人生相談は突然に……
◇
季節は春――。
長い冬がようやく終わり、王都メタノシュタット郊外に建つ「賢者の館」にも春が訪れていた。
高く昇った太陽はぽかぽかと暖かく、風も穏やかで心地よい。
館の周囲に広がる麦畑は、若葉が少しずつ成長し一面色鮮やかな緑の絨毯になりつつあった。
ぐるりと石塀で囲まれた館の庭を見回しただけでも、春だと実感できる光景が目に付くようになった。
木々の芽は徐々に膨らみ始め、もうじき若葉が顔を覗かせるだろうし、茶色かった地面は鮮やかな緑の草で覆われている。
見ればスミレのような可憐な野辺の小花がそこかしこに咲いていたりする。
チョウや、妖精が花と花を踊るように飛んでいるという幻想的な光景は賢者の館ならではだ。
「あぁ、今日はいい天気だな」
俺は庭のベンチチェアで寝そべって伸びをする。基本外でも読書の人だが。
プラム達はここしばらくは毎日学舎に通い、昼過ぎには帰って来るという生活をしていた。
学舎は毎日授業があるわけではなく、週に三日だけ開かれる。つまり週の四日は家に居るわけで、プラムやヘムペローザはもちろん、イオラやリオラ、そして学生に混じって通っているレントミアも今日は館でのんびりと過ごしている。
「黄色いチョウなのですー!」
赤毛の髪をなびかせてプラムが庭を駆け回る。
延命の薬から開放され、俺達となんら変わらない「人間」となったプラムは、ご飯はもりもりと人一倍食べるし、以前より元気になった気がする。
その証拠にチョウを追いかける姿もダイナミックさが加わっていた。たたっ! と駆け出したかと思うと、木の幹を蹴り付けて「三角跳び」の要領で空中高く飛んではチョウ目がけて手を伸ばす。
チョウは慌てたようにひらひらと身をかわすが、追いかけられるチョウにとってはたまったもので無いだろう。
しゅたんっ、と信じられない飛翔を見せて、プラムが余裕の顔で着地する。
身体や手足は以前と同じく細く、少女のそれなのだが運動能力と力は明らかに竜人の血脈を示すものだ。
「プラムもアネミィちゃんみたいに飛べるようになりたいのですー……」
ぷぅ、と空高く飛んでいくチョウを悔しそうに見上げて頬を膨らませる。
俺はそのほっぺたをつつきながら、
「はは、プラムの羽は飾りだからな。でもその調子でジャンプの練習をしていれば、アネミィ達とも一緒に遊んだりは出来そうだな」
「ホントですかー?」
プラムがきらんと緋色の目を輝かせる。
「んー多分な。もう少しして俺の魔法の研究が一段落したら、里に遊びに行こうな」
「はいなのですー!」
プラムは心底嬉しそうに微笑んで、くるりとその場でダンスを踊るように回る。春の日差しに輝く髪がまるで花のように鮮やかだ。
「にょほほ、プラムにょの『きどーりょく』にはもう付いて行けんにょぅ」
呆れたように笑いながら、俺のすぐそばの庭先で本を片手にしゃがみこんでいるのはヘムペローザだ。
手に持っている本はこの世界の『植物図鑑』だ。ヘムペローザは意外にも勉強熱心で、庭の植物や昆虫を見つけては書斎から本を引っ張り出してきて、眺めたり読みふけっていたりしている事が多くなった。
自分だけの魔法を手に入れて「賢者の弟子」を名乗り始めた事で、探究心に火が付いたのかもしれない。
俺と二人で過ごす時間――通称「賢者の時間」では、修行ばかりしているおかげで蔓草魔法もかなり自在に扱えるようなった。
ばら撒いた蔓草魔法「バージョン2」の種子をピンポイントで発芽させたり、成長を意のままに止めたり加速させたり。自在に蔓の勢いを制御するといった修行だ。
その成果は数日前の、賊の侵入事件で如何なく発揮されたわけだが……。そういえばあの『ドジッ娘』スピアルノ・レーゼフは無事だろうか?
恐るべき「ドジっ娘の呪い」で自爆した翌朝、鉄門扉に首を突っ込んだ状態で発見され、屋敷の面々は騒然となった。
暗殺者だと自ら名乗るような娘を屋敷に置いておくわけにもいかないので、俺は一筆したためてエルゴノートの元へと送り出してやったのだ。
――お前を頼って来た砂漠の民だ。ちょっとドジな所もある娘だが……世話を頼む。
とまぁ、そんな具合の手紙でだ。
ドジっ娘になってしまったスピアルノは、研究対象として館に居候させてやってもよかったのだが、本人が一刻も早くここから離れたがっていたのだから仕方ない。
ヘムペローザや俺といたのでは、それこそ生きた心地などしないだろうしな。
手紙を持たせて屋敷から送り出してやったのだが、見送っている間にも何度か転んで、挙句川に落ちたりしていた。
果たして無事にたどり着けたのか非常に気がかりだが……。
エルゴノートは多忙の身だし、秘書兼マネージャとして同行していたはずのルゥが行方不明となった現在、人手がほしいだろうという俺の心づけだ。
ちなみにルゥは性根がネコなせいか、たまにフラッと居なくなることがある。
未亡人の貴族マダムの所に転がり込んだというウワサを聞いたきりだが、元気にしているのだろうか?
まぁ……しばらくすれば帰って来るだろうし、特に心配はしていないが。
そういえば今日はファリアが帰ってくる日だ。
王都の騎士たちの技術指導員としての職を得て、毎日戦闘訓練をしているのだ。
おそらく鬼教官として厳しい指導をしているのだろうが、そのうち一度行って見てみたいところだ。
だが、エルゴノートは王都で連日会議だ会合だと、まるで多忙な王族のような仕事ぶりを発揮している。
ネオ・イスラヴィアが不穏な動きを見せているというのは、既に庶民の間でも知られたニュースだった。
ネオ・イスラヴィアの現国家元首、ザウザウト・ヨルムーザによる、勇者エルゴノートリカルの身柄引き渡し要求は、メタノシュタット王国が拒否の返答を正式におこなったらしかった。
先日の暗殺者が送り込まれてきた一件とも絡んで、なにやらきな臭くなりつつあるようだが……。
もし火の粉が飛んでくるようなら振り払う……どころか火元を根こそぎ粉砕しに行く! とか言うだろうなエルゴならば。
自然とフッと笑みが漏れる。
――まぁその時はとことん付き合うさ。
のんびりと流れてゆく白い雲を見上げながら俺はひとりごちた。
それに王都での仕事をこなしている間は、エルゴノートにとって恋人である第一王女、コーティルト・スヌーヴェル姫との逢瀬には都合がいいのだろう。
どうでもいい事だが、スヌーヴェル姫は、妹であるメティウスとよく似ていた。性格はまるで正反対だが、顔立ちは宝石のような碧眼に美しい金髪という共通項がある。知的な佇まいなどは姉妹ならではの似通った雰囲気を持っている。
「……あら、私のことをお考えかしら? 賢者ググレカス」
チョウの様に妖精が舞い、俺の肩に腰掛けた。
俺からつかず離れず、周囲の草花を眺めたり、チョウと追いかけっことをしたりとメティウスも春を楽しんでいるようだ。
プラムも流石に妖精メティウスを追い回しはしないが、ひらひらと飛ぶ様子をうっとりと眺めている事が多い。そういうことでプラムとメティウスは俺の傍に居ることが多い。
「はは、いや君のお姉さんの事を考えていたのさ」
「姉……ですか? 私、あまり王宮時代の事は覚えていないのですわ……」
メティウスは少し悲しそうに俯いた。擬態霊魂として死後、都合のいい預言者の魂として封印され、その後俺の手によって、姿を妖精に変えることで「存在」を存続させているメティウスは、生前の「第二王女」としての記憶がすっぽりと欠落していた。
僅かに残っているのは、図書館で過ごしていた孤独な日々ぐらいのものだ。
「すまない。エルゴノートが君とよく似たお姉さんと付き合っているのさ。それでなんとなく考えてしまったのさ」
「まぁ、そうでしたの。あの、姉……は幸せなのでしょうか?」
ぽつり、と尋ねる。
「王宮でわがまま放……いや、エルゴのやつに甘えてばかりいるらしいよ」
「まぁ……! 姫君と勇者さまのカップルなんて、なんだかおとぎ話みたいですね。ふふ……」
そういうとメティウスは、またどこかへと飛び去ってしまった。
俺達「おとぎばなしの勇者と仲間達」の会話にはいつも興味津々で聞き耳を立てているが、王宮関連の話題は好きでないのかもしれない。
記憶は薄れていても、図書館に幽閉されていた辛い時間を思い出してしまうのだろう。
そういえば、「勇者たちのおとぎ話」を夢想してい過ごしていたメティウスと、同じように幽閉されて妄想に耽ってばかりいたマニュフェルノとは馬が合うらしく、時折二人で何やら物語の構想を練って盛り上がっていたりする。
まぁ時間は有り余るほどあるのだし、楽しみを見つけることは必要だろうな。
実を言えば俺も、こうして館で寝そべってダラダラと過ごしているだけではない。
プラムの命を救う薬を作るという一大事業を終えた俺は、ヘムペローザの修行の相手をしながら、とある「大掛かりな魔法」の研究をしているのだ。
もちろん師匠であり学舎の学生に身をやつして(?)いる大魔法使いレントミアとの共同作業だ。あいつも俺と一緒に何かを研究するのが楽しくて仕方ないらしく、並んで本を読んだり、魔力糸を直結して魔法構築を共同でやったりと楽しくやっている。
内容はまだ秘密だが、「隔絶結界」と転生を繰り返していた大聖人バッジョブから鹵獲した「超極細魔力糸」技術を応用した魔法が完成すれば、俺達は新たなる旅のステージへと行けるだろう。
――ま、皆にはまだ全貌を見せる事はできないがな。
そんなことを考えながら、春の日差しにボケーとしていると、リオラが洗濯物を抱えてやってきた。マニュフェルノも洗濯ものを抱えている。
仲良くおしゃべりをしながら歩いてくるリオラとマニュの様子は、まるで普通の村娘だ。
「ふぅ、やっとおわりました。マニュさんが手伝ってくれて助かりました」
「洗濯。なんとなく自分の心も綺麗になりますし」
えへへ、と妙な笑いは相変わらずのマニュだ。髪を耳の下ぐらいで二つに結い分けていて、いわゆるカントリースタイルのツインテールだ。
「リオラ、言ってくれれば俺も手伝ったのに……」
「いいんです。水も温かくなったし」
栗色の髪を風に揺らしながら、リオラが楽しそうに笑う。
屋敷の敷地の中に生えている立ち木と立ち木の間に渡したロープに、手際よく洗濯物を干していく二人ばかりに働かせるのも悪いので、俺も手伝う事にする。
「賢者さま、もっと広げて干してください」
「あ、はい。こう?」
「……まぁ合格です」
リオラが難しい顔で洗濯物を見て、やがてうんうんと頷く。
俺はすっかりリオラの尻に敷かれてしまい思わず苦笑する。
イオラもいつもこんな感じにこき使われているもんな……。だが、悪くは無いな。
その後もシワがあったりするとすぐにダメ出しをくらってしまうので結構真剣に洗濯物を干してゆく。
取りおり吹き抜ける爽やかな風が、白いシーツを揺らす。
と、そんなまったりとした時間を過ごしているとイオラが館の中から一冊の本を抱えてやってきた。
「イオラ? こんな天気のいい日に、屋敷の中で本を読んでたのか……?」
俺はやや信じられない面持ちで、
「ま、まぁな。……ぐっさん……あの」
「イオラ、どこか具合でも悪いのか!?」
何かを考え込んでいるかの様子に俺は少し心配になる。
……何か悩み事だろうか?
そういえばエルゴノート直伝の「二人だけで会話する時間」、通称「賢者の時間」はイオラとまだやっていないのだ。
風呂に誘うのがダメなんだと最近気が付いて、外で遊んでいる時とか買い出しに連れて行くとか別の方法でアプローチを試みようかな、と考えていた矢先でもある。
「いや、そうじゃないんだけど……その」
「……? なんだい」
「その、相談があるんだ。人生……相談ってヤツかな」
イオラは照れくさそうに頬をかいて、困ったような顔をしている。
「人生……相談?」
俺はじっと双子の兄の栗色の瞳を覗き込んだ。
<つづく>