アサシアン・ナイト 【中篇】
【おしらせ】
作者の急な都合により、書き終わりませんでしたw
(明日、「後編」で終わりとなります)
◇
「にょほほ……! よかろう、賢者めの一番弟子であるこのワシ、ヘムペローザ様が不埒者の相手をしてやるにょ」
黒髪の少女――ヘムペローザと名乗る少女は不敵に微笑むと、ふわりと黒髪を振り払った。
「ヘムペ……ローザ?」
スピアルノ・レーゼフはその名を小さく反芻する。どこかで聞いたことのある名だと思ったからだ。
半獣人の少女が暗殺を生業とする集団、『灰色狼旅団』に拾われたのは三年以上前のことだ。
スピアルノがそれ以前に冒険者として所属していた「護衛業者ギルド」は、魔王大戦の一大反攻作戦「一番星作戦」に協力する形で参戦した。
だが、結果は全滅――。
魔王城への突入作戦で、それまでの仲間達は倒れスピアルノも重傷を負った。
封印していたはずのつらい記憶が蘇る。ふるふると頭を振り、再び目の前の敵を睨みつける。
そのとき聞いた名前に確かそんな名前があったはずだ……。どこかの冒険者の一員の名だっただろうか? 魔王軍の幹部の名前……いや――。
その瞬間、スピアルノは異様な音に振り返った。
ゴロゴロと、まるで樽でも転がっているかのような音に、獣耳が逆立つ。
「た、樽ッスゥウウ!?」
館の敷地を回りこむようにして現れたのは、二つの樽だった。ゴロゴロと猛烈な勢いで転がりながらスピアルノ目がけて突進してくるのだ。
驚きながらも、巧みな体術で二つの樽の突進をジャンプでやり過ごす。この程度の速度なら決して遅れをとるスピアルノではない。
目標を見失った樽はギュギュッと回転すると、Uターンしてこちら目がけて再び突進をかけてきた。
そのとき、月を覆い隠していた雲が流れ、青白い月光が賢者の館の敷地を照らし出した。
闇夜に完全に適応していたスピアルノ・レーゼフの目には、半月の月光でさえ眩しく感じるほどで、思わず目を細める。
僅か5メルテほどの距離で睨みあう少女二人を、月が照らす。
暗殺者の少女は、右手のナイフをやや高く掲げ、顔を隠すようにして相手を仔細に観察していく。
まるで夜の散歩に起きて来たかのような薄着。白いワンピースかと思っていたそれは寝間着だった。
肌の色が褐色を帯びているのは、僅かに尖った耳から察するに、ダークエルフの血が混じっているからだろう。だとすれば、魔法を駆使してもおかしくはない。
対魔法使い戦闘の基本。それは――
「――詠唱させる時間は……与えないっスよ!」
猛然と、先ほどの倍の勢いで野生のヒョウの様な少女は飛び出した。だが――。
空中でスピアルノは静止する。
いや、正確には止められていたのだ。脚にいつの間にか絡みついた「つる草」によって。
「なッ!?」
受身もままならないまま、地べたに前のめりに転がる。だが、俊敏な身のこなしを身上としたスピアルノは着地と同時に両手に持った湾曲したナイフを振るい、脚に絡みついた緑のつる草を切り払った。
「にょほほ! 貴様は既に我が手中におるにょ!」
再び高笑いが響き渡った。
賢者の館を背に、左手を腰に当てて右手を水平に突き出しているのが見えた。
だが、呪文詠唱をした気配は、無い。
超高速の詠唱を行う「賢者」の魔法がどんなものかは知らないが、人である以上限度があるはずだ。しかし、この黒髪の少女は、ほとんど予備動作も呪文詠唱の気配さえも無く、「つる草」を魔法で操っているのだ。
「――く、くそおっス!」
気がつけば両脚は更に多くのつる草が絡まり、徐々に膝下、太股と、しゅるしゅると猛烈な勢いで身体を這い登ってくる。
もはやジャンプする事も力で引きちぎる事もできない。がんじがらめだ。
両手のナイフで何本かを切り払うが、手首に絡みついたつる草に気が付いた時は既に遅かった。
両手を完全に縛り付けられて、スピアルノはナイフを振りかぶったまま、全身を緑のロープでぐるぐると巻き取られていた。
ぎゅうっと強く締め付けられ、意識が遠のく。
「にょほっ! ワシの蔓草魔法の精密制御、なかなかのものであろう? 賢者にょ!」
――賢……者?
この蔓草を操る魔法使いの少女は、まるで傍に誰かがいるかのような調子で語りかけた。
スピアルノの細められた視界の隅では、猛烈な勢いで樽が左右から接近してくるのが見えた。
一体何がどうなってワイン「樽」が転がって襲ってくるのか、理解の範疇を超えた攻撃に、もはや成す統べ無しと、スピアルノは目をつぶった。
左右から巨大な重量物に体当たりをされては、鍛えているとはいえ骨が砕けてしまうだろう。
――こ、ここまでッスか……。
自分は、いや仲間達も、勇者や賢者の力を甘く見ていたのだ。情報は欺瞞され嘘の情報に自分はおびきよせられたのだ。
自分が今戦っているのは、賢者の弟子に過ぎない。
一体どれほどの実力差があるというのか……、もはや想像を絶する。そんな相手と合間見えたことに、呆れたかのような苦笑さえ浮かんでくる。
「……捕らえたか。よく出来たな、ヘムペロ」
静かな、若い男の声が不意に響いた。
「にょほほ、見事なものじゃろ?」
「あぁ、上出来だよ。怪我は無いか?」
「ワシもあやつも無事にょ」
見れば、黒髪の少女の背後の闇がゆらぎ、まるで霧が晴れるかのように、人影がユラリと浮かび上がるように現れたのだ。それは幻覚ではなかった。
ヘムペローザという少女が立っていたのは、賢者の館の玄関ドアの前だが、ドアは閉ざされていて開いた気配も無い。
まるで最初からそこに居たかのように、痩身の若い男が闇の中から現れたのだ。
その人物の肌色の手が、魔法使いの少女の頭に置かれ慈しむように撫でるのが見えた。
隠蔽型魔力糸による可視光線領域の撹乱、つまり半透明化の術で隠れ潜んでいたことを暗殺者の少女は理解できなかった。
ただ、暗がりから現れた「賢者」の存在に圧倒されていた。
すらりとした体躯の、およそ鍛えているとは思えないひょろりとした体つき。月光がメガネに反射し、爛々と光っている。
ぱちん、と男は指を鳴らすと、樽の突進がスピアルノの直前で停止した。
樽の化け物を操っていたのは、この人物だったのか、と全身を締め付けられ、声を出す事もままならぬままうめく。
見れば白い肌に黒髪の、見慣れない人種。そして驚くほど若い男だ。
これが噂の「賢者」なのかと、目を疑う。
「まさか……おまえが……賢者……」
「そう、俺がググレカスだ。……ようこそ我が館へ、スピアルノ・レーゼフ」
まるで紳士が礼を交わすときのような仕草で、優雅に言う賢者ググレカス。
「……な、何故……オラの名を!?」
驚愕に目を見開く。
「フハハ……。覗き穴は、こちらかも見えのさ」
多分に皮肉を篭めた言葉を、スピアルノは理解できなかった。それがネズミの使い魔のことだと分かるのに、僅かな間を必要とした。
「オ、オラをどうするつもりっス!?」
「そうだな……自分からここに来た目的を喋りたくなるようにしてあげようか」
にぃ、と月光に照らされた賢者と傍らの少女が嗤った様に見えた。
左右の樽の蓋が、ぱこん、と開くと、中で何かが蠢いているのが見えた。
「ス、ス、スライムッス!?」
――ごご、拷問されるっスゥウウ!?
<つづく>