死霊の最後の悪あがき
◇
すっかり風通しのよくなった「古の灯台」の7階で、俺達はようやく一息ついた。
空は青く澄んでいて、湿った海の風は潮の匂いがする。
下手をすると塔がガラガラと崩れるのではないかという恐れもあるわけで、早々に退散したいところだが、まだ後始末が残っていた。
エルゴノートはまだ朦朧としていて座り込んでいるし、部屋の隅で頭を抱えたまま動かなくなってしまった白い青年の処遇も考えねばなるまい。
バッジョブが操っていた他の人とは違い、魔力を有した「依代」だったことは間違いなさそうだが、放置していく訳にもいかなそうだ。
「ともあれ、これで全員揃ったわけだ」
俺はようやく揃った仲間たちの無事を確かめるように見回す。
真横で付かず離れず、すました顔で結界の修復をしているのはレントミアだ。怪我も無く無事で何よりで、海からの冷たい風がハーフエルフの若草色の髪を揺らしている。
レントミアは俺の目線に気が付いて小さく微笑むと、指先で魔法陣を描いてゆく。
「魔法力も消耗しちゃったし、応急措置だけどね」
「いまはそれで十分さ」
俺の16層に及ぶ結界の殆どは破壊され擦り切れてしまい、気休め程度の効果しかない。完全復活する為には、一晩休まねばならないだろう。
とりえず今はレントミアの残存した結界でパーティ全体を包み、魔法防御を担当してもらうように調整中なのだ。
「安堵。とにかくよかった……」
マニュも元に戻ったエルゴノートやレントミア、ファリアの様子にほっとした様子だ。今回、俺とマニュで始まったディカマランの英雄達を救出するミッションは、苦労の連続だったわけだが、マニュにはかなり助けられた。
「ありがとよ、マニュ。その……いろいろと」
「油断。まだ油断しちゃだめ」
「お……おぅ? そうだな」
逆に窘められてしまう俺。
なんだかマニュフェルノは以前と少し変わった気がする。
それは髪型だけじゃなく、なんというか……意外とマジメでしっかり者、という印象に変わりつつある感じだ。
マニュが同人誌の絵を描いていたり妙な妄想に耽っているのは、他のメンバーが強力すぎて、それだけ余裕があったせいもあるだろう。
まぁ今回の旅は、俺がリーダーみたいなものだったし頼りないと思われるのも無理はないが。
だが、マニュの言うとおり確かに全てが終わったわけではない。
魔王軍の司令官ピルスが白状した「海魔神」とよばれるクラゲの化け物の始末がある。
それに……バッジョブの姿は消えたとはいえ、完全にこの世から消えたわけではあるまい。
だが、まずは――
「――プラム! 無事か?」
俺は戦術情報表示から、プラムの水晶ペンダントとの通信回線を開き、声だけで呼びかけた。間髪おかず弾んだ声が返ってきた。
『ググレさまー!? みんな、ヘムペロちゃんも、イオ兄ぃもリオ姉ぇも、えと、スライムの樽ちゃんも元気なのですー!』
「そうか。こっちも全員助かった。あとすこしで戻るから、外に出待っていているんだ」
『おぉー!? わかったのですー!』
プラムの返事の背後からは、安堵と歓喜の声が混じって聞こえてきた。イオラ達もほっとした様子だ。俺は待機モードのままにしてたワイン樽ゴーレムの『フルフル』『ブルブル』に塔の一階から、外に出る様に遠隔で指示を出した。
「無事。もう安心ね」
「だな。周囲に敵影もなし……と」
あとは俺達が塔を降りるだけだが、見回すとファリアとルゥは、半ば崩れ落ちたテラスの縁で海を眺めたり、空を見上げたりしている。
消えたバッジョブの霊体を探しているようだが、表情は先ほどとはうってかわって明るい。
鎧に身を包んだ大柄な銀髪の女戦士と、細身の少年剣士は傍目には仲のよい姉弟のようだ。今もファリアは笑顔でネコ耳少年の首を絞めたりしている。
と。勇者エルゴノートが、がばっと立ち上がった。
「ぁあ! 思い出しだぞググレッ! 俺達は魔王の残党軍を倒しに来たんだ!」
エルゴノートがようやく混濁する意識から脱し状況を理解したらしい。赤毛の燃えるような髪と強い光を宿した瞳で、俺や仲間達をきょろきょろと見回す。
「まぁその通りだ。が……、エルゴや魔王軍を操っていた敵はたった今、ファリアが吹き飛ばしたぞ? 残るは……」
俺は目線を北の海岸へと向けた。
ポポラートの北の海岸線は、入り組んだ地形でゴツゴツとした岩場が連続している。そこにある海底の洞窟で、例のモノが密かに誕生の時を待っているのだ。
――ゼラチナス・クラーケン・ロード
俺は全員に見えるように戦術情報表示を展開した。
そこに、巨大なクラゲとタコを足したような巨大な怪物の「絵」を映し出す。それは検索魔法で調べた書籍の一部からの抜粋だ。
続いて「古の灯台」の周辺地図を映し出す。ここから目と鼻の先の海底洞窟の位置を示し、検索魔法地図検索と重ね合わせて見せる。
「ふむ? 残党どもの親玉か……港町の魚を根こそぎ奪っていた理由はこれの育成という訳か」
「その通りだエルゴ。こいつを倒せば今回のミッションは晴れて終了だ」
「ならば気付け代わりに、暴れてくるか!」
エルゴノートがゴキゴキと肩をならす。強靭な肉体はマニュノ治癒を受けたばかりだというのに、鎧の重さなど微塵も感じさせない程に軽快に動くようだ。
「ふーん? 触手と粘液ならググレの得意な相手っぽいけど」
レントミアが悪戯っぽく笑う。
「うむ? 確かに海に流した『ピリピリ』を呼び戻して戦わせる手もあるな」
巨大化したスライムなら、巨大なクラゲの王といい勝負ができそうだ。毒をもって毒を制する。もっとも……泥仕合ならぬ、ヌルヌルの粘液試合となりそうで、見るに耐えない気もするが……。
――と。
突如、巨大な黒い影が、ブワッと下から上に舞い上がったかと思うと、翼を広げて空中で静止――。太陽を遮るように上空で翼を羽ばたかせた。
それは見覚えのある蝙蝠だった。
「オホォーッ! ホッ! ホッ! 愚かなりディカマランの英雄たちぃい! 偉大なる大僧正バアアッジョッブ様の、一番弟子である、アタクシをお忘れかしらぁあ!?」
「――プラティン!」
「塔の外壁、スレスレに潜んでいたでござる!?」
「……索敵結界に検知されないわけだ……」
「おほぉ!? でかい蝙蝠だな!」
「ぬぅう!? 人語を話すとは妖怪変化の類か……!」
「ファリア殿、エルゴ殿! こいつは敵の魔法使いでござるよっ!」
どこか楽しそうに眺めるエルゴとファリアに、ルゥが二人の腕を掴んで必死に訴える。
「そうなのか? はっは! 魔法使いならばググレかレントミアの領分だな?」
「まったく、エルゴもお気楽に言ってくれるな……」
紫の魔法使いは、レントミアが居る今となっては、恐れる相手ではないが、俺自身の結界がかなり心許ないのも事実だ。
「ググレどうしようか? 焼き鳥? それとも破裂させちゃおうか?」
うっぷんを晴らしたいらしく、ぴょこぴょこと俺の横で跳ねて指示を待つハーフエルフの魔法使いの顔は嬉しそうだ。
溜息で返事をしつつも、今頃ノコノコ現れた紫の魔女の目的を確かめるのが先だ。
「ホーホホホ! バッジョブさまぁぁ! 新しい御身体の、準備が……整いましてござってよぉおおっ!」
――なに!?
俺たちが空を舞う蝙蝠に気を取られている一瞬の隙を突いて、先ほどまで部屋の隅で震えていた白髪の白い青年が、トットットッと走り出したかと思うと、テラスの端からダイブ――
紫色のコウモリはその細い肩をガシリと、まるで大鷲のように足の鉤ヅメでキャッチする。
『ハハ……! さらばだ、諸君! 君たちを僕のソウルメイトに出来なかったのは、残念だよ……!』
「バッジョブ!? 元の身体に……戻っていたのか!」
<つづく>