楽しい時間は矢のようで
賢者の館の広い庭の一角では、石を積んだ簡易オーブンが煙を上げていた。
イオラとルゥが金属の串に刺した肉をくるくる回しながら焼き、肉が焼けるとリオラが皆に配ってゆく。とはいえ肉ばかりだと飽きるので、貰った野菜で包んだり、朝の残りのパンも食べたりする。
途中でマニュフェルノが試作したという白濁したドロリとした食べ物を振る舞う。
皆一様に一瞬無言になるが、何の躊躇いも無く口に入れたプラムとヘムペロが、ほぉ!? と顔を見合わせる。
「マニュ姉ぇのこれ、甘くて酸っぱくて美味しいのですー!」
「乳を発酵させた……食べ物かにょ?」
ヘムペロの言うとおり、それはマニュフェルノの新しい魔法の力「発酵」による即席のヨーグルトだ。
「牛乳。発酵させたものですけど……」
少し不安げに皆を見回すマニュ。俺はすかさずフォローを入れる。
「異国ではよく食われているヨーグルトってやつさ。身体にいいんだぞ!」
俺がそう言うと「異国で食べたのより美味しい!」というファリアやエルゴ、冒険者の面々の言葉にイオラやリオラも納得した様子で食べはじめる。
「お前の拘りのひと品、売りだしたらいいんじゃないか?」
冗談めかして傍らのマニュに言うと、まんざらでもなさそうな顔をする。
「将来。ここで小さなお店をひらくの。私の本と……乳製品。それはささやかな夢です」
「つか、俺の館で並べて売る気かお前は……」
そうしている間にも肉は次々と焼き上がる。
使っている薪にも実は拘っていて、桜に似た花を咲かせる広葉樹の木を使っている。そうすることで程よくスモークされ香ばしさが増すからだ。
皆もひとしきり食べたようで、気が付けばウサギの肉はほとんど無くなっていた。
エルゴノートとファリアは肉を食べ終えて、なんと骨を石で割ろうとしていた。
「骨の髄は食えるか」「いや生はダメだ!」と底なしの議論を繰り広げている。すっかりグダグダ感が漂っている。
ルゥは二人の横で大人しく座って太い骨をしゃぶっている。犬か……とツッコミたいところだが、拙者犬でも猫でもござらんよ! と怒るのでやめておく。
そうこうしているうちに、エルゴノートのところにプラムとヘムペロが駆け寄って何やら囁くと、エルゴノートは2人を腕にぶら下げてくるくると回り、人間メリーゴーラウンドをして遊びはじめた。
きゃっきゃっ! とはしゃぐ声が館の庭に響く。
双子の兄妹もその様子を羨ましそうに眺めていた。すると「次はおまえたちだー!」とエルゴがなんとイオラとリオラを捕まえて、左右の腕の上腕筋で吊り上げた。
「うそだろ!? すげぇ!」
「勇者様すごぃいっ!」
ぶおんぶおんと豪快に振り回されて、二人も歓声を上げる。
「はーっ、はっは! 肉パワーを思い知れっ!」
「なんの! 私とてそれぐらい出来るわ! 来いルゥ!」
「にゃ!? なぁあああああ!?」
ファリアがおもむろにルゥローニィの両手を握り、大回転を開始した。回転はどんどん速くなる。白目をむき始めたルゥは遊んで貰っているというより、殺人的な投げ技をかけられている人みたいだ。
「アホのビッグダディかお前らは……」
流石の俺もエルゴノートとファリアの無尽蔵のパワーと底なしの明るさに呆れ顔で笑う。
そんな楽しいひと時を過ごしていると、いつの間にか日差しは傾いて風も出てきた。
「さて、そろそろお開きだな……」
俺がそんな事を言うまでもなく、リオラはイオラを伴って使い終わった皿を集めて後片付けを始めていた。
「上昇。女子力ステータス!」
と、謎の気炎を上げていたマニュフェルノも片づけを手伝っている。リオラひとりに働かせるのは気が引けるのだろうが、あまり役に立っていないようにも見えるが……。
まぁ俺も、後で油汚れがよく落ちる泡を出しに行ってやらねばな。
そんな事を考えていると、メティウスがふわりと飛んできて俺の肩に乗った。
「賢者ググレカス、皆さん美味しそうに食べていて、楽しかったですわね」
「でも……メティウスは食べられなくて、辛くなかったか?」
妖精は食べ物を口にしないので、見ているばかりだったのだが。
「いいえ。賢者ググレカスがお肉を食べると、魔力もお肉の味がしますのよ」
羽を休めるメティウスが前髪を手で整えながら、すました顔で言う。
「え……!? ホント?」
「嘘です。うふふ」
なんと妖精の冗談だった。俺は思わず噴出して眼鏡越しに小さな顔を眺める。
そういえばメティウスの面倒を見てくれていたレントミアは、少しの肉と沢山の野菜を食べ終えると、フラリと何処かに行ってしまった。
大人数の場になると最初は楽しそうにしていても、そのうち少し離れた木陰や、馬車の屋根の上など、静かな所に消えてしまうのがハーフエルフのレントミアのクセだ。
だが、そういう気持ちはよくわかる。それが俺とレントミアが気の合う理由だろうが。
俺自身、学舎ではひとりで本ばかり読んでいたし、冷たい石で出来た建物の四角い教室は好きじゃなかったしな。……あれ? 違うな「学校」だ。
――と。
ごぅ、と冷たい風が吹き抜けて、常緑の針葉樹の梢を揺らす。
春が近いとはいえ、メタノシュタットではこの時期天候は急速に変わることもしばしばだ。
白と灰色の雲が、駆け足で空を流れてゆく。
「……プラム、ヘムペロ、寒くなる前に家に入ろう」
俺はそう言って声をかけると、待ってましたとばかりにヘムペローザがダッシュで俺の腰にしがみついてきた。
俺の懐で黒髪がふさふさと揺れて、腹の辺りがくすぐったい。
どうせ顔に付いた肉の脂を拭くつもりだな!? と、頭をワシずかみにしてやる。するとヘムペローザはにゃはっ! とくすぐったそうに身をよじって、明るく笑い声をあげた。
「賢者にょ、肉! 美味かったにょ! こんな美味しいのは初めてだにょ……」
「そうか……。たぶん、皆で食べたからだろうな」
「とっても楽しかったにょ!」
俺の服を両手で掴んだまま、黒髪の少女が目を輝かせてつま先で跳ねる。
考えてみれば転生後のヘムペローザは貧しい孤児院暮らしで、貧相なものしか食べていなかった。野生の味の肉でもわいわいと皆で食べれば美味しいのだ。
「プラムにょも沢山食べ……あれ?」
「おーい、プラム?」
俺はヘムペロを伴って、プラムを探す。
――いた。
よく目立つ赤毛の少女は食べ残しの肉を串に刺して、もう一度火であぶりながら、パチパチと薪がはぜる音を聞いているようだった。
――食べ終わったら……楽しい事が……終わってしまうのですね……。
そう呟いたプラムの顔は、どこか寂しげだった。
それはたぶん肉が無くなってしまうという意味ではなく、祭りが終わると思った瞬間に感じる喪失感と、寂しさ混じりの感慨のだったのではないだろうか?
「プラム、おなか一杯食べたか?」
「あ、ググレさま……。美味しかったのですよー」
くるくると棒の先の肉を火であぶりながらプラムが目を細める。口の横についた脂がアホっぽいので、指の背でウニウニと拭いてやる。
「プラムは楽しい今が、ずっとあればいいなー、なのです」
ぽつり、と小さな背中から零れた言葉に、俺は困惑する。
幼い横顔に、ほつれた赤毛がかかっている。
プラムは何かを感じ取っているのだろうか? それはエルゴノートがネオ・イスラヴィアへ向けて旅立つであろう予感なのか、ファリアやルゥが再びここから旅立ってゆく気配なのか。
それとも――
「……そうだな。たぶんずっと、これからも楽しいさ」
俺は勤めて明るく言う。
プラムは朱色の大きな瞳で俺をじっと見つめてくる。
「そうなのですかー?」
「あぁ。もちろんさ!」
「行くにょ、プラム。寒くなってきたにょっ」
俺達は三人で手を取って歩き出した。
再び吹き抜けた風に思わず振り返ると、燃え尽きた薪がカサリと崩れ、灰が静かに風に舞った。
◇
「できた……!」
「やったね、ググレ!」
「お疲れ様です、賢者ググレカス!」
その夜、俺達はついに「プラムの治療薬」を完成させた。
魔力糸による単純毒性の検査、『竜人の血』単体に対する効果の確認。そして、極小の隔絶結界内で合成した植物と『竜人の血』の合成生物に対して投与を行い、その『核』の置換と再生実験――。
全ての確認が終わったのは深夜も過ぎてからだった。
だが、これで……。
「明日の朝からプラムに投与を開始できる……!」
俺は出来あがったいくつかの丸薬が入った瓶を握りしめて呟いた。
<つづく>