沈黙の国、プルゥーシアの影
◇
昼食はリオラが作ってくれたサンドイッチを皆で食べて、馬車に積み込んであった瓶入りのリンゴの絞り汁で済ませた。
小川のほとりで休憩をし、さすがに痛くなってきた腰を伸ばす。
すると、すぐに策敵結界に魔物の反応が現れたので、俄かに緊張が走るが、トカゲに羽を生やしたような翼竜の一種が、俺達から少し離れた川に着水した。羽を広げると5メルテを超えるような中型の個体だ。
このパーティ唯一の帯剣者であるイオラは、さっと剣を抜いて一番前に進み出るが、どうやら翼竜は昼飯に小魚を探しに来ただけの様で、俺達を気にする風もない。
「イオ、こっちを気にしてないみたいよ」
「翼竜。めったに人を襲わないよ」
「うーん……。そうか」
リオラとマニュの声に、少し残念そうに剣を戻すイオラ。
俺の背中に隠れながら戦闘態勢をとっていたプラムとヘムペローザも、ほっと顔を見合わせている。
翼竜にしてもオークにしても、いきなり意味もなく人間を襲うわけではない。
特殊な土地の瘴気の影響で凶暴化したり、魔王のように人為的な魔力波動を浴びせかけて凶暴化させたりしないかぎり、本来はそんなに危険ではないはずなのだ。
「さぁ、一休みしたし先を急ごうか」
だが俺は、妙な違和感、いや――正確には胸騒ぎのようなものを覚えていた。
違和感の原因は明らかだった。こんな平和な森で、真昼間から山賊が襲ってくるものなのか? ということだ。
飢えて困窮していたというわけでも無さそうな盗賊の一団は、考えればおかしな点だらけだ。ちぐはぐな、まるで寄せ集めのような一団は、まるで俺達を試すかのように進路を塞いだのだ。
おそらくリーダーの中年ピアス魔法使いだけは自分の意思で動いていたようだが、人間の傭兵崩れ二人と、他の全員は操られていたと考えられる。
俺達を襲ったあの魔法使いは低級か、もしくは中級クラスの力しかない。
質の悪い魔力糸を見れば一目瞭然だ。にも拘らず、豚の半獣人であるオーク6体に、青鬼1体、それを一時的とは言え同時に制御し統率の取れた動きで俺達の馬車を取り囲んだのだ。
つまりあの一団を操っていた者は別に存在するのだ。
レントミアがかつてセシリーさんを中継し、遠隔操作で大ざるを操って見せたのと同じ手法、つまり中年ピアス魔法使いを中継器として利用し、背後から操った存在がいると考えるのが自然だろう。
――何者かの、威力偵察……か。
『沈黙の国』プルゥーシアの偉大なる魔法使い……バジョップ様の第一の舎弟、プラティン様の……。あのピアス中年はそう叫んでいた。嘘を言っていたり、言わされている可能性も当然あるが、あの抑制の効かない喋り口調から、つい口を滑らせたという気がする。
『沈黙の国』とは、賢くつつましい人々が暮らすとされる謎の国だ。世界最北端の「白の大陸」イスアーン大陸を統べる、プルゥーシア皇国の自称だ。
女戦士ファリアの故郷であるルーデンスの北に連なるファルキソス山脈を越えた、遥か北方にその国はある。
自らを沈黙の国と称し、他国との交流を必要最小限に抑え、歴史の表舞台に出ることの無いという謎に包まれた国家――プルゥーシア。
かつての魔王大戦の際にも人類多国籍連合に参加せず、戦力の温存を図ったとひそかに噂されている。
その為、国境を接するカンリューンやルーデンス、そしてメタノシュタットとの関係はあまりよくないらしい。
――と。
「ググレさまー……」
「ん? なんだいプラム?」
馬車に乗り込もうとしていた俺の袖を、プラムが引いて小さく耳打ちをする。
「敵をはっけんしましたのですー!」
真剣な顔で小さく敬礼をして、馬車の後ろを指差すプラム。プラムの指差しているのは、12個のワイン樽ゴーレムが並べてある台車だ。
プラムの後をついていくと、ある一点を指差す。目を凝らして、魔力の波長を調整すると、キラリと銀色の細い糸のようなものが見えた。
「魔力糸……!」
「プラムがみつけましたのです」
えへん、と胸を張るプラム。俺は思わず頭を優しく撫でて、頬をうにうにとつまんでやる。
「すごいな、プラム! 大手柄だよ」
俺のことばに嬉しそうに身をよじったプラムは、そのまま馬車の荷台から中へ乗り込んでいってしまった。
うーむ、プラムの力は侮れないな。俺の策敵結界はこんな微細な標的を検知できない。糸は不可視化されていて、かなり高度な術式で編みこまれたものだ。
おそらく、超絶変態を装った山賊の二人がこの樽に飛び込んだときに付けたのだろう。もちろんあの傭兵崩れの山賊自身にはそんな意図は無く、だろうが。
――俺の注意を逸らして糸を接続したのか。
「これはかなりの……知恵者だ」
俺はローブを翻して、馬車の御者席へと飛び乗り、馬を動かした。
もちろん、くくりつけられている銀色の魔力糸はそのままだ。あえて愚者を装うのだ。これは既に「諜報戦」の様相を呈しているのだ。
――「魔王軍の残党」以外にも、裏で動いているものたちが居るようだ。
おそらく、エルゴノートやファリア、レントミアが「消えた」事と何か関係があるのだろう。
◇
その後も馬車は川に沿って東へと進み続け、やがて森を抜け開けた土地に出た。川幅が徐々に広くなると、徐々にすれ違う馬車の数が増え始めた。轍に時折馬車を揺さぶられながらも走り続けた俺達は、昼に差し掛かる頃には宿場町アパホルテへと到着していた。
先ほど小休止をした小さな川のほとりには小高い丘があり、その頂上には赤い三角屋根の教会が建っている。白い壁の教会を中心としてぐるりと小さな町が広がっている。
町と言うよりは村と言った風情だが、宿屋や飲食店、雑貨屋などが軒を連ねている。
外界と町を遮るものは日干し煉瓦の半ば崩れた壁だけだ。その高さは大人の胸よりも低いほどで、本気で魔物や盗賊などの襲撃者に備えたものではない。
何台もの馬車が停車している町の外では、子供達が上を駆け回ったり、女達が木の下に腰掛けておしゃべりをしたりする様子が見える。
つまり町の周囲は平和で安全な場所のようだ。
本来はメタノシュタットから馬車で一日かかる道程を、わずか半日で走破したと言う意味では、かなりのハイペースだ。途中、山賊に襲われると言うアクシデントに見舞われたが、時間のロスを補って余りあるペースで馬車は走り続けたのだ。
「うーん……なんだか不思議だな。このまえ来たばかりなのにさ」
イオラが俺の横から顔を覗かせて町を眺める。
「そうか、エルゴノートと一緒にここまでは来たんだったな」
そしてその夜、俺が巨大怪獣と戦って瀕死のところに、エルゴノートやイオラが駆けつけてくれたわけだ。
「あぁ、夜中にいきなり叩き起こされて、いきなり馬に乗ったんだよ」
「あはは、とんだ旅だったな」
「だけどぐっさんが危ないって、エルゴの師匠もファリアさんも、マニュさんも、レントミアさんも……みんな真剣だったんだ……」
少年の目線はずっと、町よりもはるか彼方を見つめていた。
「だから、今度は俺たちが助けに行く番さ。そうだろ?」
「うん……」
小さく頷いたイオラの横顔から、俺は町へと視線を向けた。この町には用はない。このまま通り過ぎて、目的地――港町ポポラートを目指すのみだ。
<つづく>