無力の賢者、ググレカスの焦燥
「プラム!?」
「なんだかおかしいのですー……ふわふわ、するの……」
「プラムしっかりするにょ!」
叫ぶヘムペローザを押しのけて、俺はプラムを抱き上げた。そしてそのまま書斎の隅の寝台まで運び、力のないプラムの身体をそっと横たえた。
すぐさま俺は空中を指先でなぞり自律駆動術式を起動、――戦術情報表示、そしてその派生術式である、存在測定を表示する。
すぐさま浮かび上がった半透明の仮想のガラス板は背景が黄色く変化している。それは戦闘時に危険を知らせる演出なのだが、今は焦燥を煽るだけだ。
体温は四十度近くもあり高熱。
脈拍は弱く、呼吸が浅い、刻々と表示される生命状態は、驚くほど悪化している。
「なぜだ……、今朝は普通に元気だったはずだ」
「そ、そうにょ、帰る時だって普通に……」
褐色の肌を持つダークエルフの少女は、目の端に涙を浮かべておろおろとするばかりだ。悪魔神官を自称していても、身体も心も子供に戻っているのだ。何もできなくて当然だろう。
俺一人だったら動揺するばかりだろうが、ヘムペローザが居てくれるお陰で幾分冷静さを保てているのも事実だ。ここは俺がなんとかしなければ。
「とにかく冷やすんだ」
これ以上体温が急激に上がれば、組織を構成する疑似タンパク質が崩壊しかねない。焦る俺は頭が上手く回らない。
――冷やす? 水か? 氷か? 桶はどこにあっただろうか!?
幾多の戦いを経験し、世界で唯一の賢者を名乗っていても中身は普通の男子だ。子供が熱を出して倒れるなんて場面に遭遇したことも無いのだ。
ディカマランの六英雄は風邪の一つも引かないような連中ばかりだったし、唯一治癒魔法が使える僧侶マニュフェルノも「とある理由」から、あまりお世話になりたくはなかった。
六英雄は日々の健康管理にいそしみ、怪我と病気には注意していた。出番のない僧侶って……と、俺は呆れていたが、って今はこんなことを回想している場合じゃない。
「ググレ、お主は賢者にょ!? 魔法が使えるんじゃろ! ぱぱっと、こう……治癒できんにょか!?」
「賢者は治癒の魔法はつかえないんだ。簡単な止血とか、応急手当的な自律駆動術式はあるんだが……」
「ええぃ! 使えぬ奴にょ! ちょっと待っておれ! 使えそうなやつを調達してくにゃ!」
「お、おいっ!?」
ヘムペローザは叫ぶなり、猛然と駆け出して屋敷を飛び出していってしまった。
一体何処に、誰を連れてくるのかは知らないが、アテにはできない。
「ヘムペロ……ちゃん……?」
「心配するなプラム、あいつは薬を探しに行ったんだ。俺がいるからな」
「はい……なのです……」
一瞬焦点の定まらない瞳をこちらに向けるが、苦しそうにまた目を閉じてしまう。
いつもの元気に飛び跳ねる煩いほどにエネルギーあふれる姿はどこにもない。
「くそ……!」
俺が今出来ることをするしかない。
戦術情報表示を指でなぞり、次々と別の小窓を導き出す。
各種格納してある自律駆動術式の中から、病気の治癒に使えそうなものを探す。しかし『止血』や『毒消し』はあっても、病気を治すものはそもそも無い。
そもそも――、今のプラムに治癒魔法が有効なのか?
自律駆動術式は、通常の攻撃魔法や治癒魔法とは違う。
魔法使いが精霊や悪魔、天使などと契約をかわし『外部の力』を借りることで様々な現象を励起させる魔法とは根本的に異なるものだ。
自律駆動術式の全ての力の根源は『俺自身』の中にあり、『オン』と『オフ』というごく単純なレベルの命令術式を魔法の糸で結びつけ、大規模に集積化した命令式を自動で動かすように構築したものだ。
判りやすく言えば、俺自身の中に疑似的なコンピューターとプログラムが構築されているイメージなのだ。
精霊の加護も、天使の微笑みも、悪魔との血の契約も無い俺は、つまるところ一般的な魔法使いが使いこなすような「魔法」の類は使えないのだ。
――何が賢者だ。
こんな事も出来んのか、俺は。
俺は思わずぎりりと歯を噛みしめる。
治癒魔法の真似事が出来る自律駆動術式は幾つか準備しているが、それはすべて緊急処置、応急手当的なものだ。
と、ウィンドゥの奥底に『元気ぱわー』という名前の自律駆動術式を見つけた。なんだっけ……これ? あ! 思い出した……。
イザと言う時の為、来たるべき「男としての決戦」に備えて仕込んでいた元気の源で……元気になるのはごく一部だけだった。
「使えるかこんなもん!?」
俺は立ち上がり台所に走り、水桶から水を鍋に汲むとプラムの元に駆け戻った。
タオルを濡らし、額に乗せる。
何度取り替えても水は温くなり、熱は下がらない。
無力感に苛まれる。賢者の力がこれほど役に立たないのは初めての事だ。
プラムの生命の基礎となっている『竜人の血』の根源的な力が枯渇しはじめてているとしか思えなかった。
としたら、それを補うような薬を造らねばならない。
「こうなったら地下の実験室で、薬を合成するしか……」
だが――すぐに作れるのだろうか? 今ある材料ではとても足りない。プラムを造る為に使った『竜人の血』はもう無いのだ。
プラムを造りだす際に使った『血』は、かつての冒険の途中で、死にかけていた竜人を助けた時に付いたものだ。衣服に染み込んだ血を絞り出して手に入れた、ごくごく微量のサンプルが元になっている。
俺は窓の外に視線を走らせた。
もう夕方が近い。
傾きかけた陽の光が淡く、部屋に差し込んでいる。
今から王都メタノシュタットへ行けば、魔法道具街、あるいは地下の非合法商店で手に入らないだろうか?
だが、そもそも人間との関わりを拒む種族の『竜人』の血なんてものが、売られているのだろうか? 魔法の触媒としても貴重な、レアアイテム中のレアアイテムなのだ。
仮にあるとしたら……地下の闇市、非合法商店街だ。
「まてよ……」
俺は閃いた。
一緒に……倒れていた竜人を助けた人物が居たではないか!
ディカマランの六英雄の一人――僧侶マニュフェルノ。
丸メガネにゆるゆる編みの銀色のお下げ髪。
神に仕える巫女であり、癒しの女神。そして禁忌の腐朽魔法の使い手。
あいつも俺と同じく、衣服に、羽織った聖なる純白の外套に血を染み込ませていたのだ。
そして、その外套は間違いなく冒険の最後まで身に着けていた。
――マニュフェルノを見つければ、手に入るかもしれない!
俺は立ち上がった。
いや、でもマニュフェルノは今……何処に居るんだ?
――と、どやどやと声が玄関の方から聞こえてきた。
それはヘムペローザと誰か……男の声だ。
足音と声がプラムと俺の居る書斎に近づいてくる。ヘムペローザが「はやくするにゃ!」と叫んでいる。
魔力糸による対人結界が、見覚えのある波動を伝えてきた。
書斎の扉が開く。そこに現れたのは、赤いローブを羽織った金髪の魔法使い。
「ディンギル・ハイド!? な、なんでおまえ……が」
流石の俺も驚いて声が出ない。
と、爬虫類じみた顔に金髪をなびかせた魔法使いは、俺を見るなり目をカッ……と見開いて姿勢を正した。そして、
「チイッス、ググレカス先輩ッ! その節は……お世話になったッス!」
「は……あ?」
あっけにとられる俺に、深々と一礼。
その横から黒髪を揺らし息を切らせたヘムペローザがひょこ、と顔を出した。
「いやにょ、こいつが今日、ワシらの施設に『魔法の実演』で慰問に来てにょ。終わった後、村長のほうに挨拶しに行くって小耳にはさんでいたにょ」
「いやぁ……、この子がいきなり飛び込んできて、賢……いや、ググレカス先輩が大変だ! ってんで、とんできたわけっス!」
「……お前に用はないぞ、帰れ」
「ちょっ!? ヒドイッすよ先輩!」
「だれが先輩だ!? ていうかお前その口調……キャラ変わりすぎだろ」
高慢でプライドの塊のような男とは思えない変わりようだった。
あの決闘で、真名聖痕を一時的に書き換え、全ての魔法を『カボチャの腐り汁』しか出せないという悲惨な状況にしてやったのだ。それは三日間限定だったが魔法使いとしては死んだにも等しい事だったはずだ。
俺の友人、女戦士ファリア・ラグントゥスを侮辱した罪はそれで消えたわけじゃないのだが。
「いやぁ……実はオレ、あそこまでガッツリ負けたのって生まれて初めてだったんすよ。なんていうんですか? エリートっつうか血っていうか? 誰にも負けネェって自負あったスもん、だけど……あの決闘でオレ、目が覚めたんス!」
「あ、あぁ……そう」
俺は呆れて半眼で眺めているが、隣国最強の肩書を持つ金髪の魔法使いは何か熱いものがこみ上げてくるかのように拳を握り語り続けた。
「そんでオレ、ググレカス先輩にインスパイアされたっちゅーかリスペクトっつうか」
「それ以上喋ると口からカボチャ汁を出させるぞ……」
「ちょっ!? マジ、サーセン! ホント、あ……その子ッスか? 病気の子って」
「うるさい」
相手にしている場合じゃないのだ。
俺はディンギルハイドとは目も合わせずに、プラムに向き直った。
息は浅く苦しそうに赤い顔をしている。
可愛そうに……。
俺は熱くなった額のタオルを取り換える。
「あ、ちょっちイイッスか、先輩」
ひょい、と近づく軽薄な金髪男の手を思わず振り払おうとして、俺はハッとした。
ディンギル・ハイドは冷気を手のひらにまとわせていた。
「お前……」
「あ、オレ冷却系魔法とくいなんすよ? 先輩には……お見せする前にヤラれちゃいましたけどね」
へらっ、として見える口元だったが、目は真剣そのものだった。
冷たい冷気をプラムの額にあてて、ゆっくりと冷やす。
「ん……」
とプラムが気持ちよさそうに眉をまげる。
「この魔法使いはにょ、ワシの施設でもいろいろしてくれたんじゃぞー」
ヘムペローザがばしっとディンギルの赤マントを叩く。
「オレ、小さい妹とか弟いるんで、よく面倒見てるんスよー」
軽口を言いながらを冷やしているが、それはかなりの技量があってこそだ。
絶妙な温度調整と持続させる集中力は流石、カンリューン公国最強の魔法使いの一人といったところか。
「先輩! 鍋でも、ツボでもなんでもいいっす、水を汲んできてください、凍らせて……魔法で解けない氷を造りますんで」
「あ……あぁ!」「おぅにょ」
俺とヘムペローザは顔を見合わせると、キッチンへと駆け出していた。
<つづく>