賢者のたからもの
――イエスでありノーでもある。
禅問答のような答えで煙に巻こうとしたのか、村一番と評判の美少女セシリーさんは俺の反応を窺う様な目線を向けてきた。
口の両端を持ち上げてはいるが、それは微笑みとは違うものだろう。
「神父様、申し訳ありませんが賢者様と二人きりでお話がしたいのです」
「あ、あぁ……! 私も丁度洗礼をしに行く約束があってな……ググレカス殿、ごゆっくりしてゆかれるがよい」
マーチカット神父はそそくさと支度をすると教会を出て行ってしまった。一見するとただの村娘に過ぎないセシリーさんの一言一言を恐れる様子からは、彼女がメタノシュタット聖堂教会の秘密結社『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)の構成員であり、その組織の力の大きさが窺える。
残された俺とセシリーさんは静まり返った礼拝堂の中央で向かい合う。
昼近い時間だと言うのに教会の中はひんやりとした空気に包まれ、ステンドグラスから差し込む光がキラキラと空気中の塵を光らせる。
以前感じた拒絶にも似た感覚、会話が上手く交わせないという空気に耐え兼ねて、俺は仕方なく近くにあった長椅子に腰を下ろした。
「……セシリーさんが魔力糸を操って俺を襲ったというのは、正しいが同時に違ってもいる、ということですか?」
「はい、そういうことですの賢者様」
セシリーさんは、いつもの柔らかい口調でゆっくりと応えた。
イエスでありノー。
正しいが間違っている。
二律背反の言葉に俺は試されているわけか。いや、
セシリーさんが所属するという秘密結社『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)に。
「ふぅむ……なにやら気が重いですが、ここからは賢者のターンですね」
「……?」
セシリーさんが面食らったように小首をかしげる。
では、俺の海よりも深い知識の力お見せしよう。
元の世界の知識と経験(主にゲームと本だが)、そしてこの世界でこなしてきた数々の冒険の経験の力を!
「高度な術者でなければ扱えない魔力糸を、何の気配も無く使えるわけが無い。まして決闘場で俺を襲った術者――あの『幼女だいすき!』と叫んだ下級魔法使いにも当然無理です」
「…………」
「つまりセシリーさん、あなたやあの下級魔法使いは『端末』にすぎないのでしょう?」
高度な術者は何処かに潜み、そして信者であるセシリーさんや、あのカンリューンの下級魔法使いを『端末』として術を行使する。
「これならば何の気配も無く高度な術を遠隔地で発動できる。だがこれは……今までは存在しなかった『新技術』ですね。流石はクリスタニア、といったところでしょうか?」
「あぁ……。流石は賢者ググレカスさま。そのとおりですわ……」
あっさりとカラクリを認める。
「目的は俺の能力を試す為、そして自分達の新技術を実戦で利用し、それが俺にどこまで通じるかを試す、いわば威力偵察」
セシリーさんはこくりと小さく首肯する。
彼女の様子から、魔力糸の件は『クリスタニア』にとっては知られても困らない程度のことなのだと察する。
つまり、俺にちょっかいを出していたことは事の本質じゃない。
いわば囮――デコイだ。
「セシリーさんが何者かはさておき……。俺を監視、もしくは試そうとしていたのは感ずいていましたよ」
「気づいていたのですか……」
「薄々とですがね」
「どこからですか?」
「サンドイッチを差し入れてくれたところからです」
「――!」
これは半分嘘であり半分は勘だ。
「プラムが出来もしない料理をしてくれたあの日、あの子はこう言ったんです。『ググレさまに少しでも消化のいいものを』と」
差し入れられたサンドイッチには、不可視処理された何らかの魔力糸の断片のようなものが混入されていたのだろう。
おそらくそれは俺かプラムを調査する為のものだ。
プラムは直感でそれを見抜き、俺にそのまま食べさせることに躊躇したのだ。
だからサンドイッチを煮込むという一種の儀式で、無力化しようとしたのだろう。
あの時、そんな事に気づきもせずに頭を叩いてしまった俺は間抜けだが、プラム特製ゲロ味の煮込みで救われたわけだ。
下手をするとトロイの木馬型ウィルスのような術式に感染し、魔術戦闘に支障が出たか、あるいは俺の魔術情報を抜き取られる『バックドア』が密かに開けられてしまう可能性があったのだから。
と、
これは今思いついた推理で吹っかけてみたのだが……、ビンゴらしい。
セシリーさんの顔色がさっと変わった。
先ほどまでの余裕の表情から一転、瞳の光が動揺で揺れる。
はっきりしたことは一つ。セシリーさんは何かをたくらむ組織のスパイか諜報員だ。
そしてもう……、俺の嫁候補じゃないってことだ。
「村はずれの魔物退治に、闘技場での襲撃、セシリーさんは常に俺を監視していましたね」
「賢者様相手に隠し事をしても無駄なのですね……」
小さくため息をつき肩を落とすセシリーさん。
そして肩の荷が下りたのか、吹っ切れたような瞳を俺に向けた。
「あの兄妹も……仲間なのですか?」
俺は重い問いを投げかけた。
初めて俺の家を訪ねてきた相談者。あの日から世界は動き始めたのだ。
そしてあの二人はセシリーさんの家で世話になっているのだ。
考えたくはなかったが、可能性がないわけではない。
「あの子達、イオラとリオラは無関係です! 私達クリスタニアとも……、今回の件とも!」
セシリーさんは強く否定する。
その瞳は真剣で、嘘をついていないことが明白だった。本当の弟と妹を心配するような、いつもの顔だ。
「よかった……」
俺はホッと胸を撫で下ろした。
もし「そうです」なんて言われたら俺は怒り狂っていたかもしれない。
セシリーさんをヌルヌル粘液攻めで仕置きし、『クリスタニア』構成員全員を探し出し、全員を一生「ようじょ大好き」としか言えない身体にしてやるところだった。
「賢者……さま、実はこれにはわけがあるのです」
セシリーさんが消え入るような声を漏らす。だが俺は目を細めて教会の窓の外に視線を移した。
わけはあるだろう。それなりの理由が。
だが俺への攻撃は、魔力糸だろうが大猿だろうが、魔法使いの火球だって正直どうでもいいことだ。
俺はいくら傷ついても、かつての冒険の日々に比べれば些細で取るに足らない事だ。
けれど。
プラム達を傷つけようとするのなら、俺は容赦しない。
今頃――
学舎でプラムは「イオ兄ぃ」と「リオ姉ぇ」を困らせていないだろうか?
ヘムペローザに洗脳され、アホに磨きがかかっていないだろうか?
俺は心配で……、けれどこんな事を考えている時間が嬉しくて、楽しいのだ。
――この世界でようやく見つけた、宝物のように輝く大切なもの。
それを壊そうとする者がいたら……おそらく俺は全力で叩き潰す。
教会の天井を仰ぎ見ながら、強くこぶしを握る。
「数々の無礼、お許し頂けるとは思いません。けれど、すべて……闇の復活を阻止する為なのです」
あぁ、やはり『闇の復活』か。
「……そんなことだろうとは思っていたよ、君達が配っていた護符は……闇とやらを感知する為のものか?」
「はい。あれは、大規模魔力探知網を構築する為の、端子のようなものらしいのです」
「らしい?」
「私も……あまり詳しくは……」
セシリーさんはそこで言い淀んだ。本当に知らないらしい。
だが、推察するに広範囲に聖なる力の観測点を設置し、空間で発生する魔力の振動を相互反応を利用して捕らえようとしてたのだろう。
広範囲に護符をばら撒けばそれだけ検知の精度を上げられる。
かなり高度な魔法技術だ。しかしこれで合点がいく。
「しかし……本当にそれで『闇の復活』とやらが調べられるのか?」
俺はすちゃりとメガネを持ち上げた。
教会の窓から見える空を、雲が風に乗り流れてゆく。
「今から一月ほど前のことです。私達の魔術顧問をして頂いている、大魔法使い――レントミアさまが、ある魔力振動を検知したのです」
――は?
「魔力振動は、ある固有魔力波形パターンに合致したのです。それが闇の根源、大魔王……デ」
「まて、今……なんて?」
「あ、ですから大魔王デンマ」
「そうじゃない! その前だ」
俺の突然の叫びに、セシリーさんが目を丸くする。
「大魔法使いレントミア?」
そう!
大魔法使い――レントミア。
ディカマランの六英雄、最強の魔法使いにして年齢不詳の美少年ハーフエルフ。
「レントミアさまは、……ググレカス様のお仲間と窺っておりますが」
「そんな事言われるまでもないぞ! なんであいつが……クリスタニアに!?」
「せ、正式にはメンバーではありません……その、魔術顧問というか、技術開発として王政府を通じて依頼したもので……」
俺は少し動揺したが、大規模魔力探知網を構築するだの、隠密型魔力糸を操れるレベルの魔法使いとなれば納得だ。
ディカマラン六英雄最強の魔法使い――円環魔法の使い手レントミア。
あいつならありえる。
かつての仲間であり、レントミアと俺は師弟関係であり、かなり『親密』だった。
ファリアは親友として語り合える『友』だったが、レントミアはどちらかというと……友達以上恋人未満の……うあぁ!? 思い出すのも辛い。
美少女と見間違るほどに可愛らしい姿をしたハーフエルフに、俺はいろいろなものを奪われた。
――ヤツはとんでもないものを奪っていきましたぞ!
汚いコートを着た刑事が俺の脳内で叫ぶのが聞こえた。いやいや。あまり思い出したくは無いな……いろんな意味で。
俺は苦い思い出を飲み下すが、こそこそ動いていることが気になった。
いくらクリスタニアの技術顧問をしているとはいえ、俺に何の相談も無いのはおかしい。
魔王の気配を感じたのなら直接相談に来ればいいだろう。
なぜこんな回りくどい事をしているのだ?
まるで俺を避けているような……。
「…………」
俄かに不吉な予感がこみ上げた。胸騒ぎ、といってもいい。
すっかり上の空の俺に、セシリーさんがむしろ困惑の表情で眉を曲げる。
「賢者様……? その、魔力振動の『震源』をついに絞り込んだのです……が」
「え!? あぁ、魔王の波動、みたいなものを?」
俺は慌てて本来の筋に戻る。
「それが、私達の村だったのです」
「な……に?」
魔王の波動を検知したのがこの村? 一体それは……どういうことだ?
俺は今日何度目かわからないほどの眩暈を覚えていた。
<つづく>




