静かな朝と、予兆と
じりっ、と顔に当たる日差しが眩しくて、俺は目が覚めた。
窓にはカーテンなんてものは無いので、陽が昇れば容赦なく窓から光が差し込んでくる。昼までは寝ていようと思っていたが、これでは寝られそうもない。
ファリアの寝ていたベットに転がり込む格好になった俺は、それでも大分ぐっすりと寝ていたようだ。
今はまだ昼前だろうか?
寝床のなかは鼻をくすぐるいい香りがして、もう少しここに潜り込んでいたくなる。毛布の中で丸くなりながら、そんな事を考えていると、
「賢者さま、おはようございます」
不意に近くで声がして、俺は驚いて毛布から顔を出し、目をこすった。
息がかかるかほどの距離にリオラの顔があった。
卵形の輪郭にぱっちりとした二重のまぶた、光を受けて鳶色に見える丸い瞳で俺そっと覗きこんでいる。
窓から差し込んだ光が、空気中の塵とリオラの髪をキラキラと輝かせている。
「……リオラ? おはよ」
「お疲れなんですね。ぐっすりでしたよ?」
くすり、と微笑んで頬にかかる髪を指先で耳にかきあげる。その仕草がとても可愛らしくてドキリとする。
「あ、あぁ。でも、そろそろ起きるよ」
「いえいえ。ごゆっくり。でも……、洗濯物だけもらっていきますね!」
そう言うと、引き攣った笑顔を浮かべて、俺の被っている毛布や頭の下の布きれを引っ張りはじめる。
「え? ちょっ……!?」
「これ、洗 濯 物 ですからっ!」
リオラが半ば無理やり引き剥がした布切れを見て、俺はようやく理解した。それはファリアの脱ぎ散らかした服と下着だった。
「なぁあああっ!?」
俺はファリアが脱ぎ捨てた服と下着に埋もれて爆睡していたのだ。
「あ、気にしないでください。私……平気ですから」
にっこり――。
微笑むリオラの瞳は、凍りつくように冷たかった。
◇
「わぁ、エルゴさまは力持ちなのですねー!」
「にょほほ! すごいにょ!」
「はっはっ! ほぉら!」
俺がフラフラと屍のような感じでリビングに行くと、エルゴノートがプラムとヘムペローザ相手に遊んでいた。
もりっとした筋肉の浮き出た両腕に二人のチビッ子をぶら下げて、くるくると回っている。
「はっはー! もっと早く回るぞ!」
「おぉー!?」
「にょほほ!」
子供二人を吊り下げてのメリーゴーランド。
それは昔、洋画で見た「マッチョな父親」そのものの光景だった。盛り上がった上腕筋に厚い胸板、プラムとヘムペローザをぶら下げてもまったく余裕の足腰、そして笑顔――。
勇者エルゴノート・リカルは女性にはもちろん、子供達にも大人気だ。その例に漏れず、やっぱりここでも人気の座を易々と手に入れたようだ。
「……楽しそうだな、プラム」
「おぉ! ググレ、目覚めたか」
ははっと白い歯を見せながらエルゴノートが爽やかな笑みを漏らす。
イスラヴィア特有のゆったりとした麻の平服を着て、まるで王族のような雰囲気だ。まぁ実際エルゴは元王族なのだから、内から滲み出ているものなのだろう。
それに比べてリビングの鏡に映る俺は、髪はぼさっとしていて目は虚ろ、顔色は青っ白く、貧相なTシャツ姿の冴えないメガネ青年だ。
――うぅ、相変わらずエルゴといると霞むなぁ……。
正直、エルゴの笑顔は眩しくて直視できない。
「ググレさまなのですー!」
「にょほほ、随分と遅いお目覚めだにょっ!」
エルゴノートの両腕から飛び降りた二人が、俺の元に駆け寄ってくる。
二人にサンドイッチされるように体当たりされるが、俺は抱かかえて持ち上げてやるなんて芸当は出来ない。
もちろん本気を出して魔力強化外装を身に纏えば可能だろうが、そこまでやるわけもない。寝起きでヘロヘロの今の俺には、赤毛と黒髪の頭をわしわしと撫でてやるぐらいしか出来そうも無いが、それでもプラムとヘムペローザは嬉しそうにキラキラとした瞳を向けてくれた。
「いや、超絶に寝てしまったな」
思わず照れ笑いを浮かべる。けれど、仕事を(ほぼ)やり終えての睡眠は心地よかったのは事実だ。まぁこれはファリアのお陰だが。
「ググレさまは何処で寝ていたのですー? 探しても居なかったのですよー?」
「そうにょ! 風呂場やガレージ、樽の中も見たのじゃにょ!?」
ねー? と互いに顔を見合わせて笑う。
「探す場所がおかしいだろ!?」
「賢者にょは、じめっとした場所におるかと思ったにょ」
「あほぅ」
じゃれたいのか、俺にむけてパンチを繰り出すヘムペロの拳を手で受け止めて、軽くチョップを脳天に叩き込む。
リビングにはエルゴノートとプラム、ヘムペロ以外の人影は……いた。
さらさらと腰近くまである長い銀髪をゆるりと下ろした僧侶、マニュフェルノだ。
屋敷にいるときはいつも袖にインクの付いた作務衣のような平服ばかり着ているが、今日は珍しく普通の村娘が着るような平服を着ていた。
ワンピースのように被って着る若草色の平服は、膝下まであるスカート部分に刺繍が入っていて、腰紐で結わえるものだ。全体的にゆったりしていて、マニュの雰囲気にもよく合っている。
「起床。お昼ですけど、ググレくん」
マニュフェルノはからかうような口調でそう言いながら、こぽこぽとお茶を入れている。
カップはここにいる全員分、そして今俺の分の追加も入れてくれたようだ。
お茶とはいうが実際はコーヒー風味のカラス豆を煎った麦茶のような飲み物だ。
「飲茶。みなさんお茶ですよ」
「おぉ! 気がきくなマニュ!」
エルゴノートが早速茶をすする。
「そういえば、ファリアやルゥは……って、外で鍛練かい?」
「はは、今朝村の村長の使いの者が来てな、村外れの食物倉庫が壊されて魔物の足跡があって見てくれないかと相談があったのさ。まぁエサに困った野獣の類いだろうが。イオラと三人で散歩がてら偵察にいってもらったよ」
エルゴノートが僅かに瞳を細めて窓の外、遥か遠方の村はずれを眺める。
「そうか。その面子なら何も心配はいらんだろうし、あいつらには丁度いい暇つぶしかな」
「はは。違いない」
俺もエルゴノートも全く心配していない。
「あとは……レントミアは、ラボか」
聞くまでもなく、互いの指輪の魔力糸で繋がっている俺とレントミアは館の中程度なら気配だけで場所や位置を察知できる。
もちろん夕べのように互いに寝ていては検知できないが、互いの「気」を感じているようなものだが、あくまでも魔力糸で情報伝達をしているから出来る芸当だ。
どうやらレントミアは、実験室で作業をしてくれているらしかった。
「異心。伝心。重なり合う心と身体ですね、相変わらず美味しゅうございます」
「マニュ。身体は重なって無いからな」
「笑止。ググレくんが言うのならそうなのね。ググレくんの中では、ね……」
フヘヘ、と妙な笑いを漏らすマニュ。相変わらず腐属性はブレないらしい。
そういえばリオラは何処に行ったのだろう? 外に洗濯をしに行ったのだろうかと窓の外に視線を向ける。
リオラとは折角少しずつ仲良くなっていたのに、ちょっとしたことで「心の壁」が現れたり消えたりする。本当に取り扱い注意の難しい年頃だが、そこがまた可愛い。
「そうだエルゴ、夕べはどうしたんだ? 確か御姫様と逢って……、城に泊まるはずじゃなかったのか?」
我ながら下世話だったかと、口にしてから後悔する。が、
「それが、実は問題が起きてな」
「……問題?」
俺は訝しげに、俄かに表情を曇らせた勇者の精悍な顔を眺める。
「ググレカス、君は……新生イスラヴィアの噂を聞いたことがあるかい?」
「……新生イスラヴィア?」
俺は反射的に、眼前に浮かべた検索魔法に視線を走らせた。
<つづく>