賢者、血を吐かんばかりに叫ぶ
心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。
ごぅごぅと音を立てて流れこむ大量の血液が、寝不足気味の頭を急速に覚醒させてゆく。
昼間は冴えない頭が全速力で回転を始める。
「魔王の魔力波動を……この村で検知した、と?」
「はい、正しくは『同じ波形』をごく微弱ですが検知したらしいのです」
セシリーさんは作り物のように整った顔から感情を消し、語り始めた。
その凍りついたような仮面の表情が、秘密結社クリスタニアでの顔なのだろう。
「その情報は、君が……『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)の構成員だから知りえたものなのか?」
俺の単刀直入な問いに、さらさらの長く美しい金髪を後ろで束ねた美少女、セシリーさんが機械的に頷く。
「闇、つまりは魔王の復活が……この村で密かに進行しているというのか?」
「それを私たちは調べているのです」
「…………そうか」
だが、そんなことがありえるのか?
俄かには信じがたい。ジャムしか特産品の無いような平和なフィボノッチ村で。
魔王が密かに村はずれの洞窟に潜んで潜んでる、という訳ではないだろう。
何故なら、セリシーさんはクリスタニアの命で俺を監視しているのだから。
心の奥底に澱のように黒い疑念が集まり始める。
一連の出来事、そして突然現れた元悪魔神官ヘムペローザ。
点と点だった出来事が、何かに引き寄せられるように集約し、何かを形作ろうとしている。
――原因は……俺なのか?
俺はメガネを指で持ち上げつつ、顔を手のひらで隠すように考え込んだ。
もし、俺が疑われているとするなら、原因は何だ?
魔術の実験は日常的に行っている。
ティンギルハイド戦で見せたようなオリジナルの魔術も鋭意開発中だ。
そして一月ほど前に行った事と言えば…………。
喉元こみ上げて来る鉛の塊のようなものを、ゴクリと喉の奥に押し込める。
冴えたはずの頭が、それ以上の思考を拒絶している。
俺は怖いのか?
……怖い?
何が?
俺の無限ループのような自答を遮るように、セシリーさんが口を開いた。
「……私達『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)は、陰で言われているような危険思想の原理主義集団ではありません。あくまでも人類救済と世界の浄化を目的とした救世の集りなのです。かつての魔王戦乱で、私達は何も出来ませんでした。あなた達、ディカマランの六英雄が魔王を打ち倒すまで、教会で震えていただけなのです。だから……こうして『闇の復活』に対抗する為の手段を少しずつ整えているのです」
俺の複雑な思いとは裏腹に、セシリーさんは饒舌に熱のこもった声色で一息にまくしたてる。
黙って聞いていたが、俺はようやくここで鼻からフッと息が漏れた。
「やれやれだ」
胡散臭い宗教団体は、自分達はカルトではないと言う。世界を救うのだと言う。
だが、やってきたことは実際どうだ?
世界の浄化? 笑わせる。
だが、おかげで頭の切替は出来た。
クリスタニアがそうであるように、断定できる情報は現時点で何もない。
つまり、今はこれ以上考えても答えは出ないのだ。
「一つ、違う質問をしてもいいですか?」
「……? なんでしょう」
「メタノシュタット聖同教会には、戦災で親を亡くした子供を引き取り、保護する施設がありますよね」
「えぇ……施設は、沢山ございます」
賢者様は突然何を? という戸惑いの表情をセシリーさんは浮かべている。
「イオラとリオラも身を寄せていたはずだ。なぜ彼らだけを引き取ったんですか?」
そしてなぜヘムペローザは、食事も満足に与えられないような辺境の施設に送り込まれたままなのか?
俺は冷たい鉛が喉の奥につかえたような感覚を覚えていた。
「あぁ、だって……あの子達は綺麗な人間ですもの。未来が与えられるべきです。そして何よりも……二人が可愛かったからです!」
細い指を胸の前で絡ませて、屈託の無い透明な笑みを見せる。
その瞬間、俺は湧き上がる怒りで奥歯を噛み、ギリリと睨みつけていた。
だが――、眼鏡が光を反射して彼女から目線が見えなかったのが幸いだった。
奥歯を軽くかんだまま、続ける。
「亜人間や……獣人の子供はどこへ?」
「? ……そういう亜種はメタノシュタット外縁の施設にまとめて入れることになっておりますわ」
セシリーさんは何食わぬ顔で淡々と説明している、と言う風だ。
それが『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)のいう、清らかな世界なのか。
悪魔神官がやってきた行状を擁護する気は無い。
だが今やヘムペローザはただの無力な少女に還元されてしまっている。
俺はヘムペローザを抱き止めた時のことを思い出した。
プラムと比べても細く軽い身体――。
それは、ろくな食事を与えられていないことを意味していた。
メタノシュタット外縁の施設と言えば、大人でも歩けは一刻以上の道のりだ。子供の脚ならばそれ以上かかるだろう。
ダークエルフの小女は、空腹を抱えたまま早朝から一人で歩いてプラムを迎えに来てくれたのだ。
「そうですか」
俺は短く言葉を返して黙り込んだ。
ヘムペローザは疑うべき点が確かにある。悪魔神官を名乗るだけでも十分に怪しい。
しかし彼女の瞳は、なにかを企んでいるものではなかった。
中二病を患った可哀想な、けれど純真な子供と何も変わらないのだ。
プラムは妙に間の鋭いところがある。セシリーさんの毒(?)入りサンドイッチを見破ったプラムが、自らヘムペローザと友達になりたいと言ったのだ。
人間以上に純真で優しい心を持つプラムの勘を、俺は信じたい。
むしろ怪しまれているのは、魔力振動を起こしえる存在と言えば、俺自身に他ならない。
一人で館に引きこもった賢者でおまけにめったに人前に姿を現さない。
容疑者なら真っ先に名が上がるだろう。
『昼間何をしているかわからないひとでしたね』
『えぇ、いつか何かするとは思っていましたよ』
音声と映像を加工された村のオバちゃん達が好き勝手インタビューに答える図が思い浮かぶ。
「うぐぅ……」
クリスタニアの魔術顧問を勤める魔法使いレントミアは、この村の、つまりは俺にターゲットを絞っているのだ。
村はずれに危険な大猿を呼び寄せて俺を襲撃し、更に隣国カンリューン公国に手を回し、ファリアの故郷ルーデンス独立をそそのかし、俺はしなくてもいいカンリューン四天王とかいう魔法使いと決闘までさせられたのだ。
「俺ならば大猿――エイシェント・エイプスに襲われても、命がけの決闘の最中に魔力干渉を仕掛けても大丈夫と思ったわけか」
思わず口元が怪しくニヤリと持ち上がる。
「賢者さま……?」
セシリーさんが眉を寄せて、俺を伺っている。
「あ……、セシリーさんを責めている訳じゃないんだ。アイツのことさ。魔法使いのレントミア」
「! あの…………それは……その」
セシリーさんは監視役、もしくは魔力糸の中継端末としての役割を担ったかもしれないが、実行した張本人は間違いなくヤツだ。
――ディカマランの六英雄、最強の魔法使いレントミア。
年齢不詳の美少年ハーフエルフは人格に問題があった。
可愛い顔をしてドSだ。
敵にとどめを刺して喜んでいたし、俺がピンチになって困る顔を見て喜ぶようなようなやつだ。
あの腹黒さはダークエルフのほうが数倍マシだ。
――最初の頃は俺と仲良しでべったりで……、いろいろと振り回されっぱなしだったのだが……。
今回のやり口を改めて考えてみても、レントミアの手口と考えれば合点がいく。
「あいつに会いたい。殴ってから話を聞きたいんだが……、ヤツはどこに?」
俺にしては珍しく、挑発的な顔でセシリーさんににじりよった。
顔を手で覆い、眼鏡の鼻緒の部分を中指で持ち上げたまま、クククと黒い笑みを漏らしてやる。
ひ!? とセシリーさんがすこし怯えはじめるが、少しは反省してもらわないと。
「あ、あの……じつは」
「ん?」
「レントミア様は、すでにこの村に……」
「む、村に?」
「はい。例の魔力振動を検知した件で、直接確かめたいからとおっしゃって数日前から潜入調査を……」
セシリーさんがものすごく言いにくそうに視線を泳がせる。
俺は首をかしげつつ尋ねた。
「潜入? どこに?」
「その……王立学舎……です」
「はぁ!?」
思わずオクターブ高い声で叫んだ。
学舎と言うことは、調べたい相手がそこにいる、ということか。
すぐに思い当たるのはやはり悪魔神官ヘルペローザか。
正体を隠すでもなく、堂々と名乗り、魔王復活を語っているアホの子だからな。
正直、今すぐにでもクリスタニアの連中に捕まって拷問されても不思議じゃない。
「学舎ですか……。なるほど、レントミアは魔法学校からの派遣講師か何かを装って、学舎に潜入調査しているという訳ですか?」
おもわずポンと手を打つ。
「いえ、それが……」
セシリーさんの瞳が宙を泳ぎはじめる。
……嫌な予感しかしない。
「まさか」
「生徒として……です」
「――あいつめ!?」
ぐわっ! と俺は拳を握り締めて教会の椅子を片足でダン、と踏みつけていた。セシリーさんが俺の豹変に驚き目を見開く。
レントミアは確かに見た目は可愛いが、生徒はいくらなんでも無理があるだろ!?
そもそも年齢だって俺と同じかそこそこのはずだ。
俺はすぐに戦術情報表示を起動し、『映像中継』を選択して実行した。
眼前に半透明のガラスのようなウィンドゥが浮かび上がり、僅かな間を空けて『接続中、生中継』の文字と共に映像が映し出された。
◇
セシリーさんが俺の驚異的な魔法技術に驚き、目を丸くしている。
「賢者様、こ、これって」
「えぇ、学舎の映像ですよ、今、プラムが見ている映像です」
「す、凄い……こんなことが出来るんですか!?」
「えぇ、まぁプラムだけですけど」
セシリーさんは俺の真横に並び、一緒に画面を覗き込んでいる。
時折ぎゅっ、と柔らかくて暖かい二の腕が触れる。
髪は近くで見ると絹糸の束みたいに細くて美しいし、蒼い瞳がきれいだし、まつ毛が長いし……。と頭の中がそれで埋まる。
甘いベリーのような芳香が鼻をくすぐり、俺の警戒心なんて一瞬で溶けてなくなる。
男とは愚かな生き物だとつくづく思う。
敵だろうが諜報員だろうが、近くにいるだけでもう……好きになりそうだ。
って、いかんいかん!
俺は驚嘆の声をもらすセシリーさんから、真正面に浮かぶ画面へと視線を戻した。
どうやらプラムは教室で大人しく座っているようだ。
古い木造校舎の教室は、俺が元いた世界の「昭和」とか言う時代の教室に似ていた。
木の机に椅子、窓はあるがそれほど上質でもない曇ったガラスからの光が柔らかい。
今は丁度授業の合間らしく、プラムは大勢の生徒に囲まれてきょろきょろしている。
目の前にいるには、同じ歳ぐらいのお下げ髪の少女と、ハーフエルフらしい女の子、そして委員長っぽく(?)きりりとした眉が印象的な眼鏡少女だ。
全員が白地に青のラインのプラムやリオラと同じ制服を羽織っている。
「髪かわいいねー!」
「ググレさまがしてくれたのですー!」
えー、賢者様が? いいなーとおかっぱ頭のハーフエルフ少女が目を輝かす。
「プラムちゃんって呼んでいい?」
「はいなのですー、その代わり、お名前を知りたいのですー」
ぺかーとした笑顔を浮かべたプラムはちゃんとコミュニケーションをとっている。
俺は感動した。
何とか上手くやってるじゃないか。
「でもね……そこは……プラムちゃんの席じゃない……と思うの」
委員長っぽい少女が眼鏡をクイ、と持ち上げる。
なんだか口元がヒクついているし、額に青筋が浮かんでいるようにも見える。
「はいなのですー、だから休み時間の間だけですー……!」
プラムが元気よく答え視線を転じると、真横にはリオラが座っているようだ。
机に頬杖をついて苦笑いを浮かべ、それでも何か楽しそうにこちらをながめている。
――と。
「おいプラム……もういいだろ、どいてくれよ」
困ったようなイオラの声。
声は背後から聞こえてくる。
「でも、ここならみんなお友達、たくさん来てくれるのですー!」
くるっとプラムが振り返ると、間近にイオラの顔があった。
女の子にモテそうな二重瞼の涼しげな眼もとに栗色の瞳。長めの栗色の髪が画面いっぱいに大写しになる。
イオラは、あはは……と苦笑したように口元をゆがめて笑っている。
――こっ、こいつイオラの膝の上に座ってやがるぅうううう!?
俺は戦慄した。
おそらくはクラスで一番人気の男子生徒、イオラの膝の上を転校初日で占領すると言う暴挙にでているのだ。
いくらなんでもそれはマズイと思う。
女子の嫉妬は怖いぞ!?
明日から陰湿なイジメのフルコースになりかねない。
しかし、
「よいではにゃいか委員長、プラムは初日にょ、大目にみるにょーっ!」
アホみたいに明るい声と共に、イオラの背後から褐色の肌の少女が顔を出した。
両手をイオラの肩からガンキャノンの砲みたいに突き出して、首に手を回す。
イオラの背中に覆いかぶさる元悪魔神官ヘムペローザ。
――こいつもかぁ!?
ヘムペローザがぴょんぴょんするたびに長い黒髪がイオラの頬にかかる。
前後からアホの子に絡まれたイオラは目を細めたまま曖昧に笑っている。
「……ダメだこいつら」
俺は思わずこめかみを押さえて唸る。
横で見ていたセシリーさんが、わぁ! とそれまでのシリアス展開が嘘のように目を輝かせてはしゃいでいる。
どうやらイオラとリオラの学舎生活を見るのは初めてらしい。
しかし、セシリーさんが漏らした言葉が俺を更なる絶望へと導く。
「レントミア様も楽しそうですねー」
「……は?」
どこに?
男子生徒は背景にモブキャラ的なのが数名みえるだけだが……?
俺は目を細めて画面を見つめた。
「ほら、この子ですよ?」
セシリーさんが横から画面を指差した。
それはプラムの真正面、ハーフエルフの……女子生徒の制服を着た少女だ。
おかっぱ風に切りそろえたサラサラの薄緑の髪に、少し切れ長の翡翠のような瞳。
ぴよ、と少し突き出たエルフ耳。
だが……確かに良く見れはそれは……
「私の名前はレントミア。よろしくね、プラムちゃん!」
にこっ、と可憐な小花のような笑みをこぼす。
間違いなく、その娘はレントミアだった。
六英雄最強の魔法使い、円環魔法の使い手。そして美少年ハーフエルフ。
そう――男の子だ。
「ぐばぁああああああああああああッ!?」
俺は血を吐かんばかりに叫んでいた。
<つづく>




