帰還
「しっかり掴まっていろよ、チェリノル」
「は、はいっ!」
俺は奴隷少女の細い身体を抱き抱え、スカイボードを踏みつけ、魔法力を注ぎ込んだ。途端に周囲に空気の渦が生じ、竜巻のような風に押し上げられて浮上する。
「きゃ……!?」
「大丈夫、馬に乗る要領さ」
レントミアと王立魔法協会が作り上げた汎用スカイボードには特殊な記憶石が内蔵されている。魔法力さえあれば仕込まれた『流体制御魔法』と『飛行制御術式』により安定して飛ぶことが可能な優れものだ。
一気に十メルテほど浮上すると、眼下にレザリアス王城の中庭が見下ろせた。
「なんだこの突風は!?」
「た……竜巻だ!」
城の衛兵や魔法使いたちが驚いているが、認識撹乱魔法と光学迷彩系魔法の複合術式により不可視化しているこちらの姿を捕らえることはできないだろう。
「ググレカス様、と……飛んでます!」
「あぁ、これが魔法さ」
「すごい、まるで鳥になったみたい」
少女は目を輝かせた。
キラキラとした朝の光が世界を照らしてゆく。
閉塞した小さな世界からチェリノルを連れ出すことは、俺を助けてくれたことへの感謝の意味もある。単なる自己満足に過ぎないかもしれないが、ここでの暮らしよりは楽しく夢のある生活を送らせてあげるために。それにもうひとつ。妖精メティウスがそうだったように、次元を跳躍する際の指標「羅針」となりえる。このストラリア諸侯国だけの小さな世界へ再び飛翔する楔として。
「お城があんなに遠く、王都から離れてどこへ……?」
「もっと遠いところへ行こう、俺のいた世界さ」
「ググレカス様の……世界」
速度をあげ、ホウボウ号カスタムを目指す。迎えに来てくれた仲間たちの元へと急ぐ。
時間がない、急がねば次元の扉が閉じてしまう。
スカイボードで一気に城塞都市レザリアスを飛び越える。戦いで荒れ果てた都市では、人々が勝利の報告に沸いていた。
世界滅亡の危機から脱した今、混乱しながらもやがて復興の道を歩んでゆくだろう。
ファリアにそっくりな騎士団長マリアス、アルゴートを思わせる戦士、王国戦士団千人隊長アルグースト。彼らならきっとうまくやるはずだから。
やがてかつて星が落ちた村の谷間が見えてきた。
そこは激戦の跡地。先刻まで魔城クリスタニアと魔導師レプティリア・ティアウとの激戦が行われていた戦場だった。
太陽が昇りきった今は、崩れ去った魔城の残骸と動かなくなったゴーレムどもが、物言わぬ墓標のように散らばっているだけだ。
上空に視線を向けると歪んだ空が見える。
渦を巻き暗い時空の穴、星々の世界へと通じる亜空間、次元回廊。
いわば時空を跳躍するための穴、ポータルだ。
既にホウボウ号カスタムが該当空域に滞空し、俺の帰りを待っていた。
「お舟が空を飛んでる……!?」
「ここから驚くことばかりだから覚悟してくれ」
「こ、これ以上どんな」
不安げに目を白黒させるチェリノルに思わず苦笑する。
「ググレが戻ってきた!」
レントミアがホウボウ号カスタムの甲板にいた。
索敵結界で見えないはずの俺を認識し手を振る。流石はレントミアだと舌を巻きつつ、不可視化魔法を解除。ゆっくりと甲板に降りたつ。
「すまない、遅くなった」
「おかえりググレ、その娘?」
「わ、わ……綺麗な……エルフさん?」
チェリノルはレントミアに驚いている。何もかもが新鮮で驚きの連続なのだろう。こういう感じも久しぶりだ。
「拐ってきたの? 悪い魔法使いだね」
「奴隷を解放するのが趣味なのさ」
「ググレといると奴隷生活が懐かしくなるかもよ」
「どういう意味だよ」
「そのとおりの意味。キミ、もう平穏な生活は送れないよ」
レントミアがくすくすと意地悪く笑うと、チェリノルは戸惑い気味に目を瞬かせた。
「脅かすんじゃないレントミア」
「さ、ゲートが閉じるまえに出発しなきゃ」
「おぅ!」
レントミアと軽く手をハイタッチしあいながら甲板から降り艦内へ。チェリノルの手を引いて向かうは操舵室だ。
「空を飛ぶ船……」
「ここにいるのは俺の仲間たちさ。紹介するよ。まずは魔法使いのレントミア、俺の大切な相棒だ」
「魔法のライバルで親友、恋人だよ」
「こっ恋人」
「にょほほ新入りかにょ」
「新しい被害者ですねー」
プラム、ヘムペローザを紹介。あとはこいつらにまかせることにしよう。
「ここ、こんにちは、チェリノルと申します。よ、よろしくおねがいいたします!」
「ググレ様のファミリアへようこそー」
「どんな特技があるんじゃ、んー?」
「えっあの、えと……皿洗いと洗濯ぐらいしか」
戸惑うのも無理はない。
片や背中に竜の小羽を生やした赤毛のプラム。
もう一人はダークエルフクォーターの見るからに気の強そうな魔女ヘムペローザ。
チェリノルはすっかり怖じ気づきオドオドしている。そんな彼女を眺めているうち、俺はとんでもない事実に思い至る。
「この船の中で普通の人間って……チェリノルだけじゃね?」
「……えっ?」
ますます青ざめるチェリノル。
「まてググレ! 私も普通の乙女だろうが!?」
「そうですよ! 僕も普通の騎士ですっ」
「お、ぉうそうだったな」
ファリアとアルゴートがまず抗議の声をあげた。
普通……か? 普通とはなんだ。
ファリアの筋肉は魔法を凌駕する。アルゴートも宝剣の起動因子を宿した勇者の弟。まぁギリギリ普通の人間といえなくもないが。
船長と航海士は見るからに半分ドラゴンな亜人。
このメンツでは俺とチェリノルがノーマルで普通の人間といえなくもない。
「そういえば獅子頭の二人は?」
「魔法で拘束して船倉に閉じ込めておいたにょ。諦めムードで大人しくしておる」
「あの二人、獅子じゃなくて猫耳亜人さんになっちゃいましたけどー」
「そうか」
あの二人は、アルベリーナへの手土産だ。
似るなり焼くなり好きにすればいい。
「じゃぁ出発だ!」
「次元回廊を超えて、もとの世界へ!」
「「「おおっ!」」」
ホウボ号カスタムはゆっくりと上昇、上空で渦を巻く次元の穴へ向かう。
次元回廊を維持しているのはメタノシュタット本国のアルベリーナ。それに協力してくれた魔法使いたちだ。
ホウボウ号カスタムには渦の向こうから延びる魔法のイバラが絡み付いている。時空を越えたアルベリーナの魔法、いわば命綱だ。ホウボウ号カスタムは自力で次元を跳躍することはできない。アルベリーナの魔法を辿り、元の世界へと戻るのだ。
逆にレントミア、プラムとヘムペローザは強い縁で結ばれた俺とメティウスの痕跡を辿り、遥か時空の彼方まで見つけて迎えに来てくれた。
感謝してもしきれない。
「ありがとうな、みんな」
「ググレが真面目に言うと不吉なんだけど」
「何かのフラグかにょ!?」
「みんなで迷子とか嫌ですけどー」
「ばっ! そういうんじゃないよ。感謝してんだよ、さぁニーニル艦長、頼むぜ」
俺も賢者の結界を最大出力で展開。念のため船自体を包み込む。
「主機、出力最大!」
「残存タキオン魔素粒子、対消滅魔素変換推進機関補機へ注入、臨界まで30!」
ニーニル艦長の声に航海士アネミィが応える。
「みんなそれぞれ座席へ。動かないように」
ホウボウ号カスタムは上空でゴウゴウと渦を巻く光の中心へと吸い込まれた。視界の周囲でまばゆい光で満ちてくる。
「きゃ……!」
「大丈夫、心配ない」
さらばだ、勇敢なる戦士たち。
騎士団長や戦士隊長以下、多くの兵士たちが地上から去ってゆく俺たちに手を振り、敬礼している。
その光景を尻目に、俺たちは光の矢となって星の世界を飛翔しはじめた。目もくらむような光の渦の中、光の奔流が、全てを飲み込んでゆく。
闇なのか光なのか、それさえ判らないほどのエネルギーの渦が空間に満ちている。
幻影のような星の海をゆく。見たこともない赤い森林に覆われた地表が、黄色い海が、青く沸き立つ大地が通りすぎてゆく。
これが時空の連結点か。
宇宙を、未知の世界を、俺たちは跳躍している。
時空の地平線を越え、時空連続体を超越。いつしか俺たちの船は極彩色の空間の中を無限に分裂しながら飛翔し続けていた。
・・・
どれくらい時間が経っただろう。
不意に夢から覚めるように、視界でゴチャゴチャと重っていた空間が整ってくる。
情報が整理され、脳が世界を認識し直しているのだろうか。
艦内の床が、壁が、そして握りしめたチェリノルの手の感触が戻ってくる。俺に抱きついたままのプラムとヘムペローザの身体の温もりが確かにある。
「あれ?」
「にょ?」
そして衝撃。
「っぉおおっ!?」
ドォン! と空気が炸裂するような圧力と音で一気に現実に引き戻された。ホウボウ号カスタムが傾きながらも着地したらしい。
「……く!? ここは……メタノシュタット王城横の、軍事エリア……ゴーレム駐機場」
艦長が呻きながら周囲を確認する。
「もどってきた!」
確かに懐かしいメタノシュタット王城のシルエットが見えた。
ホウボウ号カスタムは、軍事エリアに描かれた巨大な魔法円の中心にやや傾いた状態で停止していた。魔法円を取り囲むように、のべ百人ばかりの魔法使いや魔女たちがいて驚いた様子でこちらを見ている。
魔法円のひときわ複雑な部分に、黒髪の魔女が立っていた。両腕から複雑なイバラの魔法が溢れだしたまま魔法円と一体化している。
日焼けしたような肌色にとがった耳。
「アルベリーナ先生!」
レントミアが叫んだ。
彼女はなぜか呆然呆然としていた。あまり見たことのない呆気にとられたよう表情で。
「さ……三分ぐらいで戻ってきちまったけど、失敗? ググレカスのバカを連れ帰ってきたのかい?」
<つづく>




