★イオラ、酷いことになる ~はじめての戦闘~
俺が周囲に展開していた見えない結界――魔力糸を何かが踏み越えた。
冷たく臭い、嫌な気配。数は……三体。
それは間違いなく、土地の瘴気、淀みから生まれた魔物だ。
周囲二十メルテ(※約20メートル)まで広げていた索敵結界を通過して、こちらに向かって来ている。
「イオラ、リオラ。それにプラム。ピクニック気分は一時お預けのようだ」
俺はできるだけ穏やかな声で告げた。
一番警戒するべきは敵ではない。パニックに陥り取り乱す事だ。時に恐慌は、戦う敵よりも恐ろしい死神に変わるからだ。
「セシリーさま、こっちへ!」
俺の意図を察したリオラが、自分よりも背の高いセシリーさんの手を取って、木の幹を背負うようにして立たせるのが見えた。
姉として慕う金髪の少女の安全をまずは確保しようというリオラの行動に、俺は感心する。訓練された訳でもないだろうに、木の幹を背にしたセシリーさんを護るように身構えているのだ。
――流石は勇者志望の兄妹の片割れ、といったところだな。
「賢者様……!?」
「ご心配なくセシリーさん。今から少し……この辺りを掃除します」
不安げに身を固くする金髪美少女セシリーさんに俺は片目をつぶって見せた。
さっきまでは上手く喋れなかったが、状況が変われば舌は滑らかに動いてくれる。
さて、勇者志望の兄の方は?
「リオ! セシリーさまは任せたぞ」
十メルテ程離れた位置からイオラが叫ぶと、リオラがコクリと頷く。
この二人は以心伝心、瞬時に互いの考えが判るらしい。
いいなぁ……双子って。などと俺は呑気に考えていた。
イオラが瞳を鋭くして、ぶんっ! と腰にぶら下げていた短剣を抜き、振り抜く。
肘の長さ程のそれは、納屋の奥で眠っていた中古品らしく錆が浮き出ている。斬るというよりは打撃用の武器として使うよりない代物だ。
「そして触手! お前はそのへんに隠れてろ!」
「ググレさまー! イオ兄ぃが隠れてろって言うのですー?」
口の周りを野イチゴの汁でベタベタにしたまま、プラムが目をぱちくりとさせて首を傾げる。まったくプラムのアホめ。少しは状況を理解しろ。
「プラム、危ないから俺のところに来い」
だが、イオラの行動は、勇者の資質ありと俺が認めただけのことはある。まずは女の子を庇う。強けりゃいいってもんじゃないのだ。
次の瞬間――野イチゴの低い茂みを突き破って、何かが勢いよく飛び出した。
「イオラ気を付ろ! そいつは――」
「来やがったなぁ――――――――ぁ!? ッぶぁっぎゃぁあああぁ!?」
イオラの威勢のいい叫びは、後半悲鳴へと変わった。
ぶちゅぁ! という何かが潰れる音が辺りに響く。
イオラの周囲に飛び散る液体。
背後で上がる悲鳴――リオラが兄の名を呼ぶ声が周囲に響き渡った。
「きゃわわ!? イオ兄がぁああーっ!?」
プラムも涙声で叫び、その場にへたり込む。
一瞬で修羅場と化した野イチゴ畑の真ん中で俺は……、やれやれと眉間を押さえた。
「だから、気をつけろって言おうとしたのだよ。そいつは……汚いし臭いんだ」
「それを先に言えってんだよ偽賢者! ……うぇっ! ぺっぺっ!」
「う……。こっちに来るなよ?」
「ひでぇ! それでも賢者か!?」
イオラはその上半身を、黄色い謎の液体まみれにしたまま指さし叫ぶ。
茂みから飛び出した魔物は、イオラが持つ錆びた短剣に突進し、勝手に爆散。薄汚い『腐汁』を盛大に撒き散らした。
もちろん、イオラは痛くもない。
存在測定に映し出されたイオラのHPは、僅かに1減じただけ。
怪我は無いだろうが、頭から臭くて汚い汁を被ったという精神的ダメージの方が大きいだろう。
――パンプキン・ヘッド。
『腐ったカボチャ』と呼ばれる魔物は、カボチャが瘴気で腐って生まれる最低級の魔物だ。村人が襲われて、衣服がベチョベチョになるという被害が後を絶たない。女性にとってはまさに最悪のとんでもない奴だ。
「イオ兄ぃが、イオ兄ぃがぁああー!」
泣きべそをかきながらプラムが俺に駆け寄って腰にしがみ付く。
子供には少し刺激の強い場面かも知れない。結構スプラッターだもんな……これ。
「イオ!」
リオラが叫ぶ。茂みから更に二体の黄色い塊が飛び出して来るのが見えた。
パンプキンヘッドBとC。
そいつらは俺とリオラ、つまりはセシリーさんのいる方へと突進してくる。
「イオラ! セシリーさんとリオラを死守するんだー」
俺は半笑いでイオラに指示を出す。
「こんちきしょー!?」
ヤケクソ気味に自らも汚い汁を飛び散らせながら身をひるがえし、イオラが剣を振り抜いて二体目のパンプキンヘッドBを粉砕する。
ブチャッ! という湿った音と共に、更に全身が汁まみれになる。
「ぎゃー!?」
イオラの姿はもはや正視に耐えないほどの状態になっていた。
顔や口を塞がれた状態の、イオラは流石に限界らしく、パンプキンヘッドCを狙った剣が空振りしたところでいよいよ俺の出番か。
妹のリオラでも簡単に倒せるだろうが、女の子の服を汚してしまうのは忍びない。
とはいえ……、俺だって手は汚したくない。
何よりも怯えきったプラムが、さっきから俺の腰にしがみ付いたままなのだ。
――さて、どうしたものか。
パンプキンヘツドはびょんびょん跳ねながら、俺とリオラ、そして恐怖に立ち尽くすセシリーちゃんの方へと近づいてくる。
「「賢者さま!」」
俺を心配してくれるセシリーちゃんとリオラ。
「ググレさまー! こっちに来るのですー!?」
涙目でプラムが叫ぶ。俺は落ち着き払って微笑んで、プラムの頭をぽんとなでる。
「大丈夫」
俺は炎を飛ばしたり電撃を出したり、そういう魔法は使えない。そういう魔道は「魔法使い」の領分だ。
それに当然格闘もムリ。武器も重くて持ちたくない。
ていうか、やっぱり屋敷で読書でもしていたい。
と、いう訳で。やっぱり俺にはこれしかない。
「――魔力糸による、中枢神経への……魔力干渉!」
俺はバッ! と勢いよくパンプキンヘッドに向かって手を突き出した。
――セシリーさん、見ていてください俺の勇姿!
見えない糸、位相空間に展開した俺の魔力糸を操って、パンプキンヘッドの耳かきほどの脳中枢に魔力干渉する。
魔力糸の透過性を利用し、敵の視覚領域と認識領域の制御を奪う一種のウィルスのような魔法術式を直接脳に送り込むイメージだ。
その気になれば敵を操り同士打ちさせたり、その気になれば心臓を止めることだって可能だ。もちろん、魔法防御を有する上位の魔物となればそう簡単にはいかないが、この程度の相手ならば――。
「土に還れ、いい肥料になるがいい」
つい、と俺は眼鏡を直す。
キメ台詞としては今一つだが、効果は絶大だったようだ。
パンプキンヘッドCは俺の脇を素通りし、斜め方向に突進、そのまま木の幹に激突するとバラバラに砕け散った。
<つづく>