春の嵐
翌朝は雨だった。
昨日とは打って変わり、窓から見える空は灰色で、空からは小さな水滴がパラパラと落ちてくる。
俺は眠い目を擦りながら寝台から身を起こし、眼鏡をはめて窓の外に目線を向けた。
厚く垂れこめた雲から降りしきる雨ーー。
村の風景も白く煙っている。雨粒は地面の水たまりで休む間もなく新しい波紋を作っている。
皆ではしゃぎまわった庭では、石積みのオーブンがぽつんと雨に打たれていた。
この時期の雨は芽吹きをもたらす精霊の加護だと、村の古老は言う。
「春の雨……か」
そうひとりごちるが、俺の気持ちは天気とは反対に晴れ晴れとしていた。何故なら、ここ数カ月の懸案だった一大事業が遂に完成したからだ。
枕元に置いた小瓶の中に見える丸薬は、プラムの根本的な治療薬だ。
治療とはつまり、人造生命体であるプラムの身体の仕組みそのもの、つまり細胞内の「竜人の血」で造られている「核」を遺伝子レベルで置き換えるという作業を、膨大な魔法術式で行うものだ。つまりこれは薬の形はしていても、数多くの魔法術式を結晶化したものだ。
レントミアがメタノシュタットの魔法商店街に何度も足を運び買い揃えてくれた魔法の品々――輝石や宝石、薬草、珍しい動物の骨などといった物――は全て、本来は形としては存在しない魔法の術式を固着させることで「実体」として留めておく為の触媒で、選ぶにも買うにも経験がいる。
プラムの治療方法への道筋は俺が考えたものだが、具体的にどんな術式と材料が必要かという事に関しては、魔法の知識に長けたレントミアが一緒に考えてくれなければとても無理だったろう。
俺はその知恵に従って具体的な術式を組み立てていったに過ぎない。
それも、検索魔法といういわば「知識のチート魔法」の力を使い、本来自分が知り得るはずもない超古代の魔法文明の知識の断片を集めて組み上げたものだ。
もちろん合成過程には膨大な手間と、時間がかる。
俺一人でやっていたのでは数カ月はかかったであろう仕事を、レントミアと妖精メティウスのおかげでわずか一週間ほどで終えることが出来たのだ。
妖精メティウスは疲れ果てて、俺の秘蔵の本の中で眠っている。
しばらくそっとして置いてあげよう。
「ん……、おはよググレ、もう起きるの?」
隣で寝ていたレントミアが寝返りを打った。
――って、レントミア!?
「そっ……!? そろそろ俺は起きるよ……」
思い出した。夕べ、薬が完成した喜びの勢いで一緒に寝てしまったのだ。
確か二人で「製造工程の再確認をしておこう」ということになり、戦術情報表示を浮かべてこの部屋で二人で見ていたのだが、すぐに眠くなり……ごく自然な流れで寝台で一緒に……寝落ちしたらしい。
別にそれだけの事だしよくあることだ。別に何も問題は無い……よな。うん。
ハーフエルフがすこし寝ぐせの付いた髪のまま、もぞもぞと毛布の中から可愛い顔を覗かせる。
「……ここからの二度寝がね、最高なんだけどなー……」
レントミアがまだ眠そうな目で、ぼんやりと俺を見つめている。
気が付けば寝台の中ではしなやかな脚が、俺の身体に触れていてほんのりと温かい。
確かに今朝のように少し寒い朝は人肌で暖まりながらまどろむのは最高だろうが……。友人の誘いとはいえ、ホイホイと一緒に寝ている場合ではないのだ。
「リオラと一緒に朝ごはんの支度をする約束をしていたんだ。それに……プラムに完成した薬を飲ませなきゃならん」
「もぅ、ググレはお仕事熱心だねぇ……」
「なんとでもいえ。だけど……恩に着るよレントミア」
兎にも角にも、俺の師匠であり友人のハーフエルフには言葉では言い表せないほどの感謝の気持ちで一杯だ。
けれど男同士の友人の場合こういう時、感謝の気持ちをどう表現すればいいのだろう?
頭を撫でる……のはおかしいし、仕事完了だねと握手するのも……なんか違う。エルゴノートのようにハグや頬にキスの真似なんかは更にありえない。
――無言でゴツンと拳をぶつけあうって感じでもないしな……。
こんな風に検索魔法で調べられない事だって世の中にはあるのだ。
結局俺は何も思いつかないまま、俺がしたことは毛布の中に埋もれていたレントミアの小さな手をそっと握り、感謝の気持ちを伝えるだけだった。言葉を交わさないまま、指先で触れあう。
「どういたしまして、ググレ……」
レントミアはそういうと、丸くなって寝てしまった。
気持ちは伝わったのだろうか? ともあれ、完成した「魔法の薬」は俺の手の中にある。夕べは効果を確かめる為に様々な実験も行ってみたが結果は上々だった。
――よし。
と俺は勢いよくベットから飛び起きると、階下のキッチンを目指した。
◇
その後しばらくして、館に居る全員は起きて身支度を整え、今はそれぞれの時間を過ごしている。
エルゴノートは今日も王城へ行くと言い、雨の中、愛馬である白王号で向かっていった。今日はルゥもお供をするということで一匹の馬に二人が乗馬しての出発だ。
馬は村の馬屋に預けていたが、エルゴとの再開を喜んでいるようだった
エルゴノートは後ろからルゥを抱くようにして馬に跨ったが、巨大な白馬は二人分の体重をまったくものともしていない。
彼らは俺たちが朝食を食べ終わる頃には、メタノシュタットの王都に向け出発していった。
おそらく例のネオ・イスラヴィアの一件だろう。面倒ごとが起きそうな予感がするが……。
俺はそんな事を頭の隅で考えながらも、プラムへの投薬の準備を始めていた。
雨の日のファリアは暇そうで、キッチンでイオラとリオラと楽しそうに話をしている。
聞こえてくる会話からは、どうやらパンを焼く手伝いをするらしかった。平服にエプロン姿の女戦士の様子は新鮮で思わず見とれてしまう。
イオラとリオラも楽しそうで、一見すると姉とその妹と弟と言った風に見える。
ファリアは故郷のルーデンスに何人か妹と弟が居るらしく、ルゥをはじめ、ああいう年頃の取り扱いも心得ているのだろう。
レントミアは起きて朝ごはんを食べた後、館の二階の廊下の突き当たりにある窓辺でぼんやりと外を眺めていた。
窓辺で物憂げに外を眺める細身のハーフエルフという構図は、雨で灰色にくすむ外の景色が美しい緑色の髪と瞳を引き立たせていて、まるで一枚の絵画のようだ。
俺と目が合うと照れたような笑みをこぼした。
俺はとえいば、その脇を通りすぎた自分の部屋にプラムとヘムペローザを呼び寄せて、薬を飲ませようとしているところだった。
薬の説明をプラム以上に真剣に聞くヘムペローザは、プラムの顔を心配そうに見つめている。
今朝からどことなく上の空で、元気の無いプラムに薬と水を渡す。
「――と、いうわけだからプラム、これを飲めば赤いお薬を三日に一度飲まなくてもよくなるし……ご飯を食べる分だけ大きくなれるんだぞ」
「……はいなのですー」
毒ではないことを自分自身で証明するため、俺はまず自分で飲んで見せた。
もちろん俺自身に「竜人の血」は入っていないので何の効能もないが。
「飲みなさい。これには俺やレントミア、そしてメティス。ううん、それだけじゃない。イオ兄ィやリオ姉ぇ、マニュにファリア、みんなの気持ちが全部はいっているんだ」
竜人の里への旅や、さまざまな出来事が頭をかすめてゆく。
プラムは静かに頷くと、こくんと一息に薬を飲み干した。
これで全てが、うまくいくはずだった。
「副作用は、微熱が出る程度だと思いますわ」
「待機。わたしもいるから心配しないで」
館には俺やレントミア、そして頼もしい妖精メティウスや、治癒魔法の使い手、マニュフェルノがいるのだ。
飲んだ後も昼も、プラムは元気で、何の変化も内容に見えた。
生命反応は俺が魔力糸で直接プラムを監視している。体温の若干の変動は確かにあった。
夕方になると雨は益々激しく降り始め、時折叩きつけるような雨が窓に吹き付けた。
それは、春の嵐のようだった。
ガタガタとゆれる窓に、プラムとヘムペロは、少し不安げな顔を見合わせた。
だが、館には俺やファリアにレントミア、他にもたくさんの頼もしい面々がいるのだ。
「なにも心配はないよ」
そう言って頭を撫でてやると、プラムは安心したような笑顔を見せて頷いた。
プラムはいつもどおりに笑い、食べて、おしゃべりをして。
それで今日は終わるはずだった。
――けれど。
プラムはその夜、昏睡状態に陥った。
<つづく>