シュラブ・ガーデン『ばーじょんつー』
◇
「隔絶結界が、消えない……」
「え? どゆこと?」
フワフワと上下も曖昧な空間の中で、俺のローブを掴んで浮かんでいるレントミアがエルフ耳をぴくんと動かす。
「まぁその、閉じ込められたと言えばわかり易いか?」
「この世界に……二人きり!?」
「何で嬉しそうなんだよ……」
「……えへへっ」
熱っぽい目線で俺を見つめるハーフエルフに、俺はハァと嘆息しつつ、淡々と事実を告げる。
「結界の解除命令を受け付けないんだ。戦術情報表示や魔力糸がここでは上手く働いてくれないらしい」
「うーん、ちょっとピンチだね?」
唇を指で持ち上げて、悩む風の顔をしているが、それほど真剣な風には見えない。
「おまえを助けたのはいいが、戻れないなんてシャレにならんぞ……」
目の前に浮かべた戦術情報表示は、検索魔法が機能不全を起こしている様子が一目でわかる。赤い警告と実行エラーの嵐だ。
千年図書館から得られていた情報が途絶し、検索妖精に呼びかける為の「回線」が断たれたのが原因なのだが。
「――じゃ、ボクが空間に穴を開けてあげるよ!」
「ま、まてまて!」
右手を頭上に向けて、火炎系の極大魔法を励起するレントミアを慌てて止める。
「なんで?」
「ここは巨大怪獣を焼き尽くした時と同じ『隔絶結界』の中なんだ。結界の境界に魔法が衝突すると、内側で無限に反響して……何倍にも威力が増してここは灼熱地獄になるんだよ!」
「あ……なるほど」
納得したようにシュッと炎を収めるレントミア。
とはいえ、このままこの空間の中に引き篭もっているわけにもいかない。外では今もルゥやマニュ、プラムたちが戦っているのだ。
俺の授けた作戦通りに戦っていれば上手くファリアを救い出せているだろうが、レントミアが消えた事を察知した敵が更に「紫の魔法使い」を差し向けてくる事だって考えられる。
そうなれば戦線は崩壊、イオラ達の連携は一気に瓦解してしまうだろう。
「くそ……準備不足もいいところだ。俺としたことが……不覚だ」
悔やんでも後の祭り。空間を支えるエネルギーが尽きれば、おそらく消失……って!
「この空間、魔力供給の減少に伴って『0(ゼロ)』に収束する極限方程式で組んでいるんだった」
「……空間が徐々に小さくなって、潰れちゃうって事?」
「そうとも言う」
「きゃはは、ちょっとどころか大ピンチだねっ!」
「おまえなぁ……」
はじけるように笑うハーフエルフ。何が楽しいのか、俺の心配と苦労も知らないで……。
「ま、ボクとググレがいるんだもん、なんとかなるでしょ?」
レントミアはそう言うと、すました顔で次々と呪文を詠唱してゆく。
すると、戦術情報表示ほど明確ではないものの、空間に図形や記号が浮かび上がってゆく。空間の現状分析と途中経過を、眼前に記憶させていく作業を素早くこなしてゆくレントミアの術式は、俺の「戦術情報表示」の元となった原型でもあった。
空間には次々と魔方陣や古代魔術語の文字列、光の粒が浮かんでは消えてゆく。それは魔法使いならではの神秘的で不思議な光景だ。
「そうだな、俺も!」
手際に思わず見とれていた俺も、気を取り直し、空間から脱出できそうな魔法を手当たり次第試してゆく。
すると、高速暗号化の変数を変えて変換速度を、低下させる事で結界自体を単純化できそうな手ごたえがあった。
術式の変数の一つを操作する事で、霧のように空間全体を覆っていた白い光が消え、元の「古の塔」内部の光景へと切り替わった。
そこには、イオラにリオラ、そしてマニュフェルノにルゥ、プラムもヘムペロも、目を凝らせばプラムの肩にはメティウスもいる。全員無事のようだった。
彼らの目線の先には必殺技を不完全ながらも放った後のファリアも立っている。
「みんな! おいっ! ……聞こえないのか……!」
互いの声や音は伝わらないが、俺たちが忽然と消えてから僅か2、3分しか経過していないにも拘らず、状況は目まぐるしく動いようだった。
床の石畳はあちこちが崩れ、塔の壁の一部にはそれまでは無かった大穴が開いている。ぽっかりと口を開けた壁の向こうには、青い水平線と、白みがかった薄雲の浮かぶ空が広がっているのが見えた。
俺が授けた「ファリア奪還作戦」は上手くいっていない様子だ。しかし、全員無事でさえ居てくれるのならば、立て直しは幾らでもできる。
――ファリアも無事! 皆も……怪我はしていない。
俺はほっと胸を撫で下ろした。
とはいうものの、俺とレントミアは、透明なガラスの玉の中に居るような状態に変わりはない。今すぐにでも叩き割って、みんなのところに戻りたいが……。
「ググレ! 見つけたよ、空間の特異点だ。ここをこじ開ければ、外に出られるよ!」
「でかした! で、解錠できるのか?」
「できるだろうけど……ボクがやると一日ぐらいかかるかも」
「……それはいい知らせだ。ついでに言うと、俺の『戦術情報表示』の残存機能で計算してみたんだが、この空間の内側の広さは半径6メルテ。現在秒速0.01メルテで減少中だ」
「ふんふん、つまり?」
レントミアが引き攣った半笑いで尋ねる。
「約10分でこの空間の直径は『0』に収束する」
「――あははは!」
「――わははは!」
俺は笑った。レントミアもだ。なんだか久しぶりに二人で大笑いした気がする。
もちろん、笑っている場合じゃないが。
「一か八かだが、俺達の全魔法力をその特異点にぶつけて内側から突き破ろう」
「まー、それが一番簡単だね! ヘタをすると消し炭だけど」
「消し炭どころか、原始分解して素粒子だ」
「……? ググレの冗談は時々わからないよ」
そうと決まれば脱出の準備だ。軽く肩をすくめた後、レントミアは円環魔法を励起して、呪文詠唱を開始していた。
圧縮し加速させるのは俺の純粋な魔力そのものだ。それを超圧縮してエネルギーの塊にして特異点をこじあける作戦だ。
魔法の結界や異空間に閉じ込められたことは幾度もあるが、隣で並び立つ頼もしい相棒がいる今となっては「なんとかなる」という気分だった。
状況は厳しいが一か八かの作戦にかける方が、俺達らしい賭けだろう。
俺も空間干渉が功を奏し、向こう側の音と声が、僅かに聞こえ始めた。レントミアの魔法の準備が完了する30秒の間、俺は眼下で繰り広げられる戦いの行く末をただ見守るしかなかった。
◇
「くっそ! あれで不発なのかよ!?」
「ファリア殿本来の竜撃羅刹の、半分以下のパワーでござる……!」
「ルゥさんが叫ばなかったら、今頃全員……」
イオラとリオラが戦慄し、穿たれた壁の向こうの景色に視線を向けた。
吹き込む海風が二人の栗色の髪を弄ぶ。
崩れた壁は、円形の部屋の三分の一にも達していた。ファリアが本気で必殺技を放てば、この灯台ごと崩壊してもおかしくはないだろう。
「ヘムペロちゃん大丈夫なのですかー!?」
「にょ……う、プラムにょ、助かったにょ!」
体力と俊敏性でヘムペロに勝るプラムは、咄嗟にヘムペローザを庇い、必殺技の暴風をしのいだようだった。
「撤退。ググレくん、私たちだけじゃ……! これ以上は……」
マニュフェルノが泣きそうな顔で天を仰ぐ。
いくら祝福で被害を最小限に防げても、幸運を起こすのにも限界があるだろう。マニュフェルノは、見えないはずの俺がいると信じているかのように目線をこちらに向けている。
銀色の髪と、赤みを帯びた瞳には不安の色が浮かんでいた。
「賢者ググレカスは、必ずレントミアさまと共に戻ってきます! だから……もう一度!」
メティウスがプラムの肩で、荒い息を吐きながら必死でマニュフェルノに訴える。
「妖精。まさか……ググレくんの魔力供給が途絶えて……!?」
「へ、平気です……僧侶マニュフェルノ……私には、大切な役割が……」
フラフラと飛び立とうとするが、上手くいかずプラムが咄嗟に手で救い上げる。
「妖精さん!? どうしたのですかー!?」
メティウスへの魔力供給が途絶えてから既に三分は経過している。メティウスをこの世界に繋ぎとめている結界維持も魔力が尽きようとしているのだ。
が、気丈にもメティウスは、俺の指示を忠実に守ろうと、立ち上がる。
「みなさん、もう一度……! 賢者ググレカスの言うとおりに!」
その必死の、小さな声に、皆は再び構えをとる。
「よ、妖精さんは……プラムが、ファリア姉ぇさんのところにつれてゆきますのですー!」
「プラム嬢、ありがとう……嬉しいわ」
「まかせるのですー!」
プラムは俺の言いつけを忠実に果たそうとしていた。怯えて逃げてしまうのではないかと、心配していたが、杞憂だったのだろう。
ファリアも苦しげに頭を押さえ、苦しんでいた。
斧を床に突き刺して、自ら放った必殺技を再び撃たせまいと、ファリア自身が内側で抗っているのだ。
自分を操ろうとする意思と、支配されていない魂が、肉体を奪い合おうと激しく葛藤している。
「いこう、イオ!」「わ、わかったぜ!」「最後の……勝負でござる!」
リオラとイオラ、そしてルゥが三方に散り、同時攻撃の位置につく。
「ワシも……賢者の弟子にょ! 見せてやるにょ、 ワシの極大魔法を!」
ヘムペロはそう言うと立ち上がった。痛々しくすりむけた膝小僧からは血が流れている。
痛みに耐えながら、手の先から緑色のみずみずしいつる草を生み出してゆく。それは見る間に成長して床に垂れ下がり、花を咲かせ、僅か2秒で大きな茶色の果実を実らせた。
――がんばれヘムペロ! ファリアを完全に止められるのは、おまえだけなんだ!
俺の声が届いた訳ではないだろが、ヘムペロはこちらを見上げ、目を細めた。
「見ててくれにょ、賢者にょ!」
「――ヘムペロちゃんっ!」
プラムが叫ぶと同時に、イオラとリオラが、ルゥが、からだのバネを生かして跳躍――
ファリアめがけて、同時三方向からの攻撃を見舞った。
ギギギィンッ!
と、鋭い金属音が完全に一つにシンクロし、火花が三つ飛び散る。それは見事にファリアの巨大な斧を捕らえ、その手から武器を叩き落した音だった。
「ヘムペロ・ハンマァアアアッ!」
ヘムペロは魔法で励起した「実」をハンマー投げのように振り回し、ファリアの身体にたたきつけた。
実はヤシの実程の大きさで、直撃したところで、ダメージを与えられるものではない。
がーー、
刹那、パチィッ! と実がはじけ、微細な種子を撒き散らした。
「くっ……!?」
ファリアが目をつぶり、怯んだように見えた。
ホウセンカの種が割れてタネを飛ばすように、ヘムペローザの魔法のつる草の実がはじけることを知ったのは昨夜のことだ。
だから、この作戦を考え付いた。どんな相手であろうと封じ込める、必殺技を。
「まだまだ、終わりじゃないにょ!」
ゴマ粒ほどの種子は、ファリアの周囲に飛び散り、鎧の隙間にも入り込んだはずだ。
そしてヘムペロは叫ぶ。
「――蔓草魔法、『ばーじょん、つー』ッ!」
次の瞬間、全ての種子が一斉に芽吹き、爆発的に蔓を四方八方から伸ばすと、猛然とファリアに絡みついた。緑色のつる草の奔流は一瞬でファリアの脚を、腕を、身体を絡めとリ、鎧の内側からも這い登ると、その動きを完全に封じ込めた。
<つづく>