★終わりの季節の、始まりの日に
「聞きたい?」
王立学舎の女子制服に身を包んだレントミアが、俺を見上げて小首をかしげた。
さわ、とゆるやかな風が若草色の髪を揺らす。
森の民エルフの血を感じさせる独特の深い緑色の瞳は、不思議な色を湛えている。
元々背は小さいのだが、水場の脇に設けられたベンチに腰かけているせいで、更に小柄な印象を受ける。女装少年のくせに可愛らしい少女のようだ。
徐々に傾きはじめた太陽が家々の長い影を広場に落としている。
「あぁ。レントミアが乗りこんでくるという事は、確信があったのだろう?」
――闇の復活、つまりは、魔王デンマーン復活の気配を。
リオラが見た『何処かで生まれた闇』の夢、隣国カンリューンのまるで何かを察知したかのような一連の暗躍。そしてレントミアと『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)によるこの村の……いや、俺達に対する監視。
賢者である俺にとって情報の収集分析は十八番だ。
ここまで条件が揃って来れば、おのずと何かが起こっていると疑うのは当然だ。
だが、レントミアは細い指先を交差させて、うんっ、と伸びをして広場の向こうに目線を向けた。
その先では勇者志望の双子の兄妹、イオラとリオラ、そしてプラムと元悪魔神官ヘムペローザが、露店の前でクレープのような菓子をぱくついている。
露店は村唯一の酒場が、昼間の売り上げ確保の為に開いているものだ。
愛想のいい中年の女将が、鉄板の上で焼いた小麦粉の皮に村特産のベリーのジャムをくるくると包んで巻いてゆく。甘い香りが広場に漂う。
「確信? んー、その逆、かな」
「…………逆?」
「そう、疑念だらけ。ボクが疑っていたのはね、ググレと……プラムちゃん」
「――!」
俺はベンチに座った小柄なレントミアの前に立ち見下ろす格好だ。
レントミアの細く白い生足がスカートからのぞいている。
さっと太ももを隠すように、ハーフエルフが自然な動作でスカートの裾を伸ばす。
「もう、そんなに見ないでよ」
「見とらん」
俺とプラム……だと?
「あれ? 意外な反応。普通に驚いてる?」
「当たり前だ。あれは……」
「ググレカスの玩具。人造生命体、ホムンクルスでしょ? すごいねググレは。王国の魔法学者が百年も研究しても出来なかった物を、一人で造っちゃうんだもん!」
目をキラキラとさせて俺の顔を見上げるレントミアから逃げる様に、俺は目線をプラムに向ける。
広場の反対側では、長い赤毛をツインテールに結い分けたプラムが、黒髪のヘムペローザと一緒に物凄い勢いでクレープにかぶりついている。
「プラムは玩具じゃない」
「他にどんな意味があるの? 恋人? 子供? きゃは!」
可愛い顔のハールエルフは、ズバズバと容赦なく俺の心の暗部を抉ってくる。
俺は返す言葉が見つからない。
そもそも……俺は……プラムを、何故つくったんだ?
広い屋敷で本を読む毎日に俺は満足していたはずだ。だが、異世界に迷い込んだ俺の、冒険すら終えてしまった俺の……心の隙間を埋めるために――。
レントミアの口元が不穏にねじ曲がる。
楽しんでいるのだ。俺の反応をこの腹黒いハーフエルフは。
胃がむかむかする。冷たい塊が腹の奥に沈んでゆく。
「話し相手が欲しかったのだ。それと……純粋な探究心からだ」
かろうじて言葉を返す。嘘じゃない。さみしさを紛らわせる相手と、研究のためだ。
「えー、それならボクが相手になってあげたのになぁ」
「お前といると気が休まらん……」
「ぶー」
片頬をふくらませて、可愛く拗ねてみせるレントミア。
有機物と無機物と、竜人の血と魔法の力、それを数百にも及ぶ複雑な行程を経て高分子魔法物質を練り上げ、竜の血を核にして疑似的にな生命としてのカタチにしてのがプラムだ。
「大猿に襲わせたのはね、ググレとプラムちゃんを引き離すためだったんだよ?」
「なに……?」
「ググレの館は物凄い結界が張ってあって、とてもじゃないけど遠視魔法じゃ調べられない。……ググレってば引きこもり方がハンパじゃないよ?」
「お前みたいな魔法使いがゴマンといるからな」
「へー? だから最初から疑われたんだよー?」
「ほっとけ、俺は潔白だ。やましい事は無い」
そうか。あの大猿は囮だったわけだ。
森からプラムの手を引いて逃げたのはセシリーさんだ。彼女は魔法が使えなくても、クリスタニアのメンバーとして、レントミアの『端末』として機能しうる。
プラムが『白い糸を出していた』と言うのは本当だったのだ。
すまないな、信じてやれなくて。
「……で、どうだったんだ?」
俺は疲れ果てたように溜息を吐いて、レントミアに尋ねた。
「ん――、幾ら調べても……プラムちゃんから波動も、気配も感じられないんだ」
俺は思わずほっとする。
「けどね、それは幾重にもシールドされた核の奥に隠れているだけかもね」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味。ねぇ、あの子、解剖していい?」
さらりと笑顔で言う。
「…………手を出したら、殺すぞ」
俺は冷たい目線で言い放つ。
冗談ではない。こみあげる本気の怒りの感情を瞳に籠める。
「なんで? どうせあの子……長くないよ?」
「――ッ」
整った顔立ちのハーフエルフは、その瞳に仄暗い光を宿らせて俺の顔を覗きこんだ。
ぐわん、と視界が歪むのを俺は感じていた。
俺が考ることを避けていた事実を、未来を、人形のように可愛いエルフの少年が事も無げに告知する。
「あは……! いい顔、ググレカス」
俺はおそらく絶望という表情を浮かべたのだろう。
レントミアが歓喜と恍惚とした笑みを見せた。
スカートに隠された大腿部をもじっとさせて、あぁ、と声を漏らす。
首筋と喉の奥が痺れて、冷たく、寒い。
「黙れ……! とにかく俺が、……なんとかする」
……そうだ。
俺は賢者なのだ。
暗闇で絶望する前に、自分で調べあげて、道を見つければいい。
プラムの寿命が迫っているのなら伸ばしてやる。
魔王が復活するつもりなら阻止する。
俺なら、出来るはずだ。
俺は強い決意を宿した瞳で、魔法使いブラムス・レントミアを見据えた。
迷いを断ち切って、強く拳を握る。
「あれ……? つまんないの」
レントミアがベンチから立ち上がり、スカートの尻をぽんぽんっと払う。
――と。
「ググレさまー! すごいのですよー! これ美味しいのですーたべてくださいー」
すたたっとプラムが笑顔で駆け寄ってくる。
手には食べかけのヨダレで濡れたクレープ菓子を握っている。
それは……い、いらない。
後ろからはググレカスにやるならワシによこすにょー! と叫んでヘムペローザが追ってくる。
「疑うのなら、悪魔神官ヘムペローザはどうなんだ?」
闇の復活だの魔王の波動だのいうのなら、コイツが本命じゃないのか?
自分でそもそも言ってるじゃないか……。
「ヘムペロちゃんね。最初はびっくりしたけど……、あれはもう完全に普通の子供」
レントミアは肩をすくめて、言い淀むこともなく断言する。
これではまるで……プラムに疑いが残っていると言わんばかりだ。
「ね、ボクもお腹すいちゃったな」
レントミアが無邪気な少女の様な顔でクレープ屋を指さす。……なんでお前におごらにゃいかんのだ。
いずれにせよ『闇の復活』の疑いは、俺とプラムに向けられたままなのだ。
レントミアはしばらくは俺たちに対する監視を続けるのだろう。
もしも、万が一にも、何かの気配が感じられたなら、レントミアは容赦なくプラムを殺すだろう。
俺が絶望すると知った以上、必ず。
目の前に駆け寄ってきたプラムが跳ねる。
「ググレさまググレさまー! 学舎、楽しかったのですー! たくさん沢山、友達がいて、それでっ……」
瞳を輝かせて、光がはじけたような笑顔を俺に向ける。
「うん……それは、良かったな」
「だから、だから明日も行くのです、その次の明日も……ずっと!」
「あ、あぁ……そうだな……ずっとだ」
俺はプラムの笑顔を直視できなかった。
目の奥が痺れて、視界が歪む。
傍らで様子を見守るレントミアは、感情を押し殺したような顔を俺に向けていた。
――残酷なのは、ググレだよ。
美しく整ったハールエルフの少年は、無言でそう言っている気がした。
「っぷ!?」
ぴちゃ、と湿ったクレープが俺の口に押し付けられた。
「どーしたのですかぐぐれさまー? 元気ないなら食べて、たべてみてくださいー」
プラムが背伸びして、俺の口に喰い掛けのクレープを押し付けている。
俺の顔を映した緋色の大きな瞳と、口の周りをジャムでべとべとにして。
「うん」
「わ? ググレさま?」
俺は曖昧に返事をして、そのまま華奢な身体をぎゅっと抱き寄せた。
――俺がなんとかしてやる。……必ず。
日の傾いた村の広場で、俺はしばらくの間プラムの温もりを感じながら、小さな頭を撫でつづけた。
黄色い光を帯びた灰色の雲が風に乗り、流れてゆく。
麦の穂が風に揺れて、熟したベリーの季節が終わる。
冷たい季節が、始まろうとしていた。
<賢者と憧れの学園生活? 編 完>




