逃避行と、望まぬハードモード
◇
周囲は深い闇に包まれていた。
星明かりさえ無い闇夜のなか、照明魔法さえ使わずに足早に歩いている。
「はぁ、はぁ……」
「もう少しだ、がんばれ」
「はい……」
毒芋虫の襲撃から逃れた俺とチェリノルは、闇に紛れて西へと向かっていた。疲れ切った様子の少女の手を引いて、暗闇の中を歩き続ける。
廃村で休めるはずが、まさかの襲撃からの逃避行。疲労はピークに達していたが、未知の化け物を相手に戦い続けるのは得策ではない。
――くそー。まったく、なんてことだ。
思わず心のなかで悪態をつく。
俺がいったい何をしたのというのか。
世界のため、人のため、家族のため。清く正しく働いてきたはずなのに。
神がいるとすれば、試練を与えているつもりなのだろうか? まったく余計なことをしやがって。
だが考えてみれば少しの油断と、心の隙間が今回の災厄を招いたともいえなくもないが……。
「ググレカスさまは……暗闇でも見えるのですか?」
「あ、あぁ。魔法使いだからね」
索敵結界によって暗闇だろうと足元には困らない。しかし半日前に生贄にされかけていた少女にとって、闇の中の移動は辛く不安なことだろう。
「すごいのですね……っ痛……!」
「大丈夫か!?」
「ググレカスさま、足が……」
「くじいたのか?」
暗闇のなかでよく見えないが、サンダル履きの指先から血がにじんでいる。躓いたのか。
「うぅ……」
「大丈夫だ、治療の真似事ならできる」
不安しかない言い方をしてしまったが、とりあえず粘液魔法で消毒と止血。ハンカチで爪先を縛り、あとは背負うことにする。
「ほら背負ってやる」
「でも……」
「こう見えても、魔法のマッチョさんだ」
俺も流石に疲れてきたが魔力で筋力は強化できる。戦闘用の『魔力強化内装』を使うことで、筋肉内の血流を強制循環。筋力強化と疲労の軽減ができるのだ。
「……ここに置いていってください」
「次にそんな事を言ったら、魔法で口を閉じるからな。ほらいくぞ」
「ググレカス……さま」
ぎゅっと背中にしがみつくチェリノル。少女の身体の熱と重みを感じつつ、闇のなかを再び進む。
「静かに。追ってくるかもしれないからな」
「はい」
幸い、化け物はもう追ってこなかった。
緑の毒芋虫どもは、いまごろ俺の分身で楽しい晩餐会の最中だろう。スパイ魔法入りとも知らずに。
しかし――。
あれはヤバイ化け物だ。
高度な知性を有し、意識と思考を共有しているとなれば人類の脅威となる。事実、この世界の国々は苦戦を強いられていのだ。
未知の、星の世界からの侵略者。
並の相手ではない。かつて戦った魔王軍は、確かに強かった。組織化され、ある程度の知恵を持った上位の魔物が他の魔物を率いて軍団化していた。
凶暴化した魔物だろうと単体なら対処できる。だが、組織化されれば途端に厄介な敵となる。
さっき遭遇した緑の毒虫軍団はまさにそれだ。
すべての個体が意識と知恵、つまりは経験も情報も共有しているとみていい。巨大なひとつの群体として動いている……となればやっかいだ。
今は得られた情報は少ないが、連中の体内に忍ばせた『逆浸透型自律駆動術式』が稼働している。
時が来ればデータを俺に向けて送信してくる。なにか攻略の糸口が見つかるといいが……。
あんな化け物が、まだ他にもいるのか?
本当に星から来たかについては、判断できる情報がない。イカれた魔導師がこさえたホムンクルスだったら、まだかわいいものだ。
……プラム、ヘムペローザも心配しているだろうか。
思わず天を仰ぐが、星の見えない夜空は暗雲に覆われていた。
闇夜の逃避行とは、なんともハードな展開だ。
確かに俺は平和な日々に退屈し始めていた。
魔王との戦いと、仲間たちとの冒険を思い出してしまう。未知の敵との戦いの連続。そして苦しいながらもワクワクした冒険の日々。まるで、あの頃に戻ったようだ。
違うのは仲間が居ないこと……か。
いやいや、感傷的になっている場合じゃない。
「む? あれは……街か」
「あれが王都、レンブルローグです」
丘を越えたところでついに街のシルエットが見えてきた。闇夜の向こうに青白い影として、建物が並んでいる様子が見てとれる。城塞都市らしい。そして街のあちこちに明かりがみえた。中でも正面が一際明るく照らされている。
「明かりが灯っています……!」
「助かった、人がいるようだ!」
思わずほっとする。俺はチェリノルを背負い先を急いだ。
だが、近づくにつれ次第に周囲の惨状があきらかになってきた。破壊された家々、そして目を覆いたくなるような兵士たちの死体――。
城塞の正門付近では煌々と魔法の照明が焚かれ、昼間のように照らされている。
「戦闘が行われているのか……!」
怒号と悲鳴、兵士たちが何かと戦っている気配が伝わってきた。
目を凝らすと、城塞の上から矢が射られ、小さな火炎魔法が放たれている。
「なんてことだ」
襲撃されている。どこにも安全な場所など無いということか。
城塞都市の内側に入ろうにも、あれでは通過することは難しいだろう。まずは敵の攻撃を退け、安全を確保しなければチェリノルを助けられない。
「ググレカスさま、お願いです。私をここに置いていってください」
「それを言うなと……」
チェリノルが身をよじると、地面に降りた。
「兵隊さんたちを、助けにいってください」
少女の強い意思を宿した瞳に息を飲む。
「しかし」
「私がいてはググレカスさまは戦えません。平気です。ググレカスさまなら、皆を助けてあげることができるのですよね!?」
信頼してくれているのだ。気丈な笑みを浮かべた少女の頭を撫でる。
近くの破壊された民家の中を確認し、チェリノルに身を隠すように指示する。
「……わかった」
「お気をつけて」
「必ず戻ってくるから」
俺は賢者のマントを翻し、颯爽と駆け出した。
正門前の戦場までは三百メルテほど。
近づくにつれて、戦いの様子がわかってきた。剣をもった兵士たち十数人、盾を構えた兵士も十数人。相手にしているのはたった二体の魔物だった。
「獅子頭の……人間? コスプレか?」
肩から上はたてがみを生やした獅子のよう。半獣人だろうか。しかし身体は切り貼りしたように普通の人間だ。戦いにはそぐわない半裸の男女が、舞うように戦っている。
「だああっ!」
「とおっ!」
獅子頭の怪物二体に、大柄な戦士と銀色の鎧を身に付けた女騎士がそれぞれ挑んでいた。
隊を率いるリーダーたちだろうか。
「人間ごときが、弱い……!」
「無駄だよ、僕らには勝てない」
「黙れ……!」
「ずりゃぁあ!」
圧倒的強さを誇る魔物二体を相手に、城塞都市の戦士と女騎士は必死に戦っているる。だが、剣をもった赤毛の戦士と、銀色の鎧を身に付けた女騎士は劣勢を強いられているのは明らかだった。
他の兵士たちは間に割って入り、支援しようと試みるが強さの次元が違う。
赤と緑の光が瞬くたび、兵士が一人、また一人と倒されてゆく。
「後で食事にするから、なるべく半殺しでおねがいね。ネフェルトゥム」
黄金色の獅子頭は半裸の女。薄絹をまとい、時おり拳や口から炎を吐いている。
「わかってるよ、ゼクメィト。あ、殺しちゃった」
黒毛の獅子頭ほうは、カラカラと笑う。まるで無邪気な少年のようだった。手の先から緑の刃のようなものを出して兵士を切り刻んでいる。
――あれも知恵をもつ化け物か!
「――!? そこの民間人!」
「危ない、そこのヒョロガリメガネ!」
獅子頭のふたりと戦っていた、戦士と女騎士が俺に向かって叫んだ。
「なっ……!?」
俺はそこで思わず言葉に詰まった。
戦士は日焼けした浅黒い肌に、白い歯がきらりと光る大柄な赤毛の男だった。2メルテに届くかという体躯に輝く剣をもっている。
「エ、エルゴノート!?」
そして、もう一人の女騎士にも見覚えがあった。銀色の髪に白い肌。女性が駆使する武器とは思えないほどに巨大な戦斧。
「ファリア!?」
「キミは誰かと勘違いしているらしいが……いかん、逃げろ!」
「だめだ、殺される……!」
気がつくと、獅子頭の少年が猛ダッシュで迫っていた。
「あはははは! 弱いの殺すのって……楽しいいよねぇ
……ッ!」
狂喜に歪んだ獅子の顔。
「くっ!?」
どうやら人生のハードモードは、より激しさを増しているようだった。
<つづく>




