プルゥーシアの魔女 VS ディカマランの賢者
「そんな……! あ、あたくしの魔法を……う、打ち消した!?」
魔女プラティンの顔からは余裕の色は完全に消えていた。
絶対的な自信を持っていたであろう魔女の結界――輝石監獄は、いわば魔女の「箱庭」だ。相手の結界内で戦うということはつまり、完全な敵地での戦闘だ。
魔女にとっては魔法の励起に最適な空間であると共に、自らの魔法の威力を最大限に高め戦闘を優位に進められる。そして、引きづり込んだ「獲物」は雁字搦めにして自分の操り人形に変えてしまう。
だが、既に俺は魔女の魔法を解析し、掌握しつつあった。
それイオラの拘束を解いて見せたことは、魔女プラティンにとっては想定外の信じがたい事であっただろう。
「これ以上やると痛い目を見ることになるが……、いいのか?」
「だまらっしゃい賢者グゥグレェカァアアアス! ここは、ここはまだ、あたくしの結界内という事を……ッ!」
「俺の大切な仲間達を、返してもらう」
それは自分でも驚くほどに静かな声だった。
怒りで沸騰しそうだった頭を冷静に保ち、反撃の機会を得られたのは、傍らで黙々と解析作業を続けている妖精メティウスのおかげだった。
頭の中は冴えわたり、魔女の唱えた術式も禍々しい紫色の魔力糸も、全てが手に取るように見通せた。
「あたくしの輝石監獄の中で……好き勝手はゆるしませんことよ!」
必死の形相からは「バジョップ様」と呼ぶ首領に対しての忠誠心と、長い人生を魔術に捧げて来た者としての、意地のようなものが滲んでいた。
魔女は手元で魔法陣を描くと、自らの盾として使役するルゥローニィに再び魔力を送り込んだ。ルゥは無言のまま、剣をギラリと光らせて俺達に襲い掛かってきた。
身動きの取れなくなった人間の脳に魔力糸を撃ち込んで神経系を支配、自らの操り人形として使役するというのは、ゴーレムに通じる「他者や事象を意のままに操りたい」という魔術の欲求そのものに思えるし、目指すべき一つの到達点かもしれない。
だが、人間を操ると言う行為は、太古より禁忌とされてきたことだ。石や木、そしてスライムなどの魔法生物をゴーレムとして使役する事とは訳が違うのだ。
生きた人間そのものを操って親しい友人に襲い掛からせるに至っては、言語道断だ。
『沈黙の国』プルゥーシアの魔術師達は禁忌を易々と破り、領主であるトップリハム卿を操り、魔王軍の残党、そしてディカマランの仲間たちをも「手駒」として使役することで、この港町……牽いては大陸の支配も視野に入れているのだろう。
「イオラ!」「まかせろぐっさん!」
仲間である猫耳の剣士を突進させる事で俺の動揺を誘い、呪文詠唱を遅らせるという作戦なのだろう。魔女は既に次の魔法詠唱を行っているのが見えた。
床を蹴って飛び出したイオラは、ルゥの鋭い横なぎの一閃を短剣で受け止めた。二人の間に赤い火花が散り、ヂリッ! と金属同士が擦れる音が響く。
「くっ!」
華奢な猫耳少年の体からは想像もつかないほどの威力の剣撃に、イオラの身体がわずかに浮き上がった。剣士としては圧倒的に格上のルゥは、無表情のまま二撃、三撃と容赦のない剣を叩き込んでゆく。
「……ッ目を……覚ませっ……て!」
ガィィイン! とイオラは渾身の力で剣を上に弾きあげると、ルゥが体勢をわずかに崩した。イオラはその隙を見逃さず、後ろに跳び退き間合いを取る。
数歩の距離を置いて再び剣を構え、猫耳の剣士の一挙手一投足を見逃すまいと鋭い視線を向けつづける。イオラの俊敏な身のこなしと剣の腕前は、ルゥの攻撃に耐えられるほどに成長していたのだ。
「イォ兄ぃいいー!」
「イオ!」「や……やめるにょ! ふたりとも!」
プラムが、リオラがヘムペロが、その信じがたい光景に泣きそうな顔をする。一時とは言え仲間として共に飯を食った仲間同士が、剣を交えているのだ。
ルゥらしからぬ大げさな太刀筋のおかげで、イオラは辛うじてその剣を受け止めているが、あと一撃を耐え切れるか、といったところだ。
「おほほ! この一瞬――! わずか数秒ッ! このアタクシに、呪文詠唱をさせてしまったのが賢者グゥグゥレェカアアス! 貴方の敗因というわけね!」
紫色の毒々しいドレスを翻し、魔女プラティンが全力で俺達の周囲に魔力を放った。それは、俺の結界を何枚も貫いた超高周波振動ドリル術式だ。
周囲の空間がゆがみ、鋭い魔法の刃を形成する。それは魔力を持たないリオラやイオラにもはっきり見えるほどに実体化し、眼前へと浮かび上がった。
「なっ!」「きゃ!?」「あ、危ないにょ!」
「おほほ! この数秒であたくしが詠唱した呪文は三つ! 剣士を操り、貫通術式を詠唱し……そして、貴方の結界を破壊しうる極大魔法さえ……!」
魔女の手には黒と紫の時空のゆがみのような黒点がバチバチと雷光を放っていた。絶対零度の極低温の波動の塊――。それは冷却系魔法の最上位呪文だ。
だが、俺の戦術情報表示は瞬時に敵の魔法特性を分析し、全て掌握済だ。
俺は顔色一つ変えず、指先ひとつで、俺の術式を励起した。魔女はまだ気が付いていないのだ。自分が既に負けているという事に。
「そうね、まずは貫通術式で全員、仲良く身体を串刺しにして差し上げますわ……! えぇ……、賢者グゥグゥレェカアアアス! 貴方以外を! 愛おしい、お仲間なのでしょう? 宝石にして永遠に手元において置けないのは残念ですけど……!」
ベラベラと饒舌に雑音をまき散らして哄笑しつづける魔女を俺は睨みつけた。
取り繕っていた顔の化粧は剥げ落ち、醜い素顔を曝している。かなりの高齢、それも百歳は優に超えているであろう悪霊のような顔つきだ。
「……数秒、イオラが稼いでくれたおかげで……既に数十の術式を展開済みだが、わからぬか?」
静かな口調でそう告げて、俺は眼鏡を指先ですっと持ち上げた。
これは俺の最後通告だった。
「う……嘘をつくな! そんなこと……、そんな事できるはずがないわッ!? あぁああははははっは! いいわ! ならばッ! 全員この場で串刺しにぃいいいいッ!」
魔女プラティンが目玉と歯茎をむき出しにして叫んだ瞬間、鋭い魔法の刃は超高周波を伴って高速回転を始め――
「ぐッ――ぎゃああああああああ!?」
全ての刃が魔女プラティンの身体を刺し貫いた。
既に掌握済みの魔女の魔法術式の弾道制御を改竄――狙いを魔女に向けたのだ。
刃は魔女の身体を覆う防御結界を全て貫通し、その肉体をも刺し貫いていた。魔女の絶叫が部屋に響き渡ると同時に、輝石煉獄が粉々に砕け散った。結界は宝石を砕いたかのような破片となって散り散りに砕け、やがて消えていった。
部屋は、もとのゲストルームへとその姿を変えていた。
「ば、バカな……! こんなっ……あたくしの……魔術を……奪っ……た!?」
魔女の魔法式はメティウスが解析済みだ。
そして俺が用意した制御術式で魔法を欺瞞し、相手の魔法制御を奪うのは俺の戦闘の十八番だ。魔法制御撹乱術式や認識撹乱術式を、自律駆動術式で圧縮し超駆動させる。
つまり俺はその気になれば数秒で、百近い術式を詠唱可能なのだ。
「これが賢者と、魔術師との差だ」
魔女の驚愕に見開かれた瞳は光を失い、振り乱された髪は白髪と化してゆく。魔力で保ったであろう肌は皺だらけになって見るも無残な有様だ。
だが、貫かれたはずの体からは血は一滴も流れ出てはいない。
「認識撹乱術式だ。『貫かれた』という認識を、貴様の脳神経に撃ちこんだのさ。死ぬほど痛かろう?」
「こ……これが賢者……の……、魔……法」
魔女はそのまま白目を剥くと、ズシャリと仰向けに倒れこんだ。
――と、
「か、身体が……動くにょ!」
「イオ!」
「リオラ!」
双子の兄妹が互いの無事を確かめる。ヘムペローザは鼻水を垂らしながら、オレに抱きついてきた。
「この賢者のアホめぇえ! もっと早く助けやがれにょ!」
「はは、すまん。いろいろ聞きだしたいことがあってな」
「ググレさまー? 悪い魔女をやっつけたのですかー?」
「あぁ、もう平気さ」
ぽかぽかとオレの横腹を叩くヘムペローザは、やがてプラムと顔を見合わせて笑顔を浮かべた。
「賢者ググレカス、わたし、さすがに……疲れましたわ」
「メティウス、解析を丸ごと任せてすまなかったな」
「いえ、お役に立てたなら、私はそれだけでうれしいですの。では……すこしオヤスミさせて頂いてよろしいかしら?」
「あぁ、お疲れさま」
そう言うとメティウスは、俺の懐の本の寝床に身を滑り込ませた。
「ぐっさん! ルゥさんが!」
イオラの声に振り返ると、ルゥローニィが正気に戻ったらしかった。
「にゃ……拙者……は、一体……?」
ふるふると頭をふると、特徴的なネコ耳がぱたぱたと揺れた。
「猫耳、ルゥくん! 気がついたの!?」
「マニュ殿……ここは? 拙者……確か紫色のマダムに、魚を見せられて……あれ?」
首を捻るルゥにマニュが近づき様子を確かめている。イオラもリオラも、ヘムペローザも怪我は無い。
とりあえず、仲間たちは全員無事のようだ。
「ルゥ……おま……餌で釣られたのか」
俺は呆れつつ、ようやく安堵の溜息をついた。
<つづく>