★賢者とリオラとスイーツと
【作者よりのお知らせ】
特別編(「幕間」)は、リオラ目線メインの三人称形式となります。
(次回から通常のググレ君目線に戻りますので、ご了承願います)
◇
――賢者さまはとても不思議な人だ、と思う。
いつも眠そうな顔で何を考えているか分からないのに、どんな怖い魔物が来ても平然としていて、不思議な魔法の力であっというまにやっつけてしまう。
イオも尊敬するくらい、凄く強いんだと思う。
私たちには優しいし、何でも知っていていろんなことを教えてくれる。「ちょっとかっこいいかも……」なんて思う事もある。
それに賢者さまは普通の男の人みたいに「えっち」な事をしようとはしない。そこはやっぱり賢者さまなんだなって思う。
けれど、女の子と同じくらい男の子も好きみたいで、イオとお風呂に入りたがるし、ルゥさんを可愛がるし、レントミアさんとだってすごく仲がいい。
この前もレントミアさんとベットで二人並んで何かのゲームをしていたけれど、男同士の「友達」ってそうじゃないような……気がする。
つまり……ちょっと不思議な人で、やっぱり――
「『賢者さま』……なんだよね」
ぽつりと呟いて空を見上げる栗色の瞳には、白い雲が映っている。
冬もいよいよ終わり、日差しは暖かさを増していた。
庭の草木はまだ茶枯れていても新しい芽吹きの気配はすぐそこまで来ているようだ。
リオラは洗濯物を勢いよく振ってシワを伸ばすと、濡れた服を木の間に通したロープにぶら下げる。その手際はあざやかでテキパキと洗濯物の山を片付けてゆく。
いつの間にか大所帯となった「賢者の館」の掃除と洗濯はとても大変だ。
食事の準備に汚れた服の洗濯。そして掃除。けれどリオラは細腕で苦にする風も無く、むしろ楽しそうに家事全般をこなしていた。
もちろん兄のイオラは目線と顎で指示するだけで手伝ってくれるし、プラムとヘムペローザも、喜んで一緒に掃除や洗濯を一緒にしてくれた。
けれど、指示を出すのは専らリオラの役目だ。
栗色の髪を陽光で明るく輝かせて、きゅっと唇を結んだリオラはの様子は、「賢者の館のメイド長」そのものだった。
◇
賢者の館の台所で、リオラは賢者と肩を並べ皿洗いをしていた。
館の主であり偉大なる賢者であるはずのググレカスが、小間使いやメイドがやるような仕事をするのはいささか不自然に思えるが、本人が好きでやっているのだから誰も止めるすべは無い。
「リオラ、油汚れはしつこいからな、この泡を使うといいぞ」
賢者は手の先からモコモコと白い泡を出して、流し台の上に重ねられた皿を泡で包んでゆく。
「あ、はい……」
リオラは短く返事をして泡にまみれた皿を手に取る。
それは賢者の独自魔法の一つ「泡沫魔法」というものらしい。なんでも「粘液魔法」の応用で、きめ細やかな泡を作り出すのは難しく結構高度な魔法なのだとか。
ふふん、と何故か得意げに手の泡を膨らませて見せてくれるのは、いつもの光景だ。
――敵に吹きかけられた毒を除染したり、狭い場所での戦闘時に泡で埋め尽くして視界を奪ったりする戦闘補助の魔法さ。それに洗濯や風呂でも使えるのさ。フ……フフ。
と、賢者がメガネを光らせながら説明をしているが、リオラはどんな顔をしてよいか分からずに、適当に相槌をうつだけだ。
リオラは泡に包まれた皿を洗い始める。
海辺の町への冒険を終えて帰ってきた面々は、しばらく賢者の館で休息をとってから、また新たな冒険へと旅立ってくらしかった。
仲良くなれたファリアやエルゴノート、そしていつ襲ってくるか分からないルゥと、生きる伝説とでも言うべき英雄達と過ごす時間は、イオラやリオラにとっては楽しいものだった。
ちらりと視線を向けると、賢者と目があって慌てて手元に目線を戻す。カチャカチャという音だけが日差しの差し込むキッチンに響いている。
「きょ、今日は水がすこし温かいな」
「……そうですね」
二人はぎこちない会話を時折交わす。
――どうして、賢者さまは私といると緊張しているんだろう……。
すこしだけリオラは寂しさを感じる。
賢者も取り扱いの難しい思春期女子との会話に苦慮している様子で、何か話さねば、何かを……! と妙な焦りを感じているようだったが、どうもその思いが上滑りしているようなのだ。
ここにイオラがいれば「ぐっさん!」「リオ!」と、勢いで会話の流れを作ってくれるのだが、生憎と今は村の商店に買出しに行ってもらっている。
マニュフェルノもインクが切れたとかで、イオラと二人で出かけていって留守だ。
村の雑貨屋は文房具や薬草、簡単な食材まで何でも揃う便利な店だが、マニュフェルノは村の一人歩きに慣れていない。
賢者はイオラに「一緒に行ってやってくれよ……」と頼みこむと、少し照れくさそうにしながらも「年上のお姉さん」と二人で出かけるということで、まんざらでもない様子だった。
寒いと出歩きたがらないマニュフェルノが、自分から外に出るというのは春が近い証拠なのだろう。
エルゴノートとファリアは王都メタノシュタットに政治的な用事があると言い残し、朝から馬車で出かけてしまった。
レントミアもその馬車に相乗りし、王都の魔法商店街でいろいろな魔法調剤用の材料を買うと言って出かけてしまった。
賢者とレントミア、そして妖精のメティウスは、それぞれの知恵を出し合って、プラムの根本的な治療薬の製造に取り掛かっている最中なのだ。
いつも賢者の肩に座っては会話を交わしている妖精メティウスは、時折魔力の充電が必要である事には変わりなく、今は賢者の懐の中でスヤスヤと昼寝の最中らしい。
「ヘムペロちゃん、まだチョウチョさんは居ないのですねー……?」
「あたりまえにょ。まだ花も咲いとらんにょ!」
キッチンの窓から見える庭の方から、ヘムペローザとプラムの会話が聞こえてきた。
冬の終わったばかりの館の庭を二人で散策しているらしく、赤毛の少女と黒髪の少女は、時折しゃがみこんでは、何やら地面を指差しながら会話を交わしている。
「まだ花の芽も小さいにょ」
「ほぉー? お花の赤ちゃんなのですねー?」
と、そんな会話だ。
つまるところ、この瞬間、賢者の館には賢者とリオラしかいなかった。
ようやく皿を洗い終えた二人の間に、沈黙が流れる。
館の中は音も無く静まり返っている。
賢者は何かを思いついたように目線を泳がせると、眼前に小窓を浮かび上がらせた。
それは検索魔法の結果表示用の仮想の画面で本人にしか見えない仕組みだ。
目を泳がせたように見えたのは、目線誘導で戦術情報表示を操作したらしい。
「えと……『君の瞳は春の光みたいに綺麗だね』……」
「は…………?」
リオラが本気で疑問形の返事を返す。
「あ!? いや、違っ!? ……えと」
慌てふためいて再び目線を泳がせる賢者。
どうやら「女の子との会話術」で検索したらしく、千年図書館に眠る書籍から、かなり「上級者向け」な会話術を思わず口ずさんでしまったらしい。
賢者は諦めたように魔法を閉じて、自分の言葉で語りだす。
「リオラ……いつも洗濯したり皿を洗ったり、大変じゃないか?」
「そ、そんなことないです……。へーきです」
いつもの「優しい賢者」の言葉に、リオラはようやく口元をほころばせた。
「そろそろ学舎も始まるし、村のおばちゃん連合にまた来てもらおうかと思うんだ」
「え……」
リオラの瞳が僅かに見開かれて、そしてすぐに伏せ目がちな表情に変わった。
それは自分の居場所を奪われてしまうのではないか、という不安からだ。折角見つけた居場所と、誰かの役に立っているという充実感を失う事を不安に思ったのだろう。
冬が終わればまた学舎が始まる。イオラやリオラ、そしてプラムとヘムペローザはまたこの館から通い始めるだろう。
そのとき家の家事や洗濯は誰がするのかは大きな問題なのは間違いなかった。
女性といえばマニュフェルノが居るが、あまりそういう事には向いていない。もちろん出来ない訳ではないのだが、元々世間知らずのまま旅を始めて僧侶に身をやつしているので、あまり得意ではないのだ。
英雄の中で一番女子力が高いのは意外にも女戦士ファリアだ。料理も洗濯だってこなす。まぁ料理といえば焼肉しかなかったり、洗濯というのはつまり服ごと川に入って洗うという荒療治なのだが。
それに彼女とて北方の英傑民族ルーデンスの王族。そんなことをさせるわけにもいかないだろう。
賢者は家事専用のゴーレムを生成しようかとも考えたが、煩雑な数々の仕事をこなす為には人型であること、かなり高度な知性が必要である事、結局は人造生命体を生成するに等しい作業となる。
なによりも禁忌の術は、既にプラムで懲りている訳で、実行する気は毛頭無いだろうが。
「まぁ、毎日ではないさ。向こうにも都合があるだろうし、リオラだって自分の仕事場を、勝手に荒らされたくはないのだろう?」
「……賢者……さま」
賢者は時々こうしてリオラの心を見事に理解してくれる事がある。だがその分、見当はずれで的外れな事も多いのだが……。
賢者はよしよしと頷くと、何かを思い出したように、リオラにそっと囁いた。
「あ、そうだ。見せたいものがあるんだけど」
「……なんですか?」
「いいから来てくれ。ちょっと飢えてるんだ」
「え……?」
しっ、と周囲に注意を払うようにして、賢者はリオラに来るように促した。
館の中には二人きり。プラムとヘムペローザは外を駆け回っている。リオラは少し不安に思いつつも、賢者の後ろ姿を追う。
館の廊下を回り、薄暗いガレージへの通路を通り、その向かいにある倉庫に扉に手をかけた。
そこは冬の間に必要な小麦や塩、干し肉などの食料品や樽に詰めたブドウの汁などを保存しておく倉庫だった。
リオラは思わず足を止めた。
この流れは……もしかすると、もしかするのではないか?
いくら「女の子には何もしない賢者さま」とはいっても、やはり相手は若い男性だ。信頼しているつもりでも、自然と足がすくむ。
「こっちだよ」
「あ、はい……」
リオラはいつもポケットに忍ばせている殴打用の武器である「炎の鉄拳」を確認し、賢者の後に続いて倉庫に足を踏み入れる。
不意を付いて側頭部を殴打すれば逃げる隙ぐらいは……と。しかしそこまで考えて、リオラははっとして鉄拳を手から離した。
――賢者さまは自分と兄のイオラを救ってくれた恩人なのだ。その人が望むなら、耐えなければならないのではないだろうか、と。
それが、愛する兄の為にもなるのなら、と
ぎゅっと唇をかんで覚悟を決める。
賢者は倉庫の狭い室内で振り返ると、ニイッとした笑みを漏らした。
小さな明り取りの窓しかない倉庫は暗く、しかも逆光でその表情は伺えない。
「リオラ」
「……賢者……さま?」
泣き出しそうな声で小さく声を漏らすリオラに、賢者は突然何かを突き出した。
「じゃーん! 見てくれリオラ! すっごく貴重な『黒砂糖』がに入ったんだぞ!」
それは両手で包めるほどの大きさの袋だった。
ふわり、と甘い蜜のような匂いが鼻をくすぐる。
「く、黒……砂糖?」
「あぁ! 南国でしか取れない甘い甘い『砂糖』さ。あぁ! こっちに来てから甘味に飢えていたからな。リオラ、これで……甘い『クリーム』を作らないか?」
肩の力が抜けて行く。
「え? あ……、くりーむ?」
栗色の澄んだ瞳を丸くしたまま、造り方なんて知らないです……、とリオラは応える。
「はは。俺は賢者だぜ? 検索魔法でちょちょいっと、調べれはすぐさ」
「は、はいっ!」
「けれど、このことは皆には内緒だ。こんな貴重なもの、一瞬で食い尽くされるからな……」
「で、でもプラムちゃんやヘムペロちゃんには?」
「苦い薬だと教えておけば食うまいよ」
悪い大人の顔で賢者がリオラに囁く。
「わ、わかりましたっ!」
「二人だけの秘密にして食べちゃおうぜ」
リオラは明るく頷くと、二人は顔を見合せて笑みをこぼした。
◇
「ん……? なんだか甘い匂いがするにょ?」
「ですねー? 何のにおいですかー?」
「甘味。そんな香りが……」
「どう考えても旨い物の匂いじゃねーか!? リオ!」
一刻ほどの後、館に戻ってきたプラムとヘムペロ、そしてイオラとマニュも同じように鼻をくんくんと鳴らす。
「し、しりませんよっ……」
「あぁ。俺も……心当たりは無い、な」
リオラと賢者は二人で同時に目線を泳がせる。
秘密で食べた甘いふわふわのクリームは、パンにつけて食べると、天にも昇るような美味しさだった。
「にょぅ?」
「怪しいのですー?」
と、疑いの眼で二人を睨むプラムとヘムペローザ。
だが、リオラは賢者の方を見た途端、顔色を変える。
――ほっぺにクリームついてるぅう!?
「け、賢者さまっ!」
「んっ?」
リオラは指先で賢者の頬に付いた白いものを素早く指先で拭うと、ぺろりと舌先でなめるように食べてしまった。
「あぁ!? やっぱり何か食ってたな!?」
「おにょれぇえ! ずるいにょ!」
「篭絡。甘いもので……女子を……ぐぬぬ」
「あはは、いや、そのね……」
慌てて逃げ出す賢者の後姿を見ながら、リオラは堪えきれずに笑い出してしまう。
そして、心のなかでそっとつぶやく。
――私は賢者さまと一緒に居たいんです。
「……ずっと。これからも」
と。
<幕間 了>
【おしらせ】
リオラよかったね! と思って頂けたでしょーか?
次回、「新章突入!」掲載はは2月25日(火)となります。
※最終章ではありませんよ?w