愚者と、決着と、帰りたい場所
「驚くべきしぶとさだな……。伊達に数百年も転生を繰り返していないようだな」
俺は半ば呆れ気味につぶやいた。
『ハ、ハ……! 僕は滅びぬさ、何度でも蘇る!』
「バッジョブ……そろそろ止めにしたらどうだ?」
――お前はさっき、これは魂の牢獄、繰り返す苦痛の中に居ると自分で言ったばかりだろう?
俺は風ではためくローブで身体を包み込み、上空の蝙蝠と白い青年を半眼で睨みつけた。
『僕は……生きたい! 幾度も繰り返してきたんだ! これから何度でも繰り返すさ!』
「それで生きていると言えるのか、疑問だがな」
バッジョブは腐肉や骨になっても動き続けているゾンビと変わらない。いや、それよりも性質の悪い存在だ。
凝り固まった生への異常なまでの執着。決して取り戻せないと知りながら「失ったもの」を探して彷徨い続けているというのは、永遠の苦痛以外の何物でもないだろう。
「ホーホホ! 黙らっしゃい賢者ググレカス! 偉大なるバッジョブさまは不滅! 永遠という時間を手に入れた、すべてを超越した存在なのですわ!」
『さらばだ賢者ググレカス。僕は今から世界の海を支配する。そして、僕は今度こそ手に入れるさ。君や、仲間達、いや全てをね……!』
「無駄だ。お前は何も得られない」
俺は静かに、強く断言する。
何百年も「生きてきた」というが、こいつは結局、無駄な時間を過ごしてきただけだ。
居場所も見つけられず、自分にとって本当に大切な事も判らぬまま、仲間を失い、自分さえも、本来の目的さえも忘却し彷徨いつづける哀れな虚空死霊。
『何を言う……! 僕は全てを手に入れるさ、港や国なんてちっぽけな物じゃない、そうだ世界さ! そして僕は、神と同じになるんだ! その時……全てが手に入る! 全て戻ってくる! 仲間も! 命も! ……楽しかった……あの頃も!』
白い青年――バッジョブの瞳は狂気で歪んでいた。恍惚とした顔で妄想を吐き散らすばかりだ。
「お前は、1000年たっても理解できないだろうな」
『なん……だと?』
バッジョブの濁った瞳が、俄かに怒りと驚きを孕んで俺に向けられる。
「世界なんて手に入れなくても、宝物は手に入るさ」
『ハ……! 愚者の、痴れ者の、弱者のたわごとよ!』
「かもな」
だが俺は、もう何も応えなかった。
何よりも帰りたかったのだ。こんな事は終わらせて「賢者の館」に。
――日差しの差し込む窓辺で本を読み、じゃれついてくるプラムに嘆息しつつも、結局は一緒にうたた寝をする。
そんな日々に、あの場所に戻りたかった。
『オホホホホ! 愚者ググレカァス! 己の無力さと愚かさを呪いながら、バッジョブ様が神になるのを……そこで見ているがいい!』
甲高い笑い不快な笑い声を響かせながら舞う巨大コウモリが、バサバサと遠ざかってゆく。その先は、ここから北の方角だ。つまり「海魔神」の巣穴だろう。
「逃亡。逃げちゃいますが!?」
「ググレ殿ッ! あ奴を逃がしては、また襲って来るでござるよ!」
マニュとルゥが俄かに色めき立つ。
俺は落ち着き払ったまま、悟られぬように指先を動かして――魔力糸を、遠ざかってゆく紫の魔女に撃ちこんだ。
「見よう見まねだがな。技術だけは転用させてもらうぞ、バッジョブ」
これはレントミアでさえ見えないような、極細の隠蔽魔力糸だ。
続いて戦術情報表示から選んだある「術式」を蝙蝠に流し込む。そして、
――自律駆動術式、時限起動設定。60……59……
コチコチというカウントダウンが、俺の戦術情報表示に表示され、一秒ごとに減じてゆく。
そうとは知らぬ蝙蝠は、ぐんぐんと塔から離れていく。
俺の眼前に浮かぶ「小窓」からは雑音とノイズ混じりの声が聞こえてきた。それは仕込んだ術式により拾い上げた紫の魔女と白い青年の会話だ。
「ググレ、それは……連中の会話か?」
エルゴノートが目を丸くする。
「あぁ。あの魔女と仕掛けてやったのさ」
俺は続いて傍らのレントミアに指示を出す。
「指向性熱魔法を適当に撃ってくれ。威嚇だけでいい。当てるなよ」
「え――!?」
不満げに頬を膨らませながらも俺が片目をつぶって見せると、何かあると察したのだろう。
レントミアは幾つかの光球を出現させると、勢いよく手でそれらを押し出すような格好で、次々と撃ち放った。
ビィッ! という振動音と共に、高熱でプラズマ化した空気が紅く美しい光跡を残す。
幾筋もの光がコウモリをかすめるが、蝙蝠は健在で、ぐんぐん離れてゆく。流石の「レーザー砲」も射程外のようだった。
「あぁもうっ! 当てられるのに!」
どかっ! とレントミアが不満を露わに、俺の肩に体当たりをした。
「いてて。まぁそう言うなレントミア。まとめて全部、始末するチャンスなのさ」
フフフ、と黒い笑みを浮かべてメガネを指先で持ち上げる俺の様子に、仲間たちは顔を見合わせて次の言葉を飲み込んだ。
――何をする気なのか? と。
「まぁ……今から見せてやるさ」
俺の戦術情報表示からは、転生を重ねた死霊と、魔術を極めた老齢な魔女の会話が聞こえてくる。
紫の魔女に悟られぬように撃ちこんだ隠蔽魔力糸は、良く伸びて性能も上々だ。
『あきらめた様子。ここまでは奴らの魔法も届きますまい』
『フン……、僕の次の器……抜かりはないなプラティン?』
余裕の含み笑いをもらすバッジョブだが、流石に憑依や転移の魔法は消耗が大きいらしく、息も絶え絶えといった感じだ。
『ご安心をバッジョブさま。いま、ご覧に入れましょう……!』
魔女プラティンが、何かの呪文を詠唱すると同時に、北側の入り組んだ海岸線ので水煙が上がったかと思うと、巨大な水柱が立ち昇った。そして海面がカップを伏せたような形に盛り上がってゆく。
海の異変に気がついた皆が、テラスの北側に目を凝らす。
「ググレ殿ッ! あれは……!?」
「巨大。おおきな……海の怪物!?」
「ほぉお! デカイな想像以上だ!」
「これは……切り崩しがいがありそうだな」
仲間たちが口々に叫ぶ。ファリアとエルゴはどこか余裕の感想だが、距離がかなり離れているので、差し迫った危機感が薄いのだろう。
崩れた塔の北側に続く海岸線、おそらく1000メルテは離れているであろ海岸線で立ち昇った水柱が爆発するように弾けると、驚くべき巨大な怪物が現れた。
海の中から姿を現したのは、赤黒いタコのような食腕を何本も振り乱す、超巨大なクラゲの魔物だった。
「海魔神、ゼラチナス・クラーケン・ロード……!」
戦術情報表示の音声通信からは紫の魔女とバッジョブの歓喜が聞こえてきた。
『ハ、ハ! 素晴らしい! 僕の器に相応しい神々しさだ、では融合の儀式を!』
『バッジョブ様! この私めも……お供を!』
『よかろう……! お前の働きは失態を埋めて余りあるものだ……!』
『はぁあああ! ありがたき、ありがたき幸せ!』
蝙蝠の魔女は高度を落とすと、そのまま巨大なクラゲへと突っ込んだ。まるで羽虫のような蝙蝠と小さなゴマ粒のような人影が、ヌラヌラと光るクラゲの頭頂部に落下するのが見えた。
ぶにゅん! 表面が僅かに波打つ。
その衝撃波はあまりにも小さく、クラゲの巨大さが際立って見える。
『――融合ッ!』
呪文の賭け声と共に、バッジョブの身体と紫の魔女は、クラゲの体と一体化していく。紫の魔女プラティンはその身を蝙蝠に変えたように、魔法の力で身体の組成そのものを変えられるのだろう。
赤黒かったクラゲの表皮が禍々しい光を放ったかと思うと、全身に真っ白な魔法陣と、紫色の毒々しい魔法陣が混じり合いながら浮かび上がった。それはバッジョブと魔女プラティン、それぞれの魔法の結界を表す魔法のシールドだ。
無限に再生可能なクラゲの巨大な身体に、無敵の魔法防御、永劫の時を生きてきた膨大な知恵を持つ魔術師二人分の魔法力。
それはあの魔王妖緑体を超える魔物の誕生の瞬間だった。
『ハハハ! 僕は――神! 海を、世界を統べる神となったのだ、ハ、ハ!』
超然とした声が、全員の頭に直接響いてきた。
『神! 神ぃイ! この全身を駆け巡る力! 無敵だ! 無敵、無敵ィイイ! 僕は……無敵……!』
高揚した声と共に、巨大な海の化け物が白波を立てながらこちらへと移動を開始した。
食腕の数は百を超え、それぞれに相手を麻痺させ死に至らしめる致命的な刺胞を持っているはずだ。触れただけでも並みの人間なら毒に犯され命を失うだろう。
「ググレ殿ッ!?」
「驚愕。合体しちゃったよ!?」
「まずいよ! これは……!」
「はは、これは……凄いな!」
「おのれ、躊躇わず最初から滅しておけば……!」
流石のディカマランの英雄達も慌てた様子で身構える。あれほどの化け物と戦えるのは、ディカマランの英雄を置いて他にないからだ。
それに、何よりも外にはプラムやイオラ達が居るのだ。
だが俺は悠然と、身体に纏わり付いたローブを振り払うと、傍らで珍しく慌てた表情を見せるハーフエルフに問いかける。
「レントミア。クラゲはヒトデよりも高等な生き物だと思うか?」
「え……? えと……下等、かな?」
「正解」
戦術情報表示に表示されていたカウントダウンは、5秒を示していた。
――4……3……
筋組織自壊の逆浸透型自律駆動術式の実行命令を自動詠唱させたものだ。
それは既に、魔女プラティンを通じて巨大クラゲの体内、それも一体化したことで全身に浸透している。
――2……1……0!
ピーン! とカウントゼロに達した音が鳴り響いた、瞬間。
『神! 僕はか――――――――――――――――――――――』
ゼラチナス・クラーケン・ロードの全身が内側からボコボコと膨れ上がり、一瞬で二倍程に膨らんだかと思うと、一呼吸ほどの間も置かず――壮大に破裂した。
それはあっけなく、見事なほどに木っ端微塵にだ。
巨大な白い水柱が吹き上がり、巨大なきのこ雲を形成してゆく。
外皮を「魔法使い二人分の結界」で覆ってしまったのが致命傷となった。巨大クラゲの表皮を包む強固な魔法結界は、内側からの破壊の圧力を完全に封じ込め、臨界を越えたとき、凄まじい圧力崩壊を引き起こしたのだ。
続いて衝撃波と凄まじい破裂音が俺たちの居る場所へと到達した。
「嗚呼。!?」
「にゃぁああ!?」
「おぉお!?」
「ハハ、ググレの仕業か!」
マニュが、ルゥが、そしてエルゴとファリアが、驚き目を丸くする。
「そか、幾ら凄くなってもクラゲはそのままなんだねっ!」
「そういうことさ。まぁ巨大な敵は内側から破壊するに限るしな」
俺はレントミアに微笑んでから海に目線を向けた。
原型をまったく留めないほどに砕け散ったクラゲの断片は、ベチャベチャと海に落下していった。それらは筋組織自壊の逆浸透型によって更に分解され、完全に消え去るだろう。
大海原に漕ぎ出した巨大な化け物は僅か数秒でその生涯を終えたことになる。
何百年も繰り返し転生を重ね、最後は人間あることさえ捨てた大聖人バッジョブは、最後の最後でミスをしたのだ。
――バッジョブ。やっと死ねたんだ……。感謝するんだな。
俺は静けさを取り戻してゆく海原から目線を外し、踵を返すと階段を一歩降り始めた。
「さぁ、帰ろう。プラム達が待っているからな」
ディカマランの仲間たちの見慣れた笑顔に安堵しつつ、俺はようやく肩の荷が下りたような気がした。
<つづく>
【よこく】
次回、ついに章完結!
(挿絵を楽しみにして下さっている皆様、もうしばらくお待ちくださいネっ)