摂理に背く願いと、信じる道と
女子力、という言葉を耳にするたびに、そんなもの無くたって可愛かったらいいよな?
なんて漠然と考えていた俺だったが、本日を持ちましてそんな考えは卒業しました。
男女平等が叫ばれるのは、この異世界ティティヲ・モンデモットでも同じだが、やっぱり女性は掃除や洗濯、家事やなんかが出来たほうがいい。いいに決まってる。
俺の目の前に広がっている惨状は目を覆いたくなるばかりだ。
足の踏み場も無いようなゴミで埋まった汚部屋。脱ぎ捨てられた衣服や食べ物の包み紙、何故かページが開かない同人誌に謎のテッシュが散らばっている。
微妙な発酵臭が漂い、とてもじゃないがうら若き乙女の部屋だとは思えない。
それが世界を救った『六英雄』の一人、癒しの僧侶マニュフェルノとくれば尚更だ。
少なくとも俺の屋敷の書斎がいかに清潔で快適かわかるだろう。
……あぁ、そういえばそろそろ賢者エネルギーも尽きて来たし、早いところ「ローブ」を見つけて帰りたい。
何よりも、プラムが待っているのだから。
「おっ……、これは?」
ゴミ部屋に這いつくばり『竜人の血』がついた僧侶のローブを懸命に探す俺の指先が、何かの布を探り当てた。
引っ張り出してみると……ローブ、ではなく司祭の着る様な立派な祭儀服だ。胸の部分に変なシミがついていてカビくさいが。
「発見。神に祈りを捧げる祭儀服、一年前から行方不明でした」
「お前ほんとに神に仕える僧侶かよマニュ!?」
思わず部屋の中央でスケッチ中の僧侶、マニュフェルノに投げつける。
ちなみにマニューというのは、俺たち仲間内の彼女の愛称だ。魔乳というわけではないが彼女は少し平均よりは胸が大きい。だがマニュフェルノが『ゴミ屋敷製造機』と知れた今、いかな巨乳好きな俺でも色香に騙されたりはしない。
「あははっ、ググレがんばれー」
気楽な声はハーフエルフの魔法使いレントミアだ。
最初は真剣に手伝ってくれていたが、すぐに飽きたらしく散らばった同人誌を読みふけり始めた。エルフの血を引く女装美少年は気まぐれで、そもそもアテになんてしていない。
レントミアは、積み上げた同人誌で作った即席の椅子の上に腰掛けて、片手をついて首をかしげてポーズをとっている。
どうやら今は「腐った僧侶」のモデルをやっているらしい。デッサン練習だからと、上手く言いくるめられてたが、マニュフェルノの頭の中では猛烈な勢いで腐った構図に描き換えられているはずだ。
「開脚。レントミア君、もうすこし足をこう……開いて」
「えー? スカートの中見えちゃうよ」
「芸術。恥ずかしくない、ほら、もうすこしだけ」
上気した顔で眼鏡を光らせるマニュフェルノ。口元がだらしなく開いている。
「……こう?」
「嗚呼。生足素敵……! 曲線最高」
銀色のお下げ髪の僧侶がガリガリッと物凄い勢いで女装ハーフエルフを模写してゆく。
「絵を描いてもらえるなんて嬉しいな、ググレもどう?」
「お前……次に発売される同人誌のネタにされてるんだぞ?」
「えー、ボクは嬉しいけど?」
俺のジト目に可愛らしく口を尖らせるレントミア。
「賢者。ググレカス君も脱いで。横に並んで……お願い」
「誰が脱ぐか!」
ダメだこいつ……。
ちなみにマニュフェルノと俺は同い歳だし、メガネという共通項がある。レントミアに対しても妙な仲間意識があるらしく「君」付けで呼んでくれる。
全体的にほんわりとしと雰囲気で丸いメガネと間抜けなお下げ髪が、一見すると大人しくて優しそうに見える。
他人と話すのが苦手なんて所も俺と似ているのだが、中身の腐り具合が酷くて……俺としては複雑な気持ちになる相手だ。
俺は嘆息しつつ再びローブを探す仕事に戻る。
――なんとしても見つけねば。
と、ほどなくして願いが通じたのか、質のいい外套らしい布を探り当てた。引っ張り出して広げてみると間違いない、白地に赤の文様がついた僧侶のローブだ。
裾のところには今ついたのかと目を疑いたくなるほどに鮮烈な赤い血がついている。
間違いない。永遠に最も近いといわれる程に強靭な生命力の持ち主、希少種族『竜人』の血だ。
「これだ! 見つけた!」
俺の叫びに上半身の服を脱がされかけたレントミアが振り向く。……どうしてそこまでノーガードなんだお前は。苦々しい表情を浮かべた俺に、僧侶が小さく舌打ちする。
「安堵。探し物はそれでよい?」
「これだ! 悪いが借りてい行くぞマニュー。後でちゃんと洗濯して返すから」
「凄いね、二年ぐらい前じゃなかった? その血がついたの」
「あ、あぁ」
レントミアが俺の横に密着して興味深げに覗き込む。切れ長の瞳を細めた綺麗な横顔がすぐそばにあってドキリとする。
竜人の血は、かつての冒険の最中、魔物の群れに襲われ怪我をしていた竜人の女性を助け、治療したときに付着したものだ。
本来竜人は寿命が長く強靭な種族だ。とはいえ不死ではない。激しいダメージを受ければ、回復は困難になる。
大分時間がたっているにもかかわらず、この赤さは異様だ。流石は無限の生命力を秘めているとさえ言われる竜人の血といったところだ。
俺の賢者のローブについていた血を元にプラムは造られている。つまりマニュフェルノのローブについているのも同じ血だ。ならば間違いなく効果のある薬が作れるだろう。
「あの竜人……プラムちゃんのお母さん、ということになるんだね」
「! ……確かにそうなるな」
言われて初めて気が付いた。滅多に、というか殆ど自分たちの故郷から出ないと言われる竜人が、一人で旅をしてたのは余程の事情があったからだろう。
怪我の治療を終えた竜人は、礼を述べるとまたどこかに立ち去ってしまった。
「疎外。プラムて……? 誰?」
俺は今までの経緯を簡単に僧侶マニュフェルノに説明した。マニュフェルノは話を聞き終えると悲しげに目をつぶり静かに首を横に振った。
「無念。わたしの魔法では……プラムちゃんは治せない」
「いいんだマニュー。この血が手に入ればプラムは助かる」
「でも、一時しのぎだけどね」
感情を押さえた口調で、レントミアが呟いた。
確かにそうだ。この程度の血で作れる薬は限られるだろう。上手くいって数日分だ。
「とにかく俺は館に帰る。レントミア、今日はありがとう助かったよ。それに……久しぶりに楽しかった」
「うん、ボクも。ググレと話せて……嬉しかったよ」
自然な笑みを浮かべる美しいハーフエルフに、思わず俺は照れたように笑みを返した。
「マニュフェルノ、恩に着る。今度俺の館に遊びに来てくれ」
「了解。そのローブの使用感を聞きに行く」
「お前の想像している使い道じゃないからな」
俺は苦笑しつつマニュフェルノの部屋を出ようとドアノブに手をかけた。その時、
「風説。すこし……耳に挟んだ噂がある」
「うわさ? 一体……どんな?」
マニュフェルノが何か言いにくそうにきゅっと拳を胸の前で握り、瞳を伏せた。
――まさか……『闇の復活』、魔王復活に関する事か?
「危機。危険が迫ってる……」
「な、なんだって?」
「捜査。王政府の役人のガサ入れがこの店に来ると……」
「むしろ強制捜査されちまえよ!?」
マニュフェルノには悪いが、この店ごと無くなってくれた方が世の為だろう。
思い切りツッコミをいれた俺は、レントミアを伴って部屋を出ようとした。
不意に――。
静かで、それでいて凛とした声が響いた。
「啓示。強く正しい願いは運命を切り開く。だが、摂理に背く願いは……闇を生む」
それは、マニュフェルノの僧侶として神の言葉を伝える声だ。
俺はハッと息を飲む。
傍らで俺に身を寄せていたハーフエルフの魔法使いも同じだった。
――摂理に背く願いが……、闇を……生む?
トクン――と心臓の鼓動が跳ね上がるのを俺は感じていた。
この世に産まれないはずの偽の命を創り出す事。
死の運命に抗い生を得ようとする事。
その全てが――考えたくは無かったが、一つの事実を否が応でも脳裏の奥底から浮かび上がらせる。
――世界の摂理を捻じ曲げ、全てを闇の波動で覆い尽くそうとしていた『魔王』デンマーンもまた、元は竜人だったという一つの事実を。
「マニューそれは、お前が信奉する神の言葉か」
俺の問いかけに、静かに首肯する僧侶マニュフェルノ。
その表情は先ほどまでの腐った瞳とは違っていた。まるで何か、未来を見通すように遠く、強く、澄んだ色をたたえていた。
「信念。大丈夫、ググレカス君が信じるのなら、それがきっと正しい道」
優しく強い眼差しが俺の背中を押す。マニュフェルノは背筋を伸ばして、祝福の印を結んで幸あれ! と祈りを捧げてくれた。
そうだ。
俺は、自分が信じる道を行く。
賢者として与えられたこの能力を駆使し、無理を通してでもだ。
「ありがとう、マニュー」
「祝福。道に光を」
俺はうなづき微笑むと今度こそ踵を返して、暗闇の通路へと足を踏み出した。
そこは暗黒世界のように暗く、無限に続くかとさえ思われた。だが出口の明かりだけがぽつんと、導きの光のように輝いている。
その先にあるものは、果たして何だろうか?
『ググレさまー……?』
間の抜けた問いかけをする、赤毛の少女が脳裏に浮かぶ。
少なくとも世話の焼ける分身が、俺の帰りを待っているのだ。
「そうだな」
――何があろうとも俺はもう、迷わない。
◇
賢者の館に辿りついたのは、夜も更けてからだった。
魔力強化外装を展開した全力疾走による疲労も、今は心地のいい疲れにすぎない。
俺は何とか目的を果たしたのだ。
手にしているのは僧侶マニュフェルノから借り受けた、血のついたローブ。
日が変わらない時間に戻れたのは幸いだった。魔法使いブラムス・レントミアの協力がなければこうはいかなかっただろう。
師であり、友人であり、かつての憧れのハーフエルフに俺は深く感謝した。
まぁ、すぐに逢えるだろう。そう、明日にでも。
「プラム……」
俺は静かな寝息を立てるプラムを確認し、心底ほっとしている自分に気づく。
カンリューンの魔法使いが作ってくれた魔法の氷は今も健在で、プラムの頭を心地よく冷やしてくれている。
だが容態はまだ良いとはいえない。熱は高くギリギリ現状維持、といったところだ。
――急がねば。
俺はベットに突っ伏して寝ているヘムペローザとセシリーさんに、そっと毛布をかける。
そして休む間もなく俺は、館の奥にある実験室へと向かった。
館の奥にある部屋に入ると、いかにも実験室といった光景が目に飛び込んでくる。
壁一面に設えられた棚には数々の魔法の材料や触媒が並べてあり、机と雑然と積まれた書籍の山が見える。そして部屋の中央には培養槽代わりの中古のワイン樽がいくつか並べられていて、周りには材料を入れる為の足場や、じょうご、他の樽に繋がったパイプが伸びている。
ここで人造生命体であるプラムは産まれたのだ。
「よし、手順の最終確認だ」
俺は戦術情報表示を何枚も空間に浮かびあがらせた。
戦術情報表示は検索魔法の拡張技術ではあるが、戦闘時だけではなく、魔法の解析、開発、そして魔法による儀式工程の管理にも使えるのだ。
延命の為の薬を精製する手順は既に設計済みだ。
指先で画面をなぞると、『生命の樹』を思わせる樹形図、魔術の術式設計図が浮かび上がった。
円と棒の組み合わせで描かれた樹形図は、かつてプラムを練成した際に使った膨大な術式図から、生命の核部分だけを造り出すように再設計したものだ。
合成工程だけでもおよそ三百。
その核心となる魔法薬合成の最終段階で『竜人の血』が必要なのだ。
僧侶マニュフェルノから借り受けた僧侶のローブを、一つの釜に入れる。
「術式、開始――」
俺は静かにつぶやくと他の材料を釜に放り込む。そして魔法使いの「呪文詠唱」の代わりとなる自律駆動術式を、次々と自動詠唱させはじめた。
<つづく>




