★賢者、難民になる
ちちち、と小鳥が窓辺でさえずって飛び去った。
春分の日を過ぎた太陽は少しずつ顔を出す時間を早めていた。窓から見える景色は白い朝もやに煙っていて、金色の朝日が木々の影を幻想的に映し出している。
気がつけば夜がすっかり明けていた。
俺は賢者の館の実験室で、また夜を明かしてしまったらしい。
「うぅ、徹夜二日目の朝、か……」
どうやら薬の蒸留をしている途中でウトウトしていたようで、ミミズの這ったような筆跡がメモ用紙の上に残されていた。
慌ててペンを戻して状況を確認する。
目の前には作業用の戦術情報表示に描かれた「生命の木」が浮かんでいる。
それはプラムの治療薬を作る為の魔法陣を組み合わせた工程図だ。
術式を現す9割が「終了」を意味する赤で塗りつぶされていた。
「あと少し……か」
海辺の町の一件が終わり賢者の館が立つフィノボッチ村に戻ってきた俺達は、徐々にいつもの日常へと戻りつつあった。
そんな中、俺とレントミア、そして妖精メティウスだけは別で、互いの魔法の知恵を持ち寄ってプラムの命を救う薬の調合を始めていた。
プラムの生命を繋ぎ止めているのは竜人の血による「命の核」だ。それは「竜神の血」が持っている膨大な魔力を少しずつ消費しながら、人造生命体の身体を維持する為のエネルギーに変換している。
俺達が目指している「創薬」の目的は、人間や他の生命同様に食物からそのエネルギーを得られるようにと、核自体の性質を「転換」しようというものだ。
元居た世界の言葉を借りるなら、プラムの細胞内にあるミトコンドリアのエネルギー転換用の高分子体の構造を少しずつ変えるのだ。もちろん、その為に俺は『運搬役』として、特殊な逆浸透型自律駆動術式を造り、それに「命の核」に書き換える設計図のような術式を運ばせるという、一種の遺伝子治療に似た仕組みをとる。
もちろん今のプラム自身、食べ物からエネルギーを得ていないわけではない。
腹が減ったといっては肉やパンを頬張っている分は着実に身体に取り入れられているのだが、それはごく僅かに過ぎない。問題の本質はその『核』自体の寿命に限界があるのだ。
細胞単位で見た場合、人間に比べ異様に短いテロメア遺伝子が原因で、それはつまるところ俺が最初に「三日」と定めた、自壊の仕組みそのものだ。
今のプラムは「延命の薬」の形で補充している竜人の血によって、身体の自壊を引き伸ばしているに過ぎない。
軽い気持ちですぐに消えてしまうような命をつくりだし、情が移れば延命を望む――。
先日戦ったばかりの白い聖人さまの嫌な笑いが脳裏をかすめるが、結局は俺自身が造りだした矛盾と因果と戦っているに過ぎないのだ。
先日一戦交えた白い大聖人の嘲笑うかのような顔が脳裏をよぎる。
ゴチャゴチャ考えるのはもう止めにしようと思っても、頭の奥底では、いつまでもそんな事を考えてしまう。
身勝手で愚かな「賢者」かもしれない。けれど俺はプラムを救いたい一心で、ここまで頑張っているのだ。
――が
そろそろ寝ないと俺自身が死んでしまいそうなのでよろよろと立ち上がる。と、
「賢者ググレカス……。わたくしももう、限界……です」
ぱたり、と妖精メティウスが机の上で倒れこんだ。
両の目を「×」にして、きゅーと言う様子で透明な羽が萎れている。
「お、おぃ大丈夫か!?」
「はい……。第38蒸留工程のチェック完了。基薬番号13番、薬剤生成完了ですわ……」
「ず、ずっと見ててくれたのか!? ありがとうメティウス。また面倒事を任せてしまったみたいだな……」
「何をおっしゃいます。私……、こうして賢者ググレカスさまのお傍でお手伝いが出来るだけでも嬉しいのですわ」
ヘナヘナとした笑顔を見せる妖精を両手でそっと持ち上げてやる。
手で包み込みながら伸ばした魔力糸で、妖精に俺の魔力を送り込んで応急措置を施す。これは点滴のようなもので、回復するにいは本の隙間に入って、しばらく寝てもらうのが一番だ。
近くにあった本を引き寄せて、メティウスの為に開いてやる。
それは古代の魔術の秘儀を研究した魔法学者の半生を書き記した自伝本だ。研究に生涯を捧げ偉大な功績を残すが、結局自分は何も得られていないと、結局の所「彼女が欲しかった」的な後書きが書いてあったりする。
「あの、賢者ググレカス。この本は……嫌ですわ。もうすこし、その、楽しい夢が見たいのです」
「はは……、それもそうだな」
俺は読みかけだった本を取り出した。ポップな装丁の本は、先日王都で発売されたばかりの軽小説だ。学舎では冴えない主人公がひょんなことから得た魔法の力で全身タイツ姿の「妖精」に姿を変え、襲いくる敵からヒロインを守り大活躍をする……という、まぁ、異世界産のラノベだ。
「……表紙のタイツの人が夢に出てきそうですけど、楽しそうですわ!」
こんな夢でいいのかな? と思う間もなくメティウスは本の隙間に消えていった。悪夢を見なければいいが。
「って、俺も限界だ。昼まで寝よ……」
俺はあくびをすると、フラフラとした足取りで研究室を出て自室へと向かう。
早朝ということもあり館のなかは静かなものだ。いつもはプラムやヘムペロが走り回り、時折イオラやリオラの声して、賑やかこの上ないのだが。
一階にあるラボを出て階段を上る。窓から差し込む光と小鳥のさえずりが遠くで聞こえているが、こんな早朝では、早起きのファリアやリオラでさえまだ夢の中だろう。
俺の部屋の重厚な作りのドアを開けて中に入り、半分寝ぼけながらも上着を脱いで下着とTシャツだけの姿になる。そして寝台にダイブしようかとした、瞬間。
「ぅ……ん」
甘く小さな寝言が聞こえて、はわっ!? と急停止。
「……レ、レントミア?」
寝台の中でもぞもぞと動く生物は、ハーフエルフの相棒レントミアだった。
思い起こせば、夕べ薬の調合の途中で「ボクもう限界……」と言い残して実験室を出て行ったきりだった。
――こんなところで寝てやがったのか……。
レントミアには部屋をきちんと割り当てたハズなのに、何故ここで寝る……? まぁ、俺と遊びたかったのだろうが、生憎もうそんな元気は無い。
そっと覗きこむとレントミアは俺の毛布を丸めて「抱き枕」にしてすやすや眠っている。
幸せそうな横顔から延びる短いエルフ耳。そして絹糸のような髪がさらりと流れるうなじや首筋が薄絹のタンクトップ風の下着から覗いている。
いつも隙の無い顔をしているが、今は無防備そのもので、思わずぴっと耳を引っ張ってみる。
「……ん、……そこ」
何が「そこ」なのか判らないが、寝言らしい。
寝台は大きめなので一緒に寝てしまってもいいのだが、後でまたリオラの「冷たいジト目」に晒されながら、マニュのデッサンのネタにされては堪らない。
――じゃぁ俺は何処に寝ればいいのだ?
間抜けな下着姿のまま、俺は腕組みをして思案する。
二階は三部屋あり、この部屋以外ではとなりのマニュの部屋があるが……。ダメだ。いくらなんでも忍び込んで寝るわけにはいかない。
反対側の部屋はイオラとリオラの部屋だが、「寝かせてくれ」と突然押しかけるのも論外で無粋の極みだ。今頃兄妹仲良く手でもつないで寝ているのだろうしな。ぐぬぬ。
だが、賢者の館には一階にも泊まれる部屋が三つある。
一つはプラムとヘムペローザが占領し二段ベットで寝ているが、そこに紛れ込むのも一つの手だ。プラムもヘムペローザも添い寝を喜んでくれそうだが、最近はこの館にも「人目」と言う概念が出来てしまった。
うっかりしていると館の主あるはずの俺でさえ、吊るし上げをくらうだろう。
残る客間二つは、それぞれファリアとレントミアに割り当てていたはずだ。
「そうだ。こいつの部屋が空いてるじゃん……」
レントミアがここに居るというコトは、一つベットが開いているじゃないか。
俺はくるりと踵を返し、一階へと向かった。
寒さに背を丸めながら階段を降りて、一階の客間に手をかけた瞬間、中から「ぐおー」という豪快なイビキが聞こえてきた。
「……エルゴノート?」
確か昨日の昼ぐらいに「メタノシュタット王城の姫様のところに泊まる」みたいな話をして、馬で出て行ったはずだったが……?
どうやら泊まらずにこっちに戻ってきたらしい。何があっったかは知らないが、つまりレントミアはこれで寝る場を失ってしまったわけだ。
「うむむ……?」
徐々に手詰まり感が大きくなる。
――そうだ!
リビングの暖炉前にソファがあるじゃないか。
冷えてきた身体を両腕で包みながらリビングへと行って見た。案の定暖炉の火はまだチロチロと燃えていてほんのりと暖かい。
見ればルゥがソファの上でネコのように丸まって寝ているが、寒い日は家ネコを抱かかえて寝るに限るよな……。と、俺は眠気で朦朧とした頭のままソファの隙間に身を滑り込ませて猫を後ろからぎゅっと抱きしめる。
ネコは意外としなやかな身体に高い体温で、これはなかなか快適……って!?
「何やってんだ俺ッ!? だめだ、だめっ!」
明日の朝、リビングに集まった全員が冷ややかな目で、猫耳少年を抱きしめて眠る俺を見下ろしている……という図はもはや公開処刑だ。
「……にゃ? ググレ……殿?」
にゅーんと伸びをしながら眠い目を擦る猫耳少年から、俺は慌てて遠ざかる。
「お、起こしてすまんルゥ! ゆっくり寝ててくれ、な?」
「むにゃ、でござる……」
◇
「はぁ、はぁ……危ない。徹夜明けで判断力が低下しているのか俺は……」
冷え冷えとした廊下で身を縮めながら、彷徨う俺は完全に行き場を無くしていた。
こうなれば実験室の机か、ガレージか、馬車の荷台という手も……。
――っていうか、なんで自分の館で難民と化さねばならんのだ……?
ゴツと、とあるドアに寄りかかった途端ガチャリを内側にドアが開いて、俺は倒れこむように部屋に転がり込んだ。
「――わ、わっ!?」
「おぉう? ググレ?」
床に転がった俺を覗き込んでいるのは、ファリアだった。
朝日を孕んだエメラルド色の瞳が、面白い物でも見るようにぱくちくりと瞬く。
「いてて、す、すまんファリア! その……」
「まるで迷い猫のような顔だぞググレ」
ははっ、と笑って俺の手を引き立たせてくれる。
こんな早朝からトレーニングでもするつもりなのか、ファリアはジャージのような平服に着替えて髪をポニーテール風にくくっている。
「……二日ほど徹夜なんだ。頼む、寝かせてくれ」
「プラム嬢の薬もいいが、その前にお前が死んだら意味が無いだろ!」
俺はそのまま首根っこを掴まれてベットに投げ込まれた。ぼふんと弾む視界が毛布でふさがれる。
「ちょっ……、ファリア」
毛布の海で溺れた人のようにあわあわと掻き分けて顔を出すと、ファリアがドアから出て行くところだった。
「私は今から鍛錬の時間だからな、そこで大人しく寝ているんだぞっ!」
ファリアはそう言って片目をつぶると、優しい微笑みを残してそのまま出て行ってしまった。
再び静まり返った部屋の中、どうやら俺はようやく安住の地……寝床にありつけたようだった。
――ま、いいか。恩にきるぜファリア。
気がつくと、ついさっきまでファリアが寝ていたであろう寝台は暖かく、冷たくなった身体には優しく包まれるような心地よさだ。おまけにほんのりと……甘くいい香りもする。
思わずすぅ……、とベット中の空気を吸い込んでみたりする。
「おぉ……ぅ? なんだか最高な……気分……」
ここが苦難の果てにたどり着いた「約束の地」なのか――
などとワケの判らない事を考えつつも、俺の意識はオアシスを見つけた砂漠の旅人と同じ境地にあった。
厚い雲の切れ間から黄金の光の帯が降り注ぎ、今にも天使が舞い降りてきそうな勢いだ。
――でも俺……今、すごく、眠いんだ……。
急速に襲い掛かってくる睡魔に抗う力もなく、俺の意識は遠のいてゆく。
ほぼ二日に及ぶ完全徹夜はさすがにこたえるが、けれど今度こそプラムを救えるはずだ……。
充実感と達成感、そして甘い残り香と温もりに包まれて、俺は深い海の底に沈んでいくような眠りにおちた。
<つづく>