★賢者、怒りの鉄拳
大陸の極北に位置する沈黙の国、プルゥーシア。
そこで聖人の生まれ変わりと崇められている大僧正――バッジョブ。
身を包む純白の僧侶服はシンプルだが、随所に金糸銀糸の刺繍が施され、荘厳で神聖な雰囲気を醸しだしている。
端正な顔立ちの青年は長い白髪を風になびかせながら、7階へと踏み込んだ俺達に余裕の笑みを向けてきた。
本来ならば一国の支配者とも言える人物が、このような廃墟に居る事自体が異常なのだ。
何よりもバッジョブは、俺達の「敵」として立ちはだかっているのだから。
「既に……この勇者エルゴノートは僕の物だ、と言ったら?」
指先で、エルゴノートの厚い胸板から喉元、そして顎へと白い指先を這わせるバッジョブは、挑発的に口元を歪めた。
俺は眉をひそめ、短くも強い声で言う。
「お前を殴り倒して、返してもらう」
口元を隠すように親指と中指でメガネを持ち上げる。
俺はファリアやルゥローニィよりも前に居てバッジョブと対峙している。レントミアとマニュフェルノを加えた総勢五人の一番先頭という位置は、本来ならばありえないのだが。
賢者のローブを、テラスから吹き込む風が揺らす。
他の面々は終止、無言。
「賢者……ググレカス。5人揃って乗り込んできたという事は、僕の術を……この短時間で解析し『解呪』したのかい?」
面白そうに、興味深げに、俺に問いかける大僧正。
自らの魔法に絶対の自信を持っているのだろう。俺は、静かに口を開いた。
「……魔術基本言語は古代エスペルタール。それにオリジナルで組んだ命令文を加えて構成した術式で、一部ブロック暗号化されている。流石に暗号部分の解析は日の出までかかったがな……」
「は……! 流石は……世界で唯一の『賢者』とよばれるだけは、ある。……欲しい。欲しいなぁあ。その……賢者の力を!」
顎を持ち上げて、大僧正は赤く禍々しい光を俺に(・)に叩き付けた。
視界が奪われ、周囲が霧で閉ざされたように白の世界に変貌する。
気がつけば古の灯台の最上階は、一瞬で白い宇宙のような空間へと転じていた。その中でバッジョブの真っ赤な瞳だけが、燦然と輝く星のように輝いている。
心を易々と見透かすような光に、ともすれば魅惑され引き込まれてしまうだろう。
――空間位相……『隔絶結界』検知!
「隔絶……結界か」
戦術情報表示が真っ赤な警告を次々とならす。
白い霧につつまれて仲間達が消えてしまったとルゥが感じていたのは、バッジョブの術のせいだったのだ。
間髪をおかずにバッジョブの赤い瞳から放たれた「見えない魔力糸」の束、鋭い光のビームのような照射が、俺を含めた全員の身体を次々と貫いてゆく。
それは賢者の結界すらも貫いて――
「はは……! それが賢者自慢の結界か!? その程度か! 脆い……! 貧弱だ! 女戦士も魔法使いも、また僕の魂の器として頂くよ!? 賢者ググレカス!」
だが俺は無言で赤い双眸を睨み返す。
「君の不思議な能力も、勇者の力も! 屈強な女戦士も! 可愛らしい魔法使いも僧侶の癒しも! 珍しい猫耳の剣士も……全て……ッ! いや、世界は」
――僕のものだ!
空間全体に響き渡る哄笑。
それは、完全に勝利を確信したバッジョブの声だ。
だが――。
指一本、唇さえも動かせない操り人形と化したはずの俺の口が、静かに言葉を発する。
「……この術でお前は、多くの人間を操り人形にしてきたわけか?」
「な……! なにぃ!?」
宇宙空間に浮かぶ赤い双子星が揺らいだ。それは術者の動揺をそのまま写す鏡のように。ざわめきと波紋が白い宇宙空間に広がってゆく。
バッジョブが術をかけたはずの、俺やファリア、そしてレントミアにマニュにルゥ。
全員の身体が、ドロリと形を失う。それは……全てスライムだ。
「こ……これは偽物!?」
驚愕の声と共に白い世界が砕け、元の灯台の7階へと戻った次の、瞬間
「言ったはずだ。お前を殴り倒す――と!」
メギッ!
俺の拳がバッジョブの顔面を捕らえた。
魔力強化外装を、足首、腰、胸筋、肩、腕、そして拳へと展開した怒りの鉄拳が、だ。
「ブッ……!?」
俺は渾身の力で、バッジョブの顔面を殴り抜いた。
壁際まで吹き飛ばし、跳ね返ってきた身体にファリアの容赦の無い前蹴りが炸裂する。
大僧正の身体は白いボロ布のように宙を舞い、天井のガラス窓を突き破った。
「――ぐッはぁああああッ!」
大僧正は屋根に据えつけられた巨大クリスタルに激突してようやく停止、グラリと落ちて床へと叩きつけられた。
「バ……バカな!」
信じられない、という顔でバッジョブの蒼白な顔が更に色を失う。
――賢者は知的でエレガント。
常に策を巡らせて、相手を余裕で翻弄。
卑劣とさえ思えるほどに圧倒的な魔法の力で完全勝利――
世間や仲間たちにはそんな印象をもたれている俺だが、今は……今だけは、違う。
「直球でおまえを殴りたくて仕方なかったんだよ」
賢者としてではない「俺」自身の言葉を、這いつくばる大僧正バッジョブにむけて吐き捨てる。
「私も……ググレと同じだッ! この、卑怯者が」
ファリアが興奮した様子で吼える。エメラルドの瞳には凶暴な光が宿っている。放っておけばボコボコに蹴りを入れそうな女戦士を俺は手で制する。
ここにイオラやリオラ、そしてヘムペロやプラムが居なくてよかったと思う。
それほどまでに、俺らしくない激情にまかせた行動だった。
――スライムに外装変化を施して、偽者の5人を作り上げ、魔力糸で操って7階へ突入させる。
もちろんスライムには抗体自律駆動術式を仕込んである。
当然のように術をかけてくるバッジョブと隔絶結界を、俺は外側から破壊。
術をかけることに夢中な大僧正に俺は悟られる間もなく近づいて、全力で殴り飛ばしたのだ。
ズレたメガネをつぃっと直す。
階段の上り口で待機していたマニュフェルノと、レントミア、ルゥローニィが駆け寄ってくる。
「一撃。やるときはやるのね、ググレくん」
「きゃはは! やるねググレ!」
「うーむ、痛快でござったな」
仲間達の声に俺は苦笑を浮かべつつ頬をかく。
「ルゥ、剣でエルゴノートの背中の空間を切ってくれ」
俺はルゥローニィの剣に「見えない魔力糸」を切断できる魔法をかけた。戦術情報表示から抗体自律駆動術式を実行すると、ルゥの剣はポウッと青白い光を放つ。これでプラムと同じ魔力糸を切断できる力を得た事になる。
「了解でござるっ!」
ルゥは頷くと、テラスで呆然と立ったままのエルゴノートのほうへ駆け出した。
あとは呆然自失といった様子のバッジョブの処遇だけだ。小一時間土下座させて説教してやってもいいが……。
「ひ……い……い、痛い……!? ヒイッ……!?」
バッジョブが俺達の姿を見て壁際までジタバタと這ったまま後退する。そして、怯えた様子でょろきょろと辺りを見回す。
「こ、ここは……何処だ!? ア、アンタ達……一体……誰なんだ!?」
――な……!?
その言葉に俺は理解した。
一杯食わせたつもりの俺達自身もまた、一杯食わされていた事に。
瞬間、パリッ! と青白い雷光が部屋を駆け抜て、俺は咄嗟に叫ぶ。
「離れろルゥッ!」
「にゃ!?」
ルゥに向け、青白い稲妻を纏わせた剣を振り上げた勇者エルゴノートの双眸は、真っ赤な禍々しい光を放っていた。
<つづく>