最果ての地にて ~孤独の賢者
粘液魔法――!
無詠唱魔法は心と精神で励起する。
邪教徒たちの足元で、地面が沸騰したように泡立つと粘液の海が出現した。
「のわぁああ!?」
「ひぃい地面がヌルヌルにっ!」
「き気持ち悪い、なんだこれは……ッ!?」
俺の魔法力に感応したのは、地面に巣食う微細なスライムたち。魔法力によって活性化、急速に巨大化した土着のスライムたちだ。
奇妙な頭巾を被った邪教徒たちは右往左往。スッ転んで、立つことさえままならない。
剣を取り落とし、侵入者である俺を排除するどころではなくなった。
「気持ち悪いとは失礼なヤツだ、スライム達の美しさがわからんとは! 生命の神秘と可愛らしさにうち震えるがいい。ふはは……!」
俺は連中の混乱を尻目に、賢者のマントを振り払う。
そして生け贄の少女へと向き直る。
少し怯えているが大丈夫そうだ。膝をついてゆっくりと助け起こす。
「あ、あなた様はいったい?」
生け贄の少女は手足を荒縄で縛められていた。
「いま助けてやる」
手のひらを縄に向けてかざす。じゅっ、と白煙があがると縄が溶け、朽ちてボロボロになった。
「縄が……!?」
「心配ない、人体には無害さ」
少女は眼を丸くし、自由になった手足をさする。
縄や木綿などを構成する植物性のセルロースだけを急速に分解するスライムだ。
服を溶かし相手に恥辱を与えるために、常備している。賢者との近接戦闘は、時により社会的な死をも意味するのだ。
「私の名はググレカス。見ての通り、通りすがりの魔法使いさ」
フッと微笑みを浮かべつつ、メガネの鼻緒を指先でクイッと持ち上げる。
「ま、魔法使いのググレカス……様?」
少女は芸術的な魔法の力を目の当たりにし、驚いている様子だ。しかしメタノシュタットで高名となった俺、賢者ググレカスの名を聞いても、ピンと来ない様子だった。まぁこの状況では無理もないが。
「もう安心していい。ここから出よう」
「そ、そんな……」
少女は生け贄にされた恐怖と絶望からか、目を白黒させていた。
彼女は裸足のまま、下着のような薄手のワンピースだけを身に着けているだけだ。神殿の中はひんやりと冷気が立ち込め、寒気を感じるほどなのに。
「かわいそうに、どこか怪我は?」
「だ、だいじょうぶ、平気です」
しっかりとした受け答えにほっとする。
朦朧としていた意識もハッキリしてきたのか、瞳に光が戻ってきた。
リオラやイオラと初めて出会ったころと同じ年頃だろうか。この時代に生け贄の儀式とはいったいどんなイカレた連中の仕業なのか。
「細かいことはあとだ、ここを脱出しよう」
「む、無理です……。ここはゾルダクスザイアンの地下神殿……。私は村の生け贄として捧げられ……」
小声で悲しげにうつ向く。
「あぁ大体オーケー。あの連中を黙らせる。外に出たらゆっくり事情を聞かせてくれ」
まったく、やれやれだぜ。
空間転移、そして今どき珍しい古式ゆかしい生け贄の儀式とは。おまけに生け贄少女もかなり不幸な身の上らしい。
それとゾルダクスザイアン? どこかで聞いたような……いや、考えるのは後にしよう。
賢者のマントを脱ぎ、彼女の肩にかけて包む。
「あ……」
「羽織っているといい。立てるか?」
「は、はい!」
サイズが大きすぎて、まるで小包のようになってしまったが、まぁいい。
「ヌルヌルの魔法! その男の仕業だ!」
「黒髪に邪眼よけのメガネ……!」
「魔法使いか! あ、怪しい奴め!」
「えぇい、なにをしている侵入者を殺せ!」
ズルズルに滑りながら、邪教徒のリーダーが俺を杖で指し示した。全身は緑の粘液で覆われスッ転ぶ。ひどい有り様だ。
情けをかけて毒性の無いプレーンなスライムをけしかけたが、反省するどころか殺せといっている。少々、仕置きが甘かったか。
「道化師の真似事をしていればいいものを」
静かに警告する。
邪教徒の数はトータルで二十名ほど。騒ぎを聞き付けて、通路のむこうから集まってきている。
眼には見えない魔力糸を通じ、スライムたちを一斉に操る。
「ねばねばが……!?」
「集まってゆく……!」
床一面に広がっていたスライムが収縮。緑色のキノコのような形状へ姿を変えた。それはボコボコと膨らみ、瞬く間に肥大化する。
「う、うわぁあ!?」
「膨らんだ……!」
巨大な萌芽を形成し、巨大なカボチャサイズを超えたスライムボールへと変貌する。
数はおよそ十体ほど。
「さぁ、食事の時間だ」
俺はとびきり邪悪な笑みを向けつつ、人差し指と中指をパチンと打ち鳴らした。
「なっ!?」
一気にスライムボールから緑色の触手が生えた。それは鞭のようにしなりながら、邪教徒を打ち付け、壁に叩きつけた。
「ぎゃっ!?」
「ば、化け物使いか……!」
「怯むな! やれ、化け物もろと――」
ビチュァ!
無数の触手が反抗的な邪教徒に襲いかかり、全身を包み込んだ。
「ひッぎゃぁああああ!?」
包み込まれた男は悲鳴をあげた。ジュウッ! と焼きゴテを押し付けたような音と白煙があがる。
服がボロボロに溶け落ちて、持っていた剣が一瞬で赤錆に覆われて朽ちてゆく。
「ひぇえええ!?」
「なんだこのスライムは……!」
「強酸性のスライムは肉食だぞ。さぁ、出口まで逃げないと喰われるぞ」
スライムボールの本体もズルズルと這いずり、動き始めた。
邪教徒たちは一斉に逃げ出した。
我先にと逃げ出すが、入り口が渋滞し後ろでスライムの餌食になってゆく。
「ぎゃぁあああ!?」
「いやぁあああ~……!」
阿鼻叫喚だが、まぁ実際は軽い火傷程度の痛みと皮膚がただれるだけ。命に別状はないのだが。
だがパニックになった邪教徒たちは、出口を目指して押し合いへし合い。実に愉快な光景だ。
やがて生け贄の間は誰も居なくなった。
「さぁ、いこうか」
「は、はい!」
少女を裸足で歩かせるわけにもいかないので、倒れている邪教徒からサンダルを剥ぎ取り、スライムで消毒してから少女に渡した。
「水虫菌も消毒しておいたから、大丈夫だ」
「え、えぇ……。ありがとうございます」
俺たちは悠々と、肉食性スライムたちの後を追って歩き始めた。遠くからパニックの声が聞こえて来る。
神殿は複雑な構造で、生け贄の間(?)はかなり最深部にあったようだ。
途中、何人かジュルジュルになった邪教徒が倒れていた。他の連中のほとんどは、スライムに追われて逃げ去ったようだった。
銀髪の少女は疲れた様子だが、しっかりとした足取りで歩いている。
しかし、面倒なことになった。
渦中とはこのことか。空間を転移したにしろ、一体ここは何処なんだ?
「そうだ、君の名前は?」
「チェリノルといいます。た、助けていただきありがとうございます」
ようやく我に返ったように少女――チェリノルは俺にぺこりと頭をさげた。
「チェリノルか、気にするな成り行きさ。それにまだ脱出していない。気を抜くな」
「わ、わかりました」
「ところで君はどこから来たんだい?」
「ウェルエンド村からここへ。村長が、孤児のお前が行けと……」
チェリノルは少し悲しげにうつ向いた。
「そうか。ひどい話だな」
しかしウェルエンド?
聞いたことの無い村だ。
検索魔法で調べると、驚くべきことがわかった。
「って、ストラリア諸侯国だと!?」
どうやらここはティティヲ大陸の西の外れ、それも大陸のずっと西の果てらしい。
「ググレカス様……?」
「あ、いや……すまない」
――ストラリア諸侯国。
それは7つの小国家、ガリアハン、リッヒタリア、イッツブルア、ルフュッエル、オヴァラハン、クラツール、レロンからなる連合国家だ。
ティティヲ大陸の西、イスラヴィアの砂漠よりもずっと西だ。
大陸が尽き、海と空の終わる場所。
そして彼女のいう「ウェルエンド村」はストラリア諸侯国の中でも特に西に位置するクラツール王国にあり、西の海と接している。
なんてことだ。
よりにもよって最果ての、辺境に飛ばされるなんて。
「メティ、そろそろ起きてくれないか?」
俺は胸ポケットに忍ばせていた文庫本にささやいた。
転移してから妖精メティウスは反応がない。
深く眠っているのだろうか。大抵は俺の心のざわめきに応じてすぐに目を覚まして飛び出してくるのだが……。
本の隙間で眠っているはずなのに、起きてこない。
「メティ?」
立ち止まり、本を開く。
そこには確かに妖精メティウスの気配はあった。
しかし姿が見えない。
どういうことだ……!?
いままでは余裕だったが、それも一瞬で吹き飛んだ。メティウスが起きてこない。いったい何が起こったんだ!?
本を手に青ざめ、足を止めた俺にチェリノルは戸惑っていた。どう声をかけるべきか悩んでいる様子で、そっと手を添えてきた。
「ググレカス、様……?」
「す、すまない……。ちょっと友人と連絡がとれなくてね」
だが考えを巡らせるよりも早く、状況は動いていた。
<つづく>




