賢者、変態と対決する
「――くっ!」
「きゃぁあ!?」「にょわぁ!?」「きゃー!」
俺は必死で馬車を急停止させた。サイドブレーキと呼ばれる停車装置を手で引きながら、二頭の魔法の馬の進行方向を調整し、運動エネルギーを逃がすように車体を傾けた。車輪が地面との摩擦で悲鳴あげ、土ぼこりを舞い上げる。
だが、その甲斐あって馬車は倒れた木にぶつかる直前で斜めになって停車した。車体に備えてある上質なサスペンションのおかげで辛うじて転倒を免れた恰好だ。
――ったく、どこのバカだ!?
折角気分よく走っていたというのに水を差された俺は、腹立たしさにギッと奥歯を噛み締めながら、馬車の御者席からすぐに全員の無事を確かめる。
「無事かみんな? 怪我はないか!?」
「いてて、ぐっさんとりあえず全員無事だぜ……ったく、なんなんだよ!」
プラムをナイスキャッチしたまま転がったらしいイオラが、自分よりを先にプラムを立たせる。
「イオ兄ィ、ありがとうなのですー……」
「プラム、イオ、痛くない!?」
「あぁ!」
「イオ兄ぃのおかげで平気なのですー」
ふんっ! とイオラも立ち上がり、平気をアピールする。
横に寝ていたリオラはもちろん、咄嗟にプラムも抱きとめるとはナイス勇者っぷりだイオラ。
「にょ……、マニュ姉ぇ、助かったにょ」
「幼女。これはむしろ……ご褒美」
見ればヘムペローザはマニュフェルノが受け止めてくれたらしかった。マニュは腰を打ったらしいが、なんだか嬉しそうだし大事は無いだろう。
イオラがズカズカと足を鳴らして、俺の御者席に足をかけた。そして外を見回したイオラの表情が一変する。
「な、なんだ……コイツら!?」
だが、荷台にいた全員が不安げに顔を見合わせる。
「どうしたのイオ……? きゃ!?」
すぐ後ろから顔を出したリオラも外を見た瞬間、思わず兄の背後に身を隠す。
「どうやら……『山賊』という輩らしいな」
おれは苦々しい表情を浮かべてゆっくりと周囲に目を配った。
塞がれた道の両脇から見るからに悪そうな連中が姿を現した。道端の茂みや木の幹の影からワラワラと、総勢10人程の団体様だ。
リーダーとおぼしき人間が3人――中年の黒マントの男、そして左右を固める傭兵崩れといった風体のヤセとデブの手下二人。
薄汚いオークと呼ばれる半ブタの獣人6匹と、身の丈三メルテほどもある青鬼と呼ばれる低級魔族1匹だ。それは珍しい人間3人と7匹の魔物による「混成山賊集団」だった。
進行方向の木を押し倒したのは、巨漢の青鬼らしかった。
大人の胴体もあろうかという太い腕に、馬を横にしたようなガッチリとした上半身、それに比例して異様なほどに小さい頭の載った首をゴキゴキと鳴らしながら、ドゥン! と巨大な足を踏み鳴らし一歩森から踏み出す。
肌はくすんだ青みがかった灰色で、体には申し訳程度にボロ布を巻いている。頭には毛が無く、知性も理性も感じさせない虚ろに落ち窪んだ暗い瞳が、無言のままじっとこちらを凝視している。
生でそんな怪物を見たことのないプラムやイオラ達は、ぎょっと息を飲む。
「ブヒュヒュ!」「ブキキ……!」
言葉を発さない青鬼に代わり嘲笑交じりに奇声を発したのは、鼻を塞ぎたくなるような異臭を放つ糞尿にまみれたブタの半獣人、オークの群れだ。
旅人から奪ったのであろう薄汚れた衣服を身に纏い、中には鎧の一部や錆びた剣、盾を持つものさえいる。
だが、その誰もが目は空ろで生気がない。醜いブタ顔から涎を垂らし、ブヒョァア! と意味不明の叫び声を上げて威嚇するように手に持った棍棒や鉄の棒で地面を撃ちつけた。
――妙だ。魔王の波動が消えた今、オークやオーガが旅人を、ましてや集団で徒党を組んで襲うなど……。
だが、その答えは容易に判明する。
黒マント男から魔力糸が複数伸び、魔物たちの後頭部に接続されているのが見えた。
――魔法使いか。それも生きた魔物をゴーレムのように支配して操るタイプの「操魔師」と呼ばれるタイプ。
俺がワイン樽ゴーレムを操ったり、カンリューン四天王の手下の魔法使いが「土人形」を操ったような無生物操作の術式とは異なる体系に属するものだ。
かつてレントミアが太古の大猿を操り、俺を襲わせたのも同じ系統の魔術だが、操る「精度」を求めなければ難易度はそう高くない魔術だ。
「こいつらが……山賊!」
イオラは緊張した面持ちで剣を手にして身構える。
愛用の使い込まれた中古の短剣がこの馬車で唯一の、武器らしい武器だと今更ながらに気がつく。
考えれば俺達はとんでもなく軽装備だ。今時、商隊だってもう少しマシな武器を持っているのだから。
「おにょれら、この馬車を賢者の馬車と知っての狼藉かにょおお!?」
「ろうぜきかー!?」
ヘムペロとプラムがが馬車の横になる小窓から顔を覗かせて叫ぶが、返ってきたのはブタ顔の獣人の嘲るような鳴き声だった。
「どうしましょう!? 賢者ググレカス……」
耳元で妖精メティウスが初めて体験する魔元との遭遇という「恐怖」に慄いている。とはいえその声はどこか弾んだようなワクワク感の混じったものだ。
確認するまでもなく戦術情報表示には、10体ほどの赤い光点が馬車をぐるりと取り囲んでいる。
「敵襲。ググレくん! 囲まれてる」
「賢者さま……!」
マニュフェルノとリオラが不安げに外の様子を伺う。俺はいつもの調子で軽く肩をすくめて、
「みんな心配はいらないよ。イオラ、馬車の後ろで皆を護ってくれ。けれど、馬車からは降りなくていいぞ」
「はい!」
俺の静かな声に素直に頷いたイオラは、俊敏に馬車の最後尾へと移動すると、剣を抜き払い俺の死角になる馬車後方に睨みを利かせた。
馬車の背後から接近しようとしていたオーク二匹が、イオラの抜き身の剣を見て、怯んだように足を止めた。ブギィ……! と歯軋りし口元からヨダレを地面に垂らす。
と、
人間の二人、痩せのモヒカン頭とデブの坊主頭が、それぞれ細身の剣とトゲの付いた鉄棒を見せびらかしながらじりじりと近づいてきた。
全身は皮の鎧に金属の棘をハリネズミのように生やした極悪スタイル。
「ヒャッハァアア!? みろよこいつぁ上玉だぜぇえええ兄貴ィイ!」
「ブシシシッ! ヒヒヒ、おい! たまんねぇええなぁああ!」
二人の男たちが欲望に滾った視線を馬車に向け、下卑た笑い声を響かせた。
「…………」
俺は黙ったまま、煮えたぎる感情を外にも出さず、涼しい顔でそいつらを睨みつけた。
その薄汚い欲望の対象が、馬車に乗る少女達なのは明らかだろう。
「いい身体してやがるぜ、ありゃぁ……かなりのもんだぜヒャハッァ」
「ブシシッ、ナデェネデェしたら気持ちいいだろうなぁ……!」
「劣情。リオラ、ヘムペロちゃん、プラムちゃん、こっちへ。馬車から顔を出さないで!」
マニュが男達のどす黒い感情に敏感に反応し、女の子達を馬車の奥へと隠す。お前も普段は似たようなものだろうと呆れつつも、旅慣れた冷静なマニュの対応に感謝する。
これ以上クソ胸糞のわるい言葉を吐こうものなら、瞬間、俺は我慢の限界に達するだろう。
「ヒャハァア、ありゃぁ最高の『樽』だぜぇ……!」
「あぁ! 最高級品、それも12個もだ」
「曲線がたまんねぇぜ、かなりの名品だ」
「アヒャァ……中身、中身も最高なんだろうな。ブヒヒッ」
「樽かよ!?」
思わずツッコむ俺に、山賊の二人がとんでもない言葉を口にする。
「黙れメガネ! あぁ! あの樽は俺様たちが頂くぜ、そしてたっぷり時間をかけて楽しませてもらうぜぇ!」
「ヒィイイハアアアア! 嫌がる樽の蓋を……強引に……こじ開けて……ブヒャハアアア!」
興奮の言葉を振りまきながら後ろのコンテナに飛びつく二人の山賊。スリスリと樽の全身を撫で回し、荒い息を吹きかけている。
――本物の変態だ!?
魔力を浴びておかしくなっのか、元々こうなのかは知りたくもないが、流石の俺も戦慄する。ぞわりと怖気が走った。
「ぐ、ぐっさん! あいつら後ろに飛び乗ったぞ!?」
「変態どもがぁッ!」
俺は久々にキレた。俺の新調したばかりの量産型ワイン樽ゴーレム『樽』相手に劣情を催すようなド変態山賊に、もはや容赦はいらぬ!
と、その時。
リーダーとおぼしき黒マントの魔法使いが凶暴な光を目に滾らせて、口を開いた。
「フヒヒ! 見たところお前も魔法使いのようだが……、大人しく後ろの荷物と有り金を全部置いていくなら命だけは助けてやるぞ?」
「……」
俺は不機嫌極まったという顔で黙り込んで黒マントを睨みつける。それが更にヤツの勘に触ったらしかったが、もとより俺のほうが怒っているのだ。
順調な旅路を邪魔されて、あげく、樽に欲情するような変態が俺の馬車を汚しているのだから。
「ほぅ? それが貴様の答えか? 車ごとひっくり返って気を失っちまったほうが楽だったと後悔することになるぞ? んん? 恐怖で声もでぇか? ならば更なる恐怖を、真の恐怖を与えてやろう! ……聞いて驚くなよ? 俺様は『沈黙の国』プルゥーシアの偉大なる魔法使い……バジョップ様の第一の舎弟、プラティン様に認められた大魔法使いゴジュアック様よ! どーだ? 恐れ入ったか? あぁ? チビッて声も出せねーかこの若造!? いいか! 俺がこの指を一度鳴らせば、手下のオークどもがテメーに一斉に襲い掛かって一瞬で八つ裂きだぞ。おいコラ何とかいえ若造! 偉そうなローブ着やがって! だが俺は寛大だ、あぁそうだ、テメーが着ている上等なローブと後ろの荷物の『樽』全部置いていけば命だけは助けてやるぞ?
あぁ――それと、俺は樽には興味がねェ。『女』は全員置いていけよ? 俺様が可愛がってやっからよぁイィヒハハ!」
リーダーらしい黒マントの中年魔法使いが下品な顔で、耳や唇、鼻につけた無数のピアスをジャラ付かせながら信じられない早口でまくしたてた。
見れば全身も金属の鎖でボンテージしていて、いい歳こいた山賊崩れの魔法使いのファッションセンスを疑う。
それにピアス中年魔法使いの猛烈な早口は何を言っているのかよくわからない。
だが――。
女を置いていけ、という単語は俺の逆鱗に触れるには十分だった。
「黙れ」
俺は静かな声で言い放ち、指をパチンと打ち鳴らした。
瞬間、まるでチャックが閉まるように中年ピアス魔法使いの口が閉じる。
「――ん!? ――ん――! んんッ!?」
モガモガと動かなくなった口を引き剥がそうと慌てふためくが、もう口は動かない。
「あ、兄貴ぃいい!?」「ど、どうしたんでデブシィイ!?」
痩せとデブが左右から慌てたようにリーダのピアス中年に駆け戻りすがりつく。と、更に二人も口が動かなくなった。
「――あぁ!?」「――んブッ!?」
何をしやがった!? と山賊どもは目で訴える。
低級な魔法使い風情が、無礼にも賢者である俺の「結界」の中にズカズカと踏み込んだ時点で既に勝敗は決している。
ピアス中年の魔力糸(と呼べるかも怪しいレベルの代物だが)は俺の暗号解析自律駆動術式で瞬時に解析され、既に俺の支配下だ。
俺と高度な魔術戦闘をするつもりなら、せめてカンリューン四天王程の実力が欲しいところだ。
「見たところ世間知らずのバカのようだから教えてやる」
俺は眉一つ動かさず、冷たい声色で鼻ピアス魔法使いに告げる。
「俺が……賢者ググレカスだ」
<つづく>