★困難に満ちた、ぎりぎりの綱渡り
「これぐらいあれば、一週間は持つと思うッスよ……」
流石に疲労困憊と言った様子のディンギル・ハイドが、額の汗を拭い去った。
屋敷中から集めてきた鍋や樽には、青白い燐光を放つ不思議な氷の山が出来ていた。
それはただの氷ではなく、表面を特殊な魔術式で覆った『解けにくい氷』だ。
ふぅ……と赤い外套を羽織った魔法使いは大きく息を吐きだした。かなりの間、冷却魔法を使い続けたことによる体力と魔法力の消耗は、想像以上に激しいのだろう。
ディンギル・ハイドは右手でプラムの額を絶妙な温度で冷却しながら、左手で特殊な魔法の氷を精製し続けていたのだ。
左右同時に別の魔術式を励起するその技量は、流石というよりはない。魔法使いであるディンギルは俺と同じく治癒魔法は使えないのだが、自分の得意魔法を駆使して効果的な応急措置を発揮してくれたのだ。
効率的に冷やせたおかげで脳や循環器へのダメージを防げたらしく、急速に悪化していたプラムの生命反応は、最悪の危機的な状態を脱していた。
「まだ熱は高いが、生体反応も安定してきたようだ」
戦術情報表示を転用し、生態反応の詳細モニターとして展開している存在測定の背景色はまだ黄色いままだが、プラムの熱は大分下がり、呼吸も脈拍も安定してきていた。
これならばもう大丈夫だ。いや……一時しのぎかもしれないがな。
「すまない……その、なんと礼を言ったらいいか」
「はぁっ!? ググレ先輩! 礼なんて勿体ないっスよ! オレ……少しでも役に立てたならそれで充分ッス」
異国の魔法使いはぶんぶんと手のひらを振り回して遠慮の意を表した。俺もそれ以上は旨い返事も見つからず、俺は深々と頭を下げた。
まさかコイツに助けられるとはな……。
俺の視線の先で眠るプラムは、穏やかな寝息を立てはじめていた。
気がつけばすっかり日が落ちて、暗闇の奥に赤銅色の残照が見えるばかりだ。
「どうやら……、大分落ち着いてきたようだにょ」
甲斐甲斐しく世話をしてくれていたヘムペローザもふぅと一息、寝台の傍らにペタリと座り込んだ。
ヘムペローザの気転が無ければ今頃どうなっていたか、俺一人では手の施しようがなくなっていた可能性すらあるのだ。
――まさか、かつての敵とディンギル・ハイドに助けられるとはな……。
俺は皮肉なものだと思いつつ、素直な気持ちで二人に改めて礼を述べた。
「にょはは、いい眺めにょ、賢者がワシに礼を言ったにょー」
カラカラと笑うダークエルフ少女の声が、緊迫していた空気を少し弛緩させる。
「先輩……オレ、その、先輩の彼女、ファリアさんに……酷いことばっか言ったっス。その、すんませんでした」
むしろ頭を下げたのはディンギル・ハイドだった。
「あの事ならもういいんだ。上からの命令があっての事だろう? それにファリアは彼女じゃない、友達だ」
「え!? またまたぁ……!? 嘘でしょ? だって、試合後にお姫様抱っこしてもらってたじゃないっすか?」
「それは忘れてくれ!」
試合後、過労で倒れた俺は女戦士にお姫様抱っこで運ばれたのだ。会場の失笑と暖かい(?)拍手は俺の黒歴史に新たな一ページを加えてくれた。
許せない気持ちはまだあるが、この男も国家という雇い主がいる以上、その意向には逆らえないのだ。
そして……国家間すら越えて暗躍する『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)。
その思想と理念には賛同できないが、『闇の復活』を監視し、阻止することを考えて動いているとするならば、結局はこの世界の為でもあり――正義なのだ。
「だけど、先輩……あの。……言いにくいんスけど……その子」
ディンギル・ハイドは立ち上がると帰り支度を始めた。その顔には疲労と、苦渋の表情が浮かんでいた。プラムに向けていた瞳を静かに閉じる。
「わかっている。命の炎が……弱まっている、と言いたいのだろう?」
「あ……、はい……。その、俺は先輩が使うみたいに相手の状態を正確に把握することは出来なんスけど、ある程度状態は見えるんす……」
魔法の力は時に残酷なほど他人の運命や命の炎の揺らぎを感じてしまう。普通の人間でも勘がよければ感じられる予感や直感を寄り強くした感覚だ。
俺の戦術情報表示はそれを更に進め、数値化し可視化したものだ。
「じゃ、オレはこれで失礼するっス。 ……明日は国に帰るんで、後はその氷使ってください。おそらく……足りると思います」
「あぁ、本当にありがとう」
ディンギル・ハイドはカンリューン流の優雅な挨拶を残して、去っていった。
足りる……か。
プラムの身体の奥で命の核として動き続ける『竜人の血』が無くなろうとしているのだ。
急な発熱は、肉体が形を保てなくなりつつあることへの警告なのだ。
人間の身体が体力を無くした時にひく風邪のようなものだ。
――時間が無い。
一刻も早く『竜人の血』を手に入れねば。少しでいい、ほんの一滴でいいのだ。それで薬を作り、数日の、せめてもの時間を稼ぐのだ。
そして抜本的な対策を講じる。
竜人の里へ赴き――大量の血を手に入れる。
これでプラムの根本を造りなおす事が可能になる。
困難に満ちた道のりだ。どれもがぎりぎりの綱渡りに思える。
「やるしか……いや、やるしかない」
俺は自分に言い聞かせるように呟くと、金の刺繍が施された賢者のローブを羽織った。
「お、おい!? 賢者……お主どこに行くにょ!? こんな……こんな時に」
「すまないヘムペローザ。俺はメタノシュタットに行き、薬の材料を手に入れてくる。明日の朝には帰って来るから」
「い、今からにょ!? プ、プラムを置いて行く気にゃのか貴様!」
「家の食べ物は食っていい、もうしばらく……今夜一晩ここに居てやってくれ」
「ワ、ワシは構わぬが……いや、また悪くなったらワシ一人でどうすればいいにょ!?」
「遠くからプラムを見守る魔法もある。だから本当にヤバければ、すぐ戻る」
「賢者、お主……」
褐色の肌の少女は、困ったように眉をまげて心細げな声を出した。
山は越えたといっても、プラムが重症なのは変わりない。それを置いていく俺は正直、心が張り裂けんばかりの想いだ。
だが、俺の魔力糸の対人結界は、屋敷に向かう気配を捉えていた。
「心配ない。セシリーさんがここに来る」
ヘムペローザが慰問に来ていたカンリューンの魔法使い、ディンギル・ハイドを呼びに行ったのは村長の家。つまりは……セシリーさんの家だ。
そこにはイオラやリオラもいる。異変を察知して向かって来てもおかしくないと俺は、半ば期待していたのだ。
俺は静かな寝息を立てているプラムの顔を見て、目を細めた。
――もう少しのガマンだからな、プラム。
そして――
「というわけだからヘムペローザ、後は……頼んだぞ!」
俺は窓を開け、猛然と床を蹴った。
ここは二階の書斎だが、躊躇無く暗闇に包まれた世界へ跳躍する。
背後からヘムペロの叫び声が聞こえた。
今はあの子とセシリーさんを信じ任せるしかない。
落下の感覚に包まれた一瞬の後、地面に着地する瞬間、俺は魔力糸数百本を、足首、膝、股関節、そして背骨へと瞬間的に展開した。
――魔力強化外装、超駆動!
ドウッ! という衝撃音は、着地と同時にその反発力で地面を蹴った音だ。
振り返ると屋敷の窓があっという間に遠ざかってゆく。
俺は本来動きたくない人間だ。屋敷で静かに本を読んで寝ていたい。
だが今は、今だけは、別だ!
屋敷を取り巻く石塀を眼下に飛び越えて、メタノシュタットへと続く街道の石畳に着地する。
ザシュウッと二歩、三歩と足を滑らせて片手を着く。
「――うぐっ!」
魔力強化外装は高速演算で魔力糸を循環駆動させ、肉体への負荷の軽減と、筋肉の強制稼動を促す禁忌の術だ。
俺の魔法の師匠、美少年ハーフエルフ、レントミア直伝の技で、更に魔力を注ぎ込み外殻変化を促せば、外装の魔法装甲化も可能だ。
だが……肉体の負担も大きい。既に全身が痛みに悲鳴を上げはじめている。
魔力糸で痛覚を鈍らすことも可能だが、今はそんな自律駆動術式を展開している暇はない。
なによりも――
「出てきたらどうだ? レントミア!」
俺は闇に向かって吼えた。
「……セシリーさんの気配に紛れたつもり……だったんだけどなぁ」
ゆらり……と黒い闇が霧のように晴れた。
白い肌が闇の底から浮かび上がるように、あたかも最初からそこにいたかのように細い身体が浮かび上がった。
人形のように整った小顔、暗闇で銀緑の燐光を放つ髪。口元だけは、ぞっとするほどに可憐な笑みを浮かべている。
――ディカマランの六英雄、最強の魔法使いレントミア。
「プラムに手出しはさせない、と言ったはずだ」
俺は闇に浮かぶハーフエルフの魔法使いを睨みつけた。
<つづく>




