★賢者の、『いにしえの灯台』攻略作戦
◇
翌朝――俺たちはまだ暗いうちから港町ポポラートを出発した。目指すは馬車で一刻ほど走った岬にある「いにしえの灯台」だ。
辺りはまだ深夜と変わらない暗闇の世界だが、僅かに東の空が白み始めていた。
昨夜の喧騒が嘘の様に町は静まりかえっているが、日の出と共に海へ漁に出ようとしている猟師達が、忙しそうに船の準備をしていた。
魔物に襲われる危険性が早朝は比較的少ないのだという。それでもいつ襲ってくるやもわからない魔物に怯えながらも生活の糧を得ようとする猟師達に敬意を表しつつ、俺たちは馬車をひた走らせる。
灯台までの道は、海岸沿いに曲がりくねりながら続いているが、敵の待ち伏せの危険がある海辺は避けて、大きく草原地帯を迂回することにした。海をねぐらにする魔物が見晴らしのいい丘陵まで進出することは稀だからだ。
ガタゴトとゆれる馬車の荷台では、皆は黙したまま肩を寄せ合ってじっとしている。イオラにリオラ、ルゥにマニュ。そしてプラムやヘムペローザさえも、強い意志を感じさせる顔つきで、馬車の進む先に視線を向けている。
「夜が明けるぞ」
俺の声に、皆が東の方角に顔を向ける。水平線の彼方から顔を覗かせる朝日が、徐々に周囲を照らし、海の青、海岸線の白い波と岩、そして丘陵に生える草木の緑と、世界を色鮮やかに染めてゆく。
「綺麗……! 世界はこんなにも広いのですね!」
どこまでも広がる海と空と、丘陵の草原。その壮大な光景に、妖精メティウスが蒼い瞳を輝かせている。
生前は身体が不自由で王宮からは出られず、亡くなった後も図書館の結界に捉えられていた姫君は今、妖精に生まれ変わったことでやっと手に入れた自由を全身で感じているようだった。そして、夢にまで見た自分が紡いだ物語の「世界」を旅している。
「ぐっさん、あれが古の灯台か……!」
「あぁ、いよいよだ! みんな、油断するなよ!」
馬車の進行方向の海岸に突き出た岬には、ひときわ異彩を放つ巨大な塔――「いにしえの灯台」がその全容をあらわにしていた。
黒と金色の光のコントラストに彩られた巨大な構造物は、神話の時代からそこに存在し、遥か沖を進む船を導く光を放ち続けていたという。魔法で灯された強力な光は、夜でもポポラートの窓辺で本が読めた程だったらしいが、今ではその光も失われ、魔物の巣窟と化している。
見たところ入り口は、西側にある半円形の木の扉、一つだけらしい。
灯台の北側も南側も、そして海に面した東側も、それぞれが切り立った崖になっていて、容易に近づけそうもない。
俺は馬車を3百メルテほど手前の、小高い丘の上で停車させた。ここを陣地にして「古の灯台」攻略作戦を開始するのだ。
今のところ索敵結界に反応はない。
俺たちの接近に気がついていないとは考えにくい。おそらくは、俺達が塔に突入し、上階を目指すのを今か今かと口をあけて待っているのだろう。
「賢者ググレカス、索敵結界による志向性簡易探査……総数、100近い魔物の反応があります」
妖精メティウスが、俺の索敵結界の志向性、つまり向きを変えて塔に放射しその内部をおおよそ調べてくれたのだ。
「まぁそんなものだろう。各階に10匹程度、か」
「えぇ。ひときわ大きな光点が各階層の階段付近に配置されています。最上階は……結界が張ってあり見えませんが」
「少なくとも一階から六階までは魔物が満載で、階層番人もいるわけだ。ご大層な歓迎会を用意してくれたようだな……」
俺は呆れた、という風に肩をすくめて見せる。
「百匹……!」
イオラがごくりと溜飲する。
大聖人バッジョブは、最上階でディカマランの仲間たちを優雅に鑑賞しながら、俺がボロボロになりながら辿りつくのをまっているのだろう。
そして易々と俺やマニュ、そしてルゥもコレクションの一員にするつもりなのだ。
――だが、思惑通りにはいかんよ。
「イオラ、まずは……あの塔を大掃除、だ」
俺は馬車の御者席に立ち、荷台の後ろで牽引していた量産型ワイン樽ゴーレムを全て展開する。
ゴロゴロと転がった12個の『樽』は周囲をぐるりと取り囲み、防衛陣地を形成する。
これらはすべて俺の索敵結界と連動し、敵を検知次第、迎撃行動を行う自律駆動術式が組み込まれていて、既に励起されている。
『樽』の駆動に必要な魔力は、電池のように魔力を溜め込む性質を持つスライムにより、樽の中にプールされている。待機モードなら半日、戦闘出力でも一刻は戦えるスタミナがある。
「イオラ、ルゥ、リオラ、樽陣形の内側で待機。塔から魔物が飛び出してきた場合に備えてくれ。まぁ、ほとんど樽で仕留めるが、打ち漏らしたヤツを頼むぞ」
「あぁ!」「はい!」「まかせるでござる!」
イオラとリオラ、そしてルゥという頼もしい「前衛」組みが並んで馬車の前に立つ。
「よし、次はマニュフェルノだ。あの塔に思いっきり魔法をかけてくれ」
「了解。遠慮はしません、全力でいっていい?」
「あぁ! ここは周りに人も何もないからな。ぶちかましてやれ」
マニュは静かに微笑むと、俺の隣の御者席で目をつぶり、呪文を詠唱する。詠唱時間の長い僧侶の呪文の効果範囲は、最大出力ならば巨大な灯台の半径百メルテをすっぽり包むほどに影響力を行使できる。
「詠唱。『幸福消失』――!」
ボフゥッ! と灯台周辺に巨大な魔方陣が出現し、紫色のオーラに似た光が立ち昇る。爽やかな朝日に照らされていた灯台は一転、不穏な空気に包まれてゆく。
――と。早速、塔の中から悲鳴が聞こえてきた。
『ギャッ!?』『ギョッ!』『あっ!?』
おそらく中では、意味不明の「不幸」の惨禍に見舞われていることだろう。
足を滑らせて階段を転げ落ちたり、突然タライが頭の上に落ちてきたり、急に腹痛に見舞われたり……と、微妙で嫌な不幸が押し寄せているはずだ。
嫌な事に、マニュの『幸福消失』は結界では防げないのだ。そのエリア全体の幸福度を下げるという上位神の力を行使しているらしいのだが、その仕組みは俺でもよく解明できていない。
「うーむ、いつ見てもマニュの魔法だけは喰らいたくないな……」
「微笑。ググレくんが浮気したら、かけてあげるね」
黒い笑みを浮かべる僧侶の横顔に、思わず引き攣った笑みを向ける。
「浮気するも何も、彼女が居ないんだが……」
「彼女。それは……待っていても出来るものじゃないとおもいますけど?」
魔法を唱え終わったマニュが、いつものおせっかいなクラス委員長みたいな顔でいう。
「……そういうものか?」
「首肯。……ググレくんはもう少し女の子を勉強するべき」
「ふん、俺だって勉強ぐらいしているぞ。検索魔法があるんだからな」
「興味。ほほぅ? ではどんな事を?」
マニュの小ばかにしたような半笑いに、思わずムキになる俺。
「女の子の身体の変化や月経周期。それぐらい知っているぞ」
キリリッ! と眼鏡を指先で持ち上げる。
「流石。……賢者を名乗るだけはありますね」
「だろう?」
ふふん、まいったかマニュめ。
「うぉいこら賢者にょ! ワシの出番はまだかにょ!」
痺れを切らして馬車の荷台からヘムペローザが飛び出して、馬車の屋根によじ登る。プラムも後に続いて屋根に上ってゆく。
そこはいつもはレントミアの指定席だが、今日は二人の席となる。
朝露に濡れた屋根は滑るのか、プラムとヘムペローザは仲良く手をつないで、立ち上がると屋根を物見やぐら代わりに、紫の霧に包まれた塔を眺める。
「ではヘムペローザはそこで、例の魔法を使えるように練習していてくれ」
「にょほほ! 夕べ構想を貰っていきなり実戦かにょ? 賢者も人使いが荒いにょ」
実は昨夜、俺はヘムペローザの魔法、蔓草魔法の更なる強化案を俺はヘムペローザに授けたのだ。上手くできるかはわからないが、とりあえずやってみろ、と。
「このパーティじゃ、魔法使いはヘムペロだけなんだから、頼んだぞ」
「にょほ!」
俺の言葉に黒髪の少女が、嬉しそうに白い歯を覗かせる。
「おー……! ヘムペロちゃん、魔法使いになったのですかー!?」
「ま、まぁにょ。今のところ、つる草しか出せんがにょ……」
ヘムペローザはしゅるしゅると一本のつる草を指先から伸ばして見せた。
さて、燻り出す準備は整った。最期は俺の番、か。
空はいつの間にか青く晴れ渡り、朝日が燦々(さんさん)と降り注いでいる。
俺は、空を舞う小鳥を魔力糸で呼び寄せて、手のひらに載せる。それは何の変哲もない地味な小鳥だ。
「まぁ! 小鳥さん、おはようございます」
「わー、ググレさまの魔法なのですかー?」
メティウスとプラムが俺の手を覗き込む。俺は、胸のポケットから小瓶を取り出して、その中身を小鳥のくちばしに咥えさせた。
「にょ……? 小鳥のエサ……いや、スライムの幼生かにょ?」
「あぁ、可愛いだろ? 今からとっておきの魔法をみせてあげるよ」
俺は小鳥を空に放った。
スライムの幼生を咥えた鳥は俺の魔力糸に操られ、ぱたぱたと「いにしえの塔」の最上階の更に上、クリスタルが嵌め込まれた照明室の屋根に止まり、スライムの幼生をぽたりと落とした。
小鳥の役目はここまでだ。俺はスライムの幼生に繋いだ魔力糸を通じて、エサとなる魔力を送り込み始めた。
「さぁ……! 育て! 育て! 俺の可愛い……スライムよ」
鼻歌でも歌うような調子で呪文を唱え、魔力を注ぎ込むと、スライムはむくむくと膨れ始めた。3百メルテ離れている塔のてっぺんに、ぽつん、と水滴のような透明な玉が現れた。
「ぐっさんの作戦……開始か」
「うむ、ここから先は見守るでござる」
「育成。だんだん……おおきくなってくるね?」
スライムが更に大きくなる。塔の上でどんどんと大きくなり、ぷるぷるとその身を揺らしながら朝日を反射して輝く。
みんな手を額に当てて遠目で眺めている。塔からは相変わらすマニュの魔法の効果で怒号のような悲鳴が聞こえてくるが、俺達に襲い掛かってくる様子はない。
戦術情報表示には、魔力注入進捗率20%と表示される。そのサイズは既に塔の最上階の直径を越えようとしていた。
「お、おぉー? ぷっくりしてきましたねー」
「にょほほ、そろそろ天井が抜けるにょ?」
戦術情報表示で魔力注入進捗率50%を越え、どろどろと塔の外側の外壁にまでスライムの原形質が流れ始めた。
ヘムペロとプラムが歓声を上げた瞬間、バギバギッ! という天井が抜ける音がここまで聞こえてきた。
巨大に膨らんだスライムは、抜けた天井から雪崩のように塔の中へと流れ込んだ。
青と赤の毒々しいドロドロの原形質が、一瞬で最上階を蹂躙し、更に階下へと流れ込んでゆくのが見えた。
灯台の各階層の窓からは、次々にスライムの原形質の「汁」が、ぴゅっぴゅっと吹き出した。
『ギョバァ!?』『ヒッィヘエエ!?』
上の階から下の階に向かって徐々に、魔物たちの混乱の叫び声が広がってゆく。
おそらく塔の中は、しびれ毒を帯びたスライムの濁流が渦巻くという、まさに地獄絵図と化しているだろう。
「ふはは……! 賢者の攻略戦、とくと味わうがいい!」
<つづく>