を終え、赤い点が増える。
眠い目を擦りながらだが、少しづつだが着実に作業は進行してゆく。
窓の外のが紺色から白々とした色に変わり始めた頃、俺はようやく最後の工程を終えた。
◇
「これで……元気になるのですね」
「賢者め、効果が無かったら承知せんにょ!」
「おそらく、効くはずだ」
出来上がった薬をプラムに飲ませた俺は、傍らで心配そうに覗きこむセシリーさんと、気が気でない様子のヘムペローザに力なく答える。
揺すっても目を覚まさないプラムの口に、無理やり一粒の丸薬を含ませ、なんとか水で流し込んだのだ。
寝台には相変わらず目をつぶったままのプラムが横たわっている。
手を握ってみても力なく、するりと滑り落ちてしまう。
今は早朝、朝の五時ぐらいだろう。
昨晩は結局セシリーさんとヘムペローザはこの屋敷に泊まり、時折起きては交代でプラムを一晩中看護してくれていたのだ。
「セシリーさん、ヘムペローザ。後は私が診る。帰って休んでほしい。本当に……ありがとう、感謝している」
「プラムちゃん……元気になるといいですね。あとで私と交代でイオラとリオラが見舞いに来ます」
常識人でしっかり者の村長の娘、セシリーさんの判断で夕べは双子の兄妹は家で待っていたのだ。まぁ病人の看護に大勢で来られてもしょうがないところだろうし。
「にょほほ! お礼はまた今度、貰いに来てやるにょ!」
白い歯を覗かせる褐色の肌のヘムペローザは元気に見えるが、プラムよりも小さな体では、かなり疲れているはずだ。
俺は賢者の威厳なんて抜きで、ひたすら感謝しきりだが、今は礼を言う以外にその気持ちを伝える術は無いのが歯がゆい。
「でも……賢者さまもお疲れでは……?」
「ま、徹夜は……いつもの事ですし」
へらっと笑って見せたが、実際かなり眠い。超眠い。
昨日の午後にプラムが熱を出して倒れてからの俺は駆けまわりっぱなしだった。
レントミアと王都メタノシュタットまで全力疾走。少しの食事と休息の後、再び夜の街を駆け回り、やっと探し当てた僧侶の店のさらに奥……腐った汚部屋で夜中までローブ探しをしたのだ。
そしてまた夜半過ぎに全力疾走でこの屋敷へ舞い戻り、薬の合成作業に没頭……。
どう考えても俺の一年分ぐらいの運動量だ。
「うはは……ははっ……これで、きっと……」
「け、賢者様……?」
徹夜明けの妙なテンションが判るだろうか? もう何もしていなくても自然に妙な笑いがこみ上げてきたりするのだ。
ぼす、と俺はプラムの寝台脇のイスから、折れ曲がるように倒れ込んだ。
――やれることはやったのだ。あとは……
そこで俺の意識は途絶えたらしい。
◇
……春みたいだ。
温かくて、風は穏やかで、花が咲いていて。
あれ? 今は秋じゃなかったか。この世界にも四季があって、メタノシュタットまで駆け抜けた夜の空気は底抜けに冷たかった。
秋はなんだか寂しいし、冬は痛いほどに寒いから好きじゃない。
けれど、可愛い顔のハーフエルフの絡みつく腕のぬくもりや、柔らかな春の日差しの様な笑顔のマニュフェルノがいれば、秋だって冬だって悪くない気がした。
けれど、俺の灰色だった生活に、賑やかな声と歌と彩りを添えてくれた、太陽みたいな眩しい存在に、やっぱり一番居てほしいと、心の底から願った。
それにしても……結構、暖かいな。
「……あひゃた、かいな……」
「あは、ググレさまの寝言なのですー」
うにゅっ、と小さな指先が俺の頬をつまんでいた。
それは――いつもの俺の大切な賢者タイムを邪魔する指先だ。
「――プラム!?」
俺は弾かれたように跳ね起きた。
すっかり日が昇った窓から差し込む朝日に、思わず目がくらむ。
と、
プラムが窓際の寝台で身を起こし、微笑んでいた。
「ググレさま、寝坊ですかー……?」
「お、おぉ…………おぉう」
朝日と笑顔の眩しさに、俺は咄嗟に言葉が出てこなかった。
薬が効いたのだ!
プラムの緋色の瞳が朝日を浴びて、きらきらと輝いている。
次の瞬間、俺の身体は自然に動いていた。ぎゅっと、細く小さな体を抱きしめる。
少し汗ばんだ頬や髪をゆっくりと撫でると、プラムはくすぐったそうに身をよじった。まだ少し熱をもった細い腕が、俺の背中にしっかりと回された。
「よかった……プラム」
「なんだか、ずっと……夢を見ていたのですー」
「夢……?」
「ググレさまが、走ってずっと何かを探していたのですー。どこに……いっていたのですか?」
「あ、あぁ……少し、探しものさ」
「みつかりましたかー?」
俺は、腰のポケットにそっと手を差し込んだ。
小さなガラス瓶が触れた。
コロリ……と中で転がる感触がある。
「あぁ、みつかったよ」
それは、竜人の血から合成した人造生命体の生命の核を繋ぎとめる「命の薬」――。
俺が一晩がかりで造り上げた魔法の秘薬だ。
「あれ? なんだかお腹が……すきましたですー」
「! そうか、では朝飯にするか!」
「はいなのですー」
俺はプラムを寝台に押し留めたまま、立ち上がった。くらくらと立ちくらみがするが、今は平気だ。
達成感と徹夜明けのハイテンションのせいか、おそらく顔は妙な感じだろう。
だが俺は頭の片隅で、既に次の事を考えていた。
――残り、二粒。
結局、薬は三粒しか出来なかったのだ。一粒は今しがた飲ませたばかりだ。
この一粒でどれほど延命できるものなのか……延、命薬で伸ばせる寿命は正確には判らない。
今しがた飲ませた薬が夕方に効果を失うならば、僅か2日しか持たない事になる。
反対に数日程効果が持続するなら、少なくとも一週間は時間が稼げるはずだ。
それがプラムに残された命の限界点なのだ。
――血だ。大量の……竜人の血が欲しい。
俺は朝日で輝く外の世界に視線を向けた。
この西の果て、パルノメキア山脈の懐に広がるキョディッテル大森林にあるという「竜人の里」を目指すしかない――。
「なんとしても手に入れねば……」
それがたとえ……摂理に背く事だとしても。だ。
俺は指が手のひらに食い込むほどに、きつく拳を握りしめた。
<つづく>




