賢者ググレカス VS 名無しの賢者
『賢者ググレカス……。僕は君と同じさ。数百年前、賢者として仲間達と共に……世界を……旅し、救った……ナレノハテ……さ』
エルゴノートの顔を借りた何者かが、静かに語りはじめた。
「お前が、賢者の生まれ変わりだというのか?」
歴史上「賢者」と呼ばれた者は数えるほどしかない。偉大なる預言者ムドゥゲ・ソルン。知恵の神と呼ばれたヴィル・ゲリッシュ。そして大賢者マーソン、神域の魔法使いイブン・イレヴン――。
『けれど僕には名など無い。いや……もう、覚えていない、と言ったほうがいいだろうか……? 僕は転生を幾度となく繰り返すうちに、魂が劣化し、元の僕では無いのだろう……』
自嘲ぎみに肩を揺らすと、「名無しの聖人」はエルゴノートの瞳を通じ、ディカマランの英雄達を眺めてゆく。
それはまるで懐かしいものでも見る様な、穏やかな目線だ。そして寂しげに口元がほころぶ。
『あぁ、だから、持っている君が妬ましい……。欲しい……! 仲間を、世界を、僕にくれないか……!? 君の力も欲しいのに何故、邪魔をするんだぁああ……?』
もはや真っ当な思考ではない。だが次の瞬間、かはッ! とエルゴノートが息を吐き出して両膝をついた。抗体自律駆動術式が効果を発揮し、体内から魔術の異物を押し出したのだ。
勇者の全身から、モヤのような白い霧状のものが立ちぼり始める。煙のようなものは極細の魔力糸の束だった。それは霊的物質と呼ばれる形態へと変じてゆく。
『あぁ……、僕の……身体ぁああ……!』
白い物体から苦し紛れの「声」が聞こえてきた。正確には耳で捉えているというよりは、脳に直接言葉が響いてくるような感覚だ。
バッジョブの本質は、つまり――
「妄執に囚われた、虚空死霊、というわけか」
戦術情報表示が、対霊体戦闘への警告を発する。
それは、霊的存在――神や悪魔と呼ばれるものも含めての――異相次元的存在による、生命エネルギーの分散や吸収などのエナジードレインと呼ばれる攻撃に対する警告だ。
「死霊。エルゴノートに取りついていたの……!?」
「離れてググレ! ブッ飛ばすよ!」
「おのれ……忌まわしい悪霊の類か……!」
ファリアが牙を剥き出しにして斧を構える。
霊体には物理攻撃が効かない、というのは一般的な話で、ファリアの必殺技は「闘気」や「剣気」とよばれる一種のエネルギー放出を伴うので、霊体であろうと吹き飛ばすことが出来る。
かつての冒険でも「戦士風情が何が出来る……」と嘲笑混じりで襲ってきた死霊や悪霊を、幾度となくあの世に送り返したことがあるのだから。
「まってくれファリア、レントミア」
俺は咄嗟にハーフエルフの魔法とファリアの攻撃を、静かに制止する。
「すこしだけ――聞きたいことが……あるんだ」
俺の言葉に、驚いて顔を見合わせるファリアのレントミアの傍らを、マニュが銀色の髪をなびかせて走り抜け、エルゴノートに駆け寄った。
マニュは、力なく両膝を折り片手で上半身を支える血の気の失せたエルゴノートに、真っ赤な治癒のロウソクを垂らしてゆく。
「気丈。エルゴノート! 今……助けてあげる」
「そっちは頼んだぞ、マニュ」
「首肯。おまかせあれ」
エルゴノートは死霊に取り付かれたせいで、戦術情報表示に映る体力表示が著しく減少していた。
それは、白髪の青年の様子も同じだった。バッジョブは魔力のある者を「器」として跳躍できる力を持っているのだ。
エルゴノートに執着したのは、圧倒的な戦闘力と魔力を併せ持つ、バッジョブにとって理想の器だったからに他ならないだろう。
エルゴノートから抜け出した白い物体は、ゆらゆらとゆれながら、古の塔の天井付近で一つの塊となって形を成してゆく。
手も足も何もないが、そこに確かに存在する、曖昧な霊体だ。
同時に天井から壁、床と、次々と極低温の冷気が広がっていく。ビキビキと床や壁が軋み音を立てて、白く凍り付きはじめた。
「冬も終わりだというのに、寒いのは勘弁してほしいな」
俺は腕を突き出して仲間達全体を包むような対冷却結界を展開する。攻撃性のある「冷気」ではないが、俺はディカマランの仲間達とヤツの間に「壁」を造りたかったのだ。
――虚空死霊。死も生も超越した存在。それは死ぬ事もなく、生きる事もできず彷徨う、最悪の魂の牢獄だ。
太古の魔法の秘術を繰り返し転生を重ねた末、虚ろな魂となった者の末路か――
『……衰退してゆく祖国プルゥーシア、その繁栄のために僕は身を捧げてきた……! 偉大なる大聖人として、目ぼしい人材を集め、国の為に働かせ、愚かな民衆を導いてやり、喜びと興奮を与え、欲望を満たしてやったのさ!』
声ではなく、バッジョブの数々の記憶の断片が映像として走馬灯のように頭に流れ込んできた。
美しい白い国の人々の虚ろな瞳、大僧正としてバッジョブを崇める僧官達の熱に絆された瞳。
それは、数百年に及ぶ歴史絵巻だった。
数々の人間を操り、戦わせ、戦乱を起こし、漁夫の利を得て、まるで自らが神のごとく振る舞う、大聖人の姿がそこにあった。
『僕は、国を栄えさせるため、隣国から凍らない港を手に入れる為、僕は魔王軍の残党どもを従えて海路を遮断し、陸路を山賊共で寸断し――』
映像は現代、ポポラートでの暗躍に移り変わる。
「衰退? 貴様の国は静かで穏やかで、いいところなのだろう?」
俺は皮肉を込めて言う。
『そうだとも素晴らしい国さ! 全て大僧院の僧官達の思うがまま、僕は国民全員を糸で統制し……、全ての資源も食料も完全に分配する平等で完璧な社会をつくりあげたのだからね……!』
白い霊体が、揺らぎながら大仰に手を広げて、まるで神のように尊大に振舞う。
俺はそこまで聞いて、やれやれとメガネを指で持ち上げた。
前の世界でも、似たような国の話を社会の授業で習ったことが脳裏をよぎる。全てを統制する「理想国家」の末路は……言うまでもないだろう。
「ググレ気をつけて。虚空死霊は心に入り込むよ」
レントミアが俺の肩に手を回し、息のかかるほどの耳元で囁いた。
「ググレ殿が惑わされるとは思わぬでござるが、用心でござる!」
ルゥもいつの間にか俺と白い霊体の間にすっと立ち、魔除けとばかりに、剣先をバッジョブの霊体に突きつけて睨みつけている。
『賢者ググレカス……。だけど、僕は途中から……国なんてどうでもよくなった。目的が変わったのさ。あぁ! 僕は見つけた! ……思い出したのさ!』
天井を覆う白い霧の「声」が徐々に高揚していくのがわかった。
「何をだ……?」
『勇者達を目にしたとき、凍てついた空虚な僕の心に、光が……、光が降り注いだ気がしたのさ! 数百年前、離れてしまった僕の仲間、魂の共有者、ソウルメイトではないかと僕は喜びと期待に打ち震えたのさ!』
バッジョブにもかつては居たであろう「仲間」達と死に別れた後も、転生の秘術を繰り返し、時間を飛び越え、幾度となくプルゥーシアの指導者として君臨し続けてきただろう。
「だから、エルゴノートやレントミアを捕らえ、調べたのか……」
『はじめの数年は……目くるめくような冒険の日々だった! ……傍らには屈強な友がいて、美しい魔法使いがいて……。だが時が流れ……一人去り、二人去り。僕は延命の術、代わりとなる肉体の錬成、そして転生の秘術へと、僕は次々と世界の摂理を犯す禁忌の魔法に手を出し続けた……。けれど……残されたのは結局……僕一人さ』
それは……孤独、永遠の、闇だ――
と、声が続ける。
俺の心の奥深で「闇」が蠢くのを感じていた。ざわリ、と心が波立つ。
「……くだらんな。俺は、貴様とは違う」
『何が違う、何故違う!? 死を恐れ、摂理を捻じ曲げ、おのれの欲望に生きる……! それこそが魔術師の夢、人の望み、人の業ではいか!?』
白い霧が結界の外側に張り付いて、巨大なニヤついた顔として俺と対峙する。真っ赤な目と口が、嘲りながら近づいてくる。
『お前も欲しいだろう……? 命を操る秘術が、転生の魔法が、その先の力が……』
甘く囁くような声に、俺は眉根を寄せる。
脳裏に、俺の名を呼ぶプラムの笑顔が浮かんだ。
ほんの出来心から、興味本位で産み出してしまった、俺だけのホムンクルス――
「俺は……違う!」
『では君は何故ここに来た? 僕の深遠な魔術の知識を……極みを、知りたかったからではないのかぁああ!?』
それは読み違えもいいところだ。
「俺は仲間を盗られたからな。取り返しに来ただけさ」
ビギッ……と、結界のどこかが綻んだ。冷気が一気に足元に忍び寄る。暗く、冷たい、冷気がじわりと足を這い登ってくるのがわかった。
『くはは! だが、やがてお前は知るだろう……! 禁忌に手を出した僕の、君自身の末路を! 生命の練成、他人を操る喜びを、不老を、永遠を願い、転生の術にまで手を染めて……繰り返し、繰り返す……永遠の牢獄の恐怖をぉおお』
「ググレ耳を貸しちゃダメだ!」
レントミアが炎の魔法を両手に纏わせた。殴りつけるように霊体に叩きつけると、白い霧は霧散したかのようにみえたが、瞬きほどの間に再び集まり、俺に囁き続ける。
『賢者……ググレカス! お前が妬ましい……、誰もが望むだろう? 君のようになりたいと、君のようでありたいと……! あぁ……僕は、君になりた』
白い霧が全て糸に変わり俺に向けて一斉に襲いかかった。それは結界では防ぎきれない、不可視の魔力糸の束だった。
だが俺は、動くことができなかった。
「消えろ、悪霊が」
視界が暗黒に閉ざされた瞬間、凄まじい衝撃波が全身を揺さぶった。
ファリアが全力で竜撃羅刹を放ち、バッジョブもろとも天井全てを吹き飛ばしたのだ。
空を舞い、飛んでいく黒い粒粒が、吹き飛ばされた天井の破片だと判った時、俺は空の青さと海の碧さに目を奪われた。
風が、吹き抜ける。
まだ冬の最中、海からの風は冷たく、肌を髪を撫でてゆく。
俺達が居た7階は、半分を残しオープンテラスと化していた。あまりの光景に思わず笑いがこみ上げる。
「は……はは。容赦ないな、ファリア」
「ググレ、アホの話は聞くと耳が腐るんだぞ?」
ガシャッ、と巨大な斧を肩に担いでファリアが白い歯を覗かせる。
「まったくでござる。根暗な悪霊の戯言、拙者は途中から聞いてなかったでござる!」
キッパリと言い切る、すがすがしいほどの猫耳少年の笑顔。俺は肩の力が抜けるのを感じていた。
「そうだな」
――別に、それでいいのだ。今は、まだ。
太陽はいつの間にか天頂に差し掛かかっていて、俺は眩しさに思わず目を細めた。
「復活。エルゴくんが目を覚ましたよ!」
マニュフェルノが俺達に向けて声をかけた。頭を振りながら、よろよろと立ち上がる勇者エルゴノートは、いつもの二日酔いで目覚めた朝のような顔をしている。
「うーん? ……いてて……あれ? 何処だ、ここ?」
「はは、何も覚えていないのか?」
「ファリアにドつきまわされた夢はみたな……」
赤銅色の瞳を瞬かせて、エルゴノートが頭をかく。
俺はやれやれと肩をすくめた。そして、ようやく揃い踏みした「仲間」達を、一人づつ確かめるように見回した。
<つづく>