孤立無援の苦戦
「なんだか弱そうなヒョロガリメガネ!」
獅子顔の少年が一直線に迫ってきた。
地面が抉れる程のパワーで蹴りつけて加速、突っ込んでくる。
――速い!
身体能力が尋常ではない。魔力で強化しているのか、あるいは生来のパワーか。
索敵結界と連動する戦術情報表示が、急速接近と近接戦闘への警告を発する。これでは認識撹乱魔法も、囮の偽ゴーレムも間に合わない。
「くっ……!」
先手を打つ事も出来ぬまま、数メルテの間合いに踏み込まれた。
「じゃぁ頭ブチ割ってみよっかー!?」
獅子頭の少年は眼の前で急停止するや、嬉々として右の拳を高々と掲げて見せつける。怯えるかどうか試しているのか。
「遠慮する」
獅子の顔の表情は読み取りにくいが、牙の生えた口元は嗤っている。黄金色の瞳は冷たく、狂気と殺意が入り交じる。
「はい、死んだ」
振り下ろすような右の拳が、ボッ! と破裂音を発する。音速を超えた攻撃。
――賢者の結界、最大戦闘出力!
対衝撃レイヤーを全面に集中展開。
「うぐッ!」
しかし一瞬で十六層を殴り砕かれた。ガラスが砕けるような音と衝撃に、獅子が目を見開いた。
「へぇ……結界? かなり硬いね」
拳の速度が僅かに鈍り、なんとか威力は相殺できた。
俺は、破砕された結界が生む空間の揺らぎを目眩ましに、数メルテ背後へと跳ねた。
もちろん肉体の反応速度を一時的に倍加する魔力強化外装は展開済み。
「危っねぇ……!」
衝撃をいなしきれず、着地と同時に両足がズズッと滑り、思わず片ひざをつく。
一瞬前まで立っていた地面が爆発し、土煙が散った。
明らかに初見殺し。最初から殺す気満々の攻撃だった。
「すごいね君! 僕の一撃を避けるなんて」
余裕綽々で拳を構え直す。
鬣と獣の顔、そして身体は細身の褐色少年という半獣半人。顔の部分は被り物ではなく本物らしい。
遭遇したことのない未知の種族。
殺すことに愉悦を感じている者の目だが、言葉が通じる。
「……お前も、緑の芋虫怪人の仲間なのか?」
情報を聞き出しつつ、時間を稼ぐ。
戦術情報表示は結界の再構築と、各種戦闘用魔法の準備が整ったと浮かび上がる。
「君、ラマシュトゥを知ってるんだ? なるほどね、喰われずに生き延びてきたってわけ」
「晩餐会のメインにされかけた」
「あはは! 面白いね、じゃぁ教えてあげる。僕はネフェルトゥム。偉大なる創造神、レプティリア・ティアウ様の眷属さ」
誇らしげに胸に手を置く。
「レプティリア・ティアウ」
緑の芋虫怪人も同じ名を口にした。星から来たという魔導師とやらの名を。
――偉大なる創造神、レプティリア・ティアウ様の眷属にして、豊穣なる汚泥と混沌の使者ラマシュトゥ!
目の前にいる獅子頭の少年も、獅子頭の美女(?)も同類というわけだ。
「つまらない人間はすぐに殺す。面白いなら遊んであげてもいい。さぁ、メガネの君は、どれだけ僕を楽しませてくれるのかな?」
軽い調子で笑うと、左の拳で空を斬るようなジャブを放つ。
緑の残光を伴う拳から、鎌状の刃が放たれた。
「くっ!」
間合いが遠いが、魔法で錬成した斬撃系の技か。
ならば――粘液魔法ッ!
思考の速さで魔法を励起、硬化処理術式と弾性強化術式を仕込んだ人造スライムの触手を鞭として右腕から放ち、攻撃を相殺する。
インパクトの瞬間に緑色のスパークが幾重にも輝いた。
――何か混ぜている……!
鞭が衝撃を吸収しつつ、細かい緑の輝きを受け流した。細かな緑の刃が顔まで届き、頬を切った。
「これにも対応できるなんて」
俺の背後で地面がズタズタに切り裂かれて吹き飛び、砂煙が舞った。
攻撃の威力の大きさを物語る。結界のおかげで致命傷にはならずに済んだが、まともに食らえばバラバラにされかねない。
察するに、拳に魔力を載せて叩きつける物理攻撃と魔力の併せ技か。
「……こちとら伊達に長生きしてないさ」
だが、強い。
戦闘経験が無ければ対処しきれなかった。
スライムの鞭はズタズタだが、すぐに再生する。スライムの鞭を更に増やし、二本の触手で防御を固める。
「魔法の励起が速い、術の精度も高い」
「……!」
「無詠唱魔術を使える人間もなかなか珍しい。以前、挑んできた王国軍の精鋭にいたけど、殺しちゃった」
――こいつ!
「おめおめ殺されるつもりはない」
少年の姿をした獅子頭は、単なる魔物ではない。
高い知能と知性を有し、こちらの力量を見極め分析している。余裕があり、実力を隠しているのか。
これでは身体能力に劣る此方は、長引くほど不利になる。
「魔法使いのくせに、僕の拳に耐えたのは君が初めてだよ。楽しい、気に入った」
「気に入られたくないが」
おしゃべりの時間を幸いに、俺は姿勢を整えつつ、更に三十二層の『賢者の結界』を追加で展開、他の魔法術式も仕込んでゆく。
「どこで死ぬか、試すね」
余裕の笑みを浮かべ、今度は軸足で地面を蹴って、更に踏み込んできた。
こちらも粘液魔法による強化型触手を放つが、二本とも殴り砕かれた。
「触手が……!」
「こんなもの、効かないよ」
左のストレート、真正面から輝く拳を放ってきた。
殴りつけた空間を隔てて、拳の威力が直撃する。
近い!
「ぬ、うおおっ!?」
衝撃をモロに受け、俺は吹き飛ばされた。空中で身を捻りながら着地する。
賢者の結界の半数が消失、鉄の盾に換算して三枚分もの障壁が破砕された計算で、生身なら今のでバラバラだ。
「また避けた!? やるじゃん君! あそうだ……殺す前に名前を聞いておかなく……ちゃ!」
とはいいつつ攻撃の手は緩めない。
姿勢を崩したところに駆け込んで、今度は蹴りつけてきた。
「名乗らせる気がないのか!?」
賢者の結界、再構成……!
なんとか間に合って防御したが、更に後方へと蹴り飛ばされた。
完全に防戦一方、スライムの鞭と結界のあわせ技で防ぐのが精一杯だ。
益々、城塞都市の門から離れてしまう。
エルゴノートのそっくり戦士と、ファリアのそっくりさんは苦戦中。
そして背後にはチェリノルが身を隠している廃墟の村。俺の不利を見て飛び出してこないことを祈るばかりだが。
「じゃぁこれは?」
両腕をあげて一気に振り下ろした。
今度は中距離……! いや違う。
「ぬぐ!?」
ドゴォン……! と周囲で地面がめくれ上がるほどの爆発が起こった。
広範囲を叩き潰すような面制圧の攻撃。
賢者の結界の全周囲展開で防ぐが、衝撃で腕がしびれ、土煙に視界が遮られた。
「ほらぁ!」
「くっ!」
索敵結界が警告、死角からの左のストレートが迫っていた。
獅子頭の少年ネフェルトゥムは、変幻自在の多彩な技を放ってくる。間合いも距離も気にしていない。あらゆる位置から拳を放つだけで攻撃が届く。
粘液魔法で物理的な壁を作り、辛うじて防ぐ。
「ネタ切れ? さっきからこればっかり」
地面を無様に転がりながら、バックジャンプし距離を取る。
身体のあちこちが痛い。直撃こそ避けているが、ダメージが蓄積。口の中が鉄の味だ。
「ぺっ」
血の唾を吐き捨てつつ、敵を視界に捉える。
「逃げてばっかりだね。死ぬのが数秒のびるだけなんだから、正面から戦いなよ」
「はぁ……はぁ……! こちとら魔法使いなんだから、殴り合うとか、バカをいうな」
気がつくと汗をかき、息があがっていた。
この俺が……追い詰められている。
一瞬でも防御をしくじれば死ぬ。
相性が悪すぎる。
パワーとスピードだけなら騙せるが、コイツは頭もいい。
認識撹乱魔法が通じるか?
幻影魔法でごまかせるか?
ダメだ、この状況では悪手になりかねない。
攻撃魔法をほとんど持たない俺にとって、目の前の強敵を仕留められる可能性がある魔法は……あれしかない。
――隔絶結界。
防御力においては比類するものが無い最強の防御魔法。だが、空間を切り取る特性を転用すれば、攻撃にも使える。
しかし励起には超高速の自動詠唱でも数秒を要し、空間座標位置を固定しないと放てない。
くそ、せめて前衛がいれば……。
城塞都市前の攻防にチラリと視線を向ける。赤い髪の戦士も、銀髪の女騎士も形勢不利。金髪の獅子頭相手に苦戦中。これでは援軍など望めない。
こんなことなら、ノコノコ出てくるんじゃなかったぜ。
「軽口をたたく余裕はあるんだね。ははぁ、その目……。何かまだ奥の手があるって顔だ」
「さぁな」
「隠さずに見せて! じゃないと死ぬよ」
獅子頭の少年は、一発、二発、三発と離れた位置から拳を連打してきた。
魔力で練り上げた衝撃波……いや、違う。物理的な攻撃だ。刃のように鋭く、重い。
賢者の結界を自律駆動術式により自動詠唱、強化ガラス並の強度で展開して防御する。
「ぐっ、ぬっ……!」
攻撃をうけるたびに背後へ押され、足元が滑る。防御しきれなくなった手足が切り裂かれ、出血。
痛みと出血は粘液魔法の転用でカバー、応急処置で耐える。
衝撃とともに到達する緑の輝きは、植物の……蔓だ。まるでヘムペローザの蔓草魔法を思わせる魔法なのだ。
「……そういうことか」
蔓はインパクト後に瞬時に消滅させている。
格闘家のような動きだが、獅子頭の少年は魔法を全身に纏っているのだ。
しかし、わかったところで反撃のタイミングが見いだせない。鎧も着ていない生身で気を抜けば、即死しかねない。
ヤツは結界がどこまで耐えられるか、楽しみつつ試している。
これは……普通にピンチじゃないか。
孤立無援、ようやく登場した偽エルゴノートも偽ファリアも、援護は期待できない。
妖精メティウスがいれば魔法を分散できた。
レントミアがいれば俺は無敵だった。
ヘムペロやプラムがいたら、きっと助けになってくれる。
本物のエルゴノートなら、宝剣で一撃、ルゥだって巧みな剣技で戦えた。ファリアならこんな相手など、パワー推しでも負けはしない。
仲間がいない今の現実が辛すぎる。
孤立無援、命の危機。
ヤバイ。
「くっ……ふ、ふふ……」
だが、心の奥底で沸き立つ感覚に気がついた。
沸々と熱いものがこみあげてくる。
これは、楽しい……のか?
久しく忘れかけていた感覚だった。手が震えているのは恐怖ではない、生の悦びを感じている。
変態か俺は。
退屈と日常に飽きていたから、こんな風に思うのか。
「君、笑ってる? 恐怖で頭が変になった?」
拳を放ちつつ、友達をからかうような声色で。
「あぁ、そうかもな!」
そうだ、楽しいのだ。
戦いに身を置くことで感覚が研ぎ澄まされてくる。命をかけた真剣勝負、戦いの駆け引きが楽しい。
「キモイなぁ、そろそろ死んでいい……よ!」
獅子頭が右の拳を深く構えた。拳の正面に緑の輝きが渦巻く。これまでの攻撃とは桁違いの一撃を放つつもりだ。
溜めをして足を止めた、瞬間。
「頃合いだ」
「えっ?」
一気に地面からスライムの壁がせりあがり、ネフェルトゥムを包み込んだ。
ここまで逃げつつ、散らしてきた触手が四方八方から壁となって襲いかかり、丸のみにする。
賢者の結界をたっぷり染み込ませた、粘液魔法の断片、千切れた破片を個別に操作できる。
「はぁ、はぁ……油断したな」
「ぬわ……ぶっ!? 何これ、スライム……しかも毒!?」
麻痺系毒、呪詛毒、幻惑毒、あらゆるステータス異常を引き起こす猛毒性スライムのカクテルだ。
ネフェルトゥムは渾身の拳撃を放つが、方向が逸れて虚空へと消えた。
全身にべったりと纏わりついたスライムが動きを封じる。スライムはうぞうぞと這い登り、口や耳から侵入してゆく。
「ぺっ! キモイ卑劣、ずるい……! こんな騙し討ち……」
「そういえば名乗っていなかったな。俺の名はググレカス。かつては賢者と呼ばれていた男……って、聞こえてないな?」
「ごぼっ、もがー! ふがー!」
よし、今だ!
隔絶結界で封じ――
「何を遊んでいるのですネフェルトゥム」
はっとして声のした方に視線を向ける。
そこには金色の獅子頭、グラマラスボディの美女が立っていた。
<つづく>




