★賢者、自らの黒歴史を語る
窓から見える庭の木々が黄色や赤に色づき始め、秋の訪れを感じさせる。
俺が身を寄せているメタノシュタット王国は、ティテイヲ大陸の東に位置し、日本に似た『四季』がある。
空は晴れ渡っているが、時折窓を揺らす風はずいぶんと冷たく感じられる。
プラムが学舎に通い始めてから数日が過ぎた。
週に数日だけの学舎通いだが、今朝も普段通りヘムペローザと手をつないで登校する後姿を見送った。
ようやく静かになった館で、俺は一人「調べ物」の最中という訳だ。
学舎には相変わらず「美少女」姿のレントミアと、元悪魔神官のヘムペローザが通っているが大きな問題は起きていない。
プラムは相変わらず元気だし、毎日迎えに来てくれるヘムペローザの奴も妙な妄想を言うぐらいでまったくもって普通の、ちょっと痛い子供そのものだ。
俺も時折、映像中継で覗き見をしているが、たまにイオラに甘えてみたり、リオラに勉強を教えてもらったりと、意外にも普通の学舎生活を楽しんでいるように見えた。
だが――、
この平和は危ういバランスの上に成り立っていた。
もし、魔法使いレントミアが言うように、プラムの身体の奥底に眠る竜人の血が、闇の復活に関わるものだと判れば、ヤツは容赦なくプラムを殺すだろう。
当然、俺は易々とプラムをそんな目に合わせるつもりはない。
俺にとってプラムはただの「アホの子プラム」でしかないのだが、それでも大切な俺の『分身』。
なんと言えばいいのか、上手い言葉が見つからないのだが、友達とも相棒とも、子供とも違う存在……。けれど、大切であるという事実に間違いなかった。
レントミアが疑うような、世界の破滅を呼び起こすような大それた存在だとは考えたくも無い。
万が一にもプラムが、闇の復活の引き金になるような存在だというのなら俺は……、レントミアと、いや……最悪ディカマランの英雄全員を敵に回す事だってありえるのだ。
――いや。有りえない。ばかげてる。
思わずため息をついて、書斎のソファに身を預ける。
今は考えても無駄な事もあるのだ。
目を閉じると、小悪魔の様な笑みをこぼすハーフエルフの顔が否が応でも浮かんでくる。
ディカマランの六英雄として共に世界を渡り歩き、共に戦った最強の魔法使い、レントミア。
芽吹く緑のような艶やかで綺麗な髪と、透明な翡翠色の瞳を持った美しい顔立ちの、年齢不詳のハーフエルフ。
驚異の破壊力を産み出す独自魔法、円環魔法の使い手。
俺の魔法の師匠でもあり、かつての憧れの……恋の相手だった。
言っておくがこれは俺の勘違いが元の「事故」だ。異世界にやってきて初めて出逢ったハーフエルフの美しさ(毒気か?)にどうかしていたに違いない。
そもそも、出会ってから半年間は何の疑いも持たずレントミアを「女の子」だと思っていたのだから。
勇者エルゴノート・リカルも、女戦士ファリアも、何故か教えてくれなかった。
おそらく異界から来て戸惑うばかりの俺が、親身になって接してくれるハーフエルフと会話をすることで、少しでも元気になればと気を使ったのだろう。
だがそれは、要らぬ気遣いだった。
思わず「好きだ」なんて言ってしまったあの日。
「ボクも……ググレが好きだよ! 嬉しいなっ!」
「えっ……? はっ? え?」
「これからずっと一緒に居てね!」
恥じらいも無くぎゅっと抱き着いてきたレントミア。しかしその下半身、正確には「股間」には……俺が小さい頃から慣れ親しんだ「モノ」が付いていた。
――う、うぁはぁうおおお!?
俺の世界はそこで暗転した。
受けた心の傷は深く、絶望は計り知れなかった。
もう誰も信じられず危うく暗黒面に堕ちて、魔王の側に付こうかと思ったほどだ。
世界なんて滅んじゃってもしらないよ。とさえ。
――『ボクっ娘』だとばかり思っていた、そんな時期が俺にも……ありました。
うがぁああっ! と思わず俺は誰も居ない書斎で頭を抱え、悶絶してみた。
今更ながら赤面し、ゴロゴロと転げまわらずにはいられない。
もう、黒歴史過ぎて耐えられなかった。
とまぁ、痛々しい俺の過去の回想はこれぐらいにしておこう。
◇
目下の心配事はむしろ、プラムの『寿命』の事だった。
レントミアがさらりと言い当てた「もう長くない」という言葉が俺の胸に突き刺さったままだ。
かれこれ一か月と半分が過ぎようとしている。
設計寿命僅か三日と言う目論みが、そもそも間違っていたのか、それとも何らかの要因によって、人造の仮想生命が続いているのか……。
生みの親でもあり、検索魔法を使いこなせる世界で唯一の存在である俺でさえ容易に答えには辿り着いていない。
俺はつまり、賢者の館に引きこもったまま、読書と千年図書館を検索魔法で、人造生命体について調べつづけている。
「ググレさまー! ただいまなのですー」
「ただいまにょー!」
学舎での時間が終わり、プラムとヘムペローザが帰って来た。
屋敷のドアが開くと、冷たく乾いた風が吹き込んだ。
――今日は随分と寒い日だな。
空は晴れているのに、風が雲を吹き流してゆく。
「おい……ヘムペローザ、お前の家はここじゃないだろ?」
「まぁ固いこと言うでないにょ。おやつを食ったら帰るからにょ」
「ったく」
俺は仏頂面で、だが、まんざらでもない顔でセシリーさんが差し入れてくれたクッキーを二人に差し出す。
セシリーさん特製の大麦のクッキーだ。もちろん変なものは入っていない。
「では遠慮なく頂くか……、にょぅ……賢者にょ」
「なんだ?」
黒髪に浅黒い肌のダークエルフクオーター、元悪魔神官ヘムペローザが、クッキーを口に入れる前に思いとどまったように手を止めて、俺をもじもじとした顔で見つめる。
「お主……一体何をしてくれたにょ?」
「はぁ? なんの事だ?」
「だから……その、ワシのいる聖堂教会の施設の事にょ!」
あぁ、そういえばそうだったな。
ヘムペローザのいる施設はここからだいぶ離れた村はずれにある。
獣人の血がまざった忌み子や、親を亡くしたダークエルフのように教会が引き取りを拒む子供たちが入れられている収容所のような酷い所だ。
「最近はちゃんとパンもスープも出るようになったにょ! この前まで、本当に何も出ない日があったにょ。ワシは……耐えられるが、ワシより小さい子も居たにょ……だから……」
黒目がちの大きな目を潤ませて、唇を噛むヘムペローザ。
俺はふん、と鼻を鳴らし眼鏡をくいっと持ち上げた。
そして、
「俺は何もしてないぞ。ただ、お前が学舎にいっている間に王都の役人を呼びつけて、『村はずれの施設でランチを食ってこい。そこに居る子供らと同じものを』と言ってやっただけさ」
「ググレ……お主……」
「勘違いするなよ? 世界に名だたる大国だの、荘厳な白亜の城だとばかり自慢する肥え太った役人に、少しの運動とダイエット食をめぐんでやったのさ」
軽く片目をつぶって見せる。
つまるところ『賢者』の名と力は、政治的な影響力もかなりのものなのだ。
先日王都で隣国最強の魔法使い、ティンギルハイドを軽く一蹴してやった事も大きかっただろう。
俺が使いの者を通じて王政府に知らせを出した翌日、管理職クラスの役人数人が早馬でやってきて、その日の昼にはヘムペローザの居る施設を視察したのだ。
俺の言いつけ通り、木の根を水で煮ただけの『馬も食わないような』スープを飲んでみたという訳だ。
差別的な思想を持つ秘密結社『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)の息のかかった施設とはいえ、金を出しているのはあくまでも王政府だ。
そんな惨状を見過ごすわけにもいかなかったのだろう。なによりも『賢者』である俺が睨みを利かせたという意味は絶大だったようだ。
すぐさま全土の施設の調査と、待遇改善が約束された。
「その……あの……ありがとうにょ、感謝するにょ」
ヘムペローザが褐色の顔を紅潮させて、笑顔を見せた。
笑うとこんなにも可愛いのだ。
と。
「ヘムペロちゃん……プラムのクッキー……あげるのですー」
「おぉ? プラムよ、もうワシは貰わなくても平気……お、おい!?」
ふらりと虚ろな顔で、プラムがヘムペローザに寄りかかった。
紅い髪が、ふわりとヘムペローザの顔をかすめる。
「プラムは食べたくないのです……」
うわ言のように呟くその声は消え入るように弱々しい。
「どうした……?」
「お、おぃ、賢者……プラムが熱いにょ!」
「プラム!?」
異変を感じ慌てて抱きかかえたプラムの身体は熱く、力なくぐったりとしていた。
――なんて……ことだ。
心臓を冷たい手で鷲掴みされたような感覚に、俺は眩暈を覚えつつも必死でプラムを抱かかえた。
<つづく>




