白き大僧正バッジョブ
「エルゴノート! ファリア! レントミア……!」
映像中継から送られてくる光景に、呻くようなつぶやきを漏らしたのは俺だ。自分では冷静だと思っていても心臓は暴れだし、指先は冷たくなってゆく。
俺は机の上で両手の指先を交差させ、それで口元を覆い隠すように肘を着いて、思案する風を装う。そうでもしていないと動揺を悟られ、皆を不安に陥れてしまいそうだったからだ。
ルゥとマニュフェルノが顔を見合わせて困惑の色を浮かべ、イオラとリオラも只ならぬ俺の様子にじっと黙って様子を伺っている。
プラムとヘムペローザは満腹になったらしく、魚の骨を解体して遊んでいるが、みんなは俺にしか見えない映像の先に何が映っているのか察したようだった。
『バッジョブさま、この……このあたくしを捨てると申されるのですか……!』
映像中継の向うでは、紫色の魔女が哀れなほどに動揺を露にし、呻き声をあげていた。
『賢者も僧侶も……手に入れられなかったばかりか、珍しいネコとやらも逃がしたんだろう?』
『そ……それは!』
『だからね……オマエ、使えないんだよ』
『ご、御慈悲を! 今一度! このあたくしめに』
震える声を絞り出す紫の魔女プラティンは、もはや哀れな老婆でしかなかった。
『くどい……!』
バッジョブが手を空中で振ると、視界がまるでワイヤーアクションのように反転し、紫の魔法使いが床に叩き付けられる。
――魔力糸が見えない……! 一体なんの魔法だ?
どのような魔法であれ、魔法力の励起は魔力糸の拡散という形で可視化される。それは見る者によっては「立ち昇るオーラ」のように見えたり「噴きだす光の放射」とみえたりもする。
俺やプラムのように魔力糸という魔力の最小単位で目視できるものは極僅かだろう。
『君は……今まで良く働いてくれたよ。プラティン』
『ぐ、は……』
バッジョブという名はおそらく、プルゥーシア聖教の大僧正に与えられる神聖名称なのだろう。
俺は領主の公館で遭遇した紫の魔女から語られたバッジョブという名を元に、魔法使いの命とも言える「真名」を、検索魔法で探そうと試みた。
魔法契約の証である真名聖痕さえ知ることが出来れば、どんな魔法使いだろうが恐れるに足りない。賢者の魔法を駆使し相手の魔法契約自体を破壊し、二度と魔法を使えなくする事すら可能なのだから。
だが、いくら探してもバッジョブの真名を見つけることは出来なかった。
しかし、プルゥーシアの関連書物を検索していくうちに「聖人の生まれ変わり」と称される少年を、今からおよそ10年前、東の外れの寒村ベシリノーフで見つけたと言う記述に突き当たった。
貧しく無学であった両親はその子に名前すら与えず家畜のように扱っていたが、プルゥーシア聖教の組織が「魂の本質」を見出し、引き取って育てたとある。
何故ならば百年前に没した聖人の魂が、現代に転生した姿だと組織により「認定」されたからだ。そして少年に与えられた名が「名無し聖人」だったと。
「名無しの……聖人、バッジョブ……か」
つまりそれは、俺の真名聖痕破壊術式が通じない相手だということを意味する。
――俺にとっては「難敵」だ。そして最大の問題は……。
大僧正バッジョブの背後に並び立つ操られたディカマランの仲間達だ。
白色の青年は、勇者と女戦士、そして魔法術者を、まるで芸術品でも眺めるような満足げな笑みを浮かべて鑑賞し、優雅な様子で灯台の最上階のテラスへと歩いてゆく。
穏やかそうに見える端正な顔立ちに、純白の僧侶の正装を纏ったその姿は、とても邪悪な陰謀を操っている親玉には見えない。
しかし、腹心の部下であるはずの魔女プラティンへの冷血な扱いは、俺を戦慄せしめるには十分だった。
こいつは相手の気持ちや痛みなど一切関心が無いのだ。でなければ生きている人間をまるで人形のように操り使役するなどという発想は、出来ないはずだからだ。
今や俺専用の上映となってしまった映像中継の向こうでは、レントミアもエルゴノートも、そしてファリアまでもがまるで操り人形のように虚ろな無表情のまま、先を行く白い影を追うように歩きはじめた。
レントミアの瞳には光が無く、いつもくるくると愛らしい表情を見せるハーフエルフの顔や翡翠色の瞳は、暗く沈んでいる。
『あたくしは……バッジョブさまに捧げようと、深遠な賢者の知恵と魔法の一端を……、少しでも解き明かそうと……単身、挑んだのでございます……』
魔女の声が涙声に変わる。
『賢者……ググレカス。我が国一番の魔法使いすらこの有様にする『魔法使い殺し』! 僕のコレクションに是非とも加えたくなってきた……よ!』
カッ! と金色の青年が目を見開き、俺に強烈な魔力放射交じりの視線を叩きつけてきた。人間を超越したような爛々と光る双眸が射抜くような光を放つ。
『ひぃい!?』
魔女プラティンはその気迫に再び床へと倒れ込んだ。このままでは心臓すら止まってしまうだろう。
俺はそこで、ついに口を開く。
「――余程、友人が出来ない体質らしいな?」
俺は魔女の口を通じて、声を出した。
『賢者……ググレカス!』
バッジョブの瞳が俄かに細まり、口元がわななく。それは怒りと言うよりは、面白がっている顔だろう。
こちらからの声が届かない、とメティウスに伝えたことは実はウソだ。魔女の目の水晶体を通じた映像受信のほかに、こちらからの声も伝える術式を念の為仕掛けておいたのだ。
これらは、プラムの水晶ペンダントに仕込んだ術式や、レントミアとの銀の指輪に仕込んだ魔法の術式の応用だ。
『賢者……ググレカス、ディカマランの英雄の中でも特異なる存在。――全ての魔法使いを超越したその力、欲しい……! あぁ、君もここに来るといい、僕の大切な仲間、魂の共有者、ソウルメイトにしてあげよう』
無表情に見えた青年は、口元に凄惨な笑みを浮かべ、遥か彼方にいる俺に呪詛を叩き付けてくる。それはもはや「魔眼」とよんでもいいレベルのものだ。並みの人間では失神しかねないほどの眼力に、賢者の結界が瞬時に反応する。
「そういう気味の悪い『仲良しクラブ』には興味が無くてね」
俺は動揺を悟られぬよう、指先で戦術情報表示を操作して、魔女プラティンに仕込んだもう一つの術式を励起する。
『君は……! 僕が直々にソウルメイトにしてあげるよ。君のお仲間たちと同じくね! 沈黙の国はね、静かで、穏やかで……争いの無い、安らぎに満ちた楽園さ……! とても素敵なところだよ?』
「だが、断る」
『ふぅん……! そう? ……それは残念だ……ねッ!』
信じられない事に、未知の力が賢者の結界に干渉しはじめていた。
「賢者ググレカス! 解析……できません! この……力は、一体!?」
戦術情報表示が魔力分析で「未知」の警告を発し、妖精メティウスも焦りの色を露わにする。
「……貴様の『ソウルメイト』などお断りだ。俺の仲間たちを返してもらう。それと……、年寄りをいたぶるのは趣味じゃないな……優しい大僧正さま」
紫の魔女は信じられないといった様子で、プラティンの美しいまでの顔を見上げている。今やその激しい魔力放射は、紫の魔女の心臓を止めようとしているのだ。
『くふっ……くふふ! 面白い……取り返しに来るがいいさ。この塔の最上階まで……来れるものならな』
自信に満ちた表情で、俺を見下すようにあごの先を持ち上げる。
「日の出と共に伺うさ。だが……その場にいる者達に妙なことをすれば……こうだ」
ばんッ! という音と共に紫の魔女、プラティンの頭部の「毛」が爆発した。物理的な激しい音と飛び散った髪の毛に流石のバッジョブも怯む。
『ぎゃー!? あたくしの御髪がぁああ!?』
悲鳴をあげてプラティンが絶叫する。
俺が励起した術式は爆発の魔法ではない。俺の魔力糸を髪の毛のなかにコイル状に丸めて大量に仕込んだものを、一気に開放したのだ。
クラッカー程度の炸裂音を出せるだけの、賢者唯一の爆発系(?)魔法でのご挨拶だ。
『賢者……ググレカス! ククク……面白い』
映像はそこで途切れた。
◇
俺達は店を出て、近くの宿屋に一晩の宿をとる事にした。
暗闇の中出発して、塔を攻略するなど無謀すぎるからだ。何よりも『ソウルメイト』としてエルゴノート達を手駒としているバッジョブは、彼らに危害を加える事は無いだろう。
それに「明日の朝行く」とバッジョブに告げたのは、実は時間が欲しかったからだ。ヤツに対抗しうる作戦と術式を準備する時間が。
大僧正バッジョブの力は未知だ。ヤツには俺の知りえない何かの「力」を持っている。魔力糸の到達範囲を超える遠隔で「賢者の結界」にヤツは干渉するという芸当をやってのけた。
塔に捕らえられた仲間を救うと大見得を切ったものの、これは想定しうる最悪の状況だった。
仲間達が敵の手に堕ちて捕まってしまった「だけ」ならば助けに行けば済む話だが、すでに事態は更に複雑になりつつある。
ルゥローニィが魔女の手駒となり、俺達に襲い掛かってきたようにエルゴノートやファリア、レントミアが俺達の敵として立ちふさがるという事だからだ。
もし、大僧正バッジョブが、「賢者が抵抗をすれば、このハーフエルフの心臓を止める」とでも言われてしまえば俺は攻撃の手を止めざるを得なくなる。つまり、この戦いは最初から圧倒的に不利なのだ。
こんな事を想定しなかったと言えば嘘になる。
正直なところ俺は「考えたくなかった」のだ。数々の修羅場をくぐり戦い抜いてきたエルゴノート達が、まさか敵の操り人形に成り果ててしまうなどという事態を。
――敵として……戦う事だけは避けたいが。
窓辺で様々な術式を準備しながら考えを巡らす俺の手に、暖かい指先が触れ、思わずはっと我に返る。
「ググレさま? 怖い顔ですよー……へいきですかー?」
「……あ、あぁ、プラム……平気さ。ちょっとな、考え事をしてたのさ」
仲間たちは思案を続ける俺に気を使い、静かに見守ってくれていたのだが、プラムだけがそんな事などお構い無しに、俺の傍らに寄り添って手を握ってくれていた。
「手が冷たいのですよー。こうすれば暖かいのですー」
小さな手が俺の手を温めようと包み込む。幼い横顔は真剣で、俺の視線にほほえみを返す。
緊張と凝り固まった指先が、ほんのりと暖かくなってくると、次第にいい考えが浮かんできた。それは、何も真正面から戦う必要はない、ということだ。
――そうか。
一人で悩んでもダメなこともあるのだ。
「そうだな、賢者らしく、今回も全力で斜め方向でいってみようか」
プラムの赤毛の頭をわしわしと撫でて、俺は立ち上がった。
俺の声に、ヘムペローザの髪を梳いていたリオラと、剣の手入れをしていたイオラとルゥが振り返る。
マニュフェルノは妖精メティウスと何やら話をしていたが、静かに立ち上がると俺に優しい視線を向けてきた。
皆一様に俺の言葉を待っていたのだ。
「聞いてくれ、明日の日の出と共に俺達は『いにしえの灯台』、攻略作戦を行う! みんなで――エルゴノートやファリア、そしてレントミアを救い出すぞ!」
<続く>
【さくしゃより】
挿絵を描きたいので、次回少し本文みじかくなりますー!