族長アンドルア・ジーハイド、決闘の掟
「族長殿、決闘とは……また御冗談を」
ははは、と、俺は顔が引きつるのを感じながら、努めて軽めの返事を返す。
いくらなんでもジョークだと思いたい。
一体何処の世界に初対面、会って五分で決闘に至る作法があるというのか?
俺はこの大使公館に足を踏み入れる前、事前に『検索魔法』で、勇猛な狩猟民族ルーデンスの歴史や文化、そしてファリアの父親、アンドルア・ジーハイド・ラグントゥスに至る家系図までを予習していた。
『賢者』を名乗る以上、知識の準備だけは怠らない、それが俺の礼儀だ。
だが、決闘をいきなり申し込むルールは無かったはずだが……?
「――親が取り決めた婚儀に対し、異議申し立てがあるならば名乗り出よ。愛と平等を尊ぶ女神ルーデンスの名において、家長または許嫁が相手に決闘を申し込むものなり! ……これが我が一族に伝わる正式作法である」
あったのか!?
まるで品定めでもするような、アンドルア・ジーハイド・ラグントゥスの鋭い眼光が俺をじっと見据えている。
――なんて威圧感だ。
人の目線というのはそれだけで一種の魔力を帯びた攻撃に等しい。
喧嘩で『ガンを飛ばしあう』というものがあるが、あれも一種の魔眼光線による精神攻撃だ。
さしもの俺もたじろぐが、幾重にも重ねた『対魔力防壁』が衝撃を和らげてくれる。
それでも眼光はじりっ……と、ファリアと交した『恋人の真似をする』という約束と決意を挫きそうになる。
「ち、父上!」
巨大な筋肉と鎧の塊みたいな父親の傍らで、ファリアが噛み付く様に抗議の声を張り上げた。
瞳の色はファリアも父親と同じ、澄んだエメラルドグリーンだ。髪の色も同じ銀色で互いに血のつながりが強い親子であることを感じさせる。
ファリアの声に目線を外した父親から、俺も視線を部屋の方へと流した。
俺達が今いる部屋は、王都メタノシュタットの中枢区画、城から少し離れた場所にある大使公館だ。
各国の王族や、侯爵クラス、全権委任大使などが会合や会議の場として利用している施設なので、机も椅子も一流品だし大理石の床や柱もピカピカだ。
ぐるりを見回すと柱の数は一六。元の世界の単位を借りて表現するならば、三十畳ほどの広さがある部屋、ということになる。
今ここに居るのは俺とプラム、そして女戦士ファリア。それと向かい合うようにして目の前に座っているのは、巨漢のルーデンス族長、アンドルア・ジーハイドだ。
最初は数人のお供を連れていたが、族長が家族だけの時間を所望し、人払いを命じたからだ。
「娘よ……これは代々伝わる正当な儀式なのだ……」
しわの刻まれた目元を細め、娘をなだめるのは意外にも優しい声だ。
「そんな! わ、私はそんなルール知りませんよ!?」
「で、あろうな。一族の男だけに伝承される、婚儀の取り決めの一つなのだ」
ふむぅ……と困ったように眉尻を下げて、胸まで延びた白いあごひげを撫でつける。
「し、しかし!」
ファリアが抗議の声と同時に、泣きそうな顔を俺に向ける。
泣きたいのはこっちだよ……。
冷たい汗がつぅ、と俺の額を流れてゆく。
俺の眼前に浮かんだ戦術情報表示では、補助魔法である存在測定が分析した値を眼前にポップアップ表示し続けていた。
■アンドルア・ジーハイド・ラグントゥス
□HP:1765
□MP: 125
□AP: 520(武装時:+2500)
□LV: 99(測定限界!)
勇猛な狩猟民族ルーデンスの族長、アンドルア・ジーハイド・ラグントゥスの体力値と戦闘力は常軌を逸している。
頭脳労働専門を自認している俺の体力値(HP)は、実測250程度という事を考えると、途方もない体力だ。
戦闘力に至っては意味が分からない。なんだこれ? 生身で攻撃力(AP)520って、俺なんか二回死ねるじゃないか。
おまけに、武器をを装着した場合の加算2500ってもはやチートレベルだ。
流石は世界最強の魔法生物と称される暴竜を屠るという、『暴竜殺しの大斧』を振り回す親父さんといったところか。
こんなべらぼうな数値の族長がもしも仲間だったら、かつての冒険で苦戦したあの魔王城での死闘が、苦闘ぐらいで済んだのではないだろうか……?
俺の友人、ファリア・ラグントゥスだって凄いのだが、父親の前は少し霞んで見えてしまう。
■ファリア・ラグントゥス
□HP:812
□MP: 10
□AP:230(武装時:+800)
□LV: 74
ここで、俺の腰にしがみ付いたままのプラムが涙目のまま囁いた。
さっきまでの元気は何処へやら。蚊の鳴くような声だ。
「ググレさま……プラム……帰りたいですー……」
めずらしく意見が合うな、俺も帰りたい。
「あ、あぁ。もう少し辛抱してくれ。心配はいらないよ、オトナの話は……難しく聞こえるからな」
「ぅう……はいなのです……」
「おぉ……? ググレカス殿、その子は?」
それまでとはまるで違う驚き混じりのアンドルア・ジーハイドの声に、俺ははっとして少し遅れて返答する。
「はい。私が魔術により錬成した、人造生命体のプラムと申します」
俺は隠し事なく、正直に答えた。
嘘をつく必要もないと感じたからだ。
恐ろしい見た目の人ではあるが、決して邪な人間でないことは、ファリアに注いだ眼差しを見れば明らかだった。
「信じられん……失われた先史魔法文明の……」
おぉ、と驚嘆の色を浮かべて立ち上がる。
「ほら、プラム、ご挨拶を」
「……うぅ、ひくっ……」
だがプラムはその巨大な鎧姿に怯え、ますますしがみ付くばかりだ。
「おぉ、怖がらなくてもよい……ははっ、ほれ」
どうやら笑顔らしいが、筋肉で強引に吊り上げた口元が怖すぎる。
「うぅ……プラム……ですぅ……」
「おぉ! よい子だ、可愛いいッ、……ッはうぁっ!?」
「族長殿!?」
勢いよく立ち上がった巨漢の族長は悲鳴を上げたかと思うと、一瞬で鬼のような形相に変わり、すぐに顔を青くして呻きはじめた。
プラムがきゃわー!? と叫んで俺の外套の内側に潜り込んだ。
「父上! 急に動かれてはまた腰が……!」
ファリアが慌てて巨大な父親の身体に手を添えて、静かに座るように促す。
「いっ……痛ッ……!? はぁ……あうっ!? いたたた!」
「は、母上! また父上が!」
「くそっ……このいまいましい腰め! 婚儀を邪魔するヤツなど……ワシが本来なら相手をしてや……痛たた!?」
「父上は腰痛持ちなのよ……」
「あ、あぁ……それはそれは」
ファリアがやれやれと言った顔で首を振る。
……腰痛持ち。
魔王討伐戦で痛めた腰が辛いのだと、付け加える。
それからは、てんやわんやだった。
隣の部屋からファリアの母親(これがまた美人で驚いたが)がすっ飛んできて、親父さんを叱りつけ、鎧を脱がせた。
いい歳してみっともない! 腰が悪いくせに! とか言われ頭を垂れる。あの威厳溢れる巨漢の族長も、奥さんには本気で頭が上がらないようだ。
プラムも安心したのか、きちんと挨拶をすることが出来た。
巨大な手で頭を撫でてもらい、ようやく笑顔を見せる。
決闘を申し込んだのはいいが、腰があれでは戦えまい。
若い頃はそれは最強だったのだろうが……。
俺は、ラグントゥス一家のやり取りを眺めながら、決闘話は無かったことにならないだろうか? と淡い期待を抱きはじめた。
その時、
「何の騒ぎですかな」
突然部屋の扉が勢いよく開いたかと思うと、金髪の男が入ってきた。
緩みかけていた部屋の空気が一瞬で緊迫する。
俺の傍らに居たファリアが、はっ、と息をのむのが判った。
声の主は、真っ赤なローブをまとったカマキリの様な男だった。
軽薄そうな口元にきっちりと整えられた金髪。切れ長の冷たい光を宿した瞳。
背は俺よりも高いが、ファリアよりは小さい。
細身で嫌な気配を纏った男だ。
カマキリ男は室内を見回すと、アンドルア・ジーハイドに一礼、そしてファリアに目線を送り、口元を歪につりあげた。
「ティンギル・ハイド卿――!」
ファリアが身を固くする。いつも明るく豪快な、俺の友人の面影が消える。
どうやら……こいつが許嫁というやつか。
だが、それよりも……。
――俺の魔力糸による結界、つまり対人センサーが機能しなかった。
周囲に張り巡らせている索敵結界、それを易々と乗り越えて現れたのだ。
ローブは見慣れない紋章が描かれていた。
高位の魔術師か。
俺は検索魔法、画像検索で映像を照合する。
検索結果が俺の目の前に瞬時にポップアップ表示された。
――メタノシュタット王国の西に位置する国、カンリューン・チュスンの魔術近衛兵団の紋章。
赤のローブは兵団の最上位に位置することを意味している。
「おやおや、一匹、蜘蛛が紛れ込んでいるかと思えば……」
そいつは、俺にゆっくりと凍るような目線を向け始めた。
<つづく>




