賢者、旧友と再会する
「ググレさまー! 見てくださいなのですー」
「……んが?」
弾むような少女の声で俺は目を覚ました。
どうやら本を読んだまま書斎のソファでウトウトしていたらしい。
顔の上に被さった黴臭い古書をどけると、目の前に緋色の瞳を輝かせたプラムの顔があった。
上から覗きこまれているので、長い赤毛が俺の顔を撫でてこそばゆい。
「おきてますかー?」
「寝てる……」
「ググレさまおきてるのですー」
きゃっきゃ、と楽しそうに笑う。
人造生命体のプラムの生存日数は40日に迫ろうとしていた。
3日という設計寿命を越え、生き続ける少女の模造品。
その表情は時に人間よりも豊かで、戸惑う事もしばしばだ。
村はずれのモンスター討伐から幾日かが過ぎ、プラムはすっかり元気になっていた。
その翌日も、屋敷の掃除洗濯を担う『おばちゃん連合』に混じり、セシリーさんは普段通りの笑顔で俺の前に現れた。
その様子は特段変わったところも無く、僅かに怯えた表情を見せたプラムの心も、甘い手作りのお菓子ですっかり元に戻ったように見えた。
「セシリ姉ぇさまー」とプラムが呼ぶ金髪碧眼の美少女。
あの森で、魔術糸を駆使し化け猿を操っていたのは、やはり別の人物だったのだろう。疑念は俺の中ではやはりくすぶり続けていたが、その天使の微笑みの前に、そんな事はもうどうでもよくなっていた。
「みてくださいー、新しい服をもらったのですよー?」
眠い目を擦りながら見れば、プラムが俺のソファーの脇でくるりと回って見せた。
シンプルだがラインの可愛いワンピースに、飾りのついた腰ひも。
そして上から羽織る花柄のカーディガン風の衣装。
馬子にも衣装というやつだ。まぁ、可愛い。
「……どうしたんだ、それ」
「オバちゃんがくれたのですー!」
村の主婦たちの集まりは、たまにこうしてプラムの世話も焼いてくれる。どうやらだれかの娘のお下がりらしい。
「うむ……せめて礼を言わねば」
と、やかましい笑い声と共に、数人の村のオカン連中が俺の書斎にドカドカと入ってきた。
手には箒とバケツ、そして雑巾。
「賢者様ー! 掃除掃除! あ、プラムちゃんの服、かわいいでしょ? アンゴルモさんとこの孫娘の服なんだけどさ、これがまたアンタ、傑作なんだわ。買ったのはいいが劇太りして着れなくなったもんだからって売り払おうとしたら、尻の部分が破けてんの、ギャハハ、一度は着てみたんだわねー無理だってのに、んでホラ、ウェオラさんとこの奥様が縫ってつなげて、プラムちゃんに丁度いいわねーって――」
「はい、はい、ありがとうございます、お礼は後程……」
凄まじいマシンガントークに気圧されて、俺は本を小脇に抱えて退散モード。
「しかし……男の一人暮らしって……、なんかいい匂いするわよねぇ」
「ギャハハハ! 奥様、欲求不満すぎぃ」
「すぁ、はぁ……あらやだホント、ドゥホホホホ」
ダメだコイツら……。
ほんと、全員クビに出来ないだろうか?
俺はセシリーちゃん一人だけ来てくれればいいんだが……。
「プラムちゃんは、一人で寝てるの?」
奥様の一人が、プラムの頭を撫でながら聞く。
「ぐぐれさまと寝てるのですー!」
プラムが自信満々、えっへん、とでもいわんばかりに返事をする。
「お、おい……」
しかし、他の奥様連中が聞き逃すはずもなく、俄然食いつく。サメの海に生肉を投げ込んだときの映像そのものだ。
「あらあら、プラムちゃんはまだ子供だから、寂しいのよね?」
「ちがうのですー、プラムはググレさまが好きなのですー」
「あらまぁ……賢者様と一緒に?」
「毎日ぎゅぅーってしてるのですー」
無邪気に答えるプラム。
――もういいから、それ以上喋るんじゃない!
「ま、まぁ……やっぱり賢者様もお若いですし……」
そうなの!? と他のオカン連中が顔を見合わせる。
話が変な方向に流れそうな気配を察し、俺は、
「は、はは……プラムが夜寝つけない時に、本を読み聞かせているのですよ」
「そうなのですー! ググレ様は凄いんですよー」
おぉ……よしよし、いい流れだ。
「まぁ、何が凄いのかしら?」
「だって、ぴゅるる、って白い糸が出るのですー」
「――ッ!?」
「――ま」
「あ……」
一瞬で場の空気が凍りつく。
プラムは何が起きたかわからずにきょとんとしている。
誤解の無いように言っておくが、白い糸とは俺が操る魔力糸のことだ。ただの人間と違い、プラムは何故かこの魔法の糸が見えるのだ。
だが、このままでは賢者として、それ以前に人間として終わる。
「いや、その! アレですよ、魔法……、そう! 魔法の鍛錬を見学してるもので……プラムはそれを……」
俺はバッ! と手を突き出すポーズをして見せる。
手の先からこう、いろいろ出るんですよ、と。
「あ……! あぁあああ! あらやだ私ったら……」
「で、ですよねー。もう私もてってきり……ドゥホホホ」
オカン連合も流石にホッとした様子で顔を見合わせた。
何とも気まずい。
誤解が解けたと信じたいが、今まで猛然とバカ話に花を咲かせていたオカン連合が、何故か無言でそそくさと掃除を始めるにつけ、いたたまれなくなった俺は、部屋から逃げるように飛び出した。
俺の気も知らずに、プラムが無邪気に追ってくる。
「ぐぐれさまー、どこにいくのですかー? プラムもいくのですー」
「もうほっといてくれー!」
俺はちょっとだけ涙目になりながら、屋敷の庭へ足を運んだ。
◇
王都=メタノシュタットのはるか西、麦畑の間に家がぽつぽつ建っているような農村に俺の屋敷は建っている。
周囲をぐるりと石垣で囲まれた俺の屋敷は、一見すると地方領主の公邸にも見えるが中身は数千冊の本と魔術関係の道具が山ほど詰まった『賢者の館』だ。
よく手入れのされた庭の一角で、俺は本を広げて読みはじめた。
大きな椎の木の木陰に設えられた白いベンチに腰かけて、優雅なひと時を過ごす。
プラムは飽きもせず、庭の隅で虫を探している。
今のブームはダンゴ虫らしい。
ちなみに俺が今読んでいるのは、偉大なる予言者ムドゥゲ・ソルンの描いた八百年前の預言の書だ。
俺達『ディカマランの六英雄』の名前こそ出てこないが、読みようによってはそうとも取れる意味ありげな四行詩が幾つもある。
――六つの希望、世界に僅かばかりの平穏が訪れるだろう
やがて禁を犯す者、王都の門番、第七の鍵
天神が進軍のラッパを吹き鳴らす時、光は再び集まるだろう
淀みを宿した者が、その列を乱すまで
何かの暗示のようで、単に中二妄想の羅列にも見える。
正直、これなら俺にも書けそうな気がするが。
その時、屋敷の周りに張り巡らせた結界――魔力糸を誰かが踏み越えたことを知らせる。
どうやら……誰かが来たらしい。
「ぁ……あ!」
と、思わず俺は本を取り落しそうになる。はっとして立ち上がり、視線を向ける。
懐かしい、忘れるはずの無い気配。
これは……そうだ、間違いない。
鎧の擦れると音と地面を踏みしめる音が、屋敷の外から近づいてくるのがハッキリとわかった。
「久しいな! 賢者……ググレカス!」
張りのあるよく通る声と共に現れたのは、大柄な女戦士だった。
整った彫りの深い顔立ちに、強い意志を宿すエメラルド色の瞳、そして緩やかにウェーブした白銀の髪。
見るものを圧倒する存在感と、背中に背負った巨大な斧がその戦闘力を物語る。
全身が筋肉で覆われたその体躯は、美しい彫刻のように美しい。そして、大きく膨らんだ胸と、くびれた腰が強さとは相反する優しい女性らしさを添えている。
「ファリア・ラグントゥス……!」
動きを重視し最小限まで削り込まれた鎧は、まるで今しがたまで戦っていたかのように薄汚れ、血の跡や泥がこびりついていた。
――ディカマランの六英雄の一人。巨大な竜殺しの戦斧の使い手。
最強の女戦士、ファリア・ラグントゥス。
そして俺の……親友だ。
<つづく>