★転校初日はパンをくわえて?
「ググレさまー! あたま、頭直してしてくださいぃー!」
「言葉は正しく使え! 髪を整えて、だろ」
「はぅうー!? 頭を整えてくださいー!」
「……ったく」
俺は洗面台の前で嘆息しつつ、プラムからリボンを受け取る。
プラムの腰まである長い赤毛をブラシで梳いてやり、次にリボンを使って髪を耳の後ろで二つに結い分ける。上手く髪を纏めるのは結構コツが必要で、バランスよく仕上げるのは案外難しいのだ。
「ほらできた」
「ググレさまにしてもらうと可愛いのですー」
プラムが鏡を覗き込んで、にへーとはにかんだ笑みをこぼす。
いわゆる『ツインテール』という髪型だが、こんな風に結ってやるのも大分慣れた。
最初は俺の趣味だったが、今ではプラムもお気に入りのようだ。
「プラム、歯磨きは!?」
「やりましたのですー!」
口の周りに白い泡を残したまま、しゅたっと変な敬礼をする。
「ついてるし!」
プラムの柔らかいほっぺたを、指先でウニウニと拭ってやる。
まるで子供を送り出す親みたいだ、と自分でも思う。これは世界的に高名な賢者の俺がする事なのだろうか?
慣れない早起きに俺たちは大騒ぎの最中だ。
なぜなら今日は、プラムが初めて『学舎』に登校する日だからだ。
プラムは昨日仕立てたばかりの真新しい制服を身に付けている。
昨日リオラが着ていたものと同じ制服。
制服といっても普段着の上に羽織るタイプで、清潔感のある白地に鮮やかな青い線が縁取られたデザインが可愛らしく、燕尾服のように尻まで覆うような長さがある。
俺が元居た世界では見かけないタイプの制服だが、襟の後ろはセーラー服のように垂れていて、雰囲気はどこか似ている。
『リオ姉ぇ』と同じものを着れていることで、プラムのテンションは最高潮だ。
やはり制服に袖を通すと嬉しいというのはどこの世界も共通らしい。
「かわいいせいふくなのですー!」
くるくると鏡の前で回る様子に、俺もまんざらじゃない。
うむ、馬子にも衣装、プラムにも制服、だ。
王立学舎(元の世界で言うところの公立学校)は、入学時期は任意だし年齢もあまり問わない。最初は全員が初等クラスに編入され、早ければ数日後から学習能力と習熟度に応じて「学年」が振り分けられてゆく仕組みだ。
今はイオラとリオラ、そしてヘルペローザのやつが一緒のクラスらしいが、プラムの脳みそではあっという間に置いてけぼりを食らうだろう。
だが、それでも初めて会うクラスメイトや初めての習い事に、プラムなりに胸をときめかせているらしい。
おれは窓から差し込む眩しい朝日に目を細めて、はぁと一息つく。
あぁ……なんてあわただしい朝だ。
太陽が昇りきるまで惰眠をむさぼっていた素敵な日常を返してくれ……。
と、屋敷の外に誰かが来たようだ。
「プラムー! ワシが直々に迎えに来てやったにょー!」
「あわわ!? ヘムペロちゃんが迎えに来たのですー!」
「うぬぅ!? 早いな」
元、悪魔神官の美少女ヘムペローザだ。
彼女の訪問を検知出来たという事は、俺の魔力糸による対人結界はちゃんと機能している。
昨日、ヘムペローザの接近を感知できなかったのは、どうやら彼女が持っていた『護符』が原因だと言うことで間違いはなさそうだ。
あれは一体何を目的とした護符なのだ? ……と詮索は後。
今はとにかくプラムの初登校をサポートせねば。
「いってくるのですー!」
「まて、プラム」
「なんなのですかググレさまー!?」
足をとたとた踏み鳴らして急ぐプラムの首に、俺はペンダントをかけてやる。
小指の先ほどの透明な水晶がついた、シンプルなペンダントだ。
これには夕べ準備した俺の魔法が篭められているが、効果はヒミツだ。
「わぁー!? 綺麗なのです、くれるのですかー!?」
「俺からの入学プレゼントさ。それはお守りになっている。プラムが本当に困ったらそれを握り締めて俺を呼びなさい。かならず……助けに行くから」
「ほわぁ……? すごいお守りなのですねー? 『糸』で繋がってるのです」
「あぁ、だから安心して行っておいで」
プラムの言うとおりペンダントは魔力糸で俺と繋がっている。
糸はある種の魔法力を持った人間であれば見えるが、通常の人間には見ることも触れることも出来ない魔力で編み上げた糸だ。位相空間に存在する概念上の存在で、電波に似た性質を持つ。
プラムの保険として水晶に「ある仕掛け」と共に仕込んだのだ。
いざとなったら颯爽と駆けつける――。
これはなかなかカッコいい設定だ、と自分で満足する。
世間知らずでアホの子を『無策』で送り出すわけにはいかないからな。
俺はプラムの頭をポンと撫でて、パンを差し出す。
「それと、朝ごはんの支度が間に合わなかったからな。初日からすまないがこれを食べながらいくといい」
「はいなのですー!」
プラムは俺からパンを受け取ると、玄関で「早くするにょー!」と叫ぶヘムペローザに駆け寄って、パンを半分分け与えた。
ヘムペローザは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、小さく礼を言うとパンを受け取る。
プラムの優しさは賞賛すべきところだが、ヘムペローザはすぐ付け上がるから注意しろよ……。
「賢者、ワシがいるからプラムのことは心配するでないにょ!」
「お前が一番の心配の種なんだが……」
思わずジト目を向ける。
「おにょれ賢者めワシを愚弄するか!? ……まぁよいにょ、では、いくかのプラム」
「いってきますなのですー!」
「あぁ、いっておいで」
俺が小さく手を振ると、プラムとヘムペロは駆け出した。
二つに結い分けられた赤い髪と艶やかな黒髪がふわりと舞って、朝日にきらめく。
俺は思わず目を細めるが、二人は屋敷の門を飛び出すと、あっという間に見えなくなってしまった。
プラムはこの先で待っているイオラとリオラと合流して、村の中心に程近いフィボノッチ王立学舎に行くことになる。
村の中央へは、両側に広がる麦畑を眺めながら進み、村を流れる川に架かる橋を渡る。やがてまばらに立ち並ぶ家々が見えてきたらそこはもう村の中心だ。
教会や数軒の商店が並ぶ村の中央広場には、噴水のある水場がある。それを横目に進むと王立学舎が見えてくる。
ここから歩けば半時(約三十分)程だ。
――さて、俺の時間を謳歌するか。
俺は背伸びをすると玄関を閉め、自分の書斎へと向かった。
朝食のパンとチーズ、葡萄ジュースのビンを抱えてソファに寝そべる。
今日はプラムも居ないし一日静かに引き籠って寝て過ごす! ……というのは実は嘘だ。
あのプラムが何事も無く学校生活を送れるのか、実のところ俺は気が気ではない。
「……悪く思うなよ、これは『親心』というやつだからな」
俺は空中で腕を振り、戦術情報表示を表示した。
眼前に浮かび上がった半透明のガラス板のような表示装置は、俺が自律駆動術式で組み上げた情報系魔法の一種だ。
実は『水晶ペンダント』を通じてプラムのステータスや健康状態がモニタできる用に仕込んだのだ。
HP(体力)、MP(魔力)、ST(状態)いずれも正常。更に指でなぞると更に小さな擦りガラス状の小窓が開き、脈拍、体温などの生命反応が送られてくる。
「さて、ここからが……禁断の世界だ」
ごくり。
いくら賢者とはいえ、流石に良心の呵責が沸きあがある。
なぜならここから先は……ええい!
俺は眼前に浮かぶ戦術情報表示から『画像中継』を選択し、一息に自律駆動術式を自動詠唱する。
途端に別の半透明表示板が目の前に浮かび上がった。
一瞬ノイズが走ったかと思うと、麦畑の広がる外の風景が映し出される。
画面の右上には『接続中、生中継』の文字――。
「や、やった成功だ!? さすが賢者、さすが俺!」
屋敷の書斎で一人ガッツポーズをしながら葡萄ジュースを一気飲みする。
俺が夕べ徹夜で組み上げた、新しい自律駆動術式、映像中継。
これを水晶ペンダントに仕込んでおいたのだ。
言っておくが、これはあくまでもプラムが心配だからに他ならない。
決して覗き見趣味だとか盗撮だとか、公序良俗に反する行為ではないのだ。うん。
「許せプラム、お前が学舎にたどり着くまで見守るだけだからな……」
何故か自分に言い訳をしながら、食い入るように画面を見つめる。
どうやらプラムは走っているようだ。
画面がリズミカルに揺れ、プラムの息遣いが聞こえてくる。
時おり横を仰ぎ見ると、同じように走るヘムペローザが併走している。
「急ぐにょ! イオラとリオラはあの建物の前で待ってるにょぉー!」
「はひぃ、はひなのですー、ちこくなのですー……!」
声も聞こえてくる。
目線はプラムから見た状態に近く、小説に例えるなら「三人称主人公目線固定」という感じだろうか。
画像の角度を調整すると、プラムは先ほどのパンを加えたままらしい。
「ははは、転校初日でパンを咥えたまま走るとか、どこのアニメだよ」
考えてみればツインテール美少女が転校してくるなんて、現実では有りえないと思っていたが、今まさに俺の目の前に展開されているわけで……。
「うーむ……」
俺は複雑な面持ちで、プラムの見ている世界を覗き込んだ。
<つづく>




