【幕間】救出作戦、72時間の壁
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ググレカス「消失」から72時間が経過――。
災害や戦災で被災し、救出されないまま72時間を経過すると生存率が著しく低くなるという。これを人命救助の現場では「72時間の壁」という。
――王立メタノシュタット書房刊『救命救急、治癒魔法無しで命を救う法』より。
「ぐぅ兄ぃさん、帰ってきませんねぇ」
リオラがお茶を飲みながら、窓の外に視線を向ける。王都北側エリア、西日の差し込む午後三時。
湖畔に鎮座する『賢者の館』のリビングダイニングでは、優雅なお茶の時間が始まっていた。
リオラはお気に入りのメイド服姿、栗毛の髪をハーフアップにまとめている。かつては戦災孤児で可愛い居候だった少女は成長し、今や第二夫人となり愛されている。そして『賢者の館』を護り取り仕切るメイド長でもある。
「あるじさまがいないと寂しいのダー」
亜人の少女ミリンコは少し寂しそうに呟くと、マニュフェルノ第一夫人のカップにお茶を注いだ。
「失踪。異世界に行ったみたいだし、簡単には戻ってこれないかも」
マニュフェルノはミリンコにお礼を言うと、ポリポリと焼き菓子を頬張って苦笑する。
傍らでは双子の姉弟、ポーチュラとミントがすやすやと眠っている。最近では「まぁま!」「ぱぁぱ?」と喃語を話すようになり、ますます可愛くて仕方がない。今はこの子達さえいればいいとさえ思うほど。
夫のググレカスが不在なのは寂しいけれど、いつものこと。また何か面倒ごとに巻き込まれてしまったのだろう。
「マニュ姉ぇもリオっちも呑気すぎっスよ……」
スピアルノは呆れつつ、ナッツの殻を割って中身を口に放りこむ。
猫耳と犬耳の四つ子たちは、この時間は学舎に通っていっている。平和で静かなひとときだが午後三時半をまわれば帰ってくる。引率役の年長姉弟、ラーナとラーズが四つ子たちを引き連れて。
お腹をすかせた「子どもたち軍団」が揃い踏みすれば、そこから館は戦場と化す。ゆえに静かないまのうちに館の女達だけの時間を楽しみたい。
ちなみに。
犬耳の半獣人、スピアルノは夫の猫耳剣士ルゥローニィとは別居中。剣術道場の一番弟子たる猫耳娘と浮気をしたことが原因らしい。もはや離婚も時間の問題だが、心配はしていない。『賢者の館』は居心地が良いし、ググレカスも「四つ子もお前も面倒を見てやる」なんて男前なことを言ってくれたからだ。無論、第一夫人のマニュフェルノ公認だ。
もう第三夫人になってもいい、とさえ思っていたところにググレカスの失踪である。
「はぁ……。まったくどこに行ったんスかねぇ」
犬耳の毛先を整えながらため息をつく。
と、リオラが指先で唇を持ち上げながら、
「もう丸三日ですもんね。そういえば『72時間の壁』ってありませんでしたっけ?」
「救命。人命救助の生存率が低下する、救出のタイムリミットのことですね」
治癒魔法と医療技術に詳しいマニュフェルノが淡々と答える。
「過ぎちゃってないですか!?」
ググレカス失踪からもう三日目、72時間も過ぎようとしている。
「……リオっち、ジタバタしても無駄ッス。もうすぐ73時間経過ッス」
スピアルノは薄々気づいていたが、ググレカスのことだから大丈夫だろうと黙っていた。
「スッピ心配じゃないの? ぐぅ兄ぃさん、ヤバいんじゃ」
「微笑。それはいつものこと」
「ご主人さまは必ず帰ってくるのダー」
「まぁ、そうかもしれませんけど」
リオラはググレカスを信じている。
魔王や超竜とガチンコ勝負しても生き抜いた。見た目のヒョロさとは裏腹のタフさ。強さと優しさに惚れている。
だからどんな状況でも大丈夫、と。
「無用。心配はいらないわ。さっき連絡があって、レントミアくんとプラム、チュウタくん。それにヘムペロちゃんも救出に向かうみたいだし」
「そうだったんスか、今夜はプラムたちも帰ってこないんスね」
「でも、それなら安心です」
互いに微笑みお茶を飲み干す。
マニュフェルノの言う通り、救出作戦は動き出していた。
「信頼。ググレ君のこと信じてるから」
マニュフェルノはメガネをすちゃりと整えた。
動揺する素振りも見せない。最近は『賢者の館』の第一夫人としての風格が出てきた。
「愛ですね」
「愛ッス」
「なのダ」
◆
同時刻、メタノシュタット王城中枢『中央即応特殊作戦群』作戦指令室――。
賢者ググレカスがティティヲ世界から消えた影響は、次第に大きな波紋となり広がりつつあった。
「魔法の主回線はまだ繋がらんか!? 王立魔法協会は何をやっている!」
「鋭意、回復に努力していると」
「おのれ……使えぬ! 危機的状況だというのに、宮廷魔法使いどもは呑気なことを」
髭顔の指揮官は悪態をつき拳を握りしめた。
王国の魔法運用の要、ググレカスが消えた影響は大きかった。
普段は目立たないが裏で暗闘し、様々な魔法的脅威から祖国を防衛していたのだから。
王国軍の高度魔法通信網に対し、外部勢力からの干渉はつねにあった。それを防いでいたのがググレカス以下、魔法兵団の魔法使いたちだ。
しかし度重なる攻撃により障害が発生、ついに王国軍の魔法通信回線がダウン。
各自治区や衛星国家群との魔法通信に不都合が生し、緊急事態へと警戒態勢を高めていた。
部屋の壁を埋め尽くす魔法投影板は、赤い文字での警告を発し続けている。
――第十三魔法通信ハブ過剰負荷増大
――干渉術式除去フィルタリング飽和
「このままでは持ちません……!」
「おのれ、弱みに付け入りおって」
髭の司令官が歯軋りする。
各国の魔法使いが魔法の通信回線を通じて、呪詛を送り込んできている。致命的なトラブルを引き起こす、要人の体調不良、対ゴーレムの機能不全を引き起こす呪詛術式を。
他国の魔法使いによる「悪意を持った干渉」であり、明らかな魔法通信網への破壊工作だ。
発信源は特定できないが、プルゥーシアは先日の国境交渉の腹いせ。ストラリア諸侯国は歴史的反発からの嫌がらせだろう。
王国軍のデフコン警戒レベル4。
これは「侵略の脅威が観測された」状態と同義であり、国境警備を担う各地のゴーレム部隊が厳戒態勢へと移行しつつあった。
「司令! レントミア殿が魔法兵団に応援に駆けつけてくださいました」
「おぉ!」
思わず歓喜の声があがる。
王立魔法協会の幹部にして、ググレカス殿の相棒、実力は折り紙付きだ。
「レントミア殿が魔法兵団の通信魔法師たちを支援、対策を開始しました!」
賢者ググレカスが運用していた魔法の秘匿回線へバイパス。干渉を排除し、基幹系の通信網を回復させることに成功する。
モニターの赤い警告は、次第に警報レベルのイエローへと落ち着いてゆく。
「なんという対処能力、流石は六英雄の魔法使い……!」
「これで少しは持つか」
しかし、宮廷魔法使いどもはまるで役に立たなかった。普段は王族に取り入り、威張り散らし怪しげな占いや占星術で惑わすばかり。
魔王大戦終結から歳月が流れ、実力のある者が在野に散ってしまった。
下らぬ王立魔法協会の内紛、権力争いのせいだ。
ググレカスは王城へ残り、スヌーヴェル王女殿下の懐刀として働いているが、数日前、王立魔法協会の要職を解かれたという。
プルゥーシア皇国との国境紛争など、王国軍とともに各地を転戦。国難や「めんどうごと」を処理してきたというのに。
賢者ググレカスの「追放」という理不尽な仕打ちは、王立魔法協会の最高位にいたアプラース・ア・ジィル卿が現役を退いたことに端を発する。
代表代行を僭称する「円卓会議」が王立魔法協会を牛耳り、ググレカスを追放したのだ。
内務省は今回の事態を重く見ている。混乱の責任を追求、やがて「ググレカス追放を画策した反政府的思想を持つ魔法使いたち」を拘束する手はずだという。
『ふぅ、当面はこれで大丈夫だと思うよ。でも暗号術式はいずれ見破られる。ググレに書き換えてもらわないと』
やがて王立魔法協会を束ねるものとして、若きハーフエルフ、レントミアに白羽の矢が立つ。
魔王大戦で名を馳せた、六英雄が一人。最強の魔法使いの誉れ高いレントミアは、王立魔法協会を取り仕切ることになるだろう。
『とりあえず各種対抗術式は仕込んでおいたから。あとは王国軍の魔法兵団のみんなに任せるね』
モニターに美しい青年ハーフエルフの顔が映し出された。背後には十数人の魔法使いや魔女たちがいて、頷いている。
「感謝いたします、レントミア殿!」
『さて、僕はググレを迎えに行かなきゃ」
「あとはお任せください。ご武運を……!」
<つづく>




