北の街道と、何度目かの馬車の旅
◇
俺達の馬車は街道を順調に北上していた。
遮るものの無い空は、気持ちのいいほどに澄み切っている。
早朝の風は刺すように冷たく体の心まで冷えそうだが、イオラとリオラが俺にくれたマフラーのおかげで首のまわりや胸がほかほかと暖かいのが救いだった。
賢者の館のあるフィボノッチ村を出発してから既に、3刻(約3時間)ほど北へ続く道で馬車を走らせ続けていた。二頭のワイン樽ゴーレムは快調そのもので、疲れたそぶりなどは微塵も無い。
俺達が走っているのは、かつて訪れた国境の温泉宿場街、ヴァースクリンへと続く「北の街道」だ。かつて「竜人の里」への旅でも通った街道だが、道はよく整備され幅も広い。
陽が大分昇ったとはいえ、本来ならばまだ早朝と呼べる時間帯だ。それでも王都メタノシュタットへ向かう何台もの馬車とすれ違う。そのほとんどは食料や商品を積んだ荷馬車や、それを護衛する装甲馬車だ。
隣国カンリューンなどからの運搬品を夜通し運んできたのだろう。
夜通し走ったといえば、「竜人の里」までの旅を思い出すが、あの時はかなり無茶をしたものだと思う。それはつい2ヶ月ほど前のことなのに、大分昔のような気さえする。
俺はプラムを救おうと必死だったし、その気持ちは今だって変わらない。
何よりも忘れてはならないのはその命が今も危ない事に変わりは無い、ということだ。
俺は、馬車の荷台の中でわいわいと楽しげに笑うプラムにちらりと視線を向ける。
プラムはヘムペローザと並んで、馬車の後ろに流れてゆく景色を眺めては談笑しているようだ。
緋色の髪が風に揺れて、ヘムペローザの黒髪と対照的な色合いを際立たせる。
元気に見える人造生命体の少女は、今も「延命の薬」を三日に一度は飲み続けている。もしも飲むのをやめれば、たちまち死の危機に直面するからだ。
ここ最近の事件性で根本的な治療薬の製造は大分予定より遅れていた。
製造途中で生み出してしまった巨大怪獣、デスプラネティアとの一戦と、そして今回の「救出ミッション」と、更に遅れてしまうのは確実だ。
――天秤にかけるわけではないが、エルゴノート達も大切なんだ、プラム……。
俺はプラムにそっと呟いて、馬車の正面に視線を戻す。
――プラムは平気ですよー?
と、背後から小さな声が聞こえたような気がするが、それは空耳だろう。
この旅が終わったら今度こそ、ゆっくりとプラムの薬の研究に没頭しよう。
レントミアの協力を貰い、そして頼もしい相棒の「妖精メティウス」も加われば、作業は楽に進むだろう。以前は検索魔法で情報を調べるだけだった俺の「賢者の知識」に、妖精メティウス自身が持つ「記憶」「推論」「予測」という機能が拡張されたのだから。
「おはよう賢者ググレカス。私のこと、お呼びかしら?」
ふわり、と妖精メティウスが賢者のローブの内側から飛び出した。
風に流されそうになりあわてて羽を動かして――といっても空力で飛んでいるわけでは無いのだが――俺の肩口へと降り立つ。
「もう休息はいいのか?」
「えぇ! 本の間で眠ったから、とても気持ちよくってよ」
メティウスが、うんっ! と伸びをする。小さくなって精緻な人形のような姿だが、その可愛い顔や姿は図書館で邂逅した姫そのものだ。
窮屈な図書館結界から解き放たれ自由になった魂は、その爛漫な性格に更に明るさが加わったように思う。
「……って、ここは何処かしら?」
目を丸くしてきょりょきょろと辺りを見回す。朝日に照らされた妖精メティウスの髪は、金色を帯びている。
「あぁ、今俺達は港町ポポラートへ向かっている。とりあえず事情は後で話すが……」
「賢者ググレカス、ここはそらく『北の街道』ね、えーと……。ポポラートへ行くのなら、あと半刻ほど進んだところを、右に折れるのかしら?」
「おぉ!? 凄いな、検索魔法地図検索と連携したのか?」
「マッパ……? ええと、お友達の検索妖精達が、教えてくれたわ」
俺は、方眉を動かして驚きを表す。
どうやら、妖精メティウスと本質的に同じ魔法力学構造を持つ検索妖精と、広域情報共有を備えているのだろう。
正確には、俺が検索魔法地図検索を詠唱したことによる「検索結果」が、メティウス姫の口から語られていると言ったほうがいいだろうか?
つまり妖精メティウスが自発的に考えて検索した訳ではなく、あくまでも俺の魔法の結果を読みとって、サポートしてくれていような感覚だ。
現に俺の目の前に浮かんでいる戦術情報表示には、メティウスが言うとおりの、ポポラートへの道が示されている
「メティウスには、いろいろと助けてもらえそうだな」
「まぁ! うれしいわ賢者ググレカス。ところで私、馬車に乗った皆さんと、おしゃべりをしてきてもいいかしら?」
胸の前で手を合わせて、瞳をキラキラと輝かせる。
「あぁ、そうだな、皆ヒマだろうし」
俺の言葉を聞くやいなや、妖精メティウスは、ぱっと後ろへと飛んでいった。
「おわ!? 妖精だ!」
「きれい、かわいい!」
「にょほ!?」
「わー! 飛んでるのですー」
「妖精。可憐で小さくて従順なググレくんの……(ごにょごにょ)」
馬車の後ろが俄かに賑やかさを増す。
メティウスの行動半径は5メルテほどでしかない。それ以上離れると俺からの一種の魔力供給が途絶え徐々に消耗し、最後はその妖精としての体を維持できずに消えてしまうだろう。これは擬態霊魂である妖精にとって仕方の無い事だ。
「妖精。さん、ドレスよりはもっとこう……露出が多くて軽やかな方が、飛びやすいのではないかと?」
「あら、僧侶マニュフェルノ、でも私、着替えをもっていないの」
「念力。お祈りすればお洋服ぐらい変えられたりするのでは?」
……マニュフェルノ、お前は何を言っているんだ?
俺は前方を注視したまま半眼になる。
「まぁ? それは考えてもみなかったわ! 出来たら素敵……、やってみるわ」
メティウスはそういうと精神集中をし始めたのか、馬車の荷台に一呼吸ほどの静寂が訪れた。
――と、
「おぉお!? すげぇええ!」
「すごい!」
「にょほぉおお!? 便利にょ」
「短いスカート可愛いのですねー!」
一気に背後で荷台が沸き返った。
「なにっ!?」
俺もたまらず振り返った。
「きゃ? 恥ずかしいわ、賢者ググレカス。……どうかしら?」
ちょりーん、と鈴の音のような響きと共に妖精メティウスがくるりと回ってみせる。
「なぁああぁッ!?」
図書館で着ていた水色の豪華なロングドレスは、大胆にも胸と腰を覆うだけの「布切れ」と化していた。
露になった白く細い首筋や鎖骨、そして熟れた果実のように盛り上がった胸元にくびれた腰。ふくよかなヒップライン……。申し訳程度に腰を隠す布からは、すらりとした生足が伸びている。
妖精メティウスは自分の姿に関してはある程度制御できるのか、と俺は驚く。多少布の面積の制御が甘い気がするが、それは……ヨシとしようじゃないか。
「少し、軽やかになりましたわ!」
「お、おおぅ……!」
それは妖精らしいといえば非常に妖精らしい姿だった。確かに童話にでてくる妖精は薄絹を纏っただけの少女の姿だったり全裸だったりすわけだしな。
「興奮。ググレくん、鼻の下……!」
「ぐっさん……」
「賢者さま……」
双子の兄妹までもがジト目で俺を見る。
「な、何を言うかマニュ! てか、お前も下から覗くんじゃない!」
「新鮮。このアングルは考えてなかった……!」
昨日は可愛く変身したなと思っていたが、中身はやっぱりダメなマニュのままらしく、下から妖精のスカートの内側を覗こうとしている。
そしてニヘッと歪んだ口元のまま、手帳に何かをスケッチし始める。
「きゃぁ!? お恥ずかしいわ、僧侶マニュフェルノ」
ぴゅんっと、メティウスが邪な顔の僧侶から逃れて、俺の肩口へと飛び込む。視界の左側に、どうにも肌色の面積が広くなった妖精がチラチラと見えてしまう。
「賢者ググレカスは、どう思います?」
「まぁ、妖精らしくていい……と、思うぞ」
嬉しい、と頬に張り付く妖精に思わず赤面しつつも、俺は馬車の操縦に意識を向ける。
重苦しい雰囲気になるよりはいいが、どうにも緊張感とは無縁だな……。
◇
以前の時のように魔物の集団に襲われたりすることもなく、俺達の馬車はやがて街道を右に折れて、東へと進路を変えた。
周囲の東へと向かう街道は、他の馬車も走っていない。道もやや荒れ始めるが、馬車「陸亀号」の高性能サスペンションはその衝撃を上手く吸収して、客室を快適に保っている。
今回は馬車の後ろに、量産型ワイン樽ゴーレム12体を積載した兵装ラックも牽引しているので重量がかさみ、思いのほか速度は出ない。
それでも「無休」で走り続けられるスラーリング・スライム・エンジン『フルフル』と『ブルブル』の驚異的な性能は、その不利を補って余りあるものだ。
鋼鉄の四肢を力強く動かしてガチョガチョと進み続けている。
太陽は天頂にさしかかるまでにはまだ早く、ちょうど午前10時ごろだ。
妖精メティウスには一日の活動限界が決まっているので、基本的には本の中に入って休息を取らせている。
馬車の荷台は静かだ。
さすがに出発時の興奮も落ち着いて、プラムとヘムペローザはウトウトしはじめていた。マニュフェルノだけは一心不乱に愛用のメモ帳にスケッチを続けている。
荷台には食料や着替え、そして飲料水の入った小さな樽がいくつかあるので、それを机代わりにしている。
出発の準備を夕べからほぼ徹夜で出発を手伝ってくれたイオラとリオラには、少し休めと言い聞かせたので、今は素直に二人で眠っている。
くーくーと小さな寝息が聞こえたので振り返ってみると、荷台に毛布を敷いて眠ったイオラの腕を枕代わりにして、リオラが丸くなって眠っていた。
ぎゅっと兄の胸の辺りを掴んだまま、頭をイオラの腕と肩に預けている。
なんだか俺の方が赤面して、すぐに進行方向へと視線を戻す。今更ながら二人の間には、入れない瞬間があるんだなぁと思い知らされてしまう。
――なんなんだ、この敗北感……。
やがて道は徐々に薄暗い、曲がりくねった山道へとさしかかった。とりあえずもう少しで宿場町アパホルテだと思ったその時、前方に集中展開していた策敵結界が、複数の反応を捕らえた。
ローブの内側から飛び出した妖精メティウスが、肩に飛び乗って囁く。
「沢山の人影……いいえ、人間と魔物、10体ほどが隠れておりますわ」
「……らしいな、少し速度を落とそう」
と、次の瞬間、前方の道を塞ぐように木が倒れかかってきた。いや、倒されたというべきか―――。
「――くっ!?」
サイドブレーキと呼ばれる停車装置を手で引くと、車輪が悲鳴を上げ車体が傾いた。荷台から悲鳴が上がる。
「――きゃ!?」「くっ!」
「危険。つかまって!」
「にょわぁ!?」「きゃー!」
――これは……まさか!?
<つづく>