囚われのディカマラン
俺の眼前に浮かび上がった戦術情報表示には、検索魔法と地図検索による地図と「いにしえの灯台」の模式図が表示されていた。
「魔女がアジトへ到着したらしいな」
「「え?」」
俺が不意に漏らした言葉に、イオラとリオラが不思議そうに眼を瞬かせた。ぱっちりとした瞳を閉じたり開いたりするタイミングが完全に同じで、ちょっと微笑ましい。
「ぐっさん、どうしてわかるんだ?」
「賢者さまがコウモリに何か魔法の仕掛けをしていた……んですよね?」
「正解だよ、リオラ」
と俺は親指と人差し指で丸を作って見せる。
「というわけで食事中だが、ここからすこし敵勢力の分析をさせてもらうよ」
指先でいくつかの仮想のウィンンドゥを操作すると、ノイズ交じりの四角いスクリーンのようなものがテーブルからやや離れた位置に浮かびあがった。
「メティウス、目を覚ましてくれ。面白いものがみれるぞ」
「……んっ……ふぁ! 少し眠ったら元気になりましてよ、賢者ググレカス」
ぽんっと光の玉が俺のローブの内側から飛び出して、妖精の形へと姿を変える。背中の透明な羽を震わせると金色の光の粉が舞う。
「妖精さんー! プラムの手に座ってくださいー!」
「あら? プラム嬢。よろしくて?」
「はいなのですー」
「では、お言葉に甘えまして」
何度見ても神秘的な妖精の姿にプラムは大喜びだ。ちょこん、と腰掛ける妖精の可憐な様子に、さすがのヘムペローザも顔をほころばせている。
「賢者ググレカス、この『魔法の窓』は外の景色が映っているのですね?」
「あぁ、皆ですこし空中散歩をと思ってな」
食事中の皆にも見えるようにと、戦術情報表示を可視モードに切り替える。
これはキョディッテル大森林の「竜人の里」で見せた事のある術式で、自律駆動術式により、空中に四角い「窓」を浮かび上がらせる仕組みだ。
魚料理の店『食事処、人魚姫』の一席で俺達は魔法の光に注目する。
店内には俺達のほかにも数組の客が居たのだが、魔法を励起した俺に、皆一様に驚いたような表情を見せる。
だが、俺がメタノシュタットから来た本物の「賢者」だと判る者も居たようで、囁きあう声と、驚愕の叫びが波紋のように店内に伝播してゆく。
四角い映像を映し出す「窓」は、本を広げたほどの大きさだ。そこには青とオレンジの入り混じる風景が映し出されていた。
それは港町ポポラートの街並みを眼下に、どこまでも広がる碧い海、そして夕焼け色に染まる雲と水平線だ。
ザッ、と時折ノイズが混じるものの、それは綺麗な空中散歩の映像だった。
「わー!? お空と海の絵がうごくのですー?」
「海だにょ! 夕焼けが綺麗だにょ……!」
「すごい……まるで鳥みたいだ! 遠くまで見える」
「賢者ググレカス、素敵な魔法ですね!」
相変わらず絵が動く事に関しては俄然食いつきが良い。この世界では「絵が動く」なんて現象は、御伽噺に出てくる大昔の大魔法使いが、悪い王様を懲らしめるために、肖像画を動かして見せた、という逸話で出てくる程度だ。
「うーん、言いにくいが実はこれ、あのコウモリ魔女が見ている光景なんだ……」
「「え!?」」
イオラとリオラが同時に引く。同じタイミングで。
映像は美しいが、実は紫の魔女プラティンの「目」を通してみた映像だ。
俺はヤツを逃がす振りをして、密かに術式を仕込んだのだ。他人を操る事に喜びを感じていた魔女を利用して、敵情を探ってやるのだ。
タネを明かせば、先刻の戦闘の際に失神した魔女の眼球に術式を仕掛け、魔女の結界の破片――大量の魔力糸の残骸――に紛れ込ませる格好で、俺の映像中継の自律駆動術式を繋げたものだ。
もちろん、魔力糸には高度な隠蔽の術式を施しているので、容易には見つからないはずだが。
魔女が変化したコウモリの化け物は、時折フラつきながらも徐々に高度を下げ行く。
やがて、断崖絶壁の先端、海に一段と突き出た岬に建つ、古びた巨大な灯台が見えてきた。
それが「古の灯台」と呼ばれる「塔」だった。
外観は純白の漆喰で塗り絡められていたのだろうが、長い年月のうちに海風に曝されて、あちこちが剥がれ落ち、黒い石を積み上げて造られた構造体が顔を覗かせている。
検索魔法によると、太古の昔は灯台として実際に使われていたらしいが、今は使われていない。灯台の先端に灯す明かり――巨大な魔法の水晶に、魔力を充填できなくなったのだと言う。
つまりこれも失われた先史文明の遺構のような建造物ということらしい。
俺は別の「窓」を浮かび上がらせて、とある書物から抜粋した「いにしえの灯台」の断面図と、各フロアのマップを表示してみせる。
全7層にも及ぶフロアを、内側に作られた螺旋階段が繋いでいる。
この灯台が利用されていた頃は、空中騎士団とよばれる「翼竜に跨った騎士達」が発着する場でもあったという事から、各フロアはかなりの広くつくられている。
最下層である一階は、幅が30メルテもある。その広さはメタノシュタット王城の「謁見の間」に匹敵する広さだ。灯台は上に行くに従って細くなり、上階ほど部屋は狭くなる。とはいえ最上階である7階でも直径10メルテほどの広さといったところだ。
魔女は最上階のテラスのような場所に降り立つと、夕陽で長く伸びた蝙蝠の影が、人の姿へと変じてゆく。
『くっ……おのれ……賢者ググレカス……』
やがて怨嗟交じりの声が聞こえてきた。魔女はガクリと片膝をついたらしく、画面の映像が石畳を映す。そこに見える手は齢を重ね、皺に覆われている。
「イオ、なんだか怖いね」
「あぁ、ちょっとな」
浮かれ気分からは一転、緊張が二人の顔に浮かぶ。
ルゥもマニュも表情を険しくし、そこにいるであろう「敵」の姿を探す。
「緊張。みているだけで手のひらに汗が……」
「賢者ググレカス、気づかれてはいないでしょうか?」
妖精メティウスがプラムの手のひらの上で不安そうに問いかける。
「こちらの声は聞こえないし心配は要らない。それに見つかったところで……どうというコトはないさ」
どのみち殴り込みをかける相手だからな。
『――魔王軍、海妖司令ピルス、状況はどうなっているの!?』
魔女プラティンの苛立たしげな声に、灯台最上階の部屋の奥からノソリと現れたのは、半漁人のような獣人、魔王軍海妖司令ピルスと呼ばれた魔物だった。
全身を覆う緑色のウロコにギョロリとした濁った瞳、真っ赤な口は耳まで裂けていて、エラ状の器官がアゴの後ろから肺にかけていく筋も浮かんでいる。
普段は決して見る事の無い「海の魔物」の姿に、その場に居た全員が息を飲んだ。
検索魔法画像検索でメタノシュタット王国軍の極秘資料を検索照合すると――、あった。
魔王大戦で壊滅したはずの魔王直属の「十二魔将軍」の一人キュルプノスが率いる海魔軍団。
どうやら魔女の目の前の半魚人は、海を司る魔物の司令官だったキュルプノス直属の部下で「三叉の死せる暗流」と呼ばれた腹心の部下三人のうちの一人らしい。
『グブブブ……。成熟は順調……、海底洞窟…………次の満月に、孵化……』
海底洞窟? 孵化?
声が良く聞こえない。一体何の話だ?
『海魔神復活計画はそのまま進めなさい、そして塔の各階に部下を配置なさい! あぁ……おまえ自身もね! 塔の守りを固め、賢者の一行を迎え撃つのです!』
『グゲブブブ、了解、シタ……』
魔女プラティンは塔の守りを固めよと指示を出すと、カツカツとヒールの音を響かせながら奥へと歩みを進めていった。
魔王軍の残党という海の魔物も操られているのか、その指示に大人しく従っている。
「やはり、ポポラートへの襲撃は、沈黙の国の魔法使いどもが扇動しているようだな」
その点は疑いが無い。だが、問題はここから先だ。
「しかし醜い魔物だにょう? 海にはこんなヤツもおるのじゃにょう」
「お魚は美味しいのですけどねー」
プラムとヘムペロはこれが「映像」だと理解できているので、気楽な様子で魚のフライを食べている。あまり怖がられてもやりにくいので助かるが。
しかしヘムペローザは転生前の悪魔神官時代に、この魔物たちにも会っているはずだが、まったく覚えている気配は無い。
と、魔女の視界が急に開け、塔の最上階のフロアの光景が映し出された。
『あぁ、親愛なるバッジョブ僧正さま……! 只今、もどりまし――――グッ!?』
揚々とした声で挨拶の口上を述べた魔女の口が突然呻き声に変わる。
映像は、魔女の視界は横倒しになったまま、その人物達を写しだしている。
俺は映像中継を切った。これ以上は「見せられない」と判断したのだ。
イオラとルゥが抗議の声を上げるが、この先は俺だけが見る映像だ。
『おおお、お許しくださいバッジョブさま! ……あぁ! この……失態は、必ずや』
だが帰ってきたのは視界を覆う強烈な炎の洗礼だった。魔女の悲鳴と呻き声。魔女の結界があるとはいえその熱と酸素欠乏による苦痛は想像を絶する。
映像中継の映像が乱れ、魔女の命乞いが聞こえてきた。
『失望……したよ、プラティン。僕はね……、君に期待していたのだけど』
『おおお、おまちください次は! 次こそは必ず――』
『次……は無いんだよ? 我が国は清貧だ。余分な者を抱える余裕は無いんだ。使えなければ捨てる。それが我が祖国プルゥーシアの、いや、僕の美学だからね』
大僧正、バッジョブと呼ばれたのは若く、美しい純白の青年だった。
純白の詰襟の正装を纏い、長く伸ばした雪のような真っ白な髪を指先で弄びながら、指先の動きだけで魔女プラティンを壁に吹き飛ばす。
色と呼べるものは、瞳に赤々と灯した、この世のものとは思えない光だけだ。
『う、そ、そんな……』
石の壁に吹き飛ばされた魔女が呻く。老体にはこれ以上は耐えられまい。だが、紫の魔女はそれでも縋るように純白の青年のほうへと手を伸ばした。
『バッ……ジョブ……さま』
『君は……もう不要さ。僕には新しい魂の共有者がいるからね』
ふっと穏やかな顔で微笑む美青年は、視線を急ごしらえの玉座の横へと向ける。魔女の歪んだ視界の先に、揺らめく人影があった。それは三人の――
厳しい黒と金色の甲冑に身を包み、大剣を腰に下げた大柄な赤毛の男。
銀髪にエメラルド色の瞳、巨大な戦斧を背負い、銀色の鎧を身に纏った女戦士。
そして魔法使いのローブに身を包んだ少女かと見紛う、ハーフエルフ。
三人は恭しく、まるで王に傅くかのように、一礼をする。
「――! エルゴノート! ファリア! レントミア!」
俺は思わず声をあげていた。それはーー、囚われのディカマランの仲間達だったからだ。
<つづく>