スライム・デトックス
この世界には数百種類にも及ぶ原初的な魔法生物――いわゆる「スライム」が存在している。土の中や岩陰、湿った洞窟の奥深く。中には海の中や生き物の体内に寄生するものまで様々な種類が存在する。
俺の自慢のワイン樽ゴーレム、『フルフル』『ブルブル』も中身はスライムだ。ワイン樽に二種類のスライムをブレンドしたものを詰め込んで、特殊な術式で制御を行うことで擬似的な筋肉の塊として利用しているのだ。
そして今、俺たちの目の前にある巨大な灯台「いにしえの塔」は、巨大化したスライムが、魔物で汚れた内側を絶賛洗浄中だ。
赤と紫の毒々しい色合いは、見た目どおりに毒性を有している。成熟するに従って体外に動物の神経伝達を阻害する毒成分を放出し、獲物を痺れさせる獰猛な種類だ。
ちなみに俺が研究用に飼っていたものを千切って連れて来たのだが、『ピリピリ』という可愛い名前もある。手に乗せると毒素でピリピリと痺れることから名づけた名前だ。
『ピリピリ』は今や俺の魔力を注ぎ込まれて巨大化し、塔の最上階から一気に雪崩のように中へと流れ込んでいく。最上階である7階、そして6階、5階、という具合に、階下へ階下へと流れてゆく様子が、ここからでも良く見渡せた。
「全部……流れ込んじゃったぞ」
「音がなんだか嫌なんですけど」
イオラが唖然とした表情で塔を眺め、リオラはその横でちょっと苦笑を浮かべている。
それもそのはずだ。
聞こえてくるのはゴボゴボという音や、「いにしえの灯台」内部でスライムの濁流に飲み込まれたり、パニックになり逃げ惑う魔物の不気味な叫び声だ。
「フハハ、スライム・デトックスで汚物は消毒だ!」
「解毒。と言うよりは押し流してる感じですね」
「だが、効果はばつぐんだろ?」
マニュと二人同時に妙な笑いを漏らす。
「ファリア殿たちは無事でござろうか……?」
「エルゴにしてもファリアにしても、スライムの濁流ごときに流されるような連中じゃないだろ……?」
不安げなルゥの問いかけに俺は余裕の笑みで答える。
更に言うならば、あのいけ好かない「白い大僧正」がエルゴノート達と共に最上階で結界を張っている。つまりスライムの物理的飽和攻撃ぐらいではびくともしない筈だ。
俺は塔全体を「洗浄」するために塔の内側とほぼ同じサイズまでスライムを巨大化させてから流し込んだ。それは満遍なく部屋の中で渦を巻いて全ての魔物を巻き込むためだ。
更に、マニュが先ほど唱えた魔法「幸運消失」により効果が倍増しているハズだ。「運よく助かる」とか、幸運にも「何かに捕まって助かった」とう事が無いようにマニュノ魔法は十分な威力を発揮してくれるはずだ。
そう。俺の狙いはあくまでも各階に巣食う「魔王の残党」共の大掃除なのだから。
ジュゴゴゴッ……! と、まるで詰まった水洗トイレのような音を立てて、3階、2階、1階と粘液と魔物とゴミが入り混じった「物体」が物凄い勢いで流れ下り、遂に唯一の出入り口である扉を内側から押し開けて一気に外に流れ出した。
ドロドロと灯台の一階にある出入り口からは、青と赤と、魔物の緑色と、もう何がなんだかわからない混沌とした物体がとめどもなく吐き出されてくる。
それはとても汚らしい光景だった。
塔の内側で俺たちを待ち構えていた百匹近い魔物は、思いもよらない巨大なスライムに飲み込まれるという奇襲により外まで押し流されたのだ。
「にょぉお! ……見るに耐えない光景じゃにょ」
「あ、海のほうに流れてゆくのですよー」
「灯台の横はすぐ崖だからな。ジ、エンドさ」
「怪我などなさらないとよろしいですが」
冗談なのか本気なのか掴みどころの無いコメントは、妖精メティウスだ。
くすり、と肩を揺らす妖精の様子から察するに……、ジョークらしい。
灯台が建っているのは、東側の広がる海に面した切り立った崖の端だ。
魔物交じりのスライムの巨大な混合物は、高さ30メルテはあろうかというガケの下へと落下していった。
スライムに包まれたまま崖を転がり落ち、更に海に落下するわけだから死ぬほどではないにせよ相当なダメージを受けるだろう。
何よりもスライムの毒で身体は痺れ、数日は何もできないはずだ。
「塔の内部を、再捜索……。探知できる限りでは、敵残存は……ゼロ。ですわ、賢者ググレカス」
おどけた声から一転、機械的に告げた妖精の声に頷きながら、エルゴノート達のの気配を探るが、流された痕跡は無い。
俺は馬車をゆっくりと灯台に向けて発車させた。
徒歩での移動速度にあわせて進む馬車の左右には、ルゥとイオラ、そしてリオラが随伴する。
緒戦で出番が無かったのは幸いだが、ここから先はいよいよ塔へと乗り込むことになる。マニュとプラム、ヘムペローザは馬車の荷台へと乗り込んで、周囲を伺っている。
距離を置いて、量産型ワイン樽ゴーレム『樽』がゴロゴロと転がりながら馬車を護衛するように追従する。。
と。
「高熱源反応!」
戦術情報表示の警告とほぼ同時に、妖精メティウスが叫んだ。
瞬間、バッ! と結界の外側で火花が散る。
「わ!?」「きゃっ!」「にゃっ!」
ルゥやイオラ、リオラが眩い悲鳴を上げるが、もちろん賢者の防御結界の内側だ。
「指向性熱魔法! ……これは……!」
馬車全体を包むように展開していた賢者の結界は、馬車に随伴する三人までもカバーするような大きさまで拡大していたのが幸いだった。
結界の外側を滑るように弾かれた一条の赤い光の筋は、そのまま背後の地面を穿ち、地面を吹き飛ばした。
指向性熱魔法は竜人の里で対戦した女魔法使いウリューネンや、俺の師匠のレントミアも使いこなすレーザー砲に似た魔法だ。
炎の魔法が生み出す熱エネルギーの放射を、魔法の鏡面反射の原理で収斂し、指向性の高い熱線として撃ち出すという原理だ。
威力は弱いが、遠距離から敵を狙撃できる特性を持っている。
続いて、二射、三射と、真っ赤な光の筋が灯台の最上階から俺たちの馬車を狙撃してくる。すべて賢者の結界で捻じ曲げてやりすごすが、量産型バールが直撃を受けて粉微塵に吹き飛んだ。
――8号機、制御信号途絶!
「みんな、馬車から離れるな。リオラ、君は中に入れ!」
「わ、わたし平気、きゃ……っ!」
「いいから中に入れって!」
イオラがリオラを持ち上げるようにして荷台へと押し込んだ。
「イオ!」
「俺は平気だ、ぐっさんが守ってくれるから」
イオラがさらりと言う言葉に、俺は柄にもなく照れてしまう。
「せっ、拙者も中にはいるでござるぅう!」
「ルゥはむしろ外いろよ!?」
俺のツッこみにルゥはしょんぼりと、イオラの背後に隠れるような有様だ。うーむ、ルゥは本当に前衛向きじゃないな……。
馬車は速度を上げて死角となる塔の懐、一階の開け放たれた入り口に馬車を滑り込ませる。
灯台にたどり着く寸前、その最上部に突き出たテラスで魔法を撃ち放つ者の姿に、俺はハッと息をのんだ。
「レントミア……!」
予想は出来ていたとはいえ、魔法を俺たちに放つハーフエルフの姿に、複雑な思いがこみ上げる。
「ここからは全員で上をめざそう」
馬車を一階のフロアに停車させ、索敵結界で厳重に周囲を警戒しながら、上階へと向かう階段を俺たちは昇り始めた。
ルゥとイオラが前衛、その後ろにリオラ、そして俺の両側にはローブを掴むプラムとヘムペローザが並び、最後尾をマニュフェルノが固めるという細長い陣形で進んで行く。
気がつくとイオラはリオラの手をしっかりとつかんで歩いていた。
俺も僅かに遅れて大切なことに気がつく。
「マニュ、あ、足元が滑る……から」
「感謝。ありがとググレくん」
差し出した手を握るマニュフェルノは、小さく笑みをこぼした。
「にょ!? ワシだって転ぶにょ!」
と、空いた右手をすかさず狙うヘムペロの手を、一瞬早く掴んだのはプラムだった。
「ググレさまは魔法を使うのですから、お手々が使えないとこまるのですよー」
「にょ !? た、確かにそうだにょ……」
「だからヘムペロちゃんは、プラムとつなぐのですー!」
「プラム……!」
俺はプラムの言葉と成長に驚きつつ、その真心がうれしかった。
◇
ワイン樽ゴーレム達には馬車や塔の周辺を警戒してもらう。万が一の際に、退路を絶たれないためだ。
本来ならばここから魔物たちの「歓迎会」が行われるところだったのだろうが、スライムに押し流された塔の中に魔物の気配は無く、静まり返っている。
2階、3階と階段を踏みしめながら、皆は緊張の面持ちで言葉少なに進んでゆく。ときおり目で合図を交わしながら、物影に注意を払いつつ進むという緊張の時間が流れる。
「な、なんだにょ……賢者のスライム攻めで魔物は全滅したんじゃないかにょ?」
5階への階段を昇り終えて、ガランとしたフロアにヘムペローザが緊張の糸を緩めた、その時――
「接敵! ――ゼロ距離……直上!?」
妖精メティウスの反応が一瞬早かった。僅かに遅れて戦術情報表示が真っ赤な警告を発する。
「みんなッ! 上だ! くるぞ!」
<つづく>