イスラヴィアの廃王子、エルゴノート
「ググレカス、君は……新生イスラヴィアの噂を聞いたことがあるかい?」
「……新生イスラヴィア?」
勇者エルゴノートの問いかけに、俺は反射的に眼前に浮かべた検索魔法に視線を走らせた。
瞬く間に、千年図書館に眠る書籍から、該当の文字列を含有する本のページだけが抜き出されて集まってくる。それは知識という光の粒子が俺に向けて集まってくるようなイメージだ。
賢者の魔法の核心とでも言うべき検索魔法は、本の形でなくても、手紙、石版、羊皮紙、兎に角「文字列」として、この世界に存在していた事があれば見つけ出すことが出来る。
もちろん複数のワードを組み合わせなければ無駄な情報も拾ってくるので、絞り込むにはコツが必要だが……。
と、目の前に目的とする情報が浮かびあがった。
「――魔王軍により攻め滅ぼされたイスラヴィアにおいて、生き残った国民が一つに再び纏まることで築き上げたられた新興国家。魔王デンマーンが討ち取られ魔王大戦が終結したとされる一年前、ザウザウト・ヨルムーザが生き残った国民をある種強引な手法で一つに纏め上げ、新生・イスラヴィアと周辺国家に名乗りを上げる形で樹立された。長らく君主国家であった旧イスラヴィアとは異なり、社会体制はザウザウト・ヨルムーザを首領とする共和国制を敷いているとされ……」
俺はそこまで口にしたところで一度エルゴノートの様子を伺う。
精悍な顔立ちの勇者は、静かに俺の言葉に耳を傾けていたが、砂漠の民特有の赤銅色の瞳に光を滾らせて苦笑混じりに頬をかいた。
「はは……。まったく俺とした事が。世界を知り尽くした賢者である君に、知っているも何も、愚問とはまさに事だな」
「買い被りすぎだよ。……俺はこうして尋ねられて初めて世界を知ることが出来るだけさ。知識自体を持っているわけではない。それに……エルゴがいう噂とやらは調べられないさ」
「いや、ググレの今の言葉で十分さ。その新国家とやらが俺を探している、という噂だからな」
エルゴノートが軽い調子で肩をすくめて、やれやれと鼻からフンと息を漏らす。
「エルゴノート……? まさか、その新生国家から……君は」
「あぁ。お尋ね者扱いさ。既に王子を廃業したというのにな。今更こんな廃王子に何の用なのかは知らぬがな」
「そうか、現政権にとって君は……」
俺はそこまで言いかけて、再び検索魔法で踏み込んだ検索を行う。思いついたキーワードを加え、情報を絞り込んでゆく。
俺は、難しい顔のまま、顎を指先で支え近くの椅子に腰掛けた。
エルゴノートが座るリビングの椅子の丁度対面に腰掛けて、マニュが入れてくれたお茶を飲みながら、徐々に冴えてくる頭で情報を整理する。
イスラヴィアは言うまでもなくエルゴノートの生まれ故郷の国の名だ。
砂漠の多種多様な部族が集まって数百年前に築き上げた「砂漠のオアシス国家」で、メタノシュタットから西に伸びる砂漠の交易路を支配し、更に西方の国々との交易により繁栄し、精強な軍隊を有する城塞都市国家だった。
かつての魔王大戦では、『魔王の城』ディカマランに程近かった為に、溢れ出した魔物の群れに十分な対応が取れないまま蹂躙され滅ぼされてしまった。
その当時、17歳になったばかりの王子であったエルゴノートも国軍と共に先頭に立ち、奮戦するも多勢に無勢。魔王の軍勢の前に力及ばず瀕死の重傷を負ったところを、愛馬である白王号に救い出されたのが世に言う「勇者エルゴノートの冒険」の導入部となる。
王族として只一人、魔王軍の包囲網を突破して生き延びたエルゴノートは燃え落ちてゆく王都の光景や人々の悲鳴を胸に刻みつけて血の涙を流し、復讐を決意したといわれている。
そして――、そこから3年にも及ぶ魔王討伐の長く苦しい戦いへと続いてゆくのだ。
俺が情報を探している間、マニュフェルノはじっと俺とエルゴノートの会話に聞き入っていた。
いつもは軽口ばかり言いながら俺に話しかけてくるマニュだが、今はそうではないようだ。だがいつの間にか手には濡れタオルと櫛をもっていて、どうやら俺の顔と髪をどうにかしたくてウズウズと待っているらしかった。
と、エルゴノートが独り言のようにつぶやく。
「ググレ……。俺としたことが愚かなことさ。君に最初に相談するべきだったさ。昨日は、先日のクエストの報酬を受け取りに行っただけのつもりだったのだがな……。血相を変えたメタノシュタット王やら、王政府お抱えの歴史学者やら社会研究学者、そして政治の専門家とやらに、大変だ勇者殿! などと泣きつかれて執務室に連行され、そして当事者として俺の意見を求められていたのさ……」
一息にまくしたてると、はぁ、と息を吐き出して憂鬱そうな顔でエルゴノートが机に頬杖をつく。男前の大男はテーブルで物憂げにしていても絵になる。
先ほど遊んでもらっていたプラムとヘムペローザは、難しそうな「大人のお話」の気配を察してか、リビングの隣に続く、キッチンのほうへと逃げてしまった。
「――ネオ・イスラヴィアの現国家元首、ザウザウト・ヨルムーザからの正式なエルゴノート身柄引き渡しの要求……か」
検索魔法が辿りついたネオ・イスラヴィア関連の資料の中にそれはあった。
「あぁ……。さすが、ググレカスだ。その通りさ」
――国家騒乱に乗じ、国外逃亡を図った王族の生き残りである旧・イスラヴィアの第一王子エルゴノート・リカルの身柄引き渡しを要求する。
おそらくそれは、現国家元首となったザウザウト・ヨルムーザが、自らの政治基盤を磐石の物にする為の策謀だ。
ある日、生き残りの王子――それも、勇者として世界を救った英雄となった――が、凱旋すれば国民は間違いなくエルゴノートを熱狂的に受け入れるだろう。
廃墟から国を復興させ、そして折角手に入れた国家元首としての地位を、ザウザウト・ヨルムーザは手放すことになるのを恐れているのだろう。
「だが、メタノシュタット王政府は渡す気など無いのだろう?」
「らしいな。『世界を救った六英雄』を国家の中に囲い込んでいるというのは、このメタノシュタット王国が周辺国に対する優位性を示す上では絶好の道具だろうしな」
滅多な事では口にしないような、政治的なことを口にする勇者を見て、俺は気がついた。
「むこうも、本気で引き渡すとは思っていないな」
「……というと?」
「引き渡し要求というのは建前さ。本音は『戻ってこないで欲しい』さ。小心者の考えそうなことさ」
口元でへらっと笑って見せると、エルゴノートは目を丸くして、そして豪快な笑い声を立てた。
「ははは、さすがググレだな! 深謀遠慮いや、相手の考えまで見抜けるのか」
「いや、そういう訳じゃないのだがな」
苦笑を浮かべていると、
「洗顔。ググレくん、難しい話はさておいて、とりあえず顔拭こうか?」
「お? ふぷっ!」
背後に忍び寄ったマニュフェルノが、熱い湯で湿らせたタオルを俺の顔に当てがってごしごしと擦る。
「メガネ! メガネ!」
「眼鏡。それは身体の一部です。それにググレくんは『賢者さま』なんだから身だしなみ大事」
その声色は明るく俺の反応を楽しんでいるみたいだ。
後ろからぐりぐりと拭いてくれるのはいいのだが、せめてメガネは外してからにしてほしい。
「寝癖。アホ毛も直さないと」
「じ、自分でできるってば」
「委任。わたしにおまかせ」
と、そのままタオルで頭も拭いてくれて、マニュが俺の髪に櫛を通してくれる。
恥ずかしくて思わず赤面していると、エルゴノートが面白いものでも見るような顔つきで俺を茶化す。
「そうだぞググレ、俺は身だしなみには気を使ってるぞ。それが女の子にモテるコツさ。あぁそうだ! 俺のモテモテ香水も貸してやろうか?」
「い、いらんわ!」
エルゴノートがつけている香水は近づいたりすれ違うと僅かに香る程度だが、曰く『女性にとっては忘れられなくなる香り』なのだとかで、効果は抜群らしい。特に抱きしめてあげたときの効果が倍増(?)するとからしいが……、俺には縁がなさそうだ。
エルゴノートは俺達の中で全ての意味において大人で、旅の途中も異国で過ごす夜ともなれば一人、ふらりと歓楽街に繰り出すような「大人の男」なのだからごく当たり前の話かもしれないが、俺にとってはまさに「異世界」の出来事だ。
そんな会話を交わしながらリビングで時間を潰していると、不意に実験室の方から声がした。
「――もう! なんなのさキミはっ!」
それは珍しく声を張り上げたレントミアだった。
少女のような見た目のハーフエルフは、普段はあまり多くを語らず、俺以外とは積極的に話すようなタイプではない。そんな人見知りの激しいハーフエルフの怒ったような叫びに、エルゴノートもマニュも驚いたように顔を見合わせる。
「レントミア……!?」
俺は反射的に立ち上がり、実験室へと駆け出していた。
<つづく>