闘技場の中心で幼女大好きと叫ばせる
頭上から降り注ぐ太陽がじりじりと地面を焦がしている。
俺は今王都でも随一を誇る大型闘技場の中心にいて、全ての観客の熱に絆されたような視線に晒されている。
陽炎でゆらめく大気の壁を隔てて向かい立つ人物――カンリューン公国を代表する魔法使い、ティンギル・ハイドの昆虫じみた顔に、一筋の汗が伝ってゆくのが見えた。
闘技開始の銅鑼が打ち鳴らされた後、俺たちは十メルテ(約十メートル)程の距離を保ちながら睨みあったまま動かない。
「なんだ?」「何をやってんだ!?」「さっきから動かないぞ、あの二人」「さっさとやれやコラぁ!」
闘技場の観客たちからは訝しむような、野次るような声が漏れ始める。
もちろんこの声は一般客のものだ。
反対に、会場に陣取った数多くの魔法使い、魔法学徒、そして魔法行政を担当する政府高官たちは驚きに目を見開いたまま、声も出せずにいる。
「バリア……チェンジ魔法防壁!?」「理論的には……可能だが、しかし……」
ようやく声を上げたのは、最前列に陣取っていた高齢の魔法学に精通しているらしい魔法使いたちだった。
『賢者』である俺の防御シールドの本質を理解できたのは、おそらく一部の高位魔法使いだけだろう。
もっとも、目を吊り上げたまま攻撃の手を緩めないティンギル・ハイドも絶賛体感中であろうが。
時折、俺の周りの空間から響く甲高い金属音は、金髪の魔術師ティンギル・ハイドの魔力放射による攻撃が、むなしく弾き返されている音だ。
ヤツは破れないのだ。
俺が展開した超駆動自律駆動術式による対魔法防壁を、
超高速自動詠唱により、十六種類の魔法防壁を数億パターンで暗号化し続ける絶対防壁を。
「おのれぇえええええッ!」
カンリューン公国随一という赤いローブを纏った金髪の魔法使いが、ついに痺れを切らし動く。
両手で激しく印を結び、空中に魔方陣を出現させる。
魔法陣の本体は形こそ違えど、魔力糸と原理は同じだ。
ヴゥン……という軽い振動音と大気の揺れが、かなりの上位魔法の詠唱を行っている事を示していた。
空中でチリチリと音を立てながら、熱を帯びた光球が出現し渦を巻き、やがて四つの塊へと姿を変えて行く
目に見える魔法力の励起に、観客たちから歓声が上がる。
「おぉ! 見ろ!」「灼熱球だ!」「同時に四つも……!」「素敵! ティンギル・ハイドさまぁ!」
通常は一つだけでも相当の集中が必要な高位攻撃魔法、一発で猛牛を芯まで丸焼きに出来る火力を持つ火炎系魔法、灼熱球。
それを同時に四発も出現させるとは流石、国家代表の高位魔法使いだ。
歓声を背に自信を取り戻したカマキリ顔が、徐々に狂気の笑みを浮かべてゆく。
「ハハァ! ディカマランの賢者よ! 魔力放射は防げても……この、火炎と熱は防げるかなあッ!?」
細い目をカッと見開いて、ティンギル・ハイドが一斉に灼熱休を撃ち放つのが見えた。
――あぁ。
大歓声が沸き起こり、その声に頭の奥が痺れ、感覚がマヒする。
俺はとにかく寝不足だ。眠い。だるい、かゆ……うま。
まるで時間が静止したような感覚の中、渦巻く熱さと不快感。
競技場にぐるりと虚ろな視線を巡らせると、東の最前列に赤毛のプラムとセシリーさん、そして双子の兄妹が並んで座っているのが見えた。
更に上の貴賓席には、白いドレスを着た友人、ファリア・ラグントゥスの姿がある。
――女戦士でも着れるドレス、あるじゃん。
「――ググレッ!」
「賢者さまぁあーっ!」
ファリアが、リオラが、俺の名を呼んでいた。
元の世界では誰にも必要とされなかった俺を、応援してくれる人がいる。
そうか、そうだな。
「ググレさまぁあああああー……ッ!」
プラムの涙まじりの声で俺は思い出す。
とっとと終わらせて……一緒に帰るんだったな。
コンマ二秒の回想の末、俺は眼前に複数の戦術情報表示を展開した。
空中に出現した半透明の操作盤は、隠蔽モードを解除しているので、誰の目にもハッキリと見えたはずだ。
「あれが……賢者の魔法なのか……!」「呪文詠唱無しで、一体何を!?」
――魔力糸攪乱幕展開、弾道予測、熱魔力相転移、魔力火器管制、全ての自律駆動術式を超駆動!
指先で瞬時に複数の命令術式を選択し、超高速での自動詠唱を実行。
おまけに今朝開発を終えたばかりの演出魔法も同時に超高速自動詠唱!
俺は無言で操作だけを繰り返す。
呪文詠唱なしで効果を発揮できるこの仕組みは、おそらく観客のだれも、魔法使いたちでさえ理解できていないはずだ。
「さぁ、ここからは賢者の……ターンだ」
俺の身体に四つの炎の塊が直撃する寸前――七色の眩い光の柱が立ち昇った。
「お、ぉおおおお!?」「なんだ、ありゃぁ!」「凄い……綺麗!」「えぇえ!?」
いずれも名の知れた魔法使いであろう人々が驚愕の声を上げる。
ウケてるウケてる!
七色の光の柱は、過剰なまでのキラキラとした輝きを噴出させながら、四つの炎の塊を巻き込んで、俺の周囲でぐるぐると円を描いた。
俺は紺色の賢者のローブをイケメン風で揺らし、指先で天を差した後、続いて水平へと振り下ろす。
眩い光と熱の奔流を操り、そのまま十メルテ先で呆然と口を開ける金髪の魔法使いに、炎と七色の光を浴びせかけた。
「ぎゃぁああああああああああああああああああ!?」
ティンギル・ハイドの無様な悲鳴が、闘技場に響きわたった。
七色の光の濁流と、熱い炎を浴びせかけられた金髪の魔法使いは、地面にガクリと片膝をつく。
とはいえ、ヤツも多重結界で防御している筈だから、肉体的にはダメージは無いだろう。
「おっ……おの、おのれぇえええ! よくも……ッ、こんなッ!」
ギリリと歯を剥き出して、額にはいく筋もの赤黒い血管が浮き出ている。
必殺魔法をあっさりと跳ね返され、挙句それを浴びせかけられた屈辱はいかほどだろうか?
プライドの高いカンリューンの高位魔法使いは、今にも泡を吹いて倒れるんじゃないかと思うほどに顔を真っ赤にして御立腹の様子だ。
ティンギル・ハイドの瞳に、暗く歪んだ炎が揺れた。
――と、
「ググレさまー! あぶないのですー!」
会場を揺らす歓声とざわめきが収まらない中、プラムの澄んだ声だけがハッキリと俺の耳に届いた。
「――!?」
それは全方位、同時だった。
地面を這うように伸ばされていた魔力糸が一斉に俺に襲いかかった。
「くっ!」
巧妙に隠蔽処理が施された特別の魔力糸
強固な結界の届かない死角、地面の下からの急襲だった。
数十本の魔力で編み込まれた仮想のワイヤーが俺の足から這い上がり、肉体と魔法制御を奪おうと、魔力干渉を試み始めている。
もちろん暗号化された俺の自律駆動術式は簡単に破られたり、奪われるものではないが、時間が長引けば危険だ。
戦術情報表示が、直接接触による魔力干渉を検知し、激しく警告を発しはじめる。
外部からの魔力干渉、この魔力糸の気配、これは……。
「……あの時の!」
村はずれの森で、大猿の化け物エイシェント・エイプスを操ったものを同じ気配!
ハッとしてセシリーさんの方に目を向けると、俺の異変に驚いたようにイオラとリオラと共に、心配そうに必死の声援を送っている。
――違う、セシリーさんじゃない。
これだけの魔力糸を何の気配もなく操れるはずがない。
俺はホッとしつつも、意識は既に今俺を攻撃している謎の人物に向けられていた。
この会場の、闘技場のどこかに潜んでいるのだ。
となれば……あまり使いたくはないが――。
「フゥハハハ、どうした賢者さまぁ? どうなされた? 顔色が……すぐれないご様子、ハハァ、では……私からもう一度行かせていただきますよぉおおお!」
下品な品性を丸出しにした国家代表魔術師が、呪文詠唱を開始する。
光る魔法陣が現出しキラキラと青白い光が収斂する。
数十にも及ぶ青白い光はやがてティンギル・ハイドの頭上で氷の刃として形を現してゆく。
――氷の剣!
鋭い氷の刃を相手にぶつける氷結系呪文。
魔力を僅かに纏わせて、魔力防御を突破、回避不可能な物理攻撃により相手を切り刻む致死性の魔法だ。
この状況でまともにやりあうのは流石に得策じゃない。
こうしている間にも俺に絡みついた魔力糸は、激しい解呪を試みている。
術式暗号を解除し、俺の魔力中枢の制御を奪おうというのだ。
「すまないが、ティンギル卿。無粋な輩が会場に潜んでいるようでして」
「ハッハァ!? 今更何を、命乞いですかぁ……!?」
「我々の決闘を邪魔する者がいるようですが、何か心当たりはございませんか?」
「ある、と言ったら……どうされるのですか? 賢者ググレカスゥゥ!」
眉間に皺を寄せて目をひん剥く黄金色の魔法使いは、下品な笑い声をたてながら頭上の氷の刃で俺に狙いを定めた。
おそらく魔力糸使いと上級魔術師ティンギル・ハイドは同じ穴のムジナだろう。
これ以上は話してもムダか。
「……では、致し方ありませんが」
俺は眼前に浮かぶ戦術情報表示から、別の操作盤を展開、背景が毒々しい赤色のパネルから、逆浸透型自律駆動術式を選択、一斉放出コマンドにて放つ。
これは俺に絡みついていた数十本の魔力糸を伝わり、術者本人に一瞬で感染するウィルス型の自律駆動術式だ。
魔力糸で相手に触れるのは、こういう危険も孕む事を知るがいい。
こいつらの間違いは、賢者に手を出した事だ。
自立駆動する逆浸透型自律駆動術式が相手の体内に入ってしまえば脳の言語中枢を奪い取り、ある単語を叫ばせるのだ。
その叫びが目印になる。
「フゥハハ! くらえ賢者ググレカス! 全身の自由を奪われて身動きもとれまい!? 絶望に身をよじり、倒れるが……い!?」
「……何が、どうしたって?」
俺が平然と突き出した右腕から、眩い七色の光線が迸った。
中身は、数千本の魔力糸の束だ。
全身の自由を奪ったと思っていたらしい魔術師ティンギル・ハイドが、信じられないという顔で口をパクつかせる。
国家代表レベル魔術師が展開していた十六層にもなる結界を、コンマ一秒で粉砕した俺の魔力糸は、既に丸裸同然の魔術師の全身を拘束する。
七色の輝きと混じり合うと、奴の頭上の氷は砕け散り、途端に美しいまでの光の造形美を演出してくれた。
「カンリューンの魔術師の魔力防壁が……!」
「一瞬で全破壊……された……だと!?」
観客席の魔術師たちからどよめきが起こった。
「ば……ばかな……きき、貴様っ!?」
「しっ……。すこしだけおしゃべりを謹んで頂きたいティンギル卿。今……聞こえてまいります故」
俺は人差し指を口に当てて見せて、沈黙を促す。
――と、
会場の観客席のどこか、客席を埋め尽くす人垣の中から、悲鳴のような絶叫がとどろいた。
その叫び声に、周囲に居た人々の視線が一斉に集まる。
興味と、不安と、驚きと、そして……冷たい視線その人物に突き刺さる。
「幼女!? 幼女だいすきぃいいいい!? あれ? 幼女! 幼女ぉおおおお!」
ハレンチ極まりない絶叫を繰り返しているそいつこそが――俺に魔力糸攻撃を仕掛けていた人物だ。
俺の放った逆浸透型自律駆動術式の効果は、『幼女だいすき!』としか言えなくなるという、悪質かつ無慈悲なのだ。
「あぁ……。社会的に終わればいい、と思うよ」
俺はゆっくりと、既に顔面蒼白で脂汗をだらだら流す魔術師、ティンギル・ハイドに目線を向けた。
<つづく>




