異世界のコンプライアンス
「ひどい有り様ですね、ネフェルトゥム」
しまった、新手か。
黒い獅子少年に手こずっている間に、黄金色の獅子女が援軍に来てしまった。
「ぐぼっ、ゼクメィト……!」
スライムに拘束されている獅子頭が呻く。スライムの麻痺毒で意識を失ってもいいはずだが、耐性が高いらしい。
「人間の魔法使いとみて、侮りましたね。油断するなと言ったはずですが」
「べ、別に……僕は」
獅子女は溜息のように口からふぅ……と火炎の息を吐いた。
途端に灼熱の炎が渦を巻き、黒髪の獅子頭を捕縛していた粘液魔法を燃やし尽くした。
「うわっ熱ちち……! 僕まで燃やす気!?」
「それぐらいでは死にません」
「もう……」
耐火能力を有するスライムを一瞬で灰にするとは、なんたる火力。賢者の結界を纏わせた表皮も無意味か。
最上位魔法使いとて火炎魔法には詠唱を要する。しかし今のは無詠唱。まるで息でも吐くような自然さで炎を操った。
「人間の魔法使いにしてはなかなかです」
金色の獅子頭の女が、俺に鋭い視線を向けてきた。
鬣は長く、腰にかかる長さがある。尻からは猫のような尻尾が生え、ゆるりと動いている。ボンキュッボンなグラマラスボディに、申し訳程度のビキニアーマー。薄衣を羽織っているが目のやり場に困る。
「お褒めに預かり光栄だ」
「ゼクメィト、あいつ……できるだけ残虐に殺してやろうよ!」
黒い獅子頭の少年、ネフェルトゥムは怒り心頭の様子だ。獅子頭の女に甘えるように腕を絡める。
「私の息子を辱しめたこと、万死に値します」
「息子だと?」
なんと、驚くことに獅子頭少年の母親らしい。
「簡単には殺してあげないからね!」
「ママが来て元気になりやがって……」
しかしイキリまくるネフェルトゥムを、母獅子が静かに手で制する。
「殺すのは簡単ですが、油断は大敵です」
「はーい」
クソガキめ、次こそはスライム責めで泣かせてやる。
ところで俺の援軍は?
期待を込めてちらりと城塞都市の方に視線を向けてみるが、赤毛の戦士と銀髪の女騎士は大ダメージを受け、這々の体だった。
「くっ……おのれ……!」
「我らのために……魔法使い殿が……!」
武器を杖代わりに立ち上がるのがやっと。死んではいないが戦闘不能だろう。
城塞都市――王都レンブルローグの守備隊員と思われる彼らは、既に壊滅状態なのだ。こんな化け物が相手では無理もない。むしろ今までよく持ちこたえたと称賛したい。
それにしても……。エルゴノートとファリアの「そっくりさん」は別人なのだ。その事実に思わず力が抜ける。失意のほうが俺にとってはダメージが大きいくらいだ。
気がつくと母獅子も俺の視線をたどっていた。
「……なぜ無駄に足掻くのでしょう。無様で滑稽です。人間の生に対する執着は、下等な生物そのものですね」
必死で戦っている彼らに対する言いぐさに、流石にカチンとくる。
「生きるために必死に戦って何が悪い! 守りたい者がいれば、命ある限り足掻きもするさ」
反論しても馬耳東風だろうが。会話を長引かせ時間稼ぎ、何か情報が得られれば御の字だ。
「神に等しき我らには理解しかねる」
「そうそう。魔導師様に受肉させてもらった僕らは、元々神域で暮らしいてたんだから」
少年獅子が誇らしげに胸を張る。
「神と来たか」
今までも自称「神」とやらは何度か戦った。そういう輩は大抵狂っていたが、ネフェルトゥスの言う神域とは何だ?
確かに獅子頭の親子は強い。問題はコイツらを召喚して受肉させ、使役している魔導師のほうだ。異次元、あるいは宇宙から飛来した敵の親玉は、果たしてどれ程の強さなのか……。
二体の化け物と間合いを測りつつ、賢者の結界を再構成。次の攻撃に備え、ステルス化した粘液魔法を足元に展開する。
「お喋りはここまで。聖なる炎で灰におなりなさい」
金髪の牝獅子が呼吸するたびに口から火炎が漏れる。
「やっちゃえゼクメィト! 一万度の炎に三秒耐えたなら君のこと覚えておいてあげるよ。えぇと、グーグレパス?」
少年獅子は高みの見物か。
「ググレカスだ!」
ゼクメィトが息を吸い込み、大きな胸がさらに膨らんだ。そして――。
「――不浄火葬滅」
火山の爆発かと見紛う衝撃を口から放った。周囲の地面が一瞬で爆砕、水平に吐き出された火柱は、まるで光線砲のように収束し俺に迫る。
「これはヤバそうだ」
たんっ、と足元を踏みつけて仕込んでいた粘液魔法を活性化。地面の土砂を混ぜ混んだ厚さ1メルテにも及ぶ壁を瞬時に作り出す。
縦横それぞれ三メルテの物理防護壁は、十数層の賢者の結界により耐熱魔法で表面を防御。形態維持魔法を超駆動させることで超硬化処理を施している。謂ば爆撃にも耐えうる特設の防護陣地だ。
鉄の壁を凌駕する硬度を、強度をあわせ持つ魔法の物理防御壁を展開する。
ズドォン!
城塞都市全体を揺るがすほどの衝撃と爆発。真っ赤な光が爆発し、壁に阻まれる。
「く……!」
気圧の変化に衝撃、熱。これらは生身にダメージとなるが、常駐の賢者の結界で相殺する。
「ほぅ、小癪な……!」
ゼクメィトは熱線砲を放ち続けている。
壁の表面は次第に赤熱するが、左右からブシュァアアア……! と蒸気を吐き散らした。真っ白な水蒸気で視界が遮られる。
「魔法結界は破れても、物理障壁は簡単にはいはいかんぞ……!」
「ぬ……?」
「がんばれゼクメィト!」
僅かに敵は顔色を変えた。
まさか、という表情だ。
それもそのはず、熱線と衝撃に耐えている。
防壁は土と砂を混ぜて複合装甲化、内側には肺胞のように繋がった空間を設け、液状スライムを循環、冷却材として満たしている。これにより熱を逃がし、熱膨張などによる破壊を防いでいる。
隔絶結界では間に合わないための苦肉の策だが、案外うまくいった。
賢者の結界ならば即死だったが、この手の攻撃なら厚さ1メルテに達する強靭な壁が強い。
壁の左右から廃熱する際に生じた蒸気で、周囲の視界が次第に遮られてゆく。
「へぇ……すごいや! 三秒以上耐え――」
ネフェルトゥスが感心するが、超駆動させたのは防御系魔法だけじゃない。
「いけない! ネフェルトゥス!」
「えっ?」
母獅子が叫ぶが、黒毛の獅子少年は俺の接近に気づいていなかった。やはりスライムの麻痺毒がダメージとして蓄積していた。
「よぉ」
俺は二体の獅子頭たちの背後、息も掛かるほどの位置に出現した。
認識撹乱魔法と隠密系魔法は、神の眷属の目さえも欺ける。それは緑の芋虫戦で実証済みだ。
「しまッ……!」
「おのれ!」
火炎砲を放ったままの牝獅子が振り返るが、赤い熱線をしゃがんで避ける。
背後で地面が連続爆破する。
超至近距離、完全なる間合い。
大技を放った直後はどんな敵でも油断する。俺はこの瞬間を待っていた。
「ずッらぁああッ!」
魔力強化外装による筋力強化によって渾身のスライムの拳を左右に放つ。加速した拳の先端には麻痺、幻覚、神経毒、あらゆるステータス異常を誘発する呪詛毒が仕込んである。
「げふッ!?」
「きゃ……ぁ!」
生々しい肉を叩きつけた確かな手応えがあった。
親子獅子たちが左右それぞれにブッ飛ぶ。がら空きのボディへの一撃が確実にヒットした。
「ッ!」
だが俺は瞬時にスライムの拳で地面を垂直に叩き、反動を利用して跳ねる。
直後、立っていた位置が、緑の刃と赤い熱線の交差で爆発、粉々になった。
「よっと、危ない」
親子獅子は地面に叩きつけられながら、瞬間的に反撃してきたのだ。
再び着地し、油断無く粘液魔法を親子それぞれに投げつけ捕縛する。
「また!?」
「きゃ……あ……!?」
メガネを指先で持ち上げ、ふさりと髪をかきあげる。
「どんな奴でも攻撃した直後は油断するものさ」
ふぅ、決まったぜ。
「くそぁ! お前、ほんとに魔法使い……!?」
「なんという戦闘センス……! どれほどの修羅場を……潜れば……こんな」
悔しげに呻くがもう遅い。
親子は既に術中にある。神の眷属だろうと肉体を持つ以上は神経が通う。神経系を麻痺させれば動きは完全に封じ込められる。
特に炎を吐く母獅子は口を塞ぎ、呼吸を限定。もう危険な火炎は放てまい。
「さぁ、たっぷりと調べさせてもらおうか」
スライムを動かして、黒い少年獅子の脚をまさぐる。
「おま……何を、やめ!」
「は、辱しめるなら私を……!」
敵の弱点を知る。
故にこれは必要なことだ。
「んー? ンフフフ」
俺は素敵で優しい笑みを向ける。捕虜の扱いの基本は傷つけないことだから心配は無用。だが、調子にのって人間を殺しまくった極悪怪人。
どうしてくれようか。最近はコンプライアンスだ何だと煩いが、ここは異世界……。
「魔法使い様……!」
「おぉ! あの二体を……!」
「信じられん! 真の英雄だ!」
向こうから赤毛と銀髪の戦士たちを先頭に、城塞都市の兵士たちが駆け寄ってきた。
<つづく>




