★そして、うららかな春の日に
◇
「ググレさま、プラムは大人になれるのですかー?」
目を輝かせて俺に問いかけたプラムは、何処かで気づいていたのではないだろうか? 薬を飲まなければ、自分はすぐにでも消えてしまう存在だという事を。
だが、それは過ぎた今となってはどうでもいい事だ。
プラムが人造生命体から普通の人間へと変わった日から既に一週間が経っていた。
竜人の血から生成した「延命の薬」を服用しなくなっても体調に目立った変化は無く、俺達の心配をよそに本人はいたって元気でケロリとしたものだ。
普通の――とは言っても、プラムが竜人の血から生まれたことには変わりは無い。髪の毛や瞳はメタノシュタットでも珍しい竜人特有の美しい緋色をしているし、背中には相変わらず小さな飾り羽が折りたたまれて隠れている。
力も同じ年頃の女の子とは比べ物にならないほどに強いし、魔力糸を見る力もそのままだ。
結局プラムは、竜人の村で友達になったアネミィと同じ普通に食事を取って生きていける身体になったということに過ぎないのだが、そでも俺にとっては心底嬉しい出来事で、心配のタネが消えたことを意味していた。
ただ、変わった事とといえば以前より食欲が増した事ぐらいだろうか。
もりもりと食べてごくごくと飲む様子は清々しいほどで、それは普通の育ち盛りの少女そのものだ。
――アネミィちゃんに逢いたいのですー。
そんな風に言うプラムの願いを、そのうち叶えてやろうと思う。
と、俺がそんな事を思い返しながら朝のお茶をすすっていると、ドタドタと支度を終えたプラム達が、元気よくリビングに飛び込んできた。
水時計(※落ちる水の量で時間を測る簡易時計)を見ると、既に朝の8時を過ぎていた。
「ググレさま、いってきますのですー!」
「賢者にょ、行ってくるにょー!」
今日から春の学舎が始まる。
メタノシュタット王国の学舎は、麦の刈り入れの時期から冬にかけて長い休みになる。俺達の冒険の旅は丁度その時期だったので勉学には支障はなかったのだが、これから週に三日は学舎での勉強だ。
プラムとヘムペローザは普段着の上に羽織るタイプの「初等学舎」の制服を着ていた。白地に青のライン、そして胸の赤いリボンが可愛くて大変よろしい。
「制服。幼女ふたりの制服姿! 可愛い! 眩しい……ッ!」
「まぁ素敵! 学舎……羨ましいですわ!」
メティウスが目を輝かせて二人の周りを飛び、何故かマニュフェルノがクラクラとダメージを受けている。そういえば制服姿を見るのは初めてだったかな?
朝日の差し込むキッチンでは、俺とマニュフェルノ、そして妖精メティウスが朝の一時を過ごしていたところだ。
「あぁ、気をつけていっておいで。……ってヘムペロ、カバンからパンがはみ出してるぞ」
「昼ごはんにょ! リオ姉ぇの焼いたパンを食べるにょ!」
相変わらず食い意地だけは人一倍のヘムペロに嘆息しつつ、俺はプラムの胸にぶら下がった水晶ペンダントを確認する。
何かあれば……と、もう何も無いとは思うが、ペンダントはイザというときのお守りだ。
「まぁいい……。ヘムペロ、プラムを頼んだぞ」
「にょほほ! 任せておくにょ、行くぞプラムにょ!」
「はいなのですー!」
プラムとヘムペローザはそう言うと、元気よく外へと駆け出していった。すぐに窓枠の向こうで、意味もなく跳ね飛ぶ二人の姿が見えた。
「元気。プラムちゃんは普通に元気ね」
マニュフェルノがお茶をすすりながら、テーブルの対面で微笑む。
今日は髪を下ろしていて、窓から差し込む光で金糸のように輝いている。
「あぁ、心配はいらないさ。それに……」
――この二人がついているしな。
俺は先ほどよりも落ち着いた二つの足音がする方に目を向けた。
「ぐっさん、いってきまーす」
「賢者さま、行ってきます!」
続いてイオラとリオラも顔を覗かせる。
同じく学舎の制服だが、14歳の二人はプラム達よりは大分大人びて見える。
イオラは髪を妹に直してもらったらしくアホ毛もなく整っている。
リオラは栗色の髪を両サイドで結わえていて……可愛い。
「久しぶりの学舎だな、友達とも会えるだろ?」
「はいっ」
「ぐっさんはいーな。勉強しなくていいからさ」
「そうか? 俺はむしろ学舎に行きたいがな」
「えー? 退屈なだけだぜ、勉強とか」
「イオ、遅刻するよ!」
ぎゅっ、と耳を引っ張られて、イオラは小さな悲鳴をあげながら妹にひきづられてゆく。
が、リオラはひょこっと顔を覗かせて。
「あの……賢者さま、私が居ない間……お屋敷の事、お願いします」
「リオラ、心配しなくていいよ。今日から村の『オバちゃん連合』が復帰して掃除と洗濯をしてくれることになっているのさ」
「は、はいっ」
リオラは安心したように微笑むと、イオラを引きずって登校していった。
「ふぅ、やれやれやっと優雅なお茶の一時を……」
――と。
「遅刻ちこく! みんな早いよねっ! ボクも久しぶりだから寝坊しちゃった」
ブハッ! と俺は茶を噴いて、マニュのメガネがずり落ちる。
「レレ、レントミア!? おまっ! が、学舎に行く気かよ!」
「驚愕。レントミアくん制服、キッタァアアア!」
拳を握り締めて立ち上がるマニュフェルノ。
「ググレおはよ! どう? 可愛い?」
俺の質問を完全にスルーして、男子制服に身を包んだハーフエルフが、澄まし顔で言う。
「かっ……! 可愛いとかそうじゃなくてな! ななな、何で行くんだよ!?」
何故に年齢不詳の大魔法使いが学舎に行かにゃならんのだ? もう組織も辞めたんだし、プラムの監視も必要ないだろう……。
「えへへ、ボクも学舎に行きたくなっちゃってね」
「ていうか女装、いや『レントミアの妹』設定はどうしたんだよ!?」
「あー、アレね、バラしたけど別に驚かれなかったよ? イオ君が白目剥いてたけど」
きゃはっ、と小さく笑って、駆け出すレントミア。
若草色の髪がふわりと舞って、軽やかに飛び出して皆の後を追ってゆく。
「ったく……。自由奔放なヤツだな」
それで済ませていいものか、甚だ疑問だが……。
「制服。かわいい……。私も、制服着たい」
マニュフェルノが目を輝かせて登校していく皆を見送る。その言葉はいつもの冗談ではなく、半ば本気のものだろう。
名も知れぬ隠れ里で幽閉されて育ったマニュは学舎に行く事はおろか、同じ年頃の友達さえ居なかったと聞かされたことがある。
妄想と空想だけが拠り所だったマニュフェルノを救い出したのは、魔王討伐の旅を始めたばかりのエルゴノートとファリアだったのだ。
「制服……。着るだけなら着てみればいいじゃないか。昼間は誰も居ないんだし」
そう言って俺は、広くなってしまったリビングを見回す。
キッチンと繋がっているこのリビングは、つい昨日までは溢れんばかりの大人数で、わいわいと一日中笑い声の絶えない場所だった。
エルゴノートは、いよいよネオ・イスラヴィアとの交渉や政治的案件とやらの対処の為に、王都メタノシュタットへ泊り込みになり、しばらくは戻ってこれないらしい。
ファリアは同じく王都で騎士団の戦闘師範としての職を頼まれて、引き受けたようだ。給金も出るし宿代と飯代ぐらいは払うさ、と意外とキッチリと義理堅い。ただしここから毎日通うのは大変だということで王政府が用意した宿舎に泊まり、三日に一度だけここに帰って来ることになっている。
ルゥはといえば、エルゴノートのお供として王都に上った時に知り合ったという「優しい貴族の未亡人マダム」に、絵のモデルを頼まれたでござる! と言い残して王都に行ったきり、、二日ばかり帰ってこない。
なんでも魔王大戦でルゥぐらいの息子と夫を無くした可愛そうなマダムだとか。いろいろと……大丈夫だろうか?
と、マニュフェルノがくくっ、と肩を揺らすのでぎょっとする。
「溜飲。……ググレくんと二人きり? くふふ。昼下がりのお屋敷で……私に制服を着せてしまうのですね……」
「うぁあ!? な、何言ってんだ! メ、メティウスも居るんだからな、な?」
かなり動揺してしまう俺を尻目に、メティウスがわざとらしくあくびをする。
「ふぁ、賢者ググレカス。私、なんだか眠くなってきましたわ……」
「ちょ!? お、おいっ!」
そう言うとメティウスはテーブルの横においてあった一冊の本に入ってしまった。
しばしの沈黙――。
ちちち、と小鳥のさえずりが聞こえてきた。
「…………」
「沈黙。これからどうしようか?」
マニュフェルノの優しい微笑にとくん、と鼓動が跳ねる。
今日は昼過ぎまでは二人きり……か。
いつもなら喜んで読書をして賢者エネルギーを蓄える所だが、今日はめっきり春めいて、外は暖かい日差しで満たされている。
折角のいい天気に家から出ないのもなんだかな。
「そうだマニュ、外を散歩しないか?」
「散歩。……うん! いきたい」
いつも引きこもり気味の俺達だが、流石にこんな日は外をふらついてみたくなる。
ローブを羽織り、館の外に出ると空気は思った以上に緩んでいて、頬をなでる風がここちよい。
「お、なんだかあっかいなぁ」
「春先。もうすっかり春なんだね」
深く吸い込んだ空気からは湿った土の懐かしい香りと、まだ咲いてはいないのに花の匂いさえするような気がした。
マニュの長い髪が春の風に揺られていて、メガネ越しにほにゃっとしたすこし下がり気味の瞳が俺を見つめている。
「散歩がてら、村まで行って買い食いして来ないか?」
「賛成。わたしも焼き菓子食べたい」
それは以前、プラム達と村の中心部で食べた野イチゴのジャムのクレープのことだ。
「よし、じゃぁ今日は二人でその……」
「逢引。デートですね?」
「でっ!? ……ま、そうだな」
そういうことにしておこう。
二人だけの時間というものはとても大事だぞッ! と、俺の心の師匠、エルゴノートが青空の向こうで親指を立てて白い歯を輝かせていた。
俺はエルゴノートの助言のお陰で自分の中の気持ちや、館の皆との関係を見つめ直して整理することが出来た。プラムの事が落ち着いて、考える時間が出来たかもしれないが。
――こんな時間を、大切にしていくんだ。
白い指先をもじもじとさせているマニュの手を、俺はそっと掴んで歩き出す。
「こ、転ばないように、だからな」
「感謝。ありがとググレくん」
マニュフェルノが嬉しそうに微笑むのを見て、俺はようやく自分の気持ちと向き合う覚悟を決める。
いや、本当は気が付かないフリをしていただけかもしれない。
俺は――たぶん、マニュの事が好きなんだ。
どこか残念で、いつも何かを探していて、自分と何処となく似ていて--。
そんなマニュフェルノが気になるのだ。
--無論、そんな恥ずかしいこと言える訳も無いけどさ。
「行こう。花の一つぐらいは咲いてるかもしれないし」
「幸福。なんだか……嬉しい」
優しく微笑むマニュの指先は温かく、自然と指先が絡みあう。
それは、うららかな春の日の事だった。
<章、完結>