魔法使いレントミアとじゃれあってみる
人間というのは忘れる生き物だ、と言ったのは誰だったか。
検索魔法で調べれば一発だが、今は正直どうでもいい。
俺は辛い事や嫌な事はすぐに忘れる性分らしく、視線は近づいてくるハーフエルフの美少女――レントミアに釘付けになっていた。
メタノシュタット王立学舎共通の、白地に青のラインの制服がよく似合っていてニコニコとした笑顔を浮かべている。
だが、美少女というのは嘘で、正確には女装美少年だ。
「いつぶりかな? ググレカス『さま』」
鈴の音を思わせる声と愛らしい容姿に、俺の瞳孔が無意識のうちに全力で開く。
サラリと揺れる淡い緑色の髪とか、少し切れ長の大きな瞳とか、桜色の唇とか。
悔しいが……可愛い。
胸の奥深くに仕舞い込んでいたはずの甘酸っぱくも懐かしい気持ちが、ちりっと疼く。
「あ……あぁ、久しぶりだな。あと気持ち悪いからその口調やめろ」
意外に冷たい口調で返事をする俺に、周りにいたイオラやリオラ、そして元悪魔神官ヘムペローザまでものが目を丸くして口をぽかんと開ける。
なんでレントミアちゃんと賢者が知り合いなの?
どういう関係!? と壮大にクエスチョンマークを浮かべている。
「ボクのこと、よく判ったね」
瞳に悪戯っぽく挑戦的な光を湛えて、レントミアが低い声色で言った。
「とある魔法で教室を覗き見させてもらったのさ」
「……へぇ! 相変わらず抜け目がないねググレカスは。よかったよ、手出ししなくて」
可憐な唇を片方だけ吊り上げて、ヘムペローザとプラムに視線を這わせる。
既にレントミアの顔は可憐な美少女の表情ではなかった。
つい先刻までの無邪気で明るい少女の仮面を脱ぎ捨てて、俺と対峙する。
――狙いは……ヘムペローザ? まさかプラム……なのか?
俺達は三メルテ(約三メートル)程の距離を保って向かい合っている。
互いの取り巻きは、それぞれの背後で何事かと様子を窺っている格好だ。見ようによってはタイマンを始めるかのような睨み合いの立ち位置だ。
と、くるりとレントミアが後ろを振り返り、合掌しながら「ごめーん! 用事が出来ちゃったから先に帰ってて!」と声をかけた。
クラスで見かけた女子生徒数名が、顔を見合わせて「う、うん、わかった」「また、あしたね」と口々に告げて去ってゆく。
誰もが俺たちの関係や会話に興味津々といった様子だ。
それも当然だろう。
クラスでも屈指の美少女と、村をめったに出歩かない謎めいた賢者。
接点の無さそうな二人の関係性を考えれば……そこはかとなく犯罪っぽい。
「イオラ、リオラ。すまないがプラムとヘムペローザを連れて先に行っててくれるかな? そうだ、村の広場の水場で待ち合わせよう」
俺は努めて明るい声でそう言うと、双子の兄妹は互いに顔を見合わせて小さく頷き、プラムとヘムペローザの手を引いて歩き始めた。
イオラとリオラは賢い子だ。只ならぬ雰囲気を察したのだろう。
「先に行ってるのですよー……?」
プラムだけが寂しそうに何度も振り返り、手を振っていた。
「さて、せっかくの再会だ。こんな学校の玄関前で話すのもなんだな」
「そうだね! ボクもそう思っていたんだ。校舎裏……でどうかな?」
レントミアが俺のそばに寄ってきて下から見上げる様にして小首をかしげる。
ぱちぱちっと瞬きをする大きな瞳は吸い込まれるように綺麗だ。
そしてやっぱり……可愛い。
いや! 忘れるな俺。
コイツは敵なのだ。大猿に決闘、酷い目に遭わされたのだからな?
「あぁ、いいな。てっとり早く」
思わずニヤリと口角を持ち上げて「ちょっと裏に来い」的に親指だけを立てて校舎裏を指差した。
傍目には何が目的なのかわからないかもしれないが、あくまでも「話し合い」だ。
つい手が出てしまったり、魔法力がちょっと激突してしまってもいいように、出来れば人目の無いところに行きたかった。
こいつにはガツンとくらわしてやらねば。
女でも容赦なくグーパンチは伝説のカミジョウさんだけの専売特許じゃないのだ。
……いや、女じゃないけど。
◇
校舎裏に人影は無い。
校舎の背後は森になっていて、雑然と物が積まれた狭い空間があるばかりだ。
こんな所にくる理由は、異世界だろうとケンカか愛の告白のどちらかだ。
傾きかけた午後の陽射しが、黒い影と光のあたる部分のコントラストを濃くしている。
先を歩いていたレントミアが、くるりとこちらを振り返る。
まるで懐かしいものでも見るみたいに目を細めて、俺をじっと見つめる。
女子制服を身に纏った姿はどこからどう見ても少女で、思わずドキリとしてしまう。
あぁ、これが面倒事じゃなく、愛の告白だったらなぁ。
レントミアの姿をぼんやり見ながらそんな事を夢想する。
『――好きです。ずっと……ずっと前から』
なんて、後輩の女子から告られる、そんな体験したかったなぁ。
元の世界の俺は当然そんな事も無く、この異世界だって同じようなものだ。
「――好きです。ずっと……ずっと前から」
そうそうそんな風に、――って!
「はぁああああああ!?」
俺が悲鳴を上げる間もなく、レントミアが猛然とダッシュし俺に抱き付いた。
ぎゅうと背中に両腕が回り込む。
「ググレ、あいたかったよおっ」
「……ちょっ!? おま! やめ!」
ぐいぐいっと引き剥がそうにも、流石は男。容易には離れない。
これがサイバイマンの自爆なら俺は今頃木端微塵だろう。ヤム〇ャか俺は?
「ね、いいでしょ? ここなら誰も来ないよ?」
「何がだ――!?」
誰も来ないなら何をする気なんだよ!? 少なくとも俺は殴りたいぞ。
甘えた声で、ちろりと赤い舌を覗かせて、俺を見上げる。
熱い体温と髪の甘い香りが伝わって、脳の奥の原始的な部分を刺激する。
って!
――バギィィインッ!
瞬間、凄まじい破裂音があたりに響き渡った。
俺が数歩よろめく視界の隅で、ザシュッ、とレントミアが片膝をついて着地する。
互いの距離は数メルテ。俺たちは互いに激しく弾き飛ばされていた。
「うーん? 至近距離直撃でも破れない……か。流石はググレカスの『賢者の結界』だねっ!」
ぱちん、と片目をつぶるレントミア。
鼓膜が破れそうな音は、俺の結界に至近距離から撃ちこまれた攻撃魔法の詰め合わせによるものだ。ヤツは数十の攻撃術式を同時に叩き込んできたのだ。
偽少女の口元にニィ、と凶悪な笑みが浮かぶ。
卑劣極まりない奇襲、これこそがレントミアだ。
――ディカマランの六英雄、最強にして最悪の魔法使い。
「話を聞くのは、ひと汗流した後……というわけか」
「そうだね、沢山、しよ?」
次の瞬間、レントミアが瞳を閉じて呪文詠唱に入った。
対して俺は空中で指先を滑らすだけだ。それを合図にブラムス・レントミアの周囲に軽い振動音と共に淡い光で描かれた魔法陣が浮かび上がった。
先んじたのは俺だ。
はっ! と瞳を開くレントミア。だが、遅い。
魔法使いの詠唱には最短でも数秒は必要だ。故に『賢者』である俺には勝てない。
――自律駆動術式による自動迎撃術式。
攻撃に反応し、敵と認識した術者に対して自動追尾が行なわれ、自律駆動術式により事前準備された魔法が瞬時に自動詠唱されたのだ。
「わわっ!?」
レントミアが慌ててその場を離れようとバックダッシュする。
お得意の魔力糸を自らの体内に巡らせて、神経節の活動を瞬間的に加速させ肉体の動きを強化する術式だ。
華奢な身体からは想像もつかないほどの、驚異的な跳躍で間合いを取る。
――だが。
「詠唱の時間など与えんぞ」
周囲に展開していた魔法陣が白い輝きに変化し、レントミアに向かって収斂する。
ばちゅむ! と湿った音を響かせて白い輝きが顔面を直撃した。
「うぷぇうえっ!?」
可愛い悲鳴を上げて制服姿の少女がよろめく。
慌てて顔を掻きむしるが、顔には白い粘液質のドロドロがへばりついている。
「や、やぁ……ん! な、なにこれ酷い!」
可愛い顔に白い粘液をぶっかけられて、ぺたりとその場にしゃがみ込む。
これで完全に戦意喪失だ。
「ハハハ。どうだ賢者魔法の味は。もはや呪文詠唱できまい?」
勝負あったな。
『円環の錫杖』を持たないレントミアなど敵ではない。今の状態の戦闘力は全力時の十分の一程度、つまり「並みの魔法使い」レベルだろう。
発動した魔法を圧縮、加速して打ち出すレントミアの必殺魔法『円環魔法』の破壊力は凄まじい。下手をすれば木造平屋建てのこの学舎など木端微塵で跡形もなくなるだろう。ヤツが本気になれば、流石の俺も勝てるかどうか自信が無い。
まぁ、つまり今程度の「じゃれあい」は俺達の間では挨拶みたいなものだ。
「もー! ググレ! 何この呪文!? 最悪!」
「フハハ、相手の動きを封じる遅延系魔法の研究中に何故か出来上がってしまった……粘液系魔法だ」
「何で賢者の魔法って、粘液とか触手ばっかりなの!?」
「それは俺がそういう性格だからだ!」
半ギレで叫ぶ俺に、ぶー、と膨れっ面のレントミア。
顔面についた白い液体をペロと舐める様子が……微妙にえっちだ。
この美少年ハーフエルフは、俺が異世界で出逢ったディカマランの冒険者の一人だ。かつての俺の魔法の『師匠』でもある。
あの頃はまったく手も足も出なかった俺が、今ではこの通り、軽くあしらえるようにまでなれたのも実のところレントミアのおかげなのだ。
「さて、話してもらおうか……それともまだやるか?」
「えへへ。でも、ググレの負けだよ」
「……?」
俺は背後の気配と――声に振り返った。
「あらあら……まぁ」
「けっ、賢者……おま……それ」
「賢者……さま……?」
「よくぼーのおもむくまま、と言った感じにょぅ……」
「よくぼーって何ですかー?」
そこには……校舎の角から顔をのぞかせる顔、顔、顔。
上から嬉しそうなセシリーさん、目を白黒させているイオラ、ジト目のリオラ、半眼でやれやれと薄ら笑いのムペローザ。そしてぽかんとしているプラム。
顔が縦一列に並びトーテムポールのような状態だ。
「おっ……おまえら!? こここ、これにはワケがっ!」
俺が指差す先には……顔を白い謎の液体でドロドロにした美少女が力なく座り込んでいる。
くすん、とレントミアが鼻をすする。
もちろん演技だ。
――こ、こいつッ!?
この図は……アウトですよね?
◇
この後、状況を説明するのに小一時間ほどを要したのは言うまでもない。
以前魔法学校で知り合っただの、美顔クリームの試作だの旨い事言ってごまかすのにかなり苦労した。それでも半信半疑のようだが。
やっぱりコイツは最悪だ。
村の広場の水場で、レントミアが顔を洗い、濡れた前髪を気にしている。
イオラとリオラは、広場に数件開いている屋台で買い食い中だ。
双子の兄妹が美味しそうに頬張っているのはクレープに似た焼き菓子で、中にこの村特産のベリーのジャムが包んである。
プラムとヘムペローザにも小遣いを渡したので一緒に仲良く初めての買い食いだ。
俺はそんな様子を眺めながら、傍らのブラムス・レントミアに尋ねた。
「教えてくれないか? レントミアは誰が……魔王だと思うんだ?」
――悪魔神官ヘムペローザか、それとも学舎内の誰かなのか?
「聞きたい?」
レントミアがこれまでにない真剣な眼差しを俺に向ける。
翡翠の輝きの奥に揺れる光の輝きに、俺は僅かにたじろいだ。




