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 アサシアン・ナイト 【後篇】 ~呪いの指輪~

 (バール)の蓋が開くと、その中で不気味な物体が蠢いているのが見えた。ブチュルッという(ヌメ)った音が生理的な嫌悪感を掻き立てて、背筋がぞわりとする。


「ス、ス、スライムッス!?」


 ――ごご、拷問されるっスゥウウ!?


 スピアルノは賢者の館の庭先で、つる草にがんじがらめにされたまま青ざめた。


 賢者は泣き叫ぶ女の子をスライム入りの樽に漬けたこともあるのよ、と面倒見役の「姉」から怪談話のように聞かされたことがある。その時はまさかとは思ったが……。


 確かに自分は勇者エルゴノートの命を奪うという、いわば法に背く「暗殺者」としてここに来たわけだが、個人的な恨みがあるわけではない。

 姉から請けた仕事ではあるが、スピアルノはいわば「下請け」に過ぎないし「国の仇敵」とやらの意味もよくわからない。ネオ・イスラヴィアとかいう砂漠の新興国家を束ねる立場にある、偉い人からの仕事だということで成功報酬だけは高かった記憶がある。

 拷問されたところで、話せることなどたかが知れているのだ。

 

 それに、自分の名前さえお見通しの「賢者」ともなれば、そもそもスライム攻めの拷問(・・)など必要ないのではないだろうか……?

 となれば目的は別にあると考えるのが妥当だろう。

 

 ――オ、オラの身体が目的っスか!?


 だが、ここはそもそも「世界を救った勇者とその仲間達」という、いわば正義と慈愛の心を持つ、清く正しい人たちが住む館ではないのか? 世界に名の知れた賢者ともなればきっと聖人のような――


「丁度この()たちは腹を空かせていてね。これから食事(・・)タイムだったのだが……」


 ――むっちゃ怖い人ッスゥウ!?


 スピアルノは目を白黒させて泡を食ったような顔をする。


 賢者は困ったようにやれやれと肩をすくめて見せているが、月明かりの下でメガネを光らせるシルエットはひたすら、黒い。


「賢者にょ。スライム共の食事(・・)って、まさかこの()を丸ごと食わす気かにょ?」

「ちょっ……まっ……!」


 意地悪く言うヘムペローザと悲鳴をあげるスピアルノ。


 既にワイン樽のフタは既に全開で、そこからドロリとした赤と緑と紫の、よくわからない色合いのスライムが這い出しつつあった。


「ひぃっ!?」


 門の脇に転がっていた魔物の白骨を思い出しスピアルノの全身から汗が噴き出す。

 思わず命乞いをしかけたスピアルノはしかし、瀕死の自分を拾ってここまで面倒を見てくれた「姉」の顔を思い出した。仲間達の為にもここはなんとか切り抜けるしかないのだ。

 

 ――そうッス、「緊急脱出用」の魔法の指輪があるッス!


 唯一動く指先で探ってみると、銀の指輪には仕掛けが付いていて、それを押し曲げると魔法が発動する仕組みらしかった。

 ただ、何が起こるのかは教えられていない。そもそもこれを使う自体は最初(ハナ)から除外していたのだから。


「『灰色狼旅団(オデッサーラ・ジプス)』が君をここに送り込んだ目的はわかっている。エルゴノートを暗殺(・・)してこい、と言われたのだろう?」


 賢者の声色が、まるで子供に諭すような穏やかなものに変わる。


 ――な、何でそこまでわかるんスか?


「オッ、オラは……」


 ピトリ、と冷たい感触が両足に触れた。目線を下げる必要も無い。間違いなくスライムが這い登りつつあるのだ。


「そんな重大な任務を……君のような子に託すと思うのかい?」

「な……!」


 賢者の言葉に絶句するスピアルノ。

 考えたくも無かった可能性が、疑念が、むくむくと沸き起こってくる。


 ――自分は捨石(すていし)なのではないか、と。


 賢者の目線が自分の目ではなく、指先に向いていることを直感した。

 

 ――まずい。感ずかれたっスか!?


()なる暗殺者(・・・)ならば問題無(・・・)いのだが、そんな()を抱えて来たともなれば、話は別さ」


 賢者の瞳が鋭さを帯びる。

 獣耳の少女は、賢者の言っている意味がよくわからなかった。「そんな物」とはつまり指輪の事だろうか?


「だ、騙されないっス!」


 意を決し魔法を発動させる。瞬間、左手にはめた指輪から眩い光が発せられ、思わず目をつぶる。

 

「ばか、やめ――!」


 賢者が何かを叫んだ。

 光がスピアルノの全身を包むと同時に、スライムが跳ねる様に飛び掛って、まるで左手を覆い隠すように腕全体を包み込んだ。


「ひいっ!?」


 冷たく湿った感触に飲み込まれ、思わず悲鳴をあげる。

 しかし気が付けば、全身を縛り付けていたつる草はボロボロと崩れ去っている。光の効果なのかは判らないが逃げ出すには千載一遇の脱出のチャンスだ。

 

 ――なるほどっす! 目くらましと縄を切る脱出の魔法ッスね!


 流石姉さまッスと納得し、自由になった両脚で腕に絡みついたスライムを蹴飛ばして引き剥がすと、獣耳の少女は脱兎のように駆け出した。


 任務は失敗だが、命あっての物だねだ。ここはひとまず退散し――


「ぎゃふんっ!?」


 思い切りコケた。

 足で別のスライムを踏みつけたのだ。バナナの皮よりも滑るスライムで見事なほどにすっ転ぶ。


「あぁ……遅かったか」


 賢者がぽりぽりと頭をかきながら近づいてきた。ヘムペローザも一緒に歩いてくる。

 

 ――と、トドメを刺すつもりっスか!?

 

 泡を食いながらも身を起こし、こうなったら接近戦で――と、腰の剣を引き抜いたつもりが、何故か腰紐(こしひも)代わりのベルトを引き抜いていた。


 すとんと下半身が丸出しになる。

 黒いスパッツがずり落ちて、意外と大胆な紐パンツが丸見えだ。


 下着は白い小さな布についた紐を腰の両脇で結ぶタイプで、くびれた腰のラインや太ももが露わになる。


「きゃわぁああ! な、なんでっスか!? えぇ!?」


 スピアルノは顔を真っ赤にしてしゃがみこむ。

 み、見るでないにょッ! と目を隠そうと飛びつく黒髪少女(ヘムペローザ)を、邪魔臭そうにあしらう眼鏡の賢者。


「……その指輪、とんでもない呪いの指輪なんだ」

「の、呪いの……指輪?」

 賢者の言葉に、スピアルノは思わず聞き返した。


 見れば二人とも呆れたような顔つきで殺気らしいものは感じらない。まるで兄妹のような黒髪の二人の様子に思わず気が緩んでしまった、という事もある。

 それよりも自分の身に何が起こったのか、スピアルノはまるで理解できなかった。


「あぁ……。数百年前、はるか西方の国でうっかりミスで国を滅ぼした悲劇の姫、ドゥジー・コゥンが身につけていた呪いの指輪さ」


「賢者にょ、それは一体どんな呪いなのじゃ? ……なんとなく察しはつくがにょ」


 半眼のまま、黒髪の少女が腕組みをしてスピアルノを見下ろしている。

 

「極度の『ドジッ娘』になってしまう恐ろしい呪いさ。検索魔法(グゴール)で文献を漁ってみたが、発動すると周囲に被害が及ぶらしかったからな」


「にょほほ、こやつの襲撃を予測して、スライムを放っておったのかにょ?」

「まぁ、それは成り行きさ。スライムが魔力を欲しがっていたから丁度良かったのさ」


 スライムの食事とはつまり水分や有機物の摂取のほかに、魔力の補充も必要だ。

 つまり、賢者はスライムに「呪い」の魔力を吸い取らせたというのが正しい解釈だろう。


 闇夜の庭でスライムを自由にさせていたのは、ヘムペローザが世話がてら遊ばせてやっていたからで、昼間、皆が起きている時間帯では栗毛のメイド――リオラだが――に気持ち悪がられるから、という賢者の細かい心配りの賜物でもある。


「ただの暗殺者ならヘムペローザに任せようかと思ったが、侵入者が妙な魔法のアイテムを身につけていたからな。まさかそれでエルゴノートを襲うつもりだったとは……考えたものだ」


 仮にナイフでの襲撃が失敗しても、追い詰められたスピアルノが指輪の呪いを解き放てば、エルゴノートはとんでもないドジな男に成り果てるだろう。

 暗殺者であるスピアルノも呪われるだろうが、こんなドジっ娘と化してしまっては、どうこうしようという気は起きない。


「そ、そんな馬鹿なことがあるわけがぁ痛いッ!?」


 立ち上がった瞬間、木立の枝に頭頂部をぶつけて再びうずくまる。

 

 ドゥジー・コゥンの呪いは恐ろしいほどだ。

 さすがに指輪をつけている本人の呪いの魔力までは吸い尽くせなかったのだろう。


 だが、これでは暗殺業どころか、もはや日常生活を営めるかも怪しい。


「そこまでドジっ娘だと、エルゴならつい手を差し伸べてしまうだろうしな」


 はぁ、と溜息交じりにメガネを直す。


「オ、オラは帰るッス!」

「残念だがお前は捨て駒だったのさ。のこのこ戻った所で、どうなるかわからんぞ?」

「こ、こんな……呪い、姉上に……ッ!」


 そこまで言いかけて、がくりと肩を落とす。

 考えたくも無かった現実。自分は単なる道具として送り込まれたのだ。単なる使い捨ての道具として。


 夜の闇は深く、風も出てきた。木々の梢がざわめき、寒さと見捨てられたという心細さに、思わず自らの身体を両手で抱きしめる。


「スピアルノ……といったか。帰りたければ自由にすればいい。出ていくだけなら館の防御機能は動かない。これからは好きなように生きればいいさ。なぁに、あのネズミには『失敗して死んだ』とでも伝えてもらうさ……」


 ニッと僅かに口元を持ち上げて踵を返す。


「……賢者……ググレカス……」


 --むっちゃ、優しい人ッス……。


 スピアルノの青い瞳が大きく開かれる。


「俺はこのへんでお(いとま)するよ。いい加減、身体が冷えてきたし、寝るよ」


 ふわ……とあくびをして賢者は館のドアを開けた。


「……ワシも寒くてかなわんにょぅ」


 甘えたような声色で賢者の腰にしがみつき、わざとらしく鼻水をすする。


「……仕方ないな。今夜の訓練(・・)は満点の出来だったしな……、部屋に来るか?」

「にょほ……いいのかにょ?」

「あぁ。レントミアも今日は下で寝てるしな。でも、内緒だぞ……」


 そんな会話を交わしながら、賢者と弟子は館の中へと入っていった。

 

 ◇


「い……痛ッ」


 しばらくすると館に少女の声が響き始めた。


「ぬ、抜けないッス、たっ……! たすけて……ス!」

 

 鉄門扉(・・・)の隙間に首を突っ込んで抜けなくなった、ドジな元・暗殺者の声が。


【幕間・挿話5 完】


【予告】

 次回、新章突入!


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