★レントミアと二人、白い世界で
「――お前たちは、ファリアを救え! 全力でだ! こいつは俺が……食い止めるッ!」
俺はレントミアの身体を押さえつけたまま、結界を『逆固定展開』モードで再構成し周囲の空間ごと球形に切り取った。
眩い白い光が俺たちを包み込むと、周囲の風景も音も失われた。
塔の六階で必死にファリアを取り返そうと奮闘している仲間たちの姿や声は完全に途絶え、代わりに視界を埋め尽くしたのは真っ白な空間だった。
床も壁も境界が曖昧になり、俺たちはグラリと体勢を崩した。組み付いていた腕が解け、互いの距離がフワリと離れて、まるで無重力空間のように漂う。
「――う、あぁッ!?」
「しっかりしろレントミア!」
レントミアが苦しそうに身をよじりながらも呪文の詠唱にはいるのが見えた。バッジョブに操られているハーフエルフは、まだ俺に対する攻撃意思を失ってはいない。
――外部との魔力糸は全て切断したはずなのに……!
レントミアを操るバッジョブの「見えない魔力糸」は理論上「断線」したはずだった。
にも拘らず、こうしてレントミアの束縛が解けていないのは、自律駆動術式に似た仕組みが直接体内に埋め込まれているからに他ならない。
現に、隔絶結界により外部との魔力糸の接続は全て切断されている。
俺とプラムを繋ぐ水晶ペンダントも信号は途絶し、検索魔法も、画像検索も、それらと連動することで駆動する戦術情報表示も機能不全を起こしている。
「実行不能」「接続失敗」という真っ赤な文字が次々と戦術情報表示を埋めてゆく。
俺は自ら作り出した強固な結界の内側に入り込んだ事で、半数以上の魔法が使用不能になっているのだ。
とはいえ、結界を解除してしまえば致死的な魔法を放つ危険な魔法使いを、イオラやプラム達の目の前に放つ事態になりかねない。
「くそ! やはり直接レントミアに抗体術式をッ!」
俺は手の先から魔力糸を次々と撃ち放つが、すべてレントミアの防御結界で阻まれてしまう。
――くっ!?
レントミアの結界は俺と同等の性能を有している。
違うのは俺が常時16層を展開しているが、レントミアは3層ほど、という数の違いだけだ。
これは自律駆動術式を使いこなす俺と、自らの脳を使って結界を組み上げるレントミアとの処理能力の差によるものだ。
だが、結界自体の強度にさほどの差が無い以上、今の状況下では遠隔での魔法の打ち合いは無意味だ。
と、レントミアの手の先に真っ赤な光が集まると、俺に向けて放たれた。
初歩的な魔法なら殆ど呪文詠唱無しで励起できるレントミアにとって、俺を吹き飛ばすのは造作もないことだった。
「ぐあっ!」
二人の中心で炸裂した爆発系の魔法により俺は吹き飛ばされた。
何処までも吹き飛ばされる感覚の中、必死で「地面、地面!」と念ずる事で足場を生じさせる事に成功する。
ここは本来、俺が生み出した「隔絶結界」の中なのだ。
紫の魔女が「輝石煉獄」と呼んだ結界と本質は変わらない。だか、俺は内側に入り自分に有利なように闘うという戦法において、この空間を利用したことがないのだ。
戦術情報表示が、致命的な警告を発している事に気がつく。
――防御結界……残存、1
すでに有効な防御結界は一枚だけしか残っていなかった。
それもそのはずだ。通常16層展開している俺の結界に利用する魔力の殆どを、この「隔絶結界」の構築に転化しているのだから。
俺の表層に展開している一枚の結界が、今の俺にとっての命綱だ。だが、レントミアの強力な魔法を一撃でもくらえば次は無い。
再びレントミアが両手に火炎系の魔法を励起しているのが見えた。
俺に魔法を教え、共に戦ってきた師匠であるハーフエルフの幼さを残した少年のような顔が、苦痛と悲しみに歪んでいる。
呪文詠唱を、自らの意思では止められないのだ。
「レントミア……!」
昨夜――。
俺と妖精メティウスが解き明かした「見えない魔力糸」の秘密。
レントミアが俺に託したサンプルを使い、数百通りの術式を糸に流し込み、反応を繰り返し調べ、解き明かしたバッジョブの魔術は驚くべきものだった。
それはつまり、極細の魔力糸は「極めて単純な命令文しか伝えられない」代わりに、かなり強固で、遠くまで届く特性を持つという事だ。
通常、魔法使いが魔力糸でゴーレムを操ろうと思えば、膨大な制御用の術式を流し込む必要がある。
しかし俺が用いる「自律駆動術式」とよばれる方法を用いる場合は違う。賢者の魔法の正体は、あらかじめ組み合わせてスタンバイ状態にしておいた「術式」を、外部からの単純な「実行命令」のみで励起できるように「カプセル化」することで詠唱の手間を省くという言語圧縮の産物だ。
つまり、大僧正バッジョブは、俺と同等の、自律駆動術式を用いているのだ。高度に圧縮してカプセル化した魔法術式を相手に植え付け、それに対して単純な「実行命令」を送る事で人間を操る。
それならば少ない魔法消費で、何人もの人間を遠隔で操る事ができるだろう。
つまり、ファリアやレントミアを救う為には、紫の魔法使いプラティンの時のように「魔力糸を引きちぎる」だけではダメなのだ。
体内に埋め込まれたバッジョブの「自律駆動術式」を破壊、最低でも機能不全にしなければ、操り人形から救い出すことは出来ない。
ならばッ!
俺は、使える数少ない魔法である魔力強化外装を展開し、仮想の地面を蹴り付けて飛翔した。
ぐんぐんとレントミアが間近に迫る。
両手を左右に広げ、極大級の火炎魔法を俺に向けて撃ち放とうとした瞬間――、
「やめろって……言ってるだろうがああっ!」
叫びながら、その両手を組み伏せて火炎魔法に直接干渉し強制的にキャンセルさせる。だが、収斂していた熱エネルギーが眩い光と熱となって、両手の隙間から溢れ出した。
「ぐ、あぁああああッ! 目を覚ませ……レントミアッ!」
「……グ……グレ……?」
俺の声が届いたのか、レントミアの翡翠色の瞳がおおきく見開かれた。
――防御結界、完全消失――
激痛と熱さが両腕を焼いてゆく。
「うぬ、ううう! い、今……!」
それは本当の炎ではなく、魔法力の侵食による錯覚か、あるいは本当に腕が燃えているか、だが今はそんなことはどうでもよかった。
完全に接触し互いが零距離になった時点で、結界は意味を成さない。つまり、今しかない!
「助けてやるッ!」
俺はレントミアの首筋にかじりついた。
細く、白いうなじに唇が触れた瞬間、視線誘導で戦術情報表示を操作、『抗体自律駆動術式』を直接流し込んだ。
「ぁ、あああっ! ――グ、ググレ……ッ!?」
悲鳴が、やがて、静かな驚きの声色に変わってゆく。
抗体自律駆動術式は速やかに、忌まわしい呪縛を解いたのだ。
バッジョブの呪いを解かれたハーフエルフは、まるで眠りから覚めた姫のように、まだ朦朧とする目を俺にむける。
静寂の訪れた白い世界の中心で、俺達は静かに見つめ合った。
「レントミア……だいじょうぶか?」
「……大丈夫じゃない……」
「な!? どうし……」
「今、ググレに襲われてる……」
くすり、と悪戯っぽい笑みをこぼすレントミアは、握った手にぎゅっと力を篭めた。
俺とレントミアは、手をつないだまま、くるくると白い空間の中を漂いってる。
まるで俺が憧れていた男同士の「熱い友情」のワンシーンのように。
「は! そんな口が利けるならもう大丈……痛ッ!」
「!? ググレ、その手……!」
「おまえの火炎魔法、強引にキャンセルしたからな、少し火傷したらしい」
「そんな……ボクの……ために……?」
「俺たちは、友達だろう」
じわ、と目の端に涙を浮かべたレントミアは、そのまま俺の胸に飛び込んできた。
「ちょ!? おまっ!」
熱を帯びた華奢で柔らかい身体の感触と、懐かしい香りは間違いなく、レントミアだ。
思わずその背中をぎゅっとだきしめる。
--よかった……。
「治癒は出来ないけど、……こうしてあげるね」
子猫のような舌で火傷を舐めようとするハーフエルフの頭を慌てて止めて、
「や、やめっ! ってかこんな事してる場合じゃないんだあああっ! ファ、ファリアを助けに行くんだよッ!?」
「ファリアを……!?」
レントミアは状況を理解したのか、切れ長の瞳を瞬かせた。
<つづく>