夢の終わりにただいまと
「ググレさま、寝ちゃうのですー?」
「何かあったらおこしてくれ……」
俺はふわふわとしたプラムの夢の世界で横になった。羽毛布団に寝転がった時のような感触に包まれて、自然とあくびが出る。
他人が見ている夢の中で眠るとどうなるのか? というのは多分に哲学的な問題のような気もするが、眠いので今はどうもでいい。
プラムは俺の傍らに腰を下ろすと、しばらくの間しげしげと顔を眺めていたが、やがて飽きたのか俺の頭を撫でてみたり、頬を指でつついてみたりとちょっかいを出してくる。
「……プラムも寝ればいいだろう? ここに引き篭もるつもりだったんだからさ」
「うー……」
俺はそう言って寝返りを打つ。
どうやらプラムはこの世界に閉じ篭るつもりだったのだろうが、やはり引き篭もる事に関しては俺のほうが一枚上手のようだ。
と、プラムの顔が間近に迫る。両手をついて何かを言いたげに眉を曲げている。
「ググレさまは、どうしてプラムを叱らないのですかー!?」
「……どうしてって?」
「だって、みんなを好きなのに要らないって思ったり……。ググレさまは皆のググレさまなのに、プラムだけのものにしたいって……思ったり」
プラムは頭を垂れたまま、戸惑いながらも自分の想いを確かめるように、ゆっくりと気持ちを吐露してゆく。
俺は長い赤毛が肩口でさらりと揺れて頬へ流れるのを、ぼんやりと見つめながらその言葉を聞いていた。
「叱らないよ。俺だって同じようなものだからな」
「ググレさまも同じ……、なのですかー?」
緋色の瞳を瞬かせて、顔を傾げる。
「同じだよ。みんなと仲良くしたくて、全員大切で……。多分それは身勝手でわがままで、欲張りな事かもしれないけれどな」
俺は片手を伸ばして、プラムの頬に触れた。柔らかなほっぺたを手のひらで包み込むように包む。
「プラムと同じ、なのですかー?」
「覚えていないのか? 今日、魔法の薬で生まれ変わったんだぞ。だから、プラムはもう皆と何も変わらない普通の人間なんだ」
「……じゃ、じゃぁ大人に、大人になれますかー!?」
プラムの唐突な言葉に、俺は目を細める。
そうか。閉ざされたと思っていた未来への道が今日、開かれたのだ。
「なれるさ! ご飯を沢山食べて、皆と学舎に行って、そうすればきっと、背も延びて胸も大きくなって大人になるぞ!」
「わ、わかりましたのですー!」
ぱっと春の陽射しを思わせるような笑みを浮かべる赤毛の少女に俺は静かに微笑み返す。
「ググレさま! プラムは、皆のところに帰りたいのですー!」
立ち上がり、飛び跳ねるようにしてプラムが言う。
「もういいのか? ……帰るのはいつでも出来るだろ? もう少し、ゆっくりしていってもいいんだぞ?」
俺は少し意地悪く言って、あくびをして見せて今度こそ本格的に寝転ぶ。
「やっぱりプラムは、みんなに逢いたいのですよー!?」
ぐいぐいと俺の肩を揺らすプラム。うるさいなぁ……。
――ぽんっ!
突然、目の前に小さな「芽」が生えた。
お? と思う間もなくその緑色の双葉は俺を中心にぽん、ぽぽん! と生えて緑の葉を広げ始める。
「お、おぉ……!?」「ふわぁ!?」
驚く俺達の周りは一面緑色のじゅうたんに変わり、そして葉の中心からはピンクや白、水色の様々な色の花が弾けるような勢いで咲き始めた。
――ヘムペローザの蔓草魔法か!
そして花の隙間からは、キラキラとした光を散らしながらチョウが舞いあがった。
「わ! チョウなのですー!」
プラムが反射的にチョウを追って駆け出す。
――なるほど、メティウスも魔力で干渉し始めたのか。
どうやら予告した一刻を過ぎていたのだろう。外では、レントミアが俺とプラムに魔力糸を繋げて、プラムの意識化へ働きかけているのだろう。
プラムがチョウに導かれるように駆け出すと、いつの間にか、いい香りが漂ってくることに気が付いた。それは焼きたてのパンの香りだった。
ぐぅう、とプラムの腹が鳴ると、こちらを振り返り、照れたような顔をする。
おそらくイオラとリオラが焼きたてのパンの香りで釣ろうとしているのだろう。
「ほぁ……? いい香りなのですー……。プラム、もう、お腹ペコペコなのですよー」
「はは、お陰で俺達は大変だったんだからな。じゃぁそろそろ起きようか」
「はいなのですー」
俺はプラムの手を握った。
世界が徐々に明るさを増して、覚醒へとむかってゆく感覚に包まれる。静かだった世界から一転、意識がぐんぐんと明るくて煩い場所へと昇ってゆくのがわかった。
――やれやれ。とんだ冒険をしてしまったな。
俺が溜息をつきながら、プラムの横顔を眺めた時。
突然頭上に暗雲が立ち込めて、バリッと雷のような放電が奔った。
青い雷光は徐々に集まり、俺に向かって蛇が這うように迫り始めた。
「え!? ちょっ……!」
「きゃわー!? ググレさまー!」
『はっは! 気付けには、これが一番だぞ!』
飄々とした声が雷鳴に混じって聞こえてきた。
――エ、エルゴノート!?
パリパリッと青白い放電が迫った瞬間――
「――やめろばかぁああああ!?」
俺は、がばっ! と立ち上がった。
はぁはぁ!? と荒い息は自分のもので、立っている場所は……さっき寝ていた寝台の上だ。
プラムも目が覚めたらしく、きょろきょろと辺りを見回している。
「プラムにょぉおおっ!」
「へむぺろちゃんっ!」
二人はしっかりと抱きあった。
「よかったねプラム、ヘムペロ!」
「ぐっさんも黒コゲにされる前に目が覚めてよかったな」
リオラとイラオのいつもの笑顔に、俺はやれやれと苦笑で返す。
プラムとヘムペロの微笑ましい光景をよそに、俺は全身汗びっしょりだ。
苦々しく睨む先には、ニヤニヤとした笑みを浮かべた勇者、エルゴノートが立っていた。
「ほら俺の言ったとおりだろう? 目を覚まさせるには、これが一番なのさ」
パリッ、とエルゴノートは指先から電撃系の魔法の光を放ってみせる。
どうやら用事を終えて帰ってきた所だったようだ。
ルゥは何が起こったのか理解しかねるようで、きょろきょろと「?」を頭の上に浮かべている。
「エルゴノートおまっ! そんなもん喰らったら死ぬだろうが!?」
「はは! 何を言う。ググレはこの程度では効かないだろ?」
とんでもない事を気軽に言う脳筋勇者。
寝ているときに喰らったら、おそらく別の世界におれは逝くことになるだろう。
「きゃはは! ググレの顔がおかしー」
「まったく、お前まで眠ったきり起きないからな。丁度帰ってきたエルゴと、どうやって起こそうかと相談していたのさ」
レントミアとファリアがお気楽な様子で笑っている。
「お、おまえらぁなぁあああ!?」
「安堵。プラムちゃん、よかった……」
「プラムさま、賢者ググレカス! ご無事で安心しましたわ!」
マニュフェルノとメティウスは本当に嬉しそうに俺を迎えてくれた。
まぁ、今回は寝てプラムとおしゃべりをして来たただけなので、たいして苦労もしていないのだが……。
そんな事を逡巡する俺の手を、プラムの小さな手がそっと掴む。
「ググレさまー」
「ん?」
「おはようで、ただいま、なのですー」
にこりと、音がしそうなほどの微笑を俺に向ける、プラム。
「あぁ、おかえり!」
気がつけば嵐はいつの間にか終わっていた。
窓の外には大きな月が白い光を放っているのが見えた。
こうして――
プラムは普通の人間として、新しい一歩を踏みだした。
<つづく>