ファリア『竜撃戦姫』の領域へ
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「997……ッ!」
上段の構えから巨大な戦斧を一気に振り下ろし、止める。
「ぬぐっ!」
切っ先が地面に当たらぬよう、瞬間的に全身の筋肉を引き締めて強制停止。慣性の法則を打ち破る魔法のごとき、鍛え抜かれた筋力のなせる技である。
強靭な足腰、純度を高めた筋肉で覆われた腕。
ファリアは今、竜撃戦士の伝説に挑まんとしていた。
再び斧を持ち上げ、振り下ろす。
「998ッ!」
斧の発する風圧によって周囲の砂が吹き飛ぶ。
ピタリと静止した刃から放たれた剣気――この場合は斧気――の圧により分厚い石畳に亀裂を生む。
ここは、ルーデンス州都の中心。古の芸術品と称されるアークティルズ城の中庭だ。
「ファリア姉ぇ!」
サーニャ姫が姉の名を呼ぶ。城のバルコニーから身を乗り出し、眼下の様子に息を飲んだ。
大勢の竜撃戦士、城の衛兵たちが固唾を飲んで、銀髪の女戦士ファリアに視線を注いでいる。
「999ッ!」
気合とともに振り下ろし、剣気で地面が爆ぜる。
しかし斧の切っ先は数センチの精度で、地面には触れずにピタリと止める。
ルーデンス王家に伝わる超重量の戦斧は一撃で陸生ドラゴンの鱗を砕き、首の骨をへし折ったという。
それは竜撃戦士としての伝説、神話の時代の伝承に過ぎず、人のなせる技ではなかった。
だが、ファリアはその領域に迫ろうとしていた。
戦斧に宿った破壊のパワー、竜撃の渦が石畳を粉々に砕いてゆく。
「――1000ッン!」
最後の一撃だけは、渾身のパワーで地面に叩きつけた。
それまでの寸止め、鬱憤を晴らすように。
ドォン!
汗が飛び散り、引き締まった鋼のような肉体を輝かせる。
一際大きな衝撃が古城全体を揺るがし、ガラスのまどに亀裂が入った。
「お、おおおっ……!」
「ひぇええ!?」
「なんという……パワーじゃ」
落雷のような衝撃により、ルーデンスを取り囲む森をざわめかせた。あちこちで鳥や翼竜たちが驚き、いっせいに飛びたつ。
「ふしゅうぅううう……!」
ファリアは加熱した筋肉を冷却するかのように、肺から深く息を吐いた。
最後の一撃により地面は大きく陥没。まるで隕石が落下したようなクレーターを生じさせた。
戦斧を肩に担ぎ上げると、銀色の髪をかきあげ、爽やかな笑みを浮かべる。
「ふぅ! ついに成し得たぞ」
事も無げに言うが、この千本竜撃を成し遂げたものは誰もいない。先代の王、ファリアの父ぎみでさえ七百回で力尽きたという。
「お、おぉおッ……!」
「なんという圧倒的なパワー!」
「ファリア姫は今、ルーデンス神話に謳われし竜撃戦姫の領域に至ったのじゃ!」
「新たなる竜撃戦姫の誕生だ!」
「うぉおおおおッ!」
周囲から大きなどよめきが起こった。
ルーデンスの現役の竜撃戦士たちでさえ「戦斧百本素振り」が限界である。
しかしファリアは伝説の千本素振りをしてのけた。
それはまさに伝説の竜撃戦姫のみが成し得た領域なのだ。
サーニャ姫もしばし呆気にとらわれていたが、バルコニーから身をのりだし、再び叫ぶ。
「ファリア姉ぇ! 王都メタノシュタットから連絡が! 12時間後に作戦決行です!」
「……わかった」
鋭い眼光に澄んだ眼差し。
その瞳は揺るぎ無い強い意思の表れだ。
肉体と自信に裏打ちされた精神が宿す、静寂。生命の輝きに満ちている。
「行かれるのですか?」
「無論、そのための鍛練だからな」
汗の滴る髪を耳にかきあげ、微笑む。
二度の離婚を経験し、ファリアは強くなった。
俗世への執着と、下らぬ迷いを捨てた。
かつてはルーデンスの姫として運命を受け入れ、生きていこうと思った。
ググレカスがマニュフェルノと結ばれ、子を授かったように。自分も夫を迎え、伝統あるルーデンスのために、子を授からねばならない、と考えた。
しかし運命とは皮肉なもの。
ルーデンスは紆余曲折を経て完全にメタノシュタットの属国から、特別自治区ひとつの州として併合されるに至った。
ルーデンスの族長は王ではなく、地方領主として生きて行くことになった。
歴史的に滅ぼされた国々に比べれば、賢明な選択だった。ルーデンスの文化と伝統、竜撃戦士の血脈は受け継がれることになったのだから。
もう世襲や世継ぎは必要ない。地方領主の跡取りが欲しいなら、立派になった弟のセカンディアがいる。妹のサーニャや、フォンディーヌが婿をとってもよいのだ。
ファリアは長女として、王権継承第一位としての重荷から解放された。
数年前、政略結婚したカンリューンの第三王子からは離縁を申し渡された。
そもそも夫婦の営みも無く、形ばかりの結婚生活。終止符が打たれ、清々した。
心の隙間を埋めるように、プルゥーシアの辺境伯、インテリめいた優男との婚姻を試みたが、長くは続かなかった。
誰も愛せないのかと落胆したが、結局ファリアの心の中には想い人がいたからに他ならない。
秘めた想いがあったからだ。
――ググレ。
彼をずっと追いかけていた自分に気がつく。
その背中を追いかけつつ、迷っていた。
女として美しく、可愛く、愛されるようになろうと努力してみたときもあった。
だが――。
違うのだ。
マニュフェルノが妻となり、もう想いは届かないとあきらめていた。
だが、まだチャンスはあった。
「ググレカスさま、噂ではリオラさんを内縁の妻、第二夫人にされたようですよ」
「ぶふぉ!?」
茶を噴いた。
噂好きの妹、フォンディーヌが教えてくれた。
それによるとタチの悪い下劣な貴族に気に入られ、強引に娶られかけたリオラを救う口実だったらしいが……。
「レントミアさまが第二夫人だと……」
「フォン、レントミアさまとググレカスさまは、もっと深い絆で結ばれているのよ」
「サーニャ姉ぇ鼻血」
「あぶっ!?」
そう。
発想の転換。
難しく考えすぎた。
堅苦しいルーデンスと違い、大国メタノシュタットは自由で新しい気風に満ちている。
第二夫人がいいなら、第三夫人でもおなじこと。
――己の信念に忠実であるべし。
ファリアの脳裏に浮かんだのは、伝説の竜撃戦姫メテオライトの言葉だ。
彼女は強く、美しく、気高かかったという。
幾世代も続いた乱世を、生き抜き一人の男を愛し続けた。
ファリアも彼女のようになりたいと憧れていた。
ルーデンスの意志を束ねる王族の姫として、形骸化したとはいえ族長の娘として。
己を見つめ直し、弱さを捨てた。
だからもう迷わない。
求めるのは純粋なる強さ。
竜のような肉体、揺るがぬ鋼の意志。
伝説の竜撃戦姫――。
ルーデンスの竜撃戦士としての至高の領域へ。
その先に求める真の愛がある。
だからもう、迷わない。
「もう! 聞こえてる!? ファリア姉ぇ!」
「あ、あぁ。聞こえているともサーニャ」
地面を蹴り、中庭から跳ねる。
戦斧を肩に担いだまま二階のバルコニーへと軽々と跳び移った。
脚力はまるで翼竜のごとし。
片手で戦斧を持つ腕力は、陸竜のごとし。
「ググレカスさまの救出作戦で異界へ跳ぶとか……。帰ってこれないかもしれない、決死の作戦だって言っていました」
ルーデンスの伝統衣装が似合うサーニャ姫は、不安げに姉を見つめる。
「異界だろうと地獄だろうと、私が行ってあいつを助け出す」
「ファリア姉ぇ」
「ググレは私がいないとダメなやつだからな」
「まぁ……!」
サーニャがぱぁあと目を輝かせた。
魔王大戦が終結し、ファリアたち六英雄は散り散りになった。
だが、ファリアはずっと想いを胸に秘めていた。
賢者ググレカス。
自分とは何もかも違う、正反対の彼を想う。
身体は弱く、細くて頼りない。それでも圧倒的な魔法で誰よりも強く、仲間のために必死で戦う姿に、揺るがぬ魂の強さに惚れた。
だからググレカスに気持ちを伝えようと、あの日、賢者の館を訪れた。
『父の決めた婚約を破棄するため、恋人のふりをしてほしい』
言えなかった。あのときはまだ、気持ちを上手く伝えることは出来なかった。
遠い昔の、弱虫だったころの自分の黒歴史。
「もう迷いはない」
揺らがぬ意志を宿した青い瞳で、妹のサーニャを見つめ頬に触れる。
「行かれるのですね、姉さま」
「あぁ、あいつが待っている。飛竜を用意してくれ」
「はいっ!」
ググレカスはどこか知らぬ場所で迷い、きっと助けを待っている。
こんどは自分が助けるのだ。
そして、想いを伝える。
私を嫁にしろ! と。
第何夫人だろうと関係ない。
自分の気持に嘘はつけない。
「どんな危険があるかわからないのですよ?」
「だからこそさ」
彼を我が物にするために、最強の竜撃戦姫へと進化を遂げた私がゆく。
邪魔立てするものがあるのなら排除する。
神だろうが悪魔だろうが、叩き伏せる!
――まってろ、ググレカス!
<つづく>




