ルゥローニィがモテない理由
◇
「ほんっ……とうにかたじけないでござる!」
「いや、別にもう、気にしてないから……」
ルゥローニィの平身低頭の詫びに、イオラが困ったように頭を掻く。
先ほどまで魔女が創り出した異空間と化していた領主公館のゲストルームは、一転、賑やかな声に包まれていた。
「仲間に剣を振うなど……拙者……どのように詫びればよいでござるか!?」
床にぺたりと正座をして、涙を流しながら訴える様に叫ぶルゥに、俺もマニュも困惑する。助けに来たのだから別の意味で泣いて飛びついてきてほしかったのだが……。
「俺も無我夢中で応戦したし、それに……ルゥさんと本気で戦えて、ちょっと嬉しかったというかなんというか……」
「イオラ殿……」
照れたようにそう言ってイオラはどこか嬉しそうな、それでいて信じられない、という複雑な面持ちで刃こぼれした短剣をしげしげと眺めると、やがて静かに鞘に納めた。
その顔には戸惑いも怒りも何も無く、自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
イオラにとって「ディカマランの6英雄」の剣士ルゥローニィは、手の届かない最強の一人という存在だったのだろう。俺や仲間たちを守るため剣士と本気で剣を交え、その攻撃を耐え凌いだイオラは大したものだ。
それは、勇者になりたいと俺の家のドアを叩いた少年にとって、自分の成長を実感した瞬間でもあったのかもしれない。
「充分。もういいよルゥくん。兄君も良いっていってるし」
「マニュ殿……しかし」
「そうだぞルゥ。俺達はお前やエルゴノート達を助けに来たんだ。まぁ……いろいろあったが無事でよかったじゃないか」
腹を切ると言い出しかねない勢いに、俺もマニュも手を差し伸べる。
「拙者……うぅ……ぅ」
涙をぼたぼたと、膝の上に振り撒きながらも、猫耳少年がようやく笑みを浮かべる、と。
――ぐぎゅるるる……!
盛大にルゥの腹が鳴ったかと思うと、バタリとそのまま前のめりに倒れ込んだ。
「お、おぃルゥ!?」
「大変。ルゥくん!?」
「……昨日から何も食べてないでござるよ……」
「魔女に餌づけされてたんじゃなかったのか?」
「うぅ、お恥ずかしい話しながら、紫色のご婦人に、魚の干物をチラつかされて……つい、ぱくりと一口だけ」
「……あれか?」
「で、ござる」
ルゥが面目ないという顔で頷く。
俺がアゴで指した先には、紫色のドレスを纏った「魔女」が昏倒していた。
真名聖痕破壊術式で魔法使いとしての命を絶ってもいいが、紛いなりにも魔法使いの大先輩だ。敵とはいえ高齢者を手にかけるのは気が引ける。
――それに、利用価値があるからな。
後始末をどうしようか悩んでいるふりをしていると、マニュフェルノがルゥの腕を掴んで、床から立たせていた。面倒見のいい姉といった雰囲気だ。
ルゥは薄いワンピースのような肌着一枚だけの姿だった。筋肉の程よく付いた細身の四肢がすらりと伸びている。気がつくと足も裸足だった。
マニュは先ほど魔女とルゥが現れた執務室に小走りで走っていくと、ルゥの衣服や皮の鎧一式を見つけたらしく、両脇に抱えて戻ってきた。
「衣服。着替えないと寒いからね」
「か、かたじげないでござる」
ルゥはごそごそと服を着ながら、俺にむかってぽつりぽつりと口を開く。
「拙者……、ググレ殿の声を聞いて、ずっと、ずっと町の前で待ってたでござる……ぐす」
涙目で訴えるルゥに俺は頬をかく。
「あぁ、急いでいたのだが途中で邪魔が入ってな。遅くなってすまなかった」
忠犬ハチ公ならぬ、忠猫ルゥか。
俺の指輪の通信を聞いて、やはりルゥは待っていたのだ。
道行く人々が、剣を携えた凛々しい半獣人に目を丸くする様子が目に浮かぶ。
一緒に街を歩くと「あ! 猫さんだー!」とか「きゃっ! アレ……可愛くない!?」と初等学舎の生徒や高等学舎の女学生に囲まれる程にルゥの容姿は愛くるしくもある。
が、しかし、ルゥはモテないのだ。
「時に……マニュ殿? ……何やら綺麗になられてはおらぬ……か?」
女子に目が無いルゥはさすがマニュの変化に気が付いたようだ。着替えが終わると、すんすんと鼻を鳴らしマニュに顔をすいっと近づける。
「困惑。ちょ……」
「こ、これは良い香りがするでござる! せ……拙者……拙者、ガマンが……」
ルゥは突然マニュに体を摺り寄せるとカクカクと腰を振りはじめた。
「悲鳴。ル、ルゥくん!?」
「こ、これは拙者の意思ではござらんので、こ、腰が勝手にぃいい!?」
「欲情。こんなところではダメ……! 絶対」
「べ、別のところならよいでござるか!?」
――あぁ、安定のルゥローニィだ。見た目が可愛くてもこれじゃなぁ……。
俺はやれやれと溜息をつき、眉間を指で押さえる。
「ぐっ……ぐっさん、止めなくていいのかよっ!?」
「うむ、そうだな」
イオラが顔を赤くして俺の袖を掴む。青少年の眼前で教育上宜しくない痴態が繰り広げられているわけだが、この場にリオラとプラムとヘムペローザが居なくて良かったと思う。
だが、これ以上やられては賢者のパーティの沽券に関わる。
「自重しろ発情ネコめ」
「にゃ!? くっ……空腹は生命の危機にござる! 子孫を……!」
意味不明の事を喚きだすルゥの首根っこを捕まえて、何故か嬉しそうにニヤニヤするマニュからひき剥がす。てか、なんでマニュも息が荒いんだよ……?
ジト目で二人を睨み付けつつ、ルゥの尻をベシベシと叩くと、ハッ! と我に返る。
ルゥは粗相をすると戦いの師匠であるファリア(俺は心の中で密かに「飼い主」と呼んでいるが……)に、尻を思い切りベチベチと叩かれては矯正されるという事を繰り返していた。
「か、かたじけないでござるググレ殿……。普段は平気なのでござるが……拙者、何故マニュ殿に反応したでござろうか?」
ルゥがハテナと首をひねる。マニュに対しては今までこういう粗相をしたことは無かったはずだが……?
「色香。わたしの溢れる色香ですねわかります」
「わからんわ!」
鼻息も荒くドヤ顔をするマニュフェルノに軽くツッこみを入れていると、
「ググレさまー!」
「賢者さま、呼んできましたっ!」
「とっとと来るにょ! このこっぱ役人ども!」
プラムにリオラ、そしてヘムペローザが部屋に駆け込んできた。どうでもいいがヘムペロはもうすこし教育が必要だ。
ドヤドヤと騒がしい足音と共に、帯剣した衛兵数人と公館の職員達がやってきた。彼らはすぐに昏倒していた領主、トップハム卿を見つけ慌てた様子で駆け寄った。
「やや!? これは何事ぞ!」
「トップハム卿! 大丈夫ですか!?」
俺は結界が失せてからすぐに、三人に頼んで人を呼びに行かせたのだ。もちろん、「残党一味の魔女が襲ってきた!」と涙目で大騒ぎしてもらって、だ。
「あの紫の魔法使いが突然襲ってきて……領主様を!」
「なんということだ!?」
「お嬢さんたちは怪我は無いかい?」
「え、えぇ。ぐすっ……賢者さまが助けてくださらなかったら今ごろ……わたしたちも」
――ナイス……リオラ。
くすん、と怯えた様子でプラムとヘムペロと抱き合うリオラの演技はなかなかのものだ。俺と目があって片目をつぶる双子の妹に思わず苦笑を返す。
無論、事実とは多少異なるが些事はこの際どうでもいい。賢者一行と面会直後に領主が失神していたのでは、一歩間違えば此方にあらぬ嫌疑をかけられてしまうからな。
「ググレさまが、わるい魔法使いをやっつけたのですよー!」
「にょほほ! ワシらの賢者はさいきょーだにょ!」
何も強い魔法だけが武器ではないのだ。ここは、か弱い子共と美少女の涙を武器にさせてもらうおう。
「流石はディカマランの賢者さまだ……!」
「しかし許せん、この老婆がトップハム卿を!」
「おのれ! 怪しい魔術師め!」
武装した衛兵達は俄かに色めき立ち剣を抜き払うと魔法使いプラティンに差し向けた。魔物の襲撃事件で、港町ポポラートの兵達は警戒心を露にしている。
だが――、魔女プラティンはカッ! と目を見開くと、紫色の煙を全身から猛烈な勢いで噴出させた。
「ぐわぁ!?」「な、なんだ!?」「くそ! 見えぬ!」
「賢者さま!」「ぐっさん!?」
俺は、想定内の事態に、全員を結界で包み万が一に備える。
「おーホホホ! 賢者グゥグゥレェカアアァス!」
魔女プラティンの声が室内にこだますると、紫色の煙の中から、巨大なコウモリが宙に舞い上がった。ブァサ! と翼を羽ばたかせると窓にめがけて飛んでゆく。
「困惑。ググレくん、魔女がにげちゃうよ!?」
「おのれ、拙者をよくも辱めたでござるなっ!」
ルゥが剣を構え、マニュフェルノが慌てたように俺と魔女、交互に視線を向ける。
「あぁ……これは、こまったな」
「今日の所は『引き分け』という事にしておいてさしあげてよ? オーホホホ!」
「お、おのれ化け物め!」「降りて来い!」
衛兵達が剣を振り回すが魔女が変化したコウモリはゲストルームの高い天井を舞い、剣先は届かない。
「逃げる気か! 魔女プラーティン!」
俺はリオラをまねて、芝居がかったセリフで応える。
「オホホホ! 『古き灯台』で待っているわ! そこに貴方が探している者たちも……オホホ! ですが、次は……こうはいかなくてよ!?」
「それはそれは……」
俺は眼鏡を親指と中指で挟んで、口元を隠すようにメガネを光らせる。
コウモリは高笑いを響かせながら窓ガラスを突き破り、外へと飛び出していった。衛兵達が大声を出しながら後を追う。もちろん、空を飛ばれてはどうしようもないだろうが。
「ぐっさん! 俺達も追おう!」
飛び出そうとするイオラの背中に、俺は「待て」と声をかける。
「まぁ……いいじゃないか。灯台で、と言ったんだ。エルゴノート達も無事さ。まず……飯を食ってからでも遅くはあるまい?」
俺がそう言って片目をつぶると、ルゥとイオラの腹の虫が同時にぐぅと鳴く。
「あ……」
「お……」
猫耳の剣士と勇者志望の少年は同時に頬を染めると顔を見合わせて、はにかんだ様な笑みを浮かべた。
<つづく>