★花言葉は……
――世界は再び『闇』に覆われる。
カンリューンの金髪魔術師ティンギルハイドが漏らした言葉を俺は反芻する。
リオラが見たという「世界のどこかで産まれた闇」という夢の話も、今となってはパズルのように意味を成してくる。
それに俺を魔力糸で狙う謎の存在……。
ふむ。
だめだ。
眠くて頭が働かない。
昨日の徹夜がたたっているようだ。
そういえば今日の対戦の最中も調子が出なかった。
ボケっとしていて先手を取られたり、隠蔽型とはいえ、魔力糸の奇襲を許したり……。
まぁ、いいか。
「ファリアとの約束も果たしたし――な」
大歓声渦巻く闘技場で俺は立ち尽くしていた。
頭上から照りつける太陽が、とてつもなく熱く感じる。
けれど身体の芯は冷たくて、何故だか寒い。
ぼんやりと霞む視界の隅で、観客席を飛び越えて駆け寄ってくる大柄な白いドレスの女が見えた。
俺の友人――ファリア・ラグントゥス。
何をそんなに急いでるんだ?
あれ?
……地面が、斜めに?
「ググレッ!」
俺は、力強い腕にしっかりと抱きとめられていた。
地面に顔面をめり込ませる寸前で、ファリアが助けてくれたらしい。
なんだ……俺は倒れるところだったのか。かっこ悪い。
「ファリア、……やっぱ寝不足はダメだな。身体によくない」
「しっかりしろ。まったく、ググレは体も心も不健康だな」
「あぁ……今日は特にな。……いつから気が付いていた?」
「最初からだ」
さすがファリアだ、と俺は笑みを漏らした。
「二日寝てないのはお前のおかげだけどな」
「……では、礼の代わりだ」
「?」
安堵の表情を浮かべた友人の顔が、俺を柔らかく見下ろす。
太陽を背負った銀色の髪が光の糸のように輝いて、エメラルド色の瞳が優しく微笑んでいる。
と、
身体がふわりとした感覚に包まれた。
浮遊感と、身体の半分に密着する「ぷにゅん」という柔らかな心地よい感触。これは……母に抱かれていた遠い遠い記憶の……
いやいやいや!
ダメだろ!?
「ちょっ! おま……はなせ!」
「だまれ病人。私はあいにく回復魔法は使えないのでな。医務室へいくぞ」
俺は……お姫様抱っこされていた。
闘技場全体を包む歓声が、別の響きを帯びる。
それは笑い声と冷やかしの口笛と、祝福と。
「これじゃ明日から人前に出れないだろうが」
「ははは、どうせ明日から屋敷に引き籠るんだろう? 同じことさ」
「おまえなぁ」
闘技場から去るファリアと俺に温かい拍手と声援が集まる。
視界の隅に見えたセシリーさん、それにイオラとリオラは揃いも揃って半眼で、唇を△の形に歪めて俺に湿った視線を送っている。
セシリーさん……そんな目で俺を見ないでください。
あれ? イオラは俺を尊敬してたんじゃなかったっけ?
リオラだけは……って、なんで目を逸らすの!?
「オワタ……俺」
「うわ言を言うようでは重症だな?」
「ググレさま、いいなーなのですー! 抱っこ……。プラムも、プラムもしてほしいのですー!」
指をくわえたプラムが後からついてくる。
ファリアも笑いながら、あぁいいとも! と豪快に笑う。
なんだか眠い――今は……もう少しだけこのままでいたい。
俺はそっと目を閉じた。
「ありがとう、ググレ」
ファリアの優しい囁きが耳にここちよかった。
決闘に俺が勝ったことで、ルーデンスの民が独立するという夢は潰えるだろう。
ルーデンス独立を、邪な代償と引き換えに約束したカンリューンのティンギル・ハイドを完膚なきまでに叩きのめしてやったのだ。
スッキリはしたが、ファリアの父である族長のアンドルア・ジーハイド・ラグントゥスの心中は複雑だろう。長年の夢である独立を逃したのだから。
だが、ファリアの笑顔を見た今は、胸を張って言える。
――俺は友の為に戦ったんだ、と。
◇
「…………ま……」
そよ風が、やさしく頬を撫でてゆく。
「……ググレさま……!」
プラムの弾んだ声で俺は目を覚ました。
目を開けると、木漏れ日がキラキラとリズムを刻んで光っている。
ここは、俺の屋敷から少し離れた小高い丘の上。
牧草の香りと、土と、草花の甘い香りが風に運ばれてくる。
木の根もとで俺はウトウトしていたようだ。
見回せば北へ延びる街道が続いている。
闘技場での決闘から数日が過ぎていた。
あの日、医務室に運ばれた俺は半日ほど爆睡し、すぐに回復した。
単なる疲労だと医術師は言った。
確かに寝不足のまま炎天下、それも慣れない大観衆の中での戦いは、想像以上に俺の体力を削ぎ落としていたようだ。
戦術情報表示を使わなかったのは失敗だった。
だが、自分と相手の体力、魔力、状態をリアルタイムでモニターできる自律駆動術式は、俺の虎の子だ。
各国の魔術師や魔法学徒、彼らはみな俺の魔法に興味を持っているだろう。
むやみに手の内を晒したくなかったのだ。
だからこそ、並みの魔法使いでは理解できないレベルの術式を俺は駆使したのだ。
「ググレさま、見てくださいなのですー……!」
「プラム……どうしたんだ、その花かんむり」
「えへへ……、ファリアお姉さんが、おしえてくれたんですよー」
「ファリアが……?」
俺は身体を起こした。
プラムは、てへー、とふにゃけた笑みを浮かべて頭に花輪を乗せている。
長く艶やかな赤毛に、白い花がよく映えた。
それはレンゲに似た野の花を、丸めて冠にしたものだ。
名前も知らないその花を、俺は検索魔法画像検索で検索する。
――リネル。花言葉は、秘めた想い。
「きれいですかー?」
「あ……、あぁ。きれいだよ」
と。
俺の頭の上に、同じものが乗っている事に気が付いた。
首を傾げるとパサリと胸の上に落ちた。
「これは、プラムの仕業かい?」
「ちがうのですよー、ファリアお姉さんなのですー……でも」
「行ったのかい?」
「はいなのです……」
寂しそうに、北に延びる街道に視線を向けるプラム。
そうか、行ってしまったか。
ファリアは、ルーデンスの故郷へと旅立っていった。
北のレムキソス山脈の先にルーデンスの故郷はある。
腰の悪いあの巨漢の父親と、母親一行を送り届けるだけの旅だ。
見送ろうと思っていた俺は、ここで本を読んだまま眠ってしまったらしかった。
「ググレさま、寂しいのですか―……? 」
プラムが小首をかしげて尋ねる。
「いや、別に」
俺は鼻を鳴らした。
「ファリアお姉さんは、寂しそうだったのですー……」
ファリアが残して行った花かんむりを俺は頭に乗せる。
甘い芳香がふわりと漂う。
「どうせまたすぐに会えるさ、俺達は友達だからな!」
「トモダチですかー……、だから……ファリアお姉さんは……ちゅーを」
「はぁ?」
「あ、これはひみつなのですー……!」
たっ、と駆け出してチョウを追い回し始めたプラムに首を傾げつつ、俺は立ち上がって北の方角に目を向ける。
――ファリア。
見えるはずのない友の姿を、俺はいつまでも見送り続けた。
<3章、完>




