★プロローグはエンディングの後で
――拝啓、賢者ググレカス様。貴台の魔王討伐に至る輝かしいご活躍の足跡を、是非とも我がメタノシュタット王都印刷にて出版させて頂きたく……!
「またか……」
俺は未開封の封書を眺めながら嘆息し、メガネを指先で押し上げた。
手紙を開封するまでもなく、内容は眼前に浮かぶ魔法の小窓に映し出されている。賢者の魔法――検索魔法――は、封書の中身を「読む」ことなど造作も無い。
その気になれば遠く離れた場所にある本や、金庫に隠された極秘文章さえ「読む」ことが出来る。まさに伝説の禁呪魔法、それが検索魔法なのだから。
無論使い方を誤れば王国の『個人情報保全法』に触れるのは言うまでもない。使う場合は慎重に、邪な目的では使わないのが長生きのコツだろうか。とはいえ、自分宛ての手紙の中身を覗くだけならば、咎められる事もないだろう。
書斎の窓辺に置かれた大きな机の上には、何冊もの魔道書が無造作に積まれている。革張りの椅子に深く身を沈めながら机の引き出しを開けると、そこには同じような手紙が未開封のまま何通も入っていた。
ついさっき小さな翼竜の「使い魔」が運んで来たのは、魔法印刷業者による「魔王討伐記」の出版許諾依頼だった。他にも王立魔法協会からの「記念講演会参加」の誘い、あるいは王政府主催「戦勝記念パーティへの列席」の誘いなど様々な内容の手紙……らしい。
だが、どれも興味は無い。
今はただ静かにここで暮らしたい。身勝手と思われるかもしれないが、それが俺の望みなのだ。
手紙を引き出しの中にそっと仕舞い込む。
『賢者ググレカス、此度の魔王討伐の働き実に見事であったぞ。何なりと褒美を取らせようぞ!』
『……恐れながら申し上げます国王陛下。私は暫く世間から離れ、魔王討伐で受けた心と身体の傷を癒したいと思います』
魔王を倒した後に行われた祝賀行事で俺はそのように返答し、国王陛下から『賢者の館』を賜ることとなった。俺は魔王を倒した勇者エルゴノートの仲間の一人として、表彰されたに過ぎないが、莫大な褒賞金も頂戴した。
けれど使いみちもない金貨を抱え込んでいても仕方ない。褒賞金の半分は戦災孤児のためにあこちの孤児院に寄付。手元には幾ばくかの生活費と『賢者の館』の建築権利、そして王国秘蔵の魔法の本を数冊だけ貰うことにした。
随分と欲のない男だと貴族たちには嘲笑を受けたが、逆に報道業者には「謙虚で慎ましい真の賢者である!」と何故か持ち上げられたりもした。
やがて、王都から10キロメルテほど離れた静かな農村、フィノボッチにこの館を拝領し、一人で暮らし始めたのは、およそ3ヶ月ほど前からだ。
実のところ身体に傷なんて無かったし食欲もそこそこあるのだが、元来小心者で臆病な俺は、長い冒険のストレスからか、夜中に寝苦しさで目が覚めたり、眠れない夜があったり無かったり。
これはきっと心的外傷後ストレス障害(PTSD)の初期症状に違いない。多分だけど。
兎に角。今は王国公認で療養中の身。こうして大手をふって優雅な隠遁生活を絶賛満喫中、というわけだ。
「さーて、読書読書っと」
褒美として頂いた『賢者の館』は、貴族の館のように華美なものではないが質実剛健な総2階建て。外観は白い漆喰塗りの壁に赤い焼き瓦の屋根。控えめながら気品があり、真面目な地方領主の館といった趣があって気に入っている。
何よりも嬉しいのは二階の書斎が広く、個人の邸宅とは思えない程に立派で大きな書棚が壁を埋め尽くしている事だ。まるで王立図書館を思わせる書棚に並んでいるのは、褒美の「ついで」に魔法協会から頂いてきた蔵書の数々だ。
太古の魔法使いが書き記した『青の魔道書』『転生と神秘の秘法』『失われし千年帝国の秘術』――。
そんな物々しいタイトルが香油ランプの明かりに揺れている。これらは王国の秘蔵中の秘蔵本。目が飛び出るほどに高価なものばかり。
古めかしい羊皮紙の背表紙は失われた時代の文字で書かれている。普通は考古学者でもなければ読めないが、俺は『翻訳魔法』の力で読むことが出来る。これも賢者の魔法の特権と言えるだろう。
読みかけの魔導書を開くと、途端にいくつかの魔法円が浮かびあがった。神秘の時代の秘法、失われた魔法術式など、あらゆる結界を破壊する禁呪が書かれている本だ。
「はぁ……いい匂いだな」
スハーと、まずは古紙の香りを愉しみながら茶色い本のページをめくる。
肺に染み渡る錆びたインクと朽ちた古書の香り。時間を重ねた物だけが持つ深みと味わいがそこにはある。
そして、ふと回想する。
世界を救った六英雄の一人、『賢者』と呼ばれるまでに至る冒険譚を。
◇
俺の名は賢者ググレカス。
フハハという高笑いが許される、世界でただ一人の『賢者さま』だ。
世界を救った『ディカマランの六英雄』の一人にして、知恵の神ヴィル=ゲリッシュの生まれ変わりと称される。若干十八歳の若さで、比類なき偉大なる魔法使いとまで呼ばれている……というのは、この世界に来てから、少しだけ運が良かったというだけのこと。
実のところ、俺は「賢者さま」なんて呼ばれるほど大層な人間じゃない。
本当の名前――真名は、影村千尋。
臆病で、孤独なくせに他人が苦手で……。ここに来るまではごく普通の、いや普通以下の、寂しい高校生活を送っていた。
自慢できるような特技も無ければ、甘酸っぱい想い出も無い。平凡で平均以下のそんな毎日を過ごしていた。クラスメイトとの会話といえば前の席からプリントを受け取ったときの「ん」ぐらいなもの。
必然的に孤独と活字をこよなく愛する俺は、休み時間ともなれば図書館で静かに一人本を読んで過ごすのが日課になっていた。
いつしか付けられたアダ名は「図書館メガネ」。まぁ、酷いとは思うが、アダ名が付けられるほどの存在感はあったのだ、という事にしておこう。
けれど、そんな日常は2年前、突如終わりを告げた。
高校一年の夏のある日、俺は図書館の奥に開いた「穴」から、「ティティヲ」と呼ばれる異世界に迷い込んでしまったのだ。
面倒くさいので簡単に説明するが、ティティヲは『ファンタジーRPGの世界を混ぜて平均化したような所』といえば分かりやすいだろうか?
剣と魔法の世界にして、事象に対して思念で干渉する『魔法』という概念もあれば、魔物と呼ばれる奇妙な生物もいる。文明レベルは中世から近代へ向かっている途上といったところ。
2年前――。
この世界に迷い込んだばかりの俺は訳もわからず、涙目で右往左往するばかりだった。
俺は運良く通りかかった『勇者』エルゴノート率いる一行と出会い、命を救われた。他に拠り所の無い身としては成り行き上、共に旅をするよりほかの選択肢は無かった。
勇者エルゴノート・リカルとその仲間たちは旅をしていて、その目的は当時、世界の脅威となっていた『魔王』を倒すというもので、とてつもなく困難に満ちたものだった。
そう。
つい半年前まで、この世界には『魔王』という、実にはた迷惑な奴が魔物の群れを引き連れて暴れ、世界中を恐怖に陥れていたのだ。
けれど俺達ディカマランの六英雄こと、勇者エルゴノートの一行が討伐に成功し、世界は平和になった。
全てが終わった今となっては良い思い出だが、勇者エルゴノートを筆頭に、優しく強い女戦士ファリア、半獣人の剣士ルゥローニィ、お下げメガネの僧侶マニュフェルノ、美少年魔法使いレントミア……という頼りになる(?)仲間たちと共に、幾多の困難を乗り越えながら魔王討伐の旅を続けたのだ。
まずは最初の冒険……と行きたいが、とっても長いので以下、割愛。
兎にも角にも、俺達六人は苦難を乗り越えて魔王を倒し、生きた伝説『ディカマランの六英雄』と呼ばれるようになった。
そして俺の名は『賢者ググレカス』として、良くも悪くも世界の国々や魔法使い達に知れ渡った……というわけだ。
延べ一年半に及ぶ俺達の「冒険譚」は、そのうち気が向いたら自伝小説にでもして、ひと儲けしてやろうと思っている。
世界が平和になって半年が過ぎた今、俺はこうして自由できままな隠遁生活を満喫している。
王から賜った『賢者の屋敷』は広くて静かで実に快適だ。
こんな世界だが、しっかりと人々は生きて日々の生活を楽しんでいる。おかげでメシはまぁ、美味しい。
一人暮らしをするにはちと広すぎて寂しいが、今は隣にニコニコと微笑む美少女メイドがいてくれる。
っと、言い忘れたがこれは俺が創った魔法の人造生命体で、名をプラムという。とてもアホだが可愛い奴だ。
何よりも嬉しいのは、無尽蔵ともいえる蔵書の数々。静かな屋敷で日がな一日読書をしながらのんびり過ごすなんて、実に最高の気分だ。
魔王軍との苦しかった戦いの日々は既に遠く、夢だったのでは? とさえ思えてくる。
心は穏やかで、とても満ち足りている。静かで平和な日々がこれからもずっと続けばいい……なんて俺は思いはじめていた。
けれど――。
バン! と書斎の窓に小型の翼竜がぶつかると、隙間から手紙を投げ入れていった。
蜥蜴の体に蝙蝠のような羽を生やしたそれは、手紙を届ける「使い魔」だ。
おそらく王政府か王立魔法協会からの使いだろう。
俺は重い腰を上げ窓辺へ歩み寄ると、窓枠の隙間から差し入れられた手紙を手に取った。封印魔法が施してある。これは受け取った本人以外が開けると黒く焦げて消えてしまう。主に重要な書簡に施される魔法だ。
「やれやれ……」
世界は魔王大戦の傷が癒えきらず、騒がしく、何処もキナ臭い。どうやら「賢者」である俺を、世界は放っておいてはくれないらしい。
人生の小休止ともいえる平穏な日々が、そろそろ終わりを告げるのかもしれないと、そんな予感がした。
窓越しには牧歌的な農村の風景が見えた。何処までも広がる青々とした麦畑を波のように渡る風が、季節が移ろいつつある事を知らせている。
ガラス窓の景色にうっすらと重なって映るのは、この世界では珍しい黒髪の青年。ってつまりは俺だ。丸いメガネをかけた細面は色白で不養生、なんとなく垢抜けない顔をしている。
「たまには、外に出ないとな」
静かに窓を開け放つと、風が新しい季節の香りを運んできた。
<つづく>