真名聖痕(コア・スティグマ)
熱せられた闘技場の地面を踏みしめながら俺は、一歩、二歩とティンギル・ハイドに歩み寄った。
観客席では「幼女大好き!」と叫び続ける俄か仕立ての変質者が、警備兵に取り押さえられていた。
この変態野郎! と周囲から罵声をあびせられている。
そいつが身に纏うローブは白色で「下級」を意味しているが、ティンギル・ハイドと同じカンリューン公国の紋様が描かれているのがはっきりと見えた。
この会場に紛れて俺を魔術糸で奇襲した相手は、「下級」の魔術師なのか?
あの高度な隠蔽型の魔術糸を操れるとは思えないが。
「そうか……!」
――白ローブの魔術師は、ただの『踏み台』なんだ。
誰かを『中継点』として魔術糸を操ることは不可能じゃない。
それぐらいの芸当が可能な敵だとすれば、セシリーさんを中継し、森で魔物を操ることだって可能だからだ。
いずれにせよ……黒幕は他に居るわけか。
警備兵に両脇を抱えられ、「幼女! 幼女ー!」と叫んでいるが、それは本来なら「離せ! 離せー!」と言いたいのだろう。
俺の逆浸透型自律駆動術式に感染したのは不憫だが、決闘の最中に卑劣な攻撃を仕掛けてきたのだから自業自得だ。
効果は一日ぐらいで消えるから、しばらくそのまま苦しんでもらおう。
俺は目の前で膝を折る、金髪の昆虫顔に向き直った。
十六層全ての魔力防壁を破壊された魔術師は、既に丸裸同然だ。
全身に脂汗を滲ませながら焼けた地面に両膝をつき、降参のポーズをとる。
もう勝負は決したと言っていい。
今にも降参した、参った、と言いそうに口元を動かして、ティンギル・ハイドはニィッと口の端を狂気に歪めた。
「まい……マイ……爆裂ッ!」
「!?」
俺が驚いたのは、元の世界で密かに視聴していた某アイドル料理番組名を叫んだのかと思ったからだ。
それはティンギルの最後の悪あがき、高速詠唱による爆裂呪文を、至近距離で俺に仕掛けたのだ。
だが、すでに勝敗は決している。
「…………爆裂ッ! ……あ、あれ!? えっ!?」
カンリューン最高位を自称する魔法使いが、何が起きたか判らない、という風に目を白黒させながら、幾度も手を俺に向けて突き出す。
呪文による魔法が励起しないのだ。
「ティンギル卿、お前は既に……負けている」
すちゃりと眼鏡を持ち上げて、俺は背を向けた。
もう、こんなクズを相手にする事すらばからしい。
「ななな、何をしたぁああああ!?」
「説明する必要もなかろう、もう一度、全力で唱えてみるがいい」
「お、おのれグレカスゥウウウウウウ!」
指先を複雑に組み替えながら、爆裂魔法を三度励起させようと全魔法力を集中させる。
「くらえ! 消し飛べェエエッ!」
金髪の魔法使いが裂帛の気合いと共に両手を突き出した瞬間――
びゅるる……びちびちっ……と、なんとも汚らしい音が響き渡った。
会場内から悲鳴があがる。
「ひぇえええ!?」「きゃぁあああ!?」「うわぁああああ!? く、臭ッい!」
カンリューン公国を代表する国家最高位の魔術師、ティンギル・ハイドの手から飛び出したのは、腐敗したカボチャの汁だった。
正確には、シェイクされたパンプキン・ヘッドのペーストだ。
一瞬で周囲に汚物臭が立ち込める。
「なんじゃっこりゃぁああああああああああああああああああ!?」
ティンギルがベタベタの両手をわなわなとさせながら、発狂したようにビチャリと腐ったカボチャの汁の海に両膝をつき倒れ込んだ。
呆然自失といった様子で、目は虚ろだ。
「お前の魔力契約を直接書きかえた。炎の精霊の契約を解除して、カボチャの精霊と契約してやったのさ」
「ば……バカな!? そ、そんなこと、そんなこと出来るはずがないだろう!? そもそも……真名聖痕をどうやって!?」
「まぁまぁ、それが『賢者』の力だよ、チュン・ギルフォードくん」
「俺の……真名! どうして……おまえ……が」
チュン・ギルフォードことティンギル・ハイド卿はもう失神寸前だ。
真名とは、この世に生を受けた時に親が付ける名前、本名の事だ。
それは魂と直結し、その人物そのものを表す。
しかし、魔法使いは真名を隠し、力の根源となる精霊や神霊、悪魔と契約を結ぶ。
その時に魂に刻み込まれるのが、真名聖痕と呼ばれる契約のあかしだ。
これを書き換えるには、根源的なパスワードである本人の真名が必要となる。
本当の名前を知られれば魔法使いは命を握られたも同じことだ。
「そんなもの……どうやって手に入れたのだ」
「秘密さ」
ぱちん、と片目をつぶって見せて、俺は踵を返し歩き出した。
何のことは無い。
検索魔法を駆使して、コイツの出身国の出生記録簿を片っ端から検索したのだ。
『有名人』だけあって、検索は簡単だった。
出身地、住んでいる家の詳細な住所、生まれた病院、産婆の名前から生まれた時刻、そして……本名も。
抜け目のない俺は、昨夜探しておいたのだ。
手に入れた、真名を自律駆動術式に組み込んでおけば、どんな結界だろうと魔法だろうと、瞬時に無効化、更には魔法励起回路の書き換えだって出来てしまうのだ。
ちなみに、俺の真名である、影村千尋という名前は、元の世界に置いてきた。
つまりこの世界で俺の名を知る者はいないので、解除は不可能だ。
これが「次元の違い」というやつだ。
炎や雷を全力で撃ちあう、旧態依然とした魔法使いの戦いはもう古い。
呪文詠唱すらしないスマートな高度情報魔法戦闘――。
これが俺の戦闘スタイル。
見た目は地味だが、裏ではけっこうエグイことをしているのだ。
「まっ! まってくれググレカス殿! い、いや待ってくださいお願いします! 頼む! 元に戻してくれ! このままじゃ私は……」
「……お前達の目的はなんだ?」
冷たく単刀直入に問う。
俺はこいつを許したわけじゃ無い。
俺の大切な友人ファリアへの侮辱、そしてこの決闘の場での卑劣な罠。
こいつらは裏で、何が目的で暗躍しているのだ?
村はずれの森に大猿、エイシェント・エイプスを誘導し俺を襲わせた目的。
そしてルーデンス族を『独立』という甘い罠で誘い、結果ファリアを傷つけた目的を知りたかった。
二つの出来事は、魔力糸という糸で繋がっているのだ。
「わわ、私はッ……上の命令で……動いていただけだ」
「魔力糸を脳髄に打ち込んで、記憶を全部読み取ってもいいが?」
「ヒィ!?」
これはハッタリだ。流石の俺でもそこまでの力は無い。
だが、圧倒的な力の差を見せつけられた魔術師はあっさりと俺の言葉を信じ込んだ。
蒼白な顔を今度はさらに青くして、唇をワナワナと震わせている。
「こ……国家の為だ……すべて……」
「国家の……為?」
「……世界は再び……『闇』に覆われる。……だからその前に」
「なん……だと?」
俺を見上げる紅いローブの魔術師の瞳は、怯えてはいるが嘘はついてはいない。
そして世界を覆う闇、という言葉には聞き覚えがあった。
――夢を見たんです……世界のどこかで生まれた、闇の……
勇者志望の双子の片割れ、妹のリオラが見たというあの夢だ。
じりじりとした太陽の下に居るにもかかわらず、冷たいものが背筋を這う。
「……『危機』が再び来る前に……兵を……国を強くしなければならないのだ」
「それで屈強なルーデンスの血を、か?」
「だが、それだけではない……真の目的はググレカス、お前の――」
そこまで言いかけたティンギル・ハイドはハッ、と目を大きく見開いた。
あ、ぁ……! と呻き、言葉を飲み込む。
視線は俺を飛び越え、観客席の最上段にある貴賓席に注がれている。
俺もその視線を追う、と、闘技場全体に『声』が響いた。
これは、ただの声じゃない。魔力で全員の耳に聞こえる様に増幅された特殊な音だ。
「少しおしゃべりが過ぎるようだな、ティンギル・ハイド」
「まったく……我らカンリューン四天王の面汚しよ……!」
「所詮……ティンギルなど我らの中で一番の小物」
ゴゴゴゴゴ……、という何処からともなく聞こえる効果音と共に現れたのは、ティンギル・ハイドと同じ真紅のローブを纏った上級魔術師三人だった。
「四天王」と言うからには、ティンギルもそのうちの一人なのだろう。
声は、三人組が発したものだ。
顔はローブのフードを被っているせいで見ることは出来ない。
異様に大柄な身体の人物と女性的シルエットを持つ人物、そしてリーダー格らしい騎士のように均整のとれた体躯の人物、各々が紅いローブで覆い隠している。
「し……四天王!」「おぉ!」「あれが……!」
観客席のカンリューン人らしい何人かが指差す。こいつらも有名人なのか? 俺は知らないが。
まさか今更この戦いに乱入するわけもあるまいが、とりあえず傍観する。
頼むからこれ以上話をややこしくしないでくれよ。
『あのお方』とか言い出したり『天下一魔術大会で会おう』とか言うなよ?
「賢者ググレカス、流石はディカマランの六英雄の一人といったところか」
「だが……次はこうはいかぬぞ?」
「天下一魔術大会で待っ」
「誰が行くか!? とっとと帰れ!」
俺は叫び、縮こまる金髪の魔法使いの魔力拘束を解いて自由にする。
もうこれ以上、情報は得られないだろう。
何かを企んでいるようだが、これだけの力の差を見せつけておけば、暫く手出しはしてこないはずだ。
ティンギル・ハイドは転がるような勢いで逃げてゆき、他の四天王と共に掻き消えるように姿を消した。
ちなみにカボチャの呪いは、数日で解けるから心配しなくていい。
闘技場では俺の勝利が確定したらしく、場内に盛大なアナウンスが流れはじめた。
打ち鳴らされる銅鑼の音、そして大歓声と拍手と口笛の祝福。
舞い散るチケットの紙ふぶき。
だが、俺にとってはどうでもいい事だ。
――世界が再び『闇』に覆われる
不気味な予言が、黒いパズルの断片のように何かを形作り始めていた。
「ググレーーッ!」
「ググレさまああああぁー!」
不安を打ち消すように、ファリアが、プラムが駆け寄ってくるのが見えた。
「あぁ……」
お前らの笑顔さえあれば、俺は十分だ。
<つづく>